第百三十二話:興味 その1
四月になると年度が変わり、訓練校にも“新入生”が入校してきた。それに合わせて訓練校を卒業した者達も存在し、博孝達も訓練生として三年目に突入である。
あと半年もすれば訓練校の中で最上級生になり、一年後には卒業だ。正門付近に植えられた桜の花びらが風に乗って飛んでいるのを遠くに眺めつつ、博孝はそんなことを思う。
今日は休日であり、砂原から言われた東京へ赴く日でもある。博孝の周りには第一小隊とみらいの姿があり、全員が制服姿で校舎前に集合していた。
「表彰とか初めてっすけど、本当に制服で良いんすかね?」
「う、うん……でも、制服って礼服にもなるって聞くし……」
初めて表彰を受ける恭介と里香は自分の格好を見下ろしつつ、本当にこれで良いのかと首を傾げている。その二人の言葉を聞いた博孝は、苦笑しながら頷いた。
「俺達が前回表彰を受けた時も制服だったし、問題ないって。格好よりも表彰式の空気を想像した方が“楽しくなる”ぞ?」
「え? や、やっぱり緊張するんすかね? お偉いさん方が『大義であった』とか言うんすか?」
「いつの時代の話だよ……」
困惑する恭介に博孝がツッコミを入れるが、それでも恭介は落ち着かないようだ。訓練生になってからというもの、褒められるよりも怒られることの方が遥かに多いのである。表彰式という格式ばった場に出ると聞き、恭介はソワソワとした様子を抜け出せない。
「全員揃っているな」
そんな博孝達のもとに、野戦服に身を包んだ砂原が姿を見せた。その背中には大きめのバッグが背負われており、中に礼服を入れているのだろう。
砂原は博孝達の顔を見回すと、落ち着かない様子の恭介と里香を見て苦笑する。
「武倉と岡島はもう少し落ち着け。何も取って食われるわけじゃないんだぞ?」
「りょ、了解っす」
「うぅ……はい」
恭介は人形のような動きで頷き、里香は恥ずかしそうな様子で頷く。そんな二人とは対照的に、博孝達は気楽な様子で言葉を交わす。
「表彰式が終わったら食事出るかなぁ……」
「おいしいもの、たべれる?」
「わたしはお爺様に会いたいわ」
それぞれが緊張のきの字もないように話し、それを聞いた砂原は苦笑した。
「見ろ。この三人ぐらいまでとは言わんが、もう少し肩の力を抜きたまえ」
そう言って恭介と里香を落ち着かせる砂原。二人も砂原同様に苦笑しながら頷くと、砂原は場の空気を変えるべく手を打ち合わせる。
「さて、それでは早速行くぞ」
「はい! ……って、どうやって行くんです? ヘリも来てないですよ?」
前回の表彰式では、軍用ヘリを使って移動した。しかし、そのような乗り物は訓練校に来ていない。疑問を覚えて尋ねた博孝に対し、砂原はニヤリと笑う。
「せっかくの機会ということで、東京まで『飛行』で行くことにした。これまでは訓練校の上空だけで訓練を行っていたが、長距離を『飛行』で飛ぶのは良い訓練になるからな」
砂原にかかれば、表彰式に向かう際の移動も訓練になるらしい。博孝達は少しばかり頬を引きつらせるが、疑問は他にもあったため博孝が尋ねる。
「でも里香はどうするんです? 別の移動手段を使うんですか?」
里香だけは『飛行』を発現できないが、その点はどうするのか。博孝としては砂原の返答が予想できるが、その予想に違わず砂原は言う。
「“一緒に”飛んで行くに決まっているだろう?」
何を言っているんだ、といわんばかりの表情で砂原は答えた。里香は飛ぶことができないが、誰かが抱えて飛べば問題はない。砂原はそう言っているのだ。
「もちろん、俺が抱えてはお前達の訓練にならん。河原崎妹は体格的に厳しいだろうから、河原崎兄か長谷川、武倉の誰かが抱えて飛べ」
人ひとりを抱えて飛べる程度には鍛えているため、実現不可能ではない。だが、誰が抱えて飛ぶかは大きな問題になるだろう。
「……あ、俺は人を抱えて飛ぶ自信がないんで、辞退するっす」
博孝と沙織、恭介は互いに顔を見合わせたが、即座に恭介が撤退した。本当は里香を抱えて飛ぶこともできるのだが、それは“色々な意味で”悪いと思ったのである。
砂原はそんな恭介の言葉に、『訓練にならんだろう』と叱責しようとした。教官として恭介の技量を知っているため、一瞬で嘘だと見抜いたのである。しかし、恭介が辞退した理由を考えて思いとどまった。
「ふむ……まあ、自信がないのなら仕方がない。それならば河原崎兄と長谷川、お前達が岡島を運べ」
「お前達って……え? 俺と沙織が二人で里香を抱えて飛ぶんですか?」
沙織と二人で里香の手を握り、そのまま空を飛ぶ光景が博孝の脳裏に過ぎる。下手をすると、どこぞの囚われた宇宙人のような絵になりそうだ。そんなことを考えた博孝に、砂原は簡潔かつ明瞭な答えを出す。
「行きと帰りで分担すれば良いだろ?」
「……そうですね」
それもそうだ、と博孝は頷いた。もしも飛んでいる途中で疲れたら、交代しても良い。博孝達は全員が納得し、地上を離れて一路東京へと向かう。
なお、博孝と沙織のどちらが里香を抱えるかについては、沙織が担当することになった。博孝としては往復共に沙織に任せても良かったのだが、それは砂原によって却下され、ジャンケンで決めたのである。その際、『ES能力者』としての反射神経と身体能力を駆使し、“あいこ”が三十回以上続いたのはただの余談だろう。
『飛行』を発現しての空の旅は、想像以上に快適だった。戦闘を行うわけではないため東京に向かって真っすぐ飛ぶだけだが、眼下に広がる景色を眺めながらの『飛行』は普通の人間だった頃には味わえないものだ。
折角の機会ということで、空戦における陣形を組みつつ空を飛ぶ博孝達。攻撃や防御、索敵等の用途に合わせて陣形を変え、飛びながら陣形を入れ替える練習も行う。
そうしているうちに、表彰が行われる日本ES戦闘部隊監督部が所有するビルへと到着した。表彰の場所が日本ES戦闘部隊監督部のビルになったのは、前回の表彰と同じように“上”が管理する施設での表彰を源次郎が嫌ったからである。
ビルの屋上に“着陸”し、博孝達は一息吐く。訓練校からは『飛行』で一時間もかからないが、飛び続けるのは感覚的にも“慣れ”が足りない。『飛行』を発現し続ける集中力も必要であり、少しばかり疲労を感じていた。
里香をお姫様抱っこして運んだ沙織だけは何故か元気だが、博孝も恭介も深くは追及しない。追及するよりも先に、博孝達にとっては予想外の人物が姿を見せたからだ。
博孝達の到着時刻を知っていたのか、それともずっと待っていたのか。ビルの屋上に降り立った博孝達のもとへと二人の男性が歩み寄ってくる。
一人は日本ES戦闘部隊監督部を統べる源次郎であり、もう一人は着古したスーツの上から白衣を羽織った男性――馬場だった。
「やあやあ、久しぶりじゃないか! ここに来れば君達に会えると聞いて、研究所から飛んできたよ!」
白髪混じりの髪を乱雑に伸ばし、やせ細った容貌には不釣り合いなほどの勢いを纏って馬場が突進してくる。一体何日間眠っていないのか、目の下にはくっきりと隈が浮かび上がっていた。
それでいて双眸はギラギラとした輝きを放っており、突進してくる馬場を見たみらいが即座に博孝の背後に隠れるほどの剣幕だ。馬場は博孝の右手を掴むと、上下に振る。
「噂に聞いていた特殊技能を使う『ES寄生体』がうちの研究所に回されたんだが、あの兎の『ES寄生進化体』、君達が捕獲したんだろう? 捕獲してくれた君達には是非ともお礼を言いたくてね!」
非常に高いテンションで機関銃のように言葉を放つ馬場。強制的に握手をした挙句、上下に振りながら言い募る姿を見た博孝は、戦いとは別種の恐怖を感じた。
「以前捕獲された怪我をした人狼型や兎型の遺体は他の研究所に持っていかれたんだが、ほとんど怪我をしていない元気な『ES寄生進化体』が回ってきたのはうちの研究所だけでね! 自決しないよう注意しながらになるが、それでも研究する項目が多すぎててんてこ舞いさ!」
言葉だけを聞けば大変そうだが、馬場の表情からはそれが窺えない。本当に研究することが好きらしく、大喜びである。しかし、白髪混じりの髪を振り乱しながら狂喜するその姿は、みらいでなくとも逃げたくなるほどだ。
「お、お久しぶりですね、馬場先生……」
勢いに呑まれた博孝は、辛うじてそれだけを口にする。それを聞いた馬場はいっそう目を輝かせると、博孝の両肩を楽しそうに叩き始めた。
「君達の修学旅行以来だね! いやはや、私を覚えていてくれたとは嬉しい限りだよ! 日々忙しく訓練をする君達のことだ、一度会っただけのおじさんのことなんて忘れているのではないかと心配だったさ!」
ハハハ、と外国人のように笑いながら博孝の両肩を連打する馬場だが、明らかにテンションがおかしい。
徹夜続きでテンションがおかしくなっているのだろうと博孝は思うが、それと同時に、修学旅行が終わってからの三ヶ月程度で忘れられるような人柄だと馬場本人が思っているか、とツッコミを入れたくなった。
そして、今日再会したことで余計に記憶に刻まれてしまっただろう。みらいなどは未知の生物と遭遇したような面持ちになり、博孝の背中越しに馬場の様子を窺っている。
馬場の様子を見ていた里香達も、少しばかり身を引いていた。物事に動じない沙織でさえも、一歩後ろに引いて布袋に納めた『無銘』の柄を握っているほどだ。
「調査を始めてまだ五日も経っていないが、あの兎の食生活や行動原理、『ES寄生進化体』としてどれほどの力を持つか、そもそも何故発生したのか! 元々の外見は大きめの兎だったという点も興味深い!
何故最初から今の姿ではないのか、何故特殊技能を使えるのか、調べることが多すぎて逆に何から調べれば良いかわからないほどだよ!」
「馬場君、それぐらいにしておいてくれたまえ。彼らが捕獲した当事者とはいえ、訓練生相手に不用意なことを言わんでもらいたい」
喜び過ぎてハグでもしそうな馬場を見て、源次郎が苦笑混じりに止めに入った。さすがに源次郎が相手だと勝手が違うのか、馬場は我に返ったような顔で頭を掻く。
「おおっと……これは大変失礼をしました。現時点での報告を行いに来たというのに、丁度この子達が来ると聞いてはいてもたってもいられませんでしたよ」
弁解するように言う馬場だが、博孝達が捕獲した『ES寄生進化体』に関する報告を行いにきたようだ。そこに捕獲を行った博孝達が訪れると聞き、“一方的”に話をしたいと思ったらしい。
半年ほど前に人狼の『ES寄生進化体』と遭遇した博孝達だが、その時は紫藤の父親による攻撃を受けて人狼が重傷を負った。砂原が確保に向かった兎については自決しており、今回博孝達が捕獲した兎は初の“健康体”と言える。
遺体でも重傷を負っているわけでもない元気な調査対象ならば、調べられることも増えるだろう。現に、目の下に隈を作りながらも元気溌剌――というには色々と“振り切っている”馬場を見れば、今回捕獲した兎がどれほど興味を惹く生き物なのかわかる。
「表彰式が終わってから時間は取れるかね? 実際に捕獲を行った君達から是非とも話を聞きたいんだ!」
「研究に必要だからと言って、砂原軍曹の報告書を読んでいたではないか……必要なことは全て書いてあったはずだが?」
再びエンジンが回り始めた馬場を見て、源次郎がため息を吐きながら止めに入った。しかし、馬場は『武神』の言葉ですら止まらない。
「当事者から直接話を聞くからこそ価値があるんです! 少しだけ! 少しだけですから! 砂原軍曹の報告書でも情報は揃っているのですが、当事者からも聞きたいのです! 微に入り細を穿つ説明を求めるわけではありません! ただ、実際に戦った者にしかわからないことがあるかもしれないんです! だから是非話をさせてください!」
「そ、そうか……まあ、情報を多角的に収集するのは良いことだな」
ホラー映画にでも登場しそうな動きで振り返って力説する馬場に、思わず頷き返す源次郎。馬場の言葉にも一理あり、『ES寄生進化体』の研究につながる可能性があるのなら断り難い。
源次郎の言葉を承諾と受け取ったのか、馬場は博孝と里香へ視線を向ける。
「君達二人……えーっと、たしか報告書によれば河原崎君と岡島君だったか。以前の講演でも中々良い着眼点を持っていたからね! 期待させてもらうよ!」
「は、はあ……」
日本の『ES能力者』達のトップに立つ源次郎を押し切った馬場に対し、博孝と里香ができたのは曖昧に頷くことだけだった。
「なんか、馬場先生と会ったら緊張なんてなくなったっすよ……」
「う、うん……」
訓練校を出発する前は緊張していた恭介と里香だが、馬場と会ったことで緊張が抜けたらしい。表彰式を行う大会議室へ向かう途中、安心したように呟いている。里香も同意見のようだが、表彰式が終わったあとにまた会うのかと思うと素直には頷けなかった。
「緊張が抜けたのはいいけど、実際に表彰式が始まったらまた緊張するに一票」
「みらいもいっぴょう」
「わたしも……あら、これじゃあ賭けにならないわね」
“前回”のことを思い出し、軽口を叩く博孝。それにみらいと沙織が追従すると、恭介は不満そうに眉を寄せる。
「そんなことないっすよ! 今の俺なら、馬場先生以上にインパクトのある人が相手じゃないと緊張しそうにないっす!」
「あっはっは、冗談だよ恭介。大丈夫さ……多分、な」
最後の呟きは周囲に聞こえない程度の大きさであり、反応する者はいなかった。
(さてさて、前回の表彰式ではやたらと見られていたけど、今回もなのかねぇ……)
ハリドを殺めた後に行われた表彰式では、大将である室町とその一派からやけに見られていた。そのことを思い出した博孝は、少しばかり憂鬱に思いながらため息を吐く。
「では、入室するぞ」
博孝達の先頭に立っていたのは、礼服に着替えた砂原だ。大会議室の扉を開き、博孝達を先導しながら進んでいく。
この場所に来るのも二回目だな、などと考えていた博孝は、大会議室に入るなり違和感を覚えた。部屋の中には軍服を着込んだ男性達がずらりと並んでいるが、“前回”と比べると顔ぶれが大きく異なるのである。
先に入室していた源次郎やその隣に立つ山本、今回も司会を務めるのか壇上に立つ室町、そして源次郎の下座に並ぶ『ES能力者』達はまだ良い。だが、室町の近くにいる者達の顔を博孝は見たことがなかった。
博孝は感覚だけで『構成力』を探ってみるが、彼らは普通の人間らしく微塵も『構成力』を感じない。『ES能力者』でないのならば、間違いなく“上”の人間だろう。十人ほどいるが、それぞれが博孝達に視線を向けてくる。
(……前回の表彰式に顔を出した人達が忙しくて来られなかった、なんて話なら良いんだけどな。でも、以前見た人達に比べると目付きがだいぶ違うような……)
末端の兵士に比べれば将官や佐官の数は遥かに少ないが、十人もの将校を全員入れ替えて表彰式に出席させる意図が掴めない。『ES能力者』側の出席者は全員見覚えがあるため、余計に対比が目立つのだ。
博孝が疑念を覚えていると、室町が柔和な笑みを浮かべながら口を開く。
「さて、主賓も来たことだし、表彰式を開始しようか」
前回とは異なり、少しばかり砕けた口調で声をかける室町。その声を聞いた源次郎と山本は怪訝そうな顔をするが、室町の部下達に大きな変化はない。室町同様、柔和な笑みを浮かべて博孝達を見ている。
室町は博孝達の顔を見回すと、一度咳払いをしてから声を張る。
「それでは、これより表彰式を行いたいと思います。対象者は第七十一期訓練生、第一小隊の四名。そして、河原崎みらい君の合計五名です」
室町が表彰式開催の挨拶を述べると、室内にいた者達が拍手を行う。自分自身よりも遥かに年上の者達から贈られる拍手に、恭介と里香は戸惑いながら視線を彷徨わせた。すると、それを微笑ましく思ったのか室町の部下達の目尻が下がる。
それはまるで、年若い者達の姿を眩しく思う年配者のような表情だ。穏やかに、和やかに、笑みを浮かべながら拍手を以って表彰を祝している。
そんな室町の部下達の様子に、博孝は内心で首を傾げた。
(なんか、前回に比べると本当に空気が違うな。あの人達、姿勢も綺麗だし……)
室町の部下達の襟章を確認してみると、佐官が多い。少将の襟章を付けている者もいるが、それは二人だけだ。他には少佐や中佐が混ざっており、前回の表彰式に比べれば全体的に階級が低くなっている。
しかし、前回の表彰式で見た者達に比べると鋭い雰囲気を纏っている者達ばかりだ。先日の任務で協力し合った第七ES戦闘大隊を率いる桐野少佐のように、実戦部隊に所属しているのかもしれない。
さすがに将官が“現場”に出張っているとは思わないが、元々は実戦部隊に所属していたのではないか。博孝が即座にそう考えるほど、その者達の物腰は洗練されている。
「それでは、一人ずつ壇上へ上がってください」
考え事をしていた博孝の耳に、室町の声が届く。今回は前回の表彰式とは異なり、小隊にみらいを加えた形で行われる。
まずは小隊長の自分が行くべきか、と判断した博孝は壇上に上がると、感状を持った室町と向き合った。室町は博孝の顔を見ると、苦笑しながら感状を差し出す。
「まさか、一年も経たない間に再び表彰を行うことになるとは思わなかったよ。君の偉業に敬意を表すと共に、今後の研鑽に期待する」
「はっ、ありがとうございます」
差し出された感状を両手で受け取った博孝は、一礼してから小隊のもとへと戻る。他の小隊員達も順に室町のもとへと向かい、一言かけられてから感状を受け取った。
全員が感状を受け取ると、室町は博孝達一人ひとりの顔を見ながら口を開く。
「君達の活躍は、正規部隊員の活躍に勝るとも劣らないものだ。そして、彼らを鍛えている砂原軍曹の手腕も私は称賛したい」
「……はっ、光栄であります」
最後に砂原へ視線を向けて称賛の言葉を送る室町。その言葉を受けた砂原は、表情を変えることなく軍帽を脱いで一礼した。
「軍曹は相変わらず固いな。だが、その態度こそが称賛すべきものか。貴官の錬成の手腕、今後も期待する」
「はっ!」
その言葉を最後に、表彰式は終了となる。最後を締めくくるように再度の拍手が行われ、博孝達は退室するのだった。
「博孝が変なことを言うから緊張してたっすけど、全然緊張する空気じゃなかったすよ! あの室町って人も、滅茶苦茶良い人っぽいじゃないっすか!」
大会議室を出るなり、大きく息を吐いた恭介が感状を片手に言う。それを聞いた博孝は、思わず苦笑を浮かべてしまった。
「なんだ、やっぱり緊張してたのか?」
「してないっすよ! あまりにも和やかな雰囲気だったんで、リラックスしていたぐらいっす!」
からかうように博孝が尋ねると、恭介は声を張り上げて否定した。恭介が想像していた表彰式というものは、物音一つ上げることも、無駄口一つ叩くこともできない厳かなものである。
それが蓋を開けてみれば、大将という軍人の中でも雲上人と呼べる階級を持つ室町から和やかな雰囲気で感状を渡されただけだ。予想と比べると遥かに気安い空気に、恭介は心底安堵していた。
「前回はもう少し違う雰囲気だったんだけどな」
「へぇ……まあ、俺は今日みたいな雰囲気の方が楽でいいっすよ」
堅苦しい表彰式は嫌だと答える恭介。博孝としては恭介の意見に同意したいところだ。そのため大きく頷き――。
「河原崎君、少し良いかね?」
背後から、先ほど別れたばかりの室町に声を掛けられた。表彰式が終わり、大会議室から退室したにも関わらず追いかけてきたらしい。しかし、博孝としては声をかけられる理由がわからない。
「室町大将閣下……はっ、何でありましょうか?」
「はははっ、そう固くならないでくれ。今の君は“学生”だ。もっと肩の力を抜いてくれていい」
博孝の返答を聞いた室町は苦笑し――博孝の様子を見た里香は内心で首を傾げた。室町は先程表彰を行った相手だが、里香が接した限りでは博孝が“固くなる”理由がない。室町とはほんの僅かな時間接しただけだが、博孝の性格を考えれば冗談の一つでも飛ばしそうだと思ったのだ。
それだというのに、博孝の瞳から警戒の色が消えていない。二年以上共に過ごした里香は即座にそれを見抜き、余計に疑問を深める。
「閣下、御用件を賜りたく存じます」
声をかけてきた室町に対し、博孝を庇うようにして砂原が前に出た。砂原としても、この場で室町が声をかけてくる理由がわからない。室町は“普通”の人間だが、“上”の中でも大きな派閥を持つ軍人でもある。
そんな人間が、一介の訓練生である博孝に声をかける理由。砂原としては色々と予測できるが、その真意は定かではない。
「軍曹、そう警戒しないでくれたまえ。私は普通の人間だ。かの『穿孔』が手の届く範囲で気構えしていては、さすがに落ち着かんよ」
一聴するだけならば砂原に対して気弱にも聞こえるが、室町に怯えた様子は微塵もない。名声はあるものの階級的には遥かに劣る砂原としては、強く何かを言うこともできなかった。
「……小官の教え子に、何か御用がありましょうか?」
まずは室町の出方を窺うべく、砂原が尋ねる。表彰式が終わった以上、室町が博孝に声をかける理由はないはずだ――表向きは。
砂原の脳裏に過ぎったのは、博孝がハリドを倒した後に持ち上がった新部隊設立についてだ。
既存の部隊とは異なる、“問題”が発生した際に即応するための新規部隊。室町はその提言者であり、博孝はその部隊の“対象”になっている。
(入校して二年……このタイミングで仕掛けてくるか?)
かつて室町は即応部隊の設立を提言したものの、目立った動きはなかった。『零戦』に配属される前は空戦部隊や陸戦部隊にいた砂原としては、室町の提案は実現性に欠けていると判断したのである。
もしやその件か、と警戒する砂原だが、室町は砂原の警戒を意に介さず博孝へ視線を合わせた。そして、初めて出会った時のように瞳に値踏みと好奇の色を混ぜる。
「なに、個人的に話をしてみたいと思っていただけだ。河原崎君、今から少し話せないかね?」
そう言って、室町は口の端を吊り上げるのだった。