第百二十九話:合同任務 その1
『ES能力者』は“普通”の人間を遥かに上回る戦闘能力を持つが、その数は少ない。それ故に割り振られる任務は重要度が高く、『ES寄生体』が発生しやすい地域には警邏任務を行うために陸戦部隊が配置されている。
それでも数に限りがある以上、どうしても手が届かない場所が日本各地に存在した。陸戦部隊よりも行動範囲が広い空戦部隊が文字通り飛び回り、そのカバーに努めていても限界がある。
空戦部隊には航空機の護衛や自国の重要人物の警護、各指定都市の防衛、『天治会』などの危険性が高い敵性『ES能力者』の捜査および排除等が任務として割り振られているため、陸戦部隊のカバーに回せる人員が少ないのだ。
陸戦部隊についても人口が多い都市部を中心として配置されており、それと同時に艦船の護衛任務やES保管施設のような重要な施設の防衛任務を行う。空戦部隊と同様に各指定都市の防衛任務も行っており、全てに手を回す余裕がないため、重要度の高い任務から順番に対応しているのだ。
ここで問題になるのが、、全ての陸戦部隊が均等に各任務を行うわけではないという点である。極端に戦力が偏らないよう注意しているが、全ての部隊の練度が均等であるはずがないからだ。
部隊の練度に釣り合うと判断された任務が割り振られ、見合った成果を出すことが求められる。『ES能力者』は容易に使い潰すことができないため、部隊員の安全を考慮した形だ。
『ES寄生体』の発生頻度が高い地域には練度の高い部隊を、発生頻度が低い地域には練度が低い部隊を置く。練度の向上を考えて多少危険性を無視した配置もあるが、基本的には実力に合った任務が割り振られていた。
そして、そんな『ES能力者』達の手が回らない地域においては、“普通”の人間が『ES寄生体』などの脅威に立ち向かっている。銃器や対『ES能力者』用武装を用いて戦い、民間人を守っていた。
人間の兵士は『ES能力者』よりも遥かに数が多く、“補充”の目途も立ち易い。
『ES寄生体』や敵性『ES能力者』によって家族や恋人、友人を殺され、その復讐を目的とする者。
凄惨な過去はなくとも、自らの大事な者や場所を守りたいと思った者。
理由は様々だが、自らの手で“敵”と戦うことを選ぶ者は多い。対『ES能力者』用武装が存在しなければその数は減っただろうが、柳の『付与』によってもたらされる武装の数々は、多くの者を『ES寄生体』に対抗する兵士に変えた。
人間である以上、身体能力では『ES能力者』に敵わない。ES能力のような、普通の人間から見れば“反則”同然の力もない。それでも、戦う術がある以上は戦うのだ。
『ES能力者』の手が届かない地域を守る、対『ES寄生体』向け実戦部隊。警察や通常の軍隊とは異なる、『ES寄生体』を対象とした部隊である。場合によっては敵性『ES能力者』を相手に戦う場合もあるため、対ES戦闘に特化した部隊――対ES戦闘部隊とも呼ばれていた。
『ES能力者』は日本ES戦闘部隊監督部によって管理されているが、対ES戦闘部隊は防衛省の直轄部隊である。日本ES戦闘部隊監督部はその特性から独立性が高いが、防衛省の傘下という意味では対ES戦闘部隊と“同格”になる。
部隊員は『ES能力者』よりも多く、倍近い人数が所属している。通常の兵士も対『ES寄生体』戦闘を想定して訓練しているが、対ES戦闘部隊ほどではない。
そのため、『ES能力者』が駐在していない地域では対ES戦闘部隊と通常の兵士が連携し、『ES寄生体』の撃退を行うのだ。『ES能力者』が到着するまで時間稼ぎを行うこともあるが、それは発生した『ES寄生体』の数が多い場合や、強力な個体だった場合である。
『ES寄生体』と戦うため、部隊の損耗率は高い。一度の戦闘で多数の負傷者や死者が出ることも珍しくなく――それでも志願者が絶えないのは、『ES寄生体』がもたらす被害に敵愾心を持つ者が多いからか。
時には対ES戦闘部隊だけで、時には味方の『ES能力者』と連携しつつ戦う。博孝達第七十一期訓練生は、そんな彼らと任務を共にするのだ。
「……で、実際のところ、現場の部隊ってどんな感じなんです?」
平日の夜間、自主訓練の休憩中に体育館の管理室に足を運んだ博孝達は、情報収集の一環として野口にそんなことを尋ねていた。
ここ最近の授業で様々な情報を得たが、それはあくまでデータ上の話だ。それならば、実際に対ES戦闘部隊に所属していたことがある野口に話を聞き、情報を補完しようと思ったのである。
そこまで広くない管理室に第一小隊全員で押しかけてきた博孝達を見て、野口は呆れたような表情を浮かべた。
「お前らなぁ……いきなり押しかけてきたと思ったら、対ES戦闘部隊について聞きたいだ? こっちは任務中なんだぞ?」
「任務といっても、夜間に体育館を利用する奴は少ないじゃないですか。利用するとしても『飛行』の訓練施設ばっかりですし、野口さんも暇でしょ?」
悪びれることもなく情報を渡してほしいと頼む博孝。野口は苦笑しながら紙コップを取り出すと、全員分のコーヒーを淹れて手渡す。
「まあ、お前の言う通り暇なんだがな……ほらよ」
「あ、どもっす」
「ありがとうございます」
野口からコーヒーを受け取り、軽く頭を下げる恭介と里香。沙織は会釈して受け取り、みらいは普段飲まないコーヒーを見て目を輝かせている。
管理室に置いてある椅子は里香や沙織、みらいに譲っており、博孝達男連中は全員立ったままだ。
「次の任務は対ES戦闘部隊と共同なんですよ。だから、野口さんから話を聞ければと思ったんですが……駄目ですかね? 機密に抵触しますか?」
「隠すほどのこともねえし、話すのは構わねえよ。予習ってところか? 勉強熱心だねぇ」
自分の分のコーヒーを淹れ、野口は肩を竦めた。なんだかんだで暇だったのだろう。仕方がないといった様子だが、野口は割と乗り気で口を開く。博孝達が授業でどんなことを習ったかは聞いているため、実際の“現場”に関して話すべきだろうと野口は思った。
「俺達……つっても、俺は異動して訓練校勤務だから違うが、対ES戦闘部隊は文字通り『ES寄生体』や『ES能力者』と戦うための部隊だ。味方の『ES能力者』の手が回らない場所を主な任務地にしている」
コーヒーを飲みつつ、野口は何かを思い出すように視線を細める。
「ほとんどの場合は任務地近くに用意されている駐屯地で過ごしたな。普段は訓練と警邏、有事の際は即座に出動。給料は良いが、休日は少なく危険は多い職場だ」
「やっぱり、危険が多いんですか?」
合いの手を打つように里香が尋ねると、野口は苦笑しながら頷く。
「そりゃそうさ。警邏をするとしてもお前らみたいな……なんだっけか? 『探知』だったか? ああいった便利な力もないから、『ES寄生体』が発生しやすい区域を警戒態勢で探索するんだ。何もなければ良いんだが、下手すりゃ不意打ちを受けることもある」
普通の人間は『構成力』を感じ取ることができないため、目視での確認が基本だ。しかし、『人面樹』のように擬態をされれば発見は難しい。それでなくとも、人間よりも身体能力が優れている『ES寄生体』ならば強襲することも容易である。
「俺達は『ES能力者』みたいに頑丈じゃねえし、攻撃の手段も限られているんだ。不意打ちを食らうと大きな被害が出る……まあ、正面からぶつかっても全員無傷で切り抜けるのは難しいんだがな」
無糖でコーヒーを飲んだからか、それとも別の“何か”を思い出しているのか、語る野口の表情は渋面だった。
「でも、数十年前ならともかく、今は対『ES能力者』用武装もありますよね。それでも『ES寄生体』と戦うのは厳しい、と?」
“普通”の人間がどのようにして戦うのか。興味を惹かれた里香が積極的に質問を行う。野口は腰元のホルスターを軽く叩くと、苦い物を噛んだような顔のままで頷いた。
「武器はあっても、それを扱うのは俺達人間だからな。攻撃用の陣地を構築して、重機関銃でも設置して正面から火力を叩きつければ無傷でも勝てるが……『ES寄生体』はこっちの都合なんざ無視して襲ってくるからな」
個体にもよるが、『ES寄生体』は人間と比べれば知能が高くない。動物らしい“勘”は持つものの、戦略や戦術といった概念は持たないのだ。
その点を踏まえれば、“準備”さえしていれば人間でも無傷で勝てる。極端な話だが、対『ES能力者』用武装がなくても十分に撃退が可能だ。いくら『ES寄生体』といえど、大抵の相手は重火器の火力があれば撃退できる。小火器でも集中的に運用すれば撃退は可能であり、対『ES能力者』用武装が存在しない時代には火力の一点集中で撃退してきた。
もっとも、これらは敵が重厚に構築された陣地に真正面から突撃してくれば、という前提を必要とする。実際には陣地も構築できず、携帯が可能な火器で対応するしかない。
対『ES能力者』用武装の登場によって多少は楽になったが、人間が『ES寄生体』と戦うには大きな危険が伴うのが実情である。
専用の装備を持ち、自分達に有利な土地に陣地を築き、正面から迎え撃つ。それならば大抵の『ES寄生体』は完封できるのだが、と野口は締め括った。
「じゃあ、状況さえ整えば『ES能力者』が相手でも勝てるんですか?」
野口の話を聞いていた博孝は、ちょっとした疑問からそんなことを尋ねる。対ES戦闘部隊は、『ES寄生体』だけでなく『ES能力者』と交戦することもあるのだ。野口の口振りでは、遭遇戦は厳しくとも防衛戦などは十分に対応できそうな印象があった。
「そうさなぁ……まあ、俺達は普通の人間だからな。『ES寄生体』も厳しいが、『ES能力者』が相手だとほとんど勝ち目がねえ。ただ、状況が整えば訓練生クラスなら倒すことはできる……ああ、博孝、お前らは明らかにそのラインを超えてるから除外な」
実現の可能性を思案した野口は可能だと言うが、博孝達は除外されてしまう。それを聞いた博孝は、僅かに首を傾げた。
「えー……俺達は除外ですか?」
「除外だ。というか、訓練生で空飛ぶ奴なんざほとんどいねえんだよ。陣地を構築しても厳しい。鳥型の『ES寄生体』ならなんとかなるが、『ES能力者』だと“的”も小さいし、機動力も違うからな」
空戦と陸戦では機動力の差が大きく、銃器で狙うのは現実的ではない。同じ速度の敵を相手にするならば、戦闘機の方が余程マシだ。少なくとも、戦闘機は空中で複雑な機動を行いながら接近してくることはない。鳥型『ES寄生体』も厄介だが、その動きは鳥の範疇を超えていないため対応も可能だった。
「たまに単独で『ES寄生体』を倒すような“馬鹿”もいるが、大半の奴は数と連携を重視して戦う……そうだな、一つだけ注意しておくか」
野口は煙草を取り出し、口に咥えて火を点けると、紫煙を吐き出しながら目を細める。
「『ES能力者』ってのは志願してもなれるもんじゃねえ。だが、兵士ってのは一定の基準を満たせば誰でもなれる。そして、兵士になる奴の志望動機は大体二択だ」
そう言いつつ、野口は左手で指を二本立てた。
「話に聞いてるだろうが、一つは『ES寄生体』に対する復讐。もう一つは“職業”として選択した場合だな。んで、注意すべきは復讐を目的としている奴だ」
軽い口調で語る野口だが、その表情は真剣である。灰皿に煙草の灰を落としつつ、野口は話を続けた。
「『ES寄生体』を目の敵にしている奴はまだいい。だが、『ES能力者』を目の敵にしている奴も少なからずいる。そういう奴は対ES戦闘部隊に配属“されにくい”が、表面を取り繕って『問題なし』と判断されている場合もあってな。味方に襲い掛かるほど馬鹿じゃねえが、“後ろ弾”には気を付けた方がいい」
「……それ、かなり危ないんですが」
「お前らの訓練を見たことがあるが、後ろから撃たれても怪我しない程度には鍛えてんだろ? あくまで注意しておけって話だ……こいつはただの興味から聞くんだが、任務に同行するのはどこの部隊なんだ?」
頬を引きつらせる博孝に、用心するよう促す野口。ついでとばかりに質問が行われたが、博孝は首を横に振った。
「詳細は知らないんですよ。とりあえず、近畿付近に足を延ばすって話は聞きました。あとは山岳戦が得意な部隊としか聞いてないです」
博孝達も任務の詳細は知らされておらず、答えようがない。それでも大まかな任務地がわかっているため機密に抵触しない範囲で答えると、野口は気まずそうに視線を逸らした。
「……もしかしたら、俺がいた部隊かもしれねえ。第七ES戦闘大隊って部隊なんだが、近畿地方の山間部が任地だった」
「嫌そうな顔っすけど、何かあるんすか?」
野口の表情を見た恭介が尋ねると、野口は煙草のフィルターを噛みながら頭を掻く。
「向こうからすれば、俺は戦いが嫌で逃げ出した腰抜けだ……まあ、俺が部隊から抜けて二年以上経っているから、俺のことを覚えている奴は“いなくなっている”かもしれねえ」
煙草を灰皿に押し付けながら、複雑な感情を噛み締めるように野口は言う。野口を知る者が異動したのか、“退職”したのかはわからない。博孝達もその点を突くほど野暮ではなかった。
野口は冷め始めたコーヒーを口に運ぶと、表情を苦笑へと変える。
「よくあるわけじゃねえが、『ES能力者』と連携して戦う機会は珍しくねえ。もしも俺の古巣が相手だったら、精々鍛えてやってくれ」
「いやいや、今回は俺達が教わりにいく立場ですよ?」
野口の冗談に博孝がツッコミを入れ、その場は解散となった。
三月末。
博孝達第七十一期訓練生は野戦服を身に纏い、朝からグラウンドに整列していた。それぞれが荷物の“抜け”がないか最終チェックしつつ、砂原が到着するのを待っている。
「さて、三ヶ月ぶりの任務か……つっても、前回の任務は修学旅行だったし、普通の任務は久しぶりの気がするな」
「たしかにそうだよね……」
チェックを行いつつ言葉を交わす博孝と里香だが、その様子は非常に落ち着いていた。周囲には沙織や恭介、みらいもいるが、全員が落ち着いた様子を見せている。他のクラスメートについても、多少緊張の色が見える程度だ。
対ES戦闘部隊と共同での警邏任務は、それほど難易度が高いものではない。『ES能力者』だけで行っていた警邏任務に追加要素がある程度である。もっとも、訓練校では任務の機会が少ないため、緊張を拭えない者も大勢いたが。
「おはよう、諸君。全員揃っているな」
最終チェックを終えた生徒達の元へ、いつも通りに野戦服を着込んだ砂原が姿を見せる。
こうやって朝からグラウンドに整列し、任務へ赴く前に砂原から声を掛けられるのも七度目か、と博孝は思考を巡らせた。さすがにここまでくれば、博孝としては慣れてしまった気もする。
無論のことだが、慣れたからといって気を抜くわけではない。任務で何が起こるかわからない以上、警戒心を保つ必要があった。
一定の警戒心を保ちつつ、心に余裕を持つ。そうすることで“普段通り”の力を発揮できるのだ。少なくとも、精神状態を平常通りに保つことができる程度には博孝達も鍛えられている。
「では、早速移動するとしよう。小隊ごとにバスに乗り込め」
砂原が視線を向けると、移動用のバスが丁度グラウンドに到着した。生徒達はバスへと乗り込むと、小隊ごとに一列に並んで着席する。博孝達第一小隊はみらいがいるため、定位置となった最後部座席に着席した。
最後に砂原が乗り込むと、扉が閉まってバスが動き出す。訓練校を出る際には陸戦部隊員や兵士が乗り込んだ車がバスの前後につき、護衛としての役割を担っていた。
他のクラスメートはともかく、博孝達にとっては第二指定都市へ帰省して以来の外出である。遊びではなく任務に行くのだが、普段と景色が違うというだけでも気分が上向きになるのを博孝は感じた。
それでも平静を保つために博孝が深呼吸をすると、窓側の席に座っていたみらいが期待するような視線を向けてくる。
「おにぃちゃん、からおけは?」
「任務用のバスだから、さすがにカラオケ機器はないんだけど……」
修学旅行を思い出したのか、カラオケをしたいと言い出すみらい。しかし、任務で使用するバスにカラオケの機材など積んでいない。
「じゃあ、あかぺら? で、うたう」
「みらいなら怒られない気もするな。でもさすがに……って、あれ? なんか、似たようなやり取りを以前もしたことがあるような……」
苦笑しながらみらいを止めようとする博孝だが、似たような会話をした覚えがあったため首を捻った。
「ちょっ、今のって初任務の時に博孝が言ってたことじゃないっすか? カラオケがないならアカペラでってのは」
その会話を聞いていたのか、みらいとは反対の窓側の席に座っていた恭介が小さく噴き出す。それを聞いた博孝は、バスの天井を見上げながら目を細めた。
「あー……たしかに言ったなぁ。あの時はあまりにもバスの中の空気が重たかったから、少しでも盛り上げようと思ったんだっけ……」
初任務の時を思い出し、博孝は視線を天井からバス内へと移す。時間が経つにつれて任務地に近づいているわけだが、博孝達以外の生徒も近くの者と会話をしている。初任務の際は徐々に口数が減り、空気も重くなっていたが、今のところは全員が落ち着いているようだ。
「わたし、全然覚えてない……」
「わたしは精神を集中していたから、気にも留めてなかったわ」
話を聞いた里香は困ったように微笑み、沙織は当時のことを思い出しながら呟く。
「そういえば、あの時の里香は目を開けたままで硬直してたっけ。沙織は寝ているのかと思ったよ」
博孝も沙織と同様に当時のことを思い出すと、懐かしむように笑った。
「そ、そんなことないよ? ちゃんと瞬きしてたよ?」
「いくらなんでも、任務に行く途中で寝るわけないでしょう?」
里香は焦ったように言うが、ツッコむべきところはそこではないだろう。沙織は『そんなわけない』と首を横に振るが、当時の博孝にとっては判断がつかなかったことも事実だ。
そうやって博孝達が騒いでいると、周囲にいた生徒達も会話に参加してくる。緊張を解すためなのか、些細な話にも積極的だ。
「そういえば、俺もあんまり覚えてないんだよな……気がついたら任務地に到着してたんだ」
「わたしも。河原崎君と武倉君が騒いでいるのは聞こえてたけど、内容が耳に入らなかったというか……緊張しすぎたのかしら?」
昔の様子を思い出し、どれだけ余裕がなかったのかと苦笑する生徒達。それを見た博孝は、口の端を吊り上げてニヤリと笑う。
「それじゃあ、今はどうなんだ? しっかりと聞こえてるか? 次回の任務で同じようなことを言わないでくれよ?」
「当たり前だろ!? みらいちゃんが歌いたいって言ってたところから全部聞いてたっての!」
博孝がからかうように言うと、前の席に座っていた城之内が反発するように叫ぶ。だが、相手が城之内であり、その発言の内容が気にかかった博孝は周囲に聞こえない程度の大きさでぼそりと呟いた。
「みらい“だから”聞いていた、の間違いじゃねえの?」
「な、何を言ってますかねぇ君は!?」
博孝の呟きが聞こえたのか、それとも唇の動きから読み取ったのか。城之内は焦ったような声を上げる。話題の当事者であるみらいは、窓の外の景色に夢中だ。
「おっと、聞こえてたか。こいつは失礼」
「お前の目付きと唇の動きを見れば、何を言ってるかわかるんだよ!」
ハハハ、と笑って誤魔化す博孝に対し、冷や汗をかきながらツッコミを入れる城之内。幸いと言うべきか、博孝と城之内の会話を聞いて内容を“理解”できる者は男子生徒しかいない。周囲にいた女子生徒は全員疑問符を浮かべ、里香でさえ博孝達の会話が何を指しているのか理解できなかった。
そうやって騒ぐ博孝達だが、バスの助手席に座った砂原は何も言わない。あまりにも度が過ぎれば注意するつもりだが、博孝達が行っているのは緊張を解すための儀式のようなものだ。
砂原とて、正規部隊にいた頃は任務前に部下が緊張しすぎないよう気を配っていた。飲酒はさすがに厳禁だが、軽い飲食や喫煙、会話によって明るく振る舞うことは禁止していない。
(だが、さすがにこれ以上騒ぐようなら静かにさせるか……)
博孝は素なのか意図的なのかはわからないが、これ以上うるさくなるのならば“指導”して静かにさせようと思う砂原だった。
第七十一期訓練生がバスで移動している同時刻。
任務地近くの対ES戦闘部隊の駐屯地では任務に参加する兵士達が集まっていた。迷彩柄の野戦服で身を包み、鉄帽を被り、頑丈なブーツの紐を締めた姿は歴戦の戦士のものである――ただ、その表情は『面倒だ』と言わんばかりに歪んでいたが。
「はぁ……訓練生のお守りなんてやってられませんよ。ただでさえ『ES寄生進化体』なんて厄介なモノが出てくる可能性があるのに、訓練生を守りながら警邏を行うなんて……」
兵士の一人が愚痴のように呟く。あと一時間もすれば訓練生が到着するが、彼らにとっては面倒だと思う気持ちが強かった。
『ES能力者』とは任務で連携する間柄であり、普段ならば敬遠する感情など微塵もない。有事の際には大きな戦力となる頼もしい味方であり、戦友だ。人間の兵士よりも数が少なく、様々な面で酷使される立場でもあるため、同情的でもある。
しかし、それが訓練生となると話は別だ。『ES能力者』とはいえ、訓練生は対外的に高校生である。将来的には肩を並べて戦うこともあるだろうが、現時点では卵に入った雛鳥でしかない。
それでも成長すれば大きな戦力となるため、定期的に行われる訓練生の任務に現場の部隊も協力するのだ。
――今は未熟だが、少しでも成長させるために。
それが現場の部隊の共通認識だが、実際に任務の教導を行う立場になると話は別である。『ES能力者』が普通の兵士との連携行動を学ぶこと自体は、大いに結構だと言えるだろう。しかし、『ES寄生体』と遭遇した場合は訓練生の身の安全を優先しろ、という命令が“上”から下っているのだ。
その希少性、将来性を考えれば、訓練生の身の安全に重きを置くのは理解できる。『ES能力者』が持つ長い寿命と人間離れした戦闘能力は、『ES寄生体』や敵性『ES能力者』に対する大きな武器になるだろう。
対ES戦闘部隊との連携については正規部隊に配属されてから学ぶ方が安全だが、部隊によっては対ES戦闘部隊と全く関わらないこともある。休日の外出時など、突発的な戦闘に巻き込まれた場合に一般の兵士を考慮した“動き方”がわからなければ、フレンドリーファイアの危険性があった。
兵士がする分には、最悪でも怪我で済む。しかし、逆の場合は大惨事だ。味方の『ES能力者』による“誤射”など笑えない。
可能性としては非常に低いものだが、実際に何件かの“事故”が起こっているため、“上”としても訓練生の内に少しでも経験を積ませておきたいというのが心情だった。
「気持ちはわかるが、入校して二年近く経ってるんだ。訓練生の中でもマシな方だろう」
愚痴を吐いた兵士に対し、同僚の兵士が宥めるように言う。入校して半年程度の訓練生に比べれば、余程マシだ。二年近く訓練を積んでいるため、最低でも新兵程度には“使える”だろう。
「でも、何期前の訓練生だったか……第八部隊の方が受け持った時は大変だったって話じゃないか。『ES寄生体』に遭遇してパニックになって、『射撃』を乱射してよ……」
部隊長が到着していないため雑談を行う兵士達だが、その顔色が悪くなる。数年前に今回と同じように訓練生と合同任務を行った際、“事故”が発生したのは現場の対ES戦闘部隊の中では有名な話だった。
『ES寄生体』との戦いの中で命を落とすのならば、納得もできる。死ぬのは嫌だが、それが職務だ。しかし、パニックに陥った訓練生の誤射で命を落としたいと思うはずもない。
「隊長から聞いた話だと、今日来る訓練生の教官……砂原軍曹は『心配ご無用』と言っていたらしいけどな」
「心配ご無用? かの『穿孔』殿も、前線から離れて鈍ったんじゃないか? それとも、自分が手塩にかけて育てた生徒だから『ES寄生体』が相手でも問題なく戦えると?」
『ES世界大戦』が勃発した時代とは異なり、実戦経験を持たない『ES能力者』が正規部隊に所属しているのも珍しくない時代である。『ES寄生体』との実戦経験を持つ彼らとて、初めて『ES寄生体』と遭遇した時は恐怖を覚えたものだ。
対ES戦闘部隊の者達は、人の身で在りながら『ES寄生体』に対抗するべく覚悟を固めている。しかし、訓練生はそうではない。訓練校で訓練を重ねているが、元々はただの子供だ。人間離れした身体能力やES能力があるため、逆に心構えに差ができてしまう。
何事も問題が起きなければベスト。
問題が起きても訓練生が暴走せずに大人しく退却してくれればベター。
現場の対ES戦闘部隊にとって、訓練生に対する評価はその程度だった。しかし、いつの間に接近していたのか、少佐の階級章を付けた男性が会話に参加してくる。
「だが、今日来る訓練生達は“敵”との交戦経験もあるらしい。それも、中には敵性『ES能力者』と交戦した者もいるそうだ」
突然聞こえた男性の声――部隊長の声に、隊員達はビクリと肩を震わせた。
「た、隊長……心臓に悪いんで、後ろから近づかんでくださいよ」
「任務前に下らんことを囀っているからだ。相手が誰であろうと、どんな任務だろうと最善を尽くす。それが我々の役割だ」
「そりゃあそうですがね……って、さっきの話はさすがにガセでしょう?」
任務前の軽い“雑談”ということで目を瞑ってもらえたのか、部隊長からの叱責はない。そのため部隊長の言葉を冗談だと指摘するが、部隊長は首を横に振る。
「以前テレビでも報道されていただろう? 今日来る訓練生達には、“神輿”が存在する。訓練生としては例年の期よりも遥かに出来が良いそうだ」
「ああ……そういえばそんな話もありましたか。てっきり“上”がでっち上げたんだと思ったんですがね」
半年ほど前にそんな話を聞いた覚えがあったが、『ES能力者』の正規部隊とは異なり、普通の兵士の末端まで詳細な情報が下りてきていない。そのため当時は話のネタにされたぐらいで、すぐに忘却されていた。
半信半疑――というには疑いの感情が強く浮かんだ部下達の顔を見回し、部隊長は小さく笑う。
「良かったな。今日は楽が出来そうだぞ?」
「実際に自分達の目で見てみないと信じられませんって。“上”の言うことは話半分に聞いておく方が安全です」
敵性『ES能力者』を訓練生が撃退したなど、到底信じられる話ではない。そのため、兵士達のほとんどは冗談の類だと判断し、笑い飛ばすのだった。