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平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)  作者: 池崎数也


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第百二十七話:二回目のバレンタインデー その2

 自主訓練を一時中断した博孝達は、男子寮の談話室へと足を運んだ。菓子や飲み物の自販機が設置されているため、休憩をするには丁度良いのである。


「うわぁ……なんだこの空間……」


 しかし、普段はそれほど利用者がいない談話室だが、今日ばかりは多くの男子生徒がたむろしていた。そのため、思わず困惑するように呟いてしまう。

 設置されているソファーに腰かけ、腕を組んで目を瞑っている者。

 意味もなく談話室の中を歩き回る者。

 会話をしているが、言葉が上滑りしている上に挙動不審な者。

 普段ならば自主訓練に励むか自室で休養を取っているのだが、男子寮にいる者達は全員が談話室に集まっているようだ。この場にいないのは、朝からデート目的で外出している者だけである。


「ちっ……なんだ、河原崎かよ」

「いきなり舌打ち!? おいおい、ピリピリしすぎじゃね? いっそのこと、待つんじゃなくてこっちからもらいに行くとか……」


 談話室に入るなり中にいた男子生徒全員の視線が集中し、その内の一人に舌打ちをされてしまった。博孝としてはその態度にも納得できるため、苦笑しながら代案を出す。

 去年は女子生徒達が男子寮まで足を運び、チョコレートを渡していた。博孝は飛行場で『瞬速』の訓練に励んでいたためその場におらず、バレンタインデーを忘れていた自分に絶望したものである。

 一人だけチョコレートをもらえずにいた博孝に対して周囲の男子生徒達が勝ち誇っていたが、博孝はその後にチョコレートをもらった数で逆転している。中には博孝の味覚と胃腸と精神を蹂躙するような物体もあったが、数では勝ったのだ。

 だからこそ、博孝の言葉は余裕と取られたのだろう。談話室にいた男子生徒達は目を見開き、歯を噛み鳴らす。


「去年俺らの中で一番もらった奴は余裕だなぁおい……教官に負けたくせに」

「お前と違って、もらいに行ってももらえるとは限らねえんだよ……教官に負けたくせに」

「というかお前はデートにでも出掛けろよ。俺達の“取り分”が減ったらどうするんだよ……教官に一位を掻っ攫われた河原崎君よぉ……」

「オーケーお前ら表に出ろ。その喧嘩、言い値で買ってやる……ってかさっさとかかってこいやぁっ! ボッコボコにしてやらぁっ!」


 勝者(ひろたか)に対する呪詛を呟く男子生徒達だが、博孝としてはここまで言われて黙っているつもりはない。その喧嘩を買ったと宣言し、全員まとめて相手にしてやると息巻いた。


「何と言いますか……先輩方のクラスって、本当に楽しそうですよね」

「僕らのところだと、ここまで騒ぐことがないしね……」


 建物の中で暴れるのは危険なため、その場にいた男子生徒全員を連れて談話室から出て行く博孝。その背中を見送りつつ、市原と三場は若干引きながら言葉を交わす。


「うちの期は大体いつもこんな感じっすよ? 市原達のところは退屈そうっすねぇ」

「先輩方のところが騒がしいだけですよ……それでいてクラス全員の実力が高いんですから、こちらとしては複雑です」


 ため息を吐きながら市原が言うが、恭介としては毎日砂原に徹底的に扱かれれば嫌でも強くなると思った。どこに耳があるかわからないため、口にはしないが。


「訓練次第でどうにもなるもんっすよ……さて、俺は博孝を止めてくるっす」

「止めるんですか? 河原崎先輩でもあの数には勝てないと?」


 博孝と共に外に出た男子生徒は十一人。一個中隊には届かないが、それでも一人で戦うには辛い数だ。しかし、恭介は首を横に振る。


「いやいや、やり過ぎないようにっすよ。正直な話、『飛行』で空を飛ぶだけでかなり有利っすからね。博孝の場合、飛びながら『射撃』を使うだけで何人かは倒せるはずっす」


 第七十一期訓練生は対空攻撃についても学んでいるが、博孝が“本気”で戦えば落とすのは難しい。そして、今日の博孝は自主訓練とはいえ調子に乗って本気を出しそうだと恭介は思った。


(そんなにみらいちゃんのチョコレートが怖いんすかね?)


 現実を忘れるために、博孝は本気を出すであろう。左腕の不調で錆び付いていた体を元に戻すためにも、一対多数の模擬戦を歓迎するはずだ。もちろん、休日とはいえ“喧嘩”をする勇気を持つ者は第七十一期訓練生の中にはいない。そんなことをすれば、砂原による“有り難いご指導”を受ける羽目になるだろう。今回の件も、いわばじゃれ合いだ。


「博孝の奴、テンションが上がると思わぬ行動に出るっすからね……おろ?」


 それでも博孝が羽目を外し過ぎないように、と考えながら外に出た恭介だが、グラウンドには何故か博孝しかいない。それも、しょんぼりとした顔つきで空を仰ぎ見ている。

 視線を横にずらしてみると、女子寮から姿を見せた女子生徒達へと向かう男子生徒達の姿が見えた。


「振り向いたら、みんな向こうに行ってた……」


 空を見上げながら、どこか寂しそうに呟く博孝。他の男子生徒にしてみれば、博孝と戦うことよりもチョコレートの方が大事なのだろう。戦ってくれる男子生徒達に内心で感謝し、気合いを入れていた博孝だが、テンションが上がっていた分落差が激しい。


「……後でまた組手の相手をするっすよ」

「……ありがとう……」


 今にもいじけそうな博孝に声をかける恭介だが、恭介の視線も女子生徒へ向けられつつある。さすがの博孝も即座に組手を開始するつもりはないようで、女子生徒達へ視線を向けた。

 女子生徒達は去年と同じく男子寮に足を運ぶ予定だったようだが、外に出ている男子生徒達を見て苦笑している。博孝とのやり取りを聞いていなければ、バレンタインデーのチョコレートを期待して全員で外に出てきたようにも見えるだろう。

 博孝と恭介も女子生徒達の方へと足を向け――。


「おにぃちゃん、ちょこ」


 そして、博孝は真っ先に向かってきたみらいからラッピングされたチョコレートを渡された。


「……ああ、ありがとう、みらい。お兄ちゃんは嬉しいよ。涙が出そうなぐらいな……」


 どこか期待するような表情をしながらチョコレートを渡すみらいに対し、博孝は死期を悟った老兵のような顔で頷く。チョコレートを受け取った右手は震えているが、それは決して嬉しさからではないだろう。


「今年のチョコには何が入っているのかな? マグロ? サバ? それとも意表を突いてタコかイカ? さすがにフグは勘弁してほしいな……」


 みらいの頭を撫でながら、博孝は問う。箱と包装紙、そしてリボンでラッピングされたチョコレートは、何故かズシリとした重さがある。大きさはそれほどないのだが、外見に見合わぬ重さだ。少なくとも、チョコレート“だけ”の重さではないように思える。

 そんなことを考える博孝だが、みらいは頭を撫でられつつ不思議な顔をした。


「ちょこれーとはちょこれーとだよ?」

「……うん。そうだな。チョコレートはチョコレートだよな」


 まるで禅問答のようだが、博孝としては安心できるはずもない。右手に持ったものが爆弾だったとしても、ここまで不安にはならないはずだ。博孝からすれば、爆弾よりも胃の中から制圧される方が恐ろしい。

 みらいは首を傾げるが、博孝の心境を理解できなかったのだろう。今度は恭介に視線を向ける。


「きょーすけ、ちょこ」

「え? 俺にっすか? うわ……嬉しいっすよみらいちゃん!」


 博孝とは違い、純粋な喜びの声を上げる恭介。みらいはそんな恭介の様子に、満更でもないように笑顔を浮かべた。次いで、みらいは恭介と一緒にいた市原に視線を向け、持っていたチョコレートを差し出す。


「いちはらも」

「俺も……っと、これをもらって良いんですか?」


 みらいから差し出されたチョコレートを見た市原は、戸惑いながら受け取る。みらいとは“仲直り”をしたが、まさかチョコレートをもらえるとは思わなかったのだ。


「……もらったずかんのおれい」


 市原の反応が気に食わなかったのか、みらいは不満そうに頬を膨らませる。市原はそんなみらいの様子に気付いたのか、嬉しそうに笑いながら頭を下げた。


「ありがとうございます、みらい先輩! じっくりと味わって食べますよ!」

「……ん。ならいい」


 市原が喜んだのを見て、みらいはようやく相好を崩す。よく見ると、みらいは他にもたくさんのチョコレートをビニール袋に入れていた。そして、近くにいた男子生徒達にチョコレートを渡し始める。

 みらいからすれば、普段から餌付けのように菓子などをもらっていた“お礼”だ。意味合いとすれば義理チョコですらないが、チョコレートを渡された男子生徒達は驚いた後に破顔した。

 第七十一期訓練生の妹分として可愛がっているみらいから、わざわざチョコレートをもらえたのだ。その嬉しさから、男子生徒達は受け取ったチョコレートを博孝に見せつつ、笑顔のままで話しかける。


「ふふふ……みらいちゃんのチョコレートと笑顔に免じて、袋叩きの刑は免除してやろう」

「みらいちゃんからチョコレートをもらえるのは、河原崎だけじゃないんだぜ?」

「お義兄(にい)さん、あなたの妹さんからチョコレートをもらいましたよ? いやぁ、嬉しいもんですねぇ」

「誰がお義兄さんだ!?」


 みらいが周囲に気を遣えるようになったのは、博孝としても嬉しい。しかし、『お義兄さん』と呼ばれるのは我慢できなかった。

 そんな騒ぎを微塵も気にせず、みらいは女子生徒にまでチョコレートを配っている。チョコレートを渡す度に大喜びした女子生徒に抱き締められ、何故かチョコレートまで貰っていた。だが、みらいに渡された分、男子生徒への義理チョコが減るだけである。何も問題はなかった。


「……ん? なんか、女子の人数が少なくないか?」


 その様子を見ていた博孝だが、女子生徒の数が少ないことに気付く。数名ほどデートで外出をしているが、それにしても数が少ない。そのことを疑問に思っていると、何故か校舎の方から砂原が姿を見せた。それも、女子生徒二人に両手を引かれてである。


「まだ書類仕事があるのだが……」

「本当にすいません教官! でも、少しだけですから!」


 手を引かれて困惑する砂原だが、抵抗はしていない。相手が“部下”ならば違う対応も必要だが、相手は“教え子”である。それも今日は休日であり、真剣な様子で『ついてきてほしい』と言われれば、砂原としても強く拒否することはできない。

 砂原自身も今日は休日だが、溜まっていた書類仕事を片付けている最中だった。それももう少しで終わりであり、その後は短い時間とはいえ自宅に帰ろうとしていたのである。

 手を引かれて校舎から出てみると、何故か多くの教え子達がグラウンドに集まっていた。それも元気良く騒いでおり、何事かと思う。

 しかし、男女問わず手にラッピングされた物体を持っていることに気付き、今日の日付と合わせて納得した。


「まったく……何事かと思ったぞ」


 そういえば今日はバレンタインデーだったか、と内心で呟く砂原。例え一時間でも良いから家に帰ってきてほしいと妻に言われていたのだが、これが理由かと納得もする。

 教え子に配慮して休日にしていたが、砂原自身は全く気にしていなかったため、今日がバレンタインデーだということを忘れていたのだ。それよりも考えるべきことが山ほどあり、脳のリソースを割く余裕がなかったのである。

 外見はともかく、砂原は既に五十歳を超えている。故に自分の誕生日を筆頭として、日常的に発生するイベントの優先度が非常に低かった。

 さすがに、自身の妻である美由紀や娘である楓の誕生日などは忘れないよう注意している。だが、教え子の訓練やその他の仕事で時間に追われる日々を送っているため、砂原にとって優先度が高くないものは意識の端にも上らなくなっていた。

 そういえば去年もチョコレートをもらっていたか、などと回想する砂原だが、砂原が姿を見せたことで数人の女子生徒達が動く。


「砂原教官! あの、その……これを受け取ってください!」


 叫ぶようにして差し出されたのは、当然ながらチョコレートだ。ずいぶんと気合いが入ったラッピングであり、サイズも大きい。そして、渡す際の女子生徒の様子から、明らかに義理チョコではないことが窺えた。


「ん? ああ、バレンタインデーのチョコか。去年もそうだったが、教官だからと気を遣わなくても良いんだぞ? だが、まあ、なんだ……ありがたくいただこうか」


 チョコレートを差し出された砂原は、娘から思わぬプレゼントを渡された父親のような顔で受け取った。

 砂原としては、教え子のためとはいえ普段は厳しく接している――つもりである。それだというのに、こうやって“義理”でもチョコレートをもらえるのは嬉しく思えた。

 女子生徒は『いや、あのっ!』と何か言いたげだったが、穏やかな表情をしている砂原を見てそのまま引き下がり――今度は、別の女子生徒がチョコレートを差し出す。


「きょ、教官! わたしのチョコレートも受け取ってください!」

「あ、ぬ、抜け駆けは駄目よ! 教官! わたしのもお願いします!」


 一人を皮切りとして、二人、三人と砂原にチョコレートを渡していく。それらを受け取りつつ、砂原は困ったように頬を掻いた。


「う、む……去年もそうだったが、中々面映ゆいものがあるな」


 娘か孫かという年頃の少女達に渡されたチョコレートを片手に、砂原はどこか照れ臭そうである。砂原としては、普段の訓練で恨みを買っていそうなものだが、と思う気持ちがあった。


(昔の部下などは、戦場に立ったかのような顔で“緊張”と共に震えながら渡してきたものだが……)


 かつて鍛えていた部下達――その中でも女性の正規部隊員からも同じようにチョコレートをもらったことがあるが、その時はここまで“気軽”に渡してこなかった。上官であり『ES能力者』の先達である砂原は、部下の“教育”も仕事の内だと張り切り、鍛えに鍛え抜いている。

 町田などの男性正規部隊員は会う度に畏まってしまい、女性正規部隊員でもそれは変わらない。砂原としても『少し辛いかもしれない』というレベルで教育を行っていたため、バレンタインデーでチョコレートを渡されても、“付き合い”の一環程度にしか思っていなかった。


 ――そう思っていたのは、砂原だけだったが。


「あ、教官。わたしからもです」

「これもどうぞー。“わたし達”は義理チョコで申し訳ないですが」


 四人ほど気合いを入れてチョコレートを渡した女子生徒がいたが、他にも気楽な様子でチョコレートを渡す女子生徒達が続く。去年もそうだったが、今年も女子生徒全員が用意していたようだ。“外出”している者の分も引き受けていたのか、砂原の両手には積み木のようにラッピングされたチョコレートが載せられていく。


「……なんだろうな、この敗北感」

「悔しく思わなくても良いだろ? 俺達だって、ちゃんともらえたじゃないか……こっちは完全に義理チョコだけどな」


 女子生徒達に囲まれた砂原を見て、中村と和田は小声で呟き合う。中村も和田も三個ほど義理チョコをもらったが、砂原は倍どころの数ではないのだ。


「あの教官を“仕留めた”奥さん、マジで凄腕だな」

「『穿孔』殿は、“こっち方面”でも圧倒的強者っすか……」


 博孝と恭介は、そんなことを言いながらしたり顔で頷き合った。砂原の妻である美由紀は一度見たことがあるが、どうやって砂原の心を射止めたというのか。

 非常に気になるが、今の砂原に聞けばその場で蹴り倒されるだろう。両手がチョコレートで塞がっているため、優しく殴り倒すことはないのだ。

 そうやって言葉を交わす博孝と恭介だったが、その視線の先で今度はみらいが動く。少し大きめの――博孝や恭介に渡したものよりも立派に見えるラッピングがされたチョコレートを持ち、砂原へと差し出したのである。


「きょーかん、これ」


 みらいが差し出したチョコレートは、一見すると“本命”にも見えた。それ故に、博孝は前傾姿勢を取りながら低い声で呟く。


「――怪我が完治した今ならいけるか?」

「落ち着くっすよ博孝。怪我が完治しようが、第一小隊全員で挑もうが、教官には勝てないっす。兄馬鹿はそれぐらいにするっす」


 巻き込まれたらどうするんだ、という自分自身の心配から博孝を止める恭介。この前も似たようなことがあったため、みらいの行動理由が読めたのである。


「かえでちゃんにわたして……ください」


 そう言って渡されたチョコレートを見た砂原は、僅かに目を見開いてから破顔する。


「そうか……わかった。書類仕事を片付けたら家に戻る。その時に渡しておこう」

「ん……あと、こっちはきょーかんの」


 砂原の言葉を聞いたみらいは、楓用とは別のチョコレートを砂原に渡した。楓に渡すものと比べれば小さいが、それでも砂原は自然と頬が緩んでしまう。


「俺にもか……ありがとう。後で食べさせてもらおう」


 両手がふさがっていなければ、そのままみらいの頭を撫でそうな様子である。砂原に対して気合いの入ったチョコレートを渡した女子生徒達は、少しばかり羨ましそうな顔でその様子を眺めた。しかし、相手がみらいならば仕方ないと判断する。

 博孝は恭介と共に一連の光景を眺めていたが、そうしている内に里香と沙織が近づいてきた。その後ろには二宮と紫藤もついてきているが、二宮の様子がおかしい。ソワソワとした、どこか落ち着かない様子で周囲に視線を向けている。

 全員がラッピングされたチョコレートを持っているが、さすがに二宮の挙動がおかしかったため博孝はそちらへと視線を向けた。


「二宮? どうしたんだ?」

「へぁっ!? か、河原崎先輩……いえ、その、なんでもにゃいのですよ?」

「テンパった里香と同じぐらい噛んでるし、明らかに何かあるじゃねぇか……」


 挙動不審にもほどがある。そのためツッコミを入れる博孝だが、二宮と同列扱いされた里香は頬を朱に染めた。さすがに今の二宮ほど動揺したことはないと思いたい――が、思い当たる節がいくつもあったため、何も言えない。


「二宮と紫藤も戻りましたか。昨晩から先輩方のところへ押しかけていましたが……ご迷惑をおかけしてないでしょうね?」

「市原じゃないから、大丈夫」


 そこで、みらいだけでなく他の女子生徒からも義理チョコを受け取っていた市原が声をかけた。それに対して紫藤が不機嫌そうな様子で返答をするが、市原は気に留めない。その代わりに、二宮の様子がおかしいことに気付いた。


「……体調を崩しているんですか? 危険なぐらい震えてますけど……」

「ち、違うわよっ!」


 市原が気を遣うようにして尋ねるが、二宮は首を横に振る。そこから深呼吸をすると、拳を叩き込むような剣幕で手に持っていたチョコレートを突き出した。


「こ、これ! バレンタインデーのチョコレートよ!」


 赤くなった顔を背けつつ、市原に対して叫ぶようにして告げる二宮。その態度を見ていた者達――特に、普段の態度から“事情”を察していた博孝や里香は微笑ましそうな顔をした。


「どうも、ありがとうございます」


 だが、受け取る側の市原の態度は非常に平坦だった。他の者達からもらったチョコレートの上に二宮から差し出されたチョコレートを乗せ、片手でバランスを取る。


「先輩方からもいただきましたが、数が増えると食べきれるか不安ですね」

「な……ぐ……い、市原? 他に言うことはない?」

「はい? ああ……もちろん、腐る前に食べきりますよ? 『ES能力者』なら胸やけもしないと思いますし」


 食べ物を粗末にすると思われたのか、と思考して苦笑する市原。二宮はそんな市原の態度を見て拳を握り締めるが、何度も深呼吸をして怒りを吐き出す。


「四葉、頑張って」


 そんな二宮の肩を紫藤が叩くが、市原は『何か変なことを言いましたか?』といわんばかりに首を傾げていた。三場は気の毒そうな顔で二宮を見ているだけで、何かを言うこともできない。

 そうやって不思議そうな顔をする市原と肩を震わせる二宮を見ていたが、さすがにこのままでいるわけにもいかない。


「河原崎先輩、これをどうぞ」


 最初に動いたのは、紫藤である。ラッピングされたチョコレートを差し出し、上目遣いで博孝を見た。二宮とは異なり、その表情に羞恥の色はない。


「お、サンキュー。ありがたくいただくよ」


 気軽に受け取った博孝だが、チョコレートはずいぶんと大きい気がした。ラッピングも丁寧にされており、どれほどの手間をかけたのかが窺われる。


「先輩には“色々と”お世話になってるから……特別製」

「そうか……まあ、そういうことなら……」


 さすがにこの場で“余計なこと”を言えるはずもなく、博孝は誤魔化すように頷く。そんな博孝を見た紫藤は、小さく微笑みながら言う。


「ふふ……これからもよろしく」

「どれぐらい“よろしく”しないといけないのかねぇ……」


 普段は自主訓練で相手をしているが、紫藤の父親に関する追加情報はない。それでも良いのかと思う博孝だが、紫藤としては、今は力を蓄える時のようだ。

 肩を落とす二宮と、どこか満足そうな紫藤。二人は博孝や市原以外にもチョコレートを渡すつもりらしく、恭介や三場、第七十一期の男子生徒達の元へと向かう。


「良かった……これで僕だけもらえなかったら、どうしようかと……」

「あなたは放置した方が喜ぶかもしれないから、渡すか迷った」

「だから僕をどんな目で見てるんだよっ!?」


 紫藤からチョコレートを受け取って安堵する三場だが、続いてかけられた言葉に目を見開く。三場としては、そんな趣味はないと断言できる。しかし、普段の立ち位置によってからかわれることが多いのだ。


「なんだか、後手に回ってしまった感じがするわね」


 周囲の喧騒が落ち着くのを待っていたのか、今度は沙織が博孝へ話しかけた。その手にはチョコレートが握られており、恥らう様子もなく博孝へと差し出す。


「去年は既製品だったけど、今年は手作りよ。お菓子はほとんど作ったことがないから、里香に教えてもらった部分も多いけれど……」

「今年は手作りか……ありがとうな、沙織。嬉しいよ」

「そう……博孝が喜んでくれたのなら嬉しいわ。でも、みらいにもらったアドバイスを活かせなかったから、味に自信がないのよね」

「うん、ちょっと待とうか」


 少しだけ不安そうな顔をする沙織だが、博孝としてはそれどころではない。里香に視線を向け、『通話』で問う。


『里香さん? どういうことでしょう? 何が起きたんですかね?』

『えっと……ちゃんと“沙織ちゃんは”止めたよ?』

『あ、そうなのか……ということは、普通のチョコ……なの、か?』


 沙織の手料理を食べたことがあり、料理が下手ではないと知っている。だが、みらいのアドバイスという部分が非常に怖かった。それでも里香が止めたのならば、問題はないだろう。博孝はそんな判断をした。正確には、問題はないと自分に言い聞かせた。


「博孝君……これ」


 そして、最後にチョコレートを渡してきたのは里香である。ピンクの包装紙でラッピングされており、博孝は笑顔で受け取った。


「ありがとう、里香。嬉しいよ……一番安心できるし」


 里香の作った物ならば、間違いはあるまい。博孝はそう信じており、疑う余地は微塵もないのだ。

 現状で最も安心して食べられるのは里香のチョコレートであり、次点で沙織だろう。紫藤の料理の腕前は知らないが、みらいよりも壊滅的ではないと博孝は判断する。

 これで紫藤のチョコレートまで“危険物”だったならば、自分の胃が耐えきれるかわからない。それでも博孝は、せっかくの機会ということで周囲の全生徒を誘い、食堂で試食会をすることにしたのだった。








「今年は豊作ですな」


 食堂に移動した博孝は、テーブルの上に置かれたチョコレートの数々を見て呟く。里香からチョコレートを受け取った後、希美を含めた女子生徒数人からも渡されたのだ。


「そりゃあ、それだけもらえば豊作だと思うっすよ」


 呆れたように言う恭介だが、その顔はだらしなく緩んでいる。恭介もチョコレートをもらっており、その数は去年を軽く超えていた。


「まあ、明らかに義理チョコなのがアレっすけど……」

「良いじゃねえか。俺なんて、『普段訓練で的になってくれているお礼』って言われたぞ」


 博孝は『飛行』の訓練を兼ね、生徒達の射撃系ES能力の練習台になることがある。その礼だと言われたが、チョコレートはチョコレートだ。中には純粋に『コレ、義理チョコね』と言って渡す者もいたが、博孝としては嬉しい限りである。

 食堂には他の生徒が全員集まっており、受け取ったチョコレートを開封して実食していた。この場にいないのは、書類仕事や帰宅が待っている砂原と、元々外出していた者だけである。


「さて、どれから食べてみるかだが……」


 そんなことを呟きつつ博孝が視線を向けたのは、みらいからもらったチョコレートだ。みらいはテーブルを挟んで博孝と恭介を凝視しており、後に回すことはできそうにない。里香や沙織はそんなみらいを苦笑しながら見ている。

 市原達は隣のテーブル席に座っているが、何やら騒がしかった。


「では……みらい先輩のチョコレートからいただきましょうか」

「はぁっ!? な、なんでよ!」

「いや、なんでと言われても……最初にもらったからですが?」


 主に騒いでいるのは二宮であり、市原がそれを受け流しているようだ。現実から逃げるためにその会話を聞いていた博孝だが、みらいからの視線が痛い。

 早く食べてほしい。美味しいと言ってほしい。褒めてほしい。そんな期待が込められた眼差しを受け、博孝は包装紙を丁寧に剥がす。その隣では恭介が早々に開封し、チョコレートを口に入れようとしていた。

 思わず博孝は動きを止め、恭介のリアクションを待つ。注意を促そうとしたのだが、恭介はどこか覚悟を固めた様子だった。

 博孝もそうだが、恭介もみらいのことを可愛がっている。そんなみらいから期待の眼差しを向けられ、率先してチョコレートを口に含み――。


「……って、普通に美味いじゃないっすか! 博孝が散々脅すから、どんな味かと思って身構えたっすよ!」

「なん、だと……」

「いやぁ、美味しいっすよみらいちゃん! みらいちゃんはお菓子作りが上手っすね!」


 親指を立て、チョコレートの味を称賛する恭介。博孝は呆然とした声で呟き、みらいはどこか誇らしげな顔をしている。しかし、去年の“惨事”が博孝の動きを束縛し、思わず尋ねてしまった。


「ちなみに……何味なんだ?」

「何って、普通にチョコレートの味っすよ?」


 博孝の言葉に首を傾げつつ、恭介は二つ目のチョコレートを口にする。だが、特に問題はないらしい。


(どういうことだ? 本当に普通のチョコレートなのか? 今年こそは里香がしっかりと見ていてくれたのか?)


 そんな疑問を内心で呟き、博孝は自分の分を開封する。去年は直視するのも辛いほどの物体だったが、などと戦々恐々するが、中身は普通だった。少なくとも、外見は普通のチョコレートだ。

 大きさは一口大で、チョコレート色をしている。尻尾や尾びれや背びれが飛び出てもいない。入れ物の大きさ的に有り得ないが、魚一匹をチョコレートでコーティングしているわけではなかった。薄いプラスチックの容器にぎっしりと入っているが、特に問題はないように思える。


(いやいや、待てよ俺。戦場では油断した奴から死んでいく……恭介が無事なのも、一瞬で味覚を破壊され、脳がチョコレート味だと“誤認”している可能性もある……)


 博孝としては、みらいが作った物を疑いたくなどない。だが、博孝でも疑わざるを得ない物を作った前科がみらいにはあった。

 博孝はみらいに視線を向ける。すると、みらいはよりいっそう期待のこもった目で博孝を見ていた。言葉では何も語らないが、その目が『はやくたべて』と雄弁に語っている。恭介が褒めたことで、次は博孝の番だと思っているらしい。


(ええいっ! いくぞ!)


 ラプターに殺されかけた記憶を思い出し、それに比べればまだマシだと自分に言い聞かせ、博孝は口の中にチョコレートを放り込む。

 例えどんな劇物だろうと、みらいに美味しかったと言ってやるのが兄としての務めだ。だが、さすがに去年の味を超えていた場合は注意をしてみようかとも思う。

 そんなことを考えながらも博孝は舌の上でチョコレートを転がし――。


「あ、美味い」


 “普通”にチョコレートの味がしたため、素直に美味いと言えた。舌の上に広がるのは、チョコレートらしい甘味である。抜群に美味しいわけではないが、ショック死すら覚悟していた博孝にとっては十分以上に美味しく感じられた。


「……よかった」


 博孝の言葉を聞いたみらいは、上機嫌で席を立つ。そして、自分のチョコレートを開封している男子生徒の元へと向かった。他にも感想を聞きたいのだろう。


「だから言ったじゃないっすか。美味いって」


 席を立ったみらいを見送り、恭介が苦笑しながら言う。その言葉を聞いた博孝は、みらいを疑った自分を恥じた。この一年間で、みらいも料理の腕を上げていたのだろう。里香に料理を習っているため、“間違い”は起きなかったのだ。

 みらいの成長を実感した博孝は、思わず涙が出そうになった。これならば、毎年のバレンタインデーで怯える必要もない。純粋にバレンタインデーというイベントを楽しみ、みらいが作った物にも心からの笑顔で美味しいと言えるはずだ。


「そうだな……いや、噛まずに飲み込もうかと思ったけど、これなら普通に食べれ――」


 そんなことを言いながら咀嚼したのが間違いだったのか、それとも油断したの間違いだったのか。よく噛んで味わおうと思った博孝だが、口の中のチョコレートが“ぐちゃり”と潰れる。


(――やべぇ、なんか変な感触がしたぞ)


 敵の前で致命的な隙を晒してしまったかのような絶望感が、博孝の胸中に急速に広がっていく。落とし穴を発見して飛び越えたものの、着地した場所にも落とし穴があったような心境だ。

 博孝の背中に冷たいものが走り、チョコレートを噛んだ状態で動きを止める。しかし、舌の上にはじわじわと“何か”の味が広がりつつあり、博孝は涙目で肩を震わせ始めた。

 同じテーブル席に座っていた恭介達は、突然顔色を真っ青にした博孝に何事かと視線を向ける。だが、里香だけは申し訳なそうにしており、それを見た博孝は即座に『通話』を発現した。


『メーデーメーデー! 里香さん!? みらいのチョコレートから謎の物体と味が検出されました! 何か知っていたら教えてください! 俺の味覚が正しければ、焼き魚っぽいんですがっ!』


 チョコレートの中に潜んでいた物は、味だけで判断すると焼き魚のようである。味付けには醤油と塩胡椒が使われているのか、チョコレートの甘味と反発して強烈な存在感を放っていた。

 去年食べたチョコレートよりは、余程食べることができる。しかし、安心した瞬間に気付いたため、博孝は混乱の一歩手前で里香に説明を求めた。


『えと、ごめんね? ちょっと目を離した隙に投入しちゃったみたいで……作り直した方が良いって言ったんだけど、『おにぃちゃんはこれがすきなの。だからないしょにしてて』って涙目で言われて……』


 どうやら、里香の目を掻い潜って作ったらしい。それでも里香が気付いたようだが、博孝が喜ぶと言って聞かなかったようだ。


『……それで、何を投入したんだ?』

『えっと……缶詰のマグロステーキ』

『去年は鯖の缶詰で、今年はマグロか……一体何がみらいをそこまで駆り立てるんだ……』


 生のマグロでないだけ、まだマシだろう。だが、みらいは何か缶詰にこだわりがあるのかと考えずにはいられない。食あたりを警戒して、生ものを避けて缶詰にしただけなのかもしれないが。

 実際には、去年は偶然鯖の缶詰を入れてしまい、博孝が“喜んだ”のが原因である。鯖でそれほど喜ぶのなら、マグロの方が喜ぶのではないか。そんなことを考えたみらいが、事前に売店の缶詰コーナーをチェックしていたのは余談である。


「何を騒いでるっすか? ……んぐ?」

「恭介?」


 博孝が里香と『通話』で話していると、恭介が怪訝そうな顔をした。みらいのチョコレートを食べていたのだが、どうにも様子がおかしい。


「チョコレートの中から妙な歯応えと味が……って、なんっすかこれ!? 鶏肉? ささみ? いや、微妙に味が違う気が……」


 チョコレートを噛み砕いた瞬間、“異物”が入っていたことに気付く恭介。その味と食感から鶏肉かと思うが、いまいち自身が持てない。すると、周囲の様子を見てきたのか、みらいが戻ってきた。


「あの、みらいちゃん? チョコレートに何を入れたんすか?」

「きょーすけのすきなもの」


 博孝のマグロチョコレート同様、食べられないほどではない。チョコレートの甘味が塩の辛さで引き立てられ、十分に食べられる――が、さすがに進んで食べたいとは思えなかった。中身がわからない以上、なおさらに。


「へ? 俺が好きな物っすか?」


 一体何を入れたのか。それが気になって確認する恭介だが、みらいは胸を張って誇らしげに言う。


「しーちきん!」

「え? いや……はい? シーチキン? 俺が好きなのは、チキンはチキンでもシーチキンじゃないっすよ?」

「しーちきんって、とりにくじゃないの?」


 首を傾げる恭介に、不思議そうな顔をするみらい。たしかに味は似ているが、などと思いつつ、博孝は手元に残っているチョコレートへ視線を落とす。


「シーチキンはマグロかカツオだな……というか、まさかコレ、全部ロシアンルーレットみたいに“当たり”と“ハズレ”があるのか?」


 最初に恭介が食べたチョコレートには、何も入っていなかった。博孝は最初から“ハズレ”を引いてしまったが、全てのチョコレートに“中身”があるわけではないのかもしれない。

 そうなると、重さで当たりとハズレを判別するしかないだろう。しかし、ハズレだかららと言って放置するわけにもいかない。


「いや、まあ、シーチキンの味が意外とアクセントになってて、食えるっちゃ食えるっすけど……そっちはどうっすか?」

「こっちも意外とイケる……」


 喜ぶべきか、それとも嘆くべきか。最初の衝撃は強かったが、味は食べられないほどではない。少なくとも、去年食べたチョコレートよりも万倍マシだ。

 そんなことを考える博孝だが、ふとした疑問が頭を過ぎる。


「なあ、みらい……まさか、渡したチョコレート全部に“何か”を入れたのか?」


 恐る恐る、外れていてほしいと願いながら博孝は問う。自分は許容できるが、例えば、できたばかりの友人である楓はどうか。みらいからのチョコレートとならば喜びそうだが、中身が問題である。

 せっかく妹にできた友人が、いきなり疎遠になったらどうしようか。そんな心配をした博孝だが、みらいは特に気にした様子もなく首を横に振る。


「おにぃちゃんときょーすけしか、すきなものしらない。だから、ほかのはなにもいれられなかった」


 知っていたら入れるつもりだったらしい。それでも、今回入っていないのならば問題はないだろう。これからその辺りを“教育”していけば良い。


『里香、頼まれてくれるか? さすがに放置するのは怖い』

『うん、わかった』


 真剣に頼む博孝に対し、里香は苦笑しながら引き受ける。みらいの独創的な感性を矯正できるかわからないが、もう少し一般社会の常識などを教え込む必要があると判断した。


「じゃあ、次はわたしのチョコね」


 みらいのチョコレートを食べていた博孝達だが、今度は自分の番と言わんばかりに沙織が促す。沙織は笑みを浮かべており、博孝は苦笑しながら受け取ったチョコレートを開封していく。みらいのチョコレートが残っているが、あとで食べれば良いだろう。

 里香が監督をしたと言っている以上、さすがにみらいのような“爆弾”は潜んでいない――と、思いたい博孝である。

 僅かに警戒しながら中身を確認すると、博孝は小さく眉を寄せた。


「トリュフチョコか……」

「里香に教わって作ってみたのよ。初めて作ったけど、美味しくできていると思うわ」


 そう言って胸を張る沙織だが、みらいのチョコレートを食べた後だと警戒心が先に立ってしまう。丸い形をしたトリュフチョコレートを見ると、中に何かが入っているのではないかと警戒してしまうのだ。

 それでも、里香が止めたのなら大丈夫だ。そう自分に言い聞かせ、博孝はトリュフチョコレートを口に運ぶ。


「……ん? あ、美味いな」


 だが、警戒していた割には何もなかった。適度な硬さと表面についているココアパウダーの味が特徴的だが、素直に美味しいと言える。二つ、三つと食べてみても、“ハズレ”が混ざっていることもなかった。


「そう……良かったわ」


 みらいと異なり、沙織は安堵した様子である。すると、博孝と沙織のやり取りを見ていた里香が申し訳なさそうに口を開いた。


「博孝君、わたしのも食べてもらっていい? できれば感想がほしいなぁ……なんて」

「喜んで食べますとも」


 指を突き合わせ、不安そうに尋ねる里香に対し、博孝は当然だと言わんばかりに頷き返す。チョコレートばかりを食べていると胸やけがしそうになるが、今回は“贅沢な苦しみ”だろう。実際には胸やけしないが、チョコレートを食べ続けるのは辛いのだ。

 里香からもらったチョコレートを開封し、中身を覗き込んだ博孝は首を傾げる。


「えーっと……悪い。あまり詳しくないからわからないんだけど……これってなに?」

「えっとね、今回は生チョコにチャレンジしてみたの」

「ほ、ほほう。これが噂の生チョコさんですか……」


 名前は聞いたことがあるものの、実際に食べたことはない。そのため博孝は生チョコをゆっくりと口に運び――。


「うわ、何だコレ! うまっ! てか口の中でとろけた!?」


 口に入れた瞬間、とろけるような柔らかさと丁度良い甘味を感じた。博孝は驚いたように声を上げ、次々口に運んでいく。


「ああくそ! みらいのチョコレートの口直し……もとい、最後の楽しみに取っておきたいのに、美味くて止まらねえ!」

「ほ、本当?」

「嘘なもんか! 恭介の分を横取りして食べたいぐらいだ!」

「ちょっ! それは勘弁してほしいっす!」


 半分冗談、半分本気で称賛する博孝だが、それを聞いた恭介は警戒するように距離を取った。里香は博孝の言葉が嘘ではないと判断したのか、照れたように微笑む。


「そう、なんだ……頑張った甲斐があったかな?」

「いや本当、これは美味しい……って、どうした紫藤?」


 貪るようにして生チョコを食べていた博孝だが、それまで隣のテーブル席にいたはずの紫藤が博孝の袖を引く。何事かと視線を向けてみると、紫藤は博孝に渡したチョコレートをテーブルの上から取り、博孝へと差し出した。


「わたしのも食べてほしい。味は岡島先輩に敵わないと思うけど、インパクトでは勝っていると思う」


 そう言いつつ、自分の分も開けるように言う。博孝は生チョコを食べる手を止めると、紫藤のチョコレートの開封に取りかかった。


「インパクトでは勝っているって言われても、そっち方面ならみらいがぶっちぎりで一位だ……ぞ……」


 みらいのマグロチョコレートには勝てまい。そう思って開封した博孝だが、中身を見て思わず絶句してしまった。


「……どう?」


 紫藤が興味深そうな目つきで尋ねてくるが、博孝は言葉が出ない。味覚のインパクトならばみらいが優勝だが、紫藤のチョコレートは視覚的な意味でインパクトがあった。


 ――ハート形のチョコレート。


 それは、平べったい入れ物に入っていた。綺麗なハートの形に作られており、表面にはホワイトチョコレートで『これからもよろしくお願いします』と書かれている。

 甘い愛の告白でもなく、書かれているのはそれだけだ。しかし、博孝は即座に気付く。


「だからなんでお前は主語を抜かすの!? 明らかに抜けている言葉があるだろ!?」


 狙っているのか、素なのか。その一文を見た博孝は、これからも『情報提供』をよろしくお願いします、という意味だと読み取った。あるいは、これからも稽古をつけてほしいという意味なのかもしれない。

 さすがに衆目がある状態でそれ以上は言えないが、博孝と紫藤は“勘違い”をする仲ではないのだ。


「これからも……よろしく? は、ハート型で……」

「ふぅん……」


 里香は博孝と紫藤の顔を見比べ、沙織は文面を読んで意味深に呟く。


「言葉通りの意味。それ以外の意味はない」


 何も他意はない。そんな表情で告げる紫藤の隣で、博孝は右手を手刀の形に変える。


(みらいもだけど、紫藤も誰か“色々と”教えてくれないかなぁ……)


 叶いそうにもないが、それでも願わずにはいられない。そして、無言で手刀を振り下ろすと、真っ二つになったチョコレートへと噛み付く。

 味は、普通だった。











どうも、作者の池崎数也です。

毎度ご感想やご指摘、評価等をいただきましてありがとうございます。

前々からあとがきにて触れていた活動報告の件につきまして、新しい情報を載せました。お暇な方はご確認いただけると嬉しく思います。


それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。

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