第百二十一話:恭介の悩み
ここ最近、というよりも、前々から恭介には一つの悩みがあった。それはある意味では根深い問題であり、ある意味では贅沢とも言える悩みである。
「むぅ……どうしたもんすっかねぇ」
「ん? どうしたよ?」
夜間の自主訓練で休憩をしていると、腕組みをしながら首を傾げる恭介を見て博孝が声をかけた。
“以前”、ラプターと戦った直後にひどく落ち込んでいた時があったが、その時に比べれば雲泥の差である。それでも悩んでいるのは本当らしく、話しかけてきた博孝に恭介は相談することにした。
「俺って能力的に地味じゃないっすか……なんつーか、『コレだ!』というものが欲しいんすよね」
首を傾げながら悩み事を相談する恭介だが、対する博孝は首を傾げるしかない。
「地味ねぇ。うーん……地味か?」
「地味っすよ。正確に言うと、特徴がないんじゃないかなーと思うっす」
恭介が言う特徴とは、『ES能力者』としての特徴である。
恭介は『防御型』の『ES能力者』だが、第一小隊の中では埋もれがちになってしまう。第七十一期訓練生という括りで考えれば十分以上に優秀だが、第一小隊の中では突出したものがないのだ。
「俺は防御型っすけど、『防壁』とかは博孝や沙織っちも使えるじゃないっすか。攻撃面でも二人には勝てないし、下手を打つとみらいちゃんにも押し切られる。支援系の能力でも博孝と岡島さんがいるし……」
己を卑下するような言い分だったが、暗い雰囲気は漂っていない。恭介としては、客観的に見た際の自己の力量と、小隊内における役割のミスマッチに悩んでいた。
自分にできることは、他の誰かができる。そうなると、自分の役割や立場は必要ではないのではないか。そんなことを告げる恭介だが、二人の近くで同じように自主訓練をしていた里香が動揺したように身を震わせた。
恭介との会話に集中していた博孝は里香の挙動に気付かず、顎に手を当てて思考を巡らせる。
「ふむふむ。つまり……」
恭介の言う特徴というのは、博孝自身で言うならば『活性化』と万能性、沙織は攻撃力、みらいは『構成力』の大きさ、里香は観察眼や支援系技能の多彩さだろう。そう考えた博孝は、恭介が求めるものを口にする。
「――必殺技が欲しいんだな?」
「どうしてそうなるんすか!? って、あれ? 以前もこんなやり取りをしたような……」
重々しく言い放つ博孝だが、恭介が求めるものとは異なるらしい。博孝の発言にツッコミを入れる恭介だが、“以前”も似たようなやり取りをした覚えがあった。
「え? 恭介は必殺技が欲しいの?」
「……ひっさつ? かならずころしちゃうの?」
必殺技という言葉に惹かれたのか、組手をしていた沙織とみらいが反応する。組手を中断して集合すると、沙織はどこかワクワクしたような目を、みらいは若干怯えたような目で恭介を見る。沙織とみらいが近寄ってきたため、里香も訓練を中断して集合した。
「違うっすよ! 俺は『防御型』として特徴を出したいだけっす!」
軽く相談するはずが、仲間全員に取り囲まれてしまった。恭介は必死に訴えるが、博孝と沙織は顔を見合わせて自分の意見を口にする。
「『防御型』の必殺技か……『盾』を二枚発現して、相手をサンドイッチするとか? 名前はきっと『圧縮』だな」
「でも、それだと回避は簡単じゃないかしら?」
「じゃあ、『盾』を組み合わせた箱で相手を閉じ込めて、回避できないようにするとか?」
「破壊すれば良いだけじゃないの?」
思いつきを口にする博孝だが、沙織が悉く切って捨てる。博孝は冗談混じりだが、沙織は真剣に考えているようだ。即座に否定した恭介も、必殺技という言葉の響きに惹かれたのか、少しだけソワソワとしている。
「って、だから違うっす! 必殺技は大好きっすけど、もっとこう、『防御型』として役立てる能力が欲しいっす!」
我に返った恭介が声を大にして訴えると、博孝は冗談を止めて真剣に考え始めた。恭介の様子はそれほど深刻ではないが、悩んでいるのならば仲間として一緒に考えたいのだ。
「『防御型』としてねぇ……といっても、防御力の高さなら恭介が一番だしなぁ。それじゃあ駄目なのか?」
恭介は『防御型』のため、防御系のES能力に秀でている。技能としては博孝や沙織も『防壁』を使えるが、その頑丈さは恭介に数段劣ってしまう。そのため、恭介が求めるものの方向性が見えないのだ。
「防御力が高いっていっても、博孝も沙織っちも俺の防御を抜こうと思えば抜けるじゃないっすか」
「まあ、抜けるわね」
「あっさりと言うなよ沙織……俺の場合は、頑張ればってところだけどな」
『攻撃型』であり、『無銘』を持つ沙織ならば恭介の防御を抜くことも容易だった。しかし、博孝が恭介の防御を突破しようとした場合は、純粋な力押しになる。
「『活性化』を発現して、『射撃』や『狙撃』で押し切るか……『構成力』を集中して殴りかかるかのどっちかだな。でも、確実に恭介の防御を抜けるわけじゃない。それなら、防御を“迂回”して直接恭介を叩くだろうな」
沙織は確実に恭介の防御を破壊できるが、博孝はそうではない。沙織は一撃が重いタイプだが、博孝は手数で攻撃力の不足を補うタイプだ。『構成力』を集中させた掌底を叩き込めば恭介の防御を一撃で貫けるだろうが、沙織の『無銘』と違ってリーチが短い。恭介が動かなければ容易いが、それは現実味が薄かった。
恭介の防御力を活かす方法を思案する博孝だが、里香の表情が沈んでいることに気付いて僅かに目を細める。継続して思考を進め、博孝は里香に顔を向けた。
「そうだな……里香ならどんな考えがある?」
そして話を振ってみると、里香は驚いたように目を瞬かせる。それでも恭介の話を聞いて自分なりの考えをまとめていたのか、すぐに口を開いた。
「その、抽象的な考え方になるんだけど……」
「なんっすか? 是非とも聞かせてほしいっす! 岡島さんの言うことなら間違いはないと思うっすよ!」
里香のアドバイスということで、恭介は背筋を正して傾聴の姿勢を取る。博孝と沙織は発想の方向性が似ているため、里香ならば良い案を出してくれるのでは、と思ったのだ。
「えっとね? 『盾』や『防壁』を破られるのなら、“破られない”ようにすれば良いんじゃないかな?」
「……ん、んん? ど、どういうことっすか?」
真面目に聞いていた恭介だが、里香の言葉に疑問符を浮かべる。防御を突破されないのが一番だが、それが出来れば苦労はしない。だが、里香が考えもなくそんなことを言うとは思えず、恭介は話の続きを促した。
里香の発言を聞いた博孝は合点がいったように頷き、沙織やみらいは恭介と同じように首を傾げている。
「例えばだけど、『盾』を発現する時に四角形で出すよね? できるかわからないけど、それを“斜め”に発現して相手の攻撃を受け流すとか……」
言葉にしている内に自信がなくなったのか、尻すぼみに声が小さくなっていく。だが、その言葉を博孝が引き継いだ。
「つまり、相手の攻撃を正面から受け止めるなってことか。恭介だって、組手の時に拳や蹴りを受け流すだろ? それをES能力でも再現すれば良いんじゃないか?」
里香の説明を補足した博孝だが、それと同時に心中では小さくないショックを受けていた。“以前”は手持ちのES能力を工夫して使っていたが、できることが増えるにつれて新たに発想することを放棄していたのだ。
以前ならば、『盾』で相手の足を引っ掛けたり、足場にしたりと活用していた。だが、『飛行』を発現したことで足場は必要なくなり、防御自体も『射撃』で相殺するか、『構成力』を集中させることで防御している。
里香の言葉を聞けばすぐに思いついたが、自分で発想することを忘れていたようだ。
『構成力』を増やし、体術や『飛行』技術を磨き、射撃系のES能力を鍛える。それに加えて『構成力』を集中させる鍛錬はしていたが、“工夫”するという点を疎かにしていた。
「むむむ……さすがは師匠。感服いたしました」
「え? と、突然どうしたの?」
博孝は一人で納得して一礼するが、里香としては何故そんなことを言われるのかがわからない。そのため不思議そうな顔をするが、博孝としては里香に言われたことを試したくなってしまった。
訓練生という立場上、博孝達が身に付けるES能力は教官である砂原が基準になっている。砂原からは『思考を止めるな』と言われているが、“最初”に見たものに対する印象というものは中々に変えがたいものだ。
柔軟に思考しようと心がけている博孝でも、発現するES能力は砂原が初めて見せたものを模倣している。『盾』は四角形であり、『射撃』は光弾であり、『接合』は手の平で発現する。『防壁』は球状で、『構成力』を集中させることとて『収束』の模倣だ。
一度“そういうものだ”と受け入れてしまうと、その時点から身動きできなくなる。『盾』にしても、足場にしたり障害物にしたりと扱い方を考えた博孝だが、発現の“向き”を変えることまでは思いつかなかった。
(正面から防御するから破壊される……発現した時点で“斜め”にして逸らせば、真っ直ぐぶつかるよりは影響が少ないはずだよな)
そんなことを考えつつ、博孝は『盾』を発現する。ただし、普段とは異なり角度を付けた状態で、だ。
「んん? コレが岡島さんの説明したやつっすか?」
「だと思う……けど、なんか発現の時に違和感があるな。いつもと違うからか?」
『盾』は文字通り、相手の攻撃を防御するものだ。受け流す用途で使うことはなく、博孝としても体術の補助として手の周囲に発現したことがある程度である。
「たしかに、いつもと違うからか違和感があるっすね……」
博孝の真似をして角度をつけた『盾』を発現する恭介だが、普段の発現の仕方とは違うため、違和感を覚えてしまう。
まるで、長年構築していた作業ルーチンを突然崩したかのような違和感だ。発現自体はできるものの、違和感が先にきてしまう。
「よし、それじゃあ恭介はそのままな。ちょっと『射撃』を撃ち込んでみるから」
「良いっすけど、ちゃんと加減はしてほしいっすよ……」
実験をするならば、『防御型』である恭介が適任だろう。そう思った博孝が距離を取ると、恭介は少しだけ嫌そうに言う。
「大丈夫だって。ちゃんと加減して、“実戦”で『盾』を破壊するぐらいの威力にするから」
「全然大丈夫じゃないっす! いや、あれ? 強度を調べるのなら、それで合ってるような気も……」
「んじゃ、いくぞー」
少しばかり混乱する恭介に対し、博孝は『射撃』で発現した光弾を一発だけ放つ。本来ならば数に物を言わせるのだが、今回は実験が目的であり、第二指定都市で砂原が見せたように威力と効率を重視したのだ。
里香とみらいは安全のために距離を取っており、何かがあった時のために沙織が恭介の後ろにつく。恭介は飛来する光弾を斜めに発現した『盾』で防御し――。
「お?」
破壊されずに残った『盾』を見て、思わず首を傾げた。
光弾は『盾』に命中すると同時に炸裂したものの、『盾』の表面を滑るようにして恭介の後ろへと威力の大部分を流してしまったのである。空中に発現した『盾』は無事であり、ヒビすら入っていない。
「マジか……よし、それじゃあ次は『狙撃』な。沙織はもしもの時に備えてくれ」
恭介と同様に驚いていた博孝だが、注意を促すと同時に即座に『狙撃』で追撃を行う。『射撃』とは異なり、威力も速度も段違いの一撃だ。まともに命中すれば、『盾』どころか『防壁』ですら撃ち抜けるだろう。
――まともに命中したのならば、だが。
「おっと!?」
『狙撃』が『盾』に命中し、『射撃』とは比べ物にならない衝撃をもたらす。しかし、恭介が発現した『盾』は破壊されることなく空中に健在だった。『射撃』と同様に、『盾』の表面で威力が受け流されたのだ。
「……マジか」
思わず、博孝は呆然としたような声を出す。『盾』は汎用技能であり、『狙撃』は五級特殊技能だ。“通常”ならば、『盾』は『射撃』を数発防げれば上出来である。
大きな力量差があれば話は別だが、『狙撃』を『盾』で防ぐのは容易ではない。防御するぐらいならば、『射撃』で誘爆させる方が楽だろう。もっとも、飛来する敵の光弾に自身の光弾を命中させるのも難しいのだが。
「おー……きょーすけ、すごい」
一連の様子を目の当たりにしたみらいが、感心したように拍手をする。自分で提案したことながら、思わぬ効果を発揮した『盾』を見て、里香は何度も瞬きをした。
「ほ、ほほう……軽くとはいえ、『狙撃』まで防ぎますか、そうですか……」
反対に、『狙撃』を防がれた博孝は妙な対抗心を発揮する。さすがに『活性化』は使わないが、昔に比べて増大した『構成力』を右手に集め、威力を重視した光弾として発現した。
「コイツでラストだ……いくぞ恭介! あ、本気で撃ち込むから、『盾』だけそこに残して離れてくれよ? 『盾』を貫通したら、沙織が叩き切ってくれ」
「任せなさい」
「なんでそこまで本気になってるんすか……」
二度攻撃を防がれて本気になった博孝に若干引きつつ、言葉に従って発現していた『盾』から距離を取る恭介。沙織は自主訓練では使用しない『無銘』を左手に持ち、柄に右手を這わせながら頷いた。もしも『狙撃』が貫通すれば、そのまま切り落とすつもりなのだろう。
博孝はグラウンドに大穴をあける心配がなくなったと思いつつ、発現していた『光弾』を発射する。実戦では『構成力』を“練り込む”時間が限られているが、今は自主訓練だ。
十分に『構成力』を注ぎ込んだ光弾は光の帯を残しながら宙を舞い、『盾』に着弾し、轟音と共に炸裂する。
「やったか?」
思わず呟く博孝だが、大きな手応えはなかった。『盾』があった場所を注視してみると、『盾』自体は破壊されている。しかし、その後ろにいた沙織が『無銘』を抜いた様子はなく、『盾』だけで防がれたことが窺えた。
「……うわ、マジかよ……沙織、そっちまで『狙撃』がいったか?」
「来てないわね。折角『無銘』を使うチャンスだと思ったのに……」
博孝が尋ねるが、沙織は首を横に振る。それを見た博孝は、大きく肩を落とした。
「結局、『射撃』一発に様子見の『狙撃』一発、それと本気の『狙撃』一発で破壊か……」
「発現した俺が言うのもなんっすけど、ここまでもつとは思わなかったすよ」
『盾』は吹き飛んでしまったが、その“後ろ”には通していない。博孝は通常の『盾』を破壊するよりも多くの『構成力』を使用しており、ただ防御を行うよりも大きな成果につながるだろう。
例えばの話にはなるが、博孝と恭介が戦った場合、今回と同じように防御に手間取れば博孝の方が先に力尽きる。現状では博孝の方が大きな『構成力』を持つが、それを覆すだけの防御力があった。
博孝は恭介達の元へと歩み寄りながら、光弾を放った右手を軽く振る。
「コイツは驚きだ。『盾』自体の硬さは変わってないけど、“受け方”を工夫するだけでこんなに違うとはなぁ」
考えれば当然のことだが、『ES能力者』として日々訓練をしている博孝としては中々思いつかなかった。『盾』は“まっすぐ”発現するものだと思っていたため、斜めにする発想ができなかったのである。
そんな博孝の言葉を聞き、恭介もこれは良い発見だと思った。『防御型』の『ES能力者』としては、工夫一つで防御を硬くできるのは有り難い話である。
「地味さは変わらないっすけど、これは役に立つっすね! ……って、どうしたんすか?」
喜びの声を上げる恭介だが、その途中で博孝が眉を寄せたことに気付く。沙織に視線を向けてみると、博孝と同じような顔をしていた。
「いや、恭介の言う通り役に立つ。立つんだけど……」
実際に本気の攻撃を防がれた博孝としては、役に立つと認めるしかない。しかし、問題があった。
「これ、すぐに発現できるか?」
「……あっ」
それまで喜んでいた恭介が、ピタリと動きを止める。
『ES能力者』同士の戦いは、基本的に移動しながら行う。それに加えて敵の攻撃はワンパターンではなく、速度もバラバラだ。
たしかに、あらかじめ『盾』を発現しておき、敵がそこに攻撃を撃ち込むなら効果を発揮するだろう。しかし、わざわざ敵の防御に攻撃を行う理由はない。あるとすれば、防御を固めた相手を敢えて叩き潰す時ぐらいだ。あるいは、砂原のように敵の防御を貫ける場合だけだろう。
「えー……それじゃあ意味がないじゃないっすか……」
『射撃』や『狙撃』ならば防げても、接近戦を仕掛けられた場合はどうなるか。敵の攻撃全てに『盾』を発現するのは現実的ではなく、余裕もない。そんなことをするぐらいならば、素手で攻撃を捌いた方が楽だろう。
落胆する恭介だが、博孝は諦めるには早いと思った。
「今はまだ、実戦では使えないと思う……でも、慣れれば話は別じゃないか? 相手が射撃系のES能力が得意なら、十分以上に役に立つと思うぞ」
顎に手を当てつつ、思考を巡らせる博孝。
「敵の攻撃を見切って、即座に展開する発現速度があれば接近戦でもいける、か……いや、受け流すために『盾』を発現できるのなら、もっと効果的な扱いができるはず……沙織の『無銘』で斬られたら、『盾』では防げないが……そうだ!」
ぶつぶつと考えを呟く博孝だが、何かを閃いたように顔を上げる。『盾』を防御に使うことだけを考えるから駄目なのだ。防御だけでなく、以前考えたように相手の動きを阻害するためにも使うべきである。
「『盾』は防御にも使うけど、それ以外の用途でも使おう! 防御だけど防御じゃないんだ!」
「落ち着くっすよ博孝。言ってることが滅茶苦茶っす」
声を上げる博孝だが、その様子を見た恭介は冷静にツッコミを入れた。しかし、博孝は止まらない。
「射撃系のES能力はさっきので良いんだよ。着弾まで少しとはいえ時間があるし、発現の仕方に慣れれば十分間に合う。でも、接近戦がネックなんだ。だけど、それを覆す方法を思いついた。これが上手くいけば、沙織の『無銘』も怖くない!」
「へぇ……いくら博孝でも、それは聞き捨てならないわね」
博孝の発言を聞き、沙織はどこか楽しそうに言う。言葉自体は少し物騒だったが、博孝が何をするのかと期待しているようだ。博孝はそれに乗り、沙織が持つ『無銘』に視線を向ける。
「それなら沙織、『無銘』を抜いてみてくれ」
「わかったわ……っ!」
言われるがままに『無銘』を抜刀しようとした沙織だが、その動きが止まった。柄を右手で握り、鞘から抜き放とうとした瞬間、博孝が沙織の右手首を押さえるように『盾』を発現したのである。
沙織は事態を把握するのに一瞬思考し、その隙に博孝は前へと踏み込む。そして、沙織が“鞘を”『無銘』から抜いた時、沙織の眼前に博孝が掌底を突き出していた。
「……とまあ、前々から考えはしていたけど実践はほとんどしてこなかった、相手の動きを阻害する使い方を試してみた。遠距離攻撃には斜めに発現した『盾』を、近距離攻撃なら相手の動きの阻害をする『盾』を発現する」
沙織の眼前から掌底を退け、発現していた『盾』も解除する。そして博孝は恭介に視線を向けると、小さく笑った。
「そうやって恭介が敵の攻撃を防御、阻害している間に、俺や沙織が敵を叩きのめす、と……これまでの防御に加えて、阻害が加わるんだ。いや、違うな。阻害というより、拘束かな? とにかく、以前は足を引っ掛けることぐらいしか考えつかなかったけど、扱い方に慣れればかなりの戦力になると思う」
そこまで言うと、博孝は笑みの種類を変える。
「まあ、さっきも言った通り、高機動戦の場合は難易度が跳ね上がるけどな。相手の攻撃を見切る目と、即座に『盾』を発現する速度。磨いた技術に対する自信と、実践する度胸。あとはなんだろう……発現する『盾』に必要以上の『構成力』を使わない判断力、か?」
「なんつーか、有用だけど滅茶苦茶難易度高いような……労力と成果が合ってないような……そんな気がするっす」
博孝が締め括ると、恭介は困ったように頬を掻く。
言うは易く、行うは難しの典型だろう。少なくとも、博孝にとっては代替手段があるため習得しなくても問題はない技術だ。
敵の遠距離攻撃は『射撃』で誘爆させるか、『飛行』で回避できる。近距離攻撃についても、体術は得意分野だ。しかし、恭介も体術は得意だが、射撃系のES能力は苦手である。
それに加えて、『防御型』は仲間や民間人を守るのが役目だ。攻撃を避けるのはそれなりに得意だが、攻撃を“避けられない”状況というのも存在する。
「でも、『飛行』の練習のついでに……というには難易度高そうっすけど、覚える価値はありそうっすね」
恭介としては、『飛行』の訓練は進んでいるが、それ以外の面でもう一手欲しいと思っていたところだ。『防御型』の『ES能力者』としては、覚えて損がない技術だと思える。加えるならば、覚える過程で相手の動きなどを見切る能力も養われるだろう。
「よし……俺はやるっすよ!」
拳を握り締め、気炎を上げる恭介。それを見た博孝は、仲間として協力しようと思う。
「それでこそ恭介だ! それなら早速……俺が『射撃』を三十発同時に撃つのと、沙織が『無銘』で斬りかかるの、どっちが良い?」
「いきなり難易度高くないっすか!?」
しかし、博孝が提示した条件を聞いた恭介は思い切り目を見開いてしまった。訓練をするにしても、もっと段階があるではないか。そう思った恭介だが、沙織が期待のこもった視線を向けてくる。
「わたしにしなさい、恭介。大丈夫よ、安心して。きちんと手加減するから」
「わざわざ前置きをしている時点で信用できないっすよ!」
微笑みながら『無銘』の柄を握り締める沙織を見て、恭介は後ずさりした。きちんと手加減をしそうだが、“上手くいってしまった場合”にヒートアップして本気を出しそうだ。かといって、砂原を見習って射撃系ES能力を磨こうとしている博孝も危険である。
(それなら、みらいちゃんか岡島さんに……)
最も安全なのは、里香だろうか。そう判断した恭介は里香に声を掛けようとするが、それよりも先に沙織が首根っこを掴んだ。
「じゃあ、早速やりましょうか。博孝は左腕が動かせないし、接近戦の訓練が足りないと思っていたのよ。恭介なら申し分ないわ」
「え、ちょ、助け――」
右手に『無銘』を下げ、左手で恭介を引き摺りながらグラウンドへ移動し始める沙織。まったく聞き耳を持っておらず、恭介からの悲鳴も聞こえていないようだ。
もちろん、沙織としては恭介の新しい訓練に協力するつもりである。ただし、そこに自分の訓練も加えてしまおうと思っただけだ。
「むぅ……左手が動かしにくいのが辛いぜ。調子が万全なら、俺と沙織でタッグを組んで恭介の訓練に付き合えたのに……」
沙織が『無銘』で斬りかかり、博孝が『射撃』や『狙撃』で恭介を狙う。恭介にとっても素晴らしい訓練になるだろうと考え――そこで博孝は我に返った。
非常に良い訓練になるだろうが、行う方はともかく、受ける方は大変である。それはまるで、砂原が施す日頃の訓練ではないか。
「まさか、知らない間に教官の訓練方針に毒されていた? いや、訓練は厳しくてナンボだし、新しい技術が身につくなら“多少”の厳しさも必要なわけで……」
思わず悩んでしまう博孝だが、そんな博孝の様子を知ってか知らずか、みらいが背伸びをして無言で博孝の肩を叩く。そして博孝に背を向け、早速訓練を始めた沙織と恭介の方へと向かった。
「って、みらい? 何をするつもりだ?」
「きょーすけがけがしたら、なおす」
博孝の問いかけに対し、足を止めたみらいが答える。それを聞いた博孝は、思わず首を傾げてしまった。
「ん? 治療なら里香がいるじゃないか」
突然のみらいの発言に、博孝は心底不思議に思ってしまう。『支援型』である里香がいれば、多少の傷は治せるのだ。それに比べて、みらいは治療系のES能力を習熟していない。
そんな博孝の言葉を聞いたみらいは、肩越しに博孝へと視線を向ける。そしてどこか不安そうに、心配そうに眉を寄せると、再び視線を沙織と恭介の方へと戻した。
「……おにぃちゃんがけがしても、なおせるようになりたいの」
「――え?」
それだけを言って再び歩き出すみらい。思わず聞き返した博孝だが、みらいの言葉を脳内で反芻し、その意図を探る。
怪我というのは、今回左腕を斬られたことを指しているのだろう。これまで何度か死に掛けたことがある博孝だが、みらいの“目の前”で重傷を負ったのは初めてだ。
初めての任務の時は、出会っていなかった。
沙織に斬られた時は、傍にいなかった。
ラプターと戦った時は、早々に意識を絶たれた。
みらいの目の前で――それも左腕を断たれるという重傷を負ったことで、何かしらの変化があったのだろう。博孝が怪我をした後の姿を見たことは何度もあるが、眼前で怪我を負ったことはあまりなかった。
それ故に、みらいも恭介と同様に新しい“何か”を求めているのか。そう考えた博孝は、残った里香に視線を向けた。
「みらいがあんなことを言ってくれるなんてなぁ……これも一つの成長なのかね? まあ、俺の怪我が原因なら、喜ぶのは不謹慎かもしれないけどさ」
「……うん……そうだね」
気軽に話を振ったつもりが、里香からの反応は少しばかり遅い。もしやそれまでの話を聞いていなかったのか、と不思議に思った博孝だが、里香は歩き去るみらいや『無銘』を振るう沙織、『盾』を発現する恭介に視線を向けていた。
その瞳に込められた感情は、一目では見抜けない。様々な色が混ざり合っており、容易には判別できないのだ。
それは羨望か、悔恨か、それとも嫉妬か。里香は小さく手を握り締めていたが、博孝の視線に気付いて頭を振る。
「……里香?」
「ううん……なんでもない」
気遣うような問いかけに、なんでもないと答える里香。しかしその声に力はなく、博孝はここ最近の里香の様子を脳裏に思い描く。
第二指定都市から戻って以来、里香はどこか無理をして振る舞っているような様子があった。それでいて深刻に悩んでいる気配もあり、博孝としてはどのタイミングで声をかけたものかと迷っていたのである。
当初懸念していた沙織の不調についても、“ひと騒動”があってからは落ち着いている。今では以前よりも元気なぐらいで、今も恭介を相手に嬉々と『無銘』を振るっている――無論、峰を返した状態で、だが。
そんな沙織に比べると、里香の様子は問題があると言えた。博孝は困ったように頭を掻き、視線を宙に向ける。
その性格とは裏腹に、里香は疑問があればすぐに質問をするタイプだ。観察眼も知略も、第七十一期訓練生の中ではトップと言える。『盾』を斜めに発現するという、固定概念に囚われない“発想”においても優れていた。
――自分自身の考えや悩み事で自縄自縛になるタイプでもあるが。
(踏み込むべきは、今か……)
里香の様子から、博孝は内心でそう呟く。
もしも里香から話を振られたのならば、博孝は喜んで聞いただろう。だが、今回の里香は口が重そうだ。そう判断し、博孝は真正面から里香を見つめる。
「里香」
「……なに?」
博孝の雰囲気が変わったことを察したのか、里香も真っ直ぐに博孝を見返した。博孝はそんな里香と数秒間見つめ合うと、少しだけ表情を柔らかくする。
「俺は左腕がこんな状態だから自主訓練もそこまでできないし……少し、話でもしようか」
そう言って博孝は視線をずらし、“ある場所”へと移す。
『飛行』の訓練施設ができて以来、誰も登ることがなくなった体育館の屋根の上。風情はないが、話をするには丁度良い場所だ。
促す博孝に里香は少しだけ驚き――僅かな間を置いてから頷くのだった。