第百二十話:適性
第二指定都市から訓練校に戻って三日が経った頃、関係各所への詳細な報告を終えた砂原が訓練校へと帰還した。それに合わせて午後の実技訓練も再開されることになった――が、砂原は訓練校に戻るなり“予想外”の事態に直面してしまう。
「やっぱり片手だと食べにくいでしょう? さ、お箸を渡して?」
「片手は片手でも、利き手だから問題ないって何度も言ってますよねぇ!?」
少しでも生徒達の様子を見ておこうと思い、朝食の時間に食堂へ顔を出したのだが、そんなやり取りをしながら博孝と沙織が騒いでいる。周囲の生徒は『またか』とでも言わんばかりに視線を逸らしており、必要以上に気にした様子もない。
報告を行うために三日間訓練校を空けていたが、その間に一体何があったというのか。源次郎にも頼まれており、沙織の様子にはいっそう気を配ろうと思っていたが、“事件”直後に沙織が纏っていた暗い雰囲気はなくなっている。
――ある意味、妙な方向で“おかしく”なってはいるが。
珍妙な生き物を発見したような目つきで沙織の様子を観察した砂原だが、目元を指でマッサージしてから大きく息を吐き、疲れているのだろうかと自問する。しかし、一週間徹夜しようと問題がない程度には『ES能力者』として鍛えていた。
それならば、沙織の身に何が起きたというのか。それを思考するが、沙織の行動を見れば答えは自然と理解できる。
(河原崎が“何か”をしたか……後で詳細を聞くとしても、中将閣下に何と報告をすれば良いのか……ん?)
明らかに“何か”原因があるとは思うが、その内容次第では源次郎への報告が非常に面倒なものになる。そのことで悩む砂原だが、砂原の姿に気付いたのか、みらいが駆け寄ってきた。
「きょーかん」
「……河原崎妹か。どうかしたかね?」
博孝と沙織の間に何があったのか、などと尋ねたかった砂原だが、みらいは言葉を選ぶことをしない。爆弾発言が出てきては困るため、それを隠して普通に応じることにした。
「……ん」
すると、みらいは懐からピンク色の便箋を取り出し、両手で持って砂原へと差し出す。郵便などで使う封筒ではなく、ギフトカードでも入っていそうな外見だった。
その便箋を受け取った砂原は、僅かに困惑しながら裏返す。便箋自体は売店で購入したものらしく、封をするためにデフォルメされたイルカのシールが貼られていた。
「これは?」
形状から考えると、下手をすればラブレターにも見える。事実、砂原とみらいのやり取りを近くで見ていた生徒の何人かが、目を見開いて二人を凝視していた。そして、“勘違い”をした一人がぽつりと呟く。
「みらいちゃんから……教官にラブレター?」
「――だから右手が動けば一人で食えるってはああああああああああぁぁぁっ!?」
その呟きは、沙織を押し留めていた博孝の耳にも届いた。それまで沙織の相手で悪戦苦闘していた博孝だが、それを即座に放り出して砂原とみらいの方へと顔を向ける。
「は、ちょ、え、み、みらいが教官にラブレ、ラ、は、はあああああああぁぁっ!?」
博孝は困惑と共に椅子から転げ落ち、事態を理解できないように床を転がり、それでも立ち上がって二人の元へと駆け寄った。
「ちょっと教官!? いくらみらいが可愛いからって駄目ですよ! 年齢を考えたら親子どころか祖父と孫で通じるんですよ!? 教官の奥さん以上に犯罪ってレベルじゃないだだだだだだだっ!? 頭がっ!」
困惑を超えて混乱の域に達した博孝が抗議するが、その途中で顔面を鷲掴みにされて宙吊りにされる。砂原の怒りに触れたのか、普段に比べて非常に痛かった。
「相変わらずお前は面白いことを言うな……元気そうで何よりだぞ」
言葉や表情は優しげだったが、目だけは笑っていない。沙織もだが、博孝にも何か悪影響があったのではと砂原は考えていた。しかし、この様子ならば無理もしておらず、“普段通り”と言えるだろう。
もっとも、博孝の発言を聞き流すかは別だが。
「そうか、お前は俺のことをそういう目で見ていたのだな? なるほど、面白い意見だ。噴飯するほど笑える――そら、お前も笑ってみろ」
「じ、冗談ですから! ちょっと気が動転しただけですから! わ、割れる! 頭蓋骨が割れますって!」
釣り上げられた活きの良い魚のように暴れていた博孝だが、砂原は一向に力を緩めない。このままでは本当に頭蓋骨が割れるのではないか、などと博孝が恐怖していると、みらいが砂原の服の裾を引いた。
「きょーかん、きょーかん。そのてがみ……」
「ん? ああ、この手紙か。これがどうかしたかね?」
半ば予想を付けつつ、砂原が答える。その間も博孝は宙吊りになっているが、砂原もみらいも気にした様子はない。
みらいは僅かに言いよどんだが、一つ頷いてから用件を告げる。
「かえでちゃんにわたして……ください」
取ってつけたような敬語だが、砂原はみらいの意図を理解して頷いた。みらいなりに、初めてできた友人との交友を強く望んでいるのだ。
楓は携帯電話を持っておらず、『ES能力者』の訓練生と連絡を取り合う手段がない。それを理解しているため、みらいも手紙を用意したのだろう。砂原の自宅には固定電話もあったが、みらいがそれを知るはずもなかった。
「わかった……が、一応規則でな。中を検閲させてもらうぞ?」
「んー……うん」
僅かに渋るみらいだが、それで楓に手紙が届くのならばと頷く。それを見た砂原は小さく笑うと、右手で持ち上げていた博孝を放り投げ、手紙に封をしていたシールを丁寧に剥がして中身を確認した。
そこには楓の身を案ずる言葉と、今度帰省した時こそは一緒に遊ぼうという“願いごと”が書かれている。文章自体は拙いものだったが、みらいの心情が伝わる手紙だった。
みらいの手紙を読んだ砂原は、僅かに目尻を下げながら封筒に戻す。そしてみらいの頭に手を乗せ、安心させるように笑った。
「たしかに受け取った。この手紙は必ず娘に渡しておこう」
「おねがい……します」
砂原の言葉を聞き、みらいは小さく頭を下げる。次の休日には家に帰り、必ず楓に手紙を渡そうと砂原は思った。そうすれば、楓もその返信を書くだろう。
微笑ましいと思うべきか、人工の『ES能力者』であるみらいの成長を喜ぶべきか。そんなことを考えつつ、砂原は床に転がる博孝へ視線を向けた。
「で、そこの兄馬鹿は理解したか?」
「大変失礼しました……って、最初にラブレターとか言った奴は誰だ!? 午後の実技訓練で覚えてろよ!」
みらいの“用件”を理解した博孝は砂原に謝罪し、怒りの形相を浮かべながら周囲を見回す。しかし、目を逸らせば矛先が向かうため、誰一人として大きな反応を示さない。
博孝が周囲を睥睨していると、博孝の言葉を聞いていた砂原が顎に手を当てた。
「午後の実技訓練か……それについては少しばかり“考え”がある」
「考え? まさか、また教官対生徒全員で模擬戦をやるんですか?」
俺、左腕が動かしにくいんですが、と博孝は自身の左腕を指差しながら問う。さすがに、今の状態で砂原相手の模擬戦をしたいとは思えなかった。万全の状態ですらロクに勝ち目がないのだ。今の状態では、周囲の足を引っ張りかねない。
「違う。だが、お前には一働きしてもらおうと思っている」
「はい? 俺が何かするんですか?」
砂原の意図が読めず、博孝は首を傾げた。今の博孝にできることは平時よりも限られており、砂原がわざわざ“何か”をやらせる理由が思いつかない。博孝にのみ可能なことといえば『活性化』があるが、このタイミングで全生徒に公開する理由もないだろう。
「楽しみにしておけ。もっとも、楽しみにするべきはお前以外の生徒だろうがな」
そう言って笑う砂原に、博孝だけでなく周囲の全生徒も表情を引きつらせるのだった。
午後になり、訓練着に着替えた博孝達はグラウンドに集合していた。着替えの度に突撃を仕掛けようとする沙織は里香が足止めしており、男子生徒達は安堵しながらも手早く着替える羽目になったのは余談だろう。
「全員揃っているな」
いつものように訓練開始時間丁度に姿を見せた砂原は、ノートを右手に持っていた。そのノートは生徒の考課をつけるためのものであり、それに気づいた生徒達の数人は首を傾げる。時折訓練中に持ち込むことはあったが、それほど多い頻度ではない。考課表を持ち出したということは、何かしらの成績を調べるのだろうか、と疑問を持ったのである。
砂原は整列する生徒達を見回すと、考課表を開きつつ視線を僅かに鋭くした。
「三日間も教導をできなくてすまなかったな。もっとも、自主訓練だろうと手を抜くような者は一人もいないだろう。年末年始の休暇で鈍った体を解し、各自が自身の技量を向上させるべく努力したと俺は確信している。諸君らはそれだけ真面目であり、努力家だ」
そんな口上を述べられ――この時点で、勘が良い数名は逃げ出したい気分になった。砂原が生徒を最初に褒める場合、その後に“落とし穴”があるということを経験として知っているのだ。
普通に聞けばそれほど褒められたようには思えないが、砂原という人物をよく知る生徒達からすれば、十分以上に褒め言葉である。
一体何を言い出すつもりかと、博孝や恭介は警戒心を露わにした。それと同時にさり気なく周囲に気を配り、“以前”のように狙撃手などが潜んでいないかを探る。それほど効かないとはいえ、対『ES能力者』用の弾丸が飛んでくる可能性は低くない。
それは、ある意味では砂原に対する“信頼”だっただろう。砂原ならば何かをするはずだ、という信頼である。しかし、砂原は警戒する数名の生徒を見て小さく笑うだけだ。
「なにやら警戒している者もいるが、特に物騒なことをしようというわけではない……今は、な」
「今は、という部分が非常に恐ろしいんですが……」
笑う砂原を見て、博孝は小さく呟いた。砂原はそんな博孝をちらりと見て、次いで、その視線を博孝の左腕に移動させる。だが、すぐに視線を外して再度生徒達を見回した。
「さて……せっかくの帰省だったが、最後にケチがついてしまったな。しかし、『ES能力者』である以上はああいった事態に遭遇することもある」
生徒を見回しつつ話す砂原だが、これが本題だろう。そう判断した生徒達は、真剣な様子で耳を傾ける。
「今回、河原崎達を除き、諸君らの多くが民間人の避難誘導に従事した。だが、下手をすれば『ES寄生体』や敵性『ES能力者』との戦闘を行う事態に陥っただろう」
もしも砂原や空戦部隊員が鳥型『ES寄生体』を撃ち漏らしていれば、博孝達が敵性『ES能力者』と戦っていなければ、その役目は民間人の避難誘導に当たっていた者達が務めることになっていただろう。
それは『ES能力者』としての義務であり、訓練生だろうと関係はない。正規部隊員が傍にいなければ、戦うのは訓練生しかいなかった。
「諸君らは日々訓練に励んでおり、教官である俺も諸君らの努力はよく知っている。しかし、“有事”の際に訓練と同様の実力を発揮できるかは別だ」
そう話す砂原に、生徒達は素直に頷く。敵性『ES能力者』と戦ったことがある者は限られているが、『ES寄生体』が相手でも実際の戦闘では緊張をする。訓練通りの実力が発揮できているかと言われれば、素直には頷けないだろう。
「付け加えるならば、諸君らは普段、個人の戦闘能力の向上と小隊単位での連携訓練に重点を置いて訓練をしている。そこで、だ……」
そこで一度言葉を切り、砂原は生徒達に真剣な眼差しを向けた。
「今回のような事態の危険性を考慮し、“臨時”で組んだ小隊での戦闘経験も積んでおくべきだろう」
淡々と告げる砂原。そんな砂原の言葉を聞いた生徒達はその意味を理解し、表情を引き締める。その中でも、里香が真っ先に手を挙げた。
「つまりそれは……“普段の小隊”に関係なく、ランダムで小隊を組んで訓練をするということですか?」
「そうだ。ある程度は各自の適性に合わせて小隊を組ませるが、実戦では必ずしもバランスの良い小隊を組める保証はない。今回のように突発的に敵が襲撃してきた場合、小隊に“欠員”が出た場合、それまでとは異なる部隊の運用を強いられる。下手をすれば、小隊全員が攻撃型など、一系統で固まることも考えられる」
里香からの質問に答えつつ、砂原は手元の考課表に視線を移す。
“今回の一件”で砂原が危惧したことの一つは、言葉にした通り突発的な事態への対応についてだ。
任務中や訓練中ならばともかく、外出した際は普段共に訓練をして連携を学んでいる小隊全員が傍にいる保証はない。そうなると付近にいる『ES能力者』と臨時で組むこともあり、その際に普段との差異が原因で実力を発揮できない可能性があった。
第二指定都市で戦った際も、第一小隊の里香とみらいが立場を入れ替えて戦っている。みらいは普段から第一小隊と行動を共にしていたため、大きな混乱はなかった。だが、それが他の小隊ならばどうだろうか。
現状でも、他の小隊に“混ざって”も普段通りの力を発揮できる生徒はいる。
第一小隊で例を挙げるならば、博孝は性格や能力的に攻撃や防御、補助から小隊の指揮までそつなくこなせるだろう。恭介や里香も、自身の能力に合った戦い方ができる。
反対に、沙織やみらいは能力を削がれる可能性が高い。沙織は単独でも高い戦闘能力を持つが、それは博孝の指揮下にあるからだ。第一小隊のメンバーが相手ならば素直に従うだろうが、それ以外の者ならば“昔”のように反発する可能性がある。
みらいに関しては、純粋に能力の扱いが難しい。第七十一期訓練生の中でも随一の『構成力』と高い攻撃力を併せ持つが、他の分野については落第点だ。『構成力』の暴走を起こさなくなったとはいえ、沙織以上に戦力として運用するのが難しい。
他の生徒についても、普段と異なる部隊運用を行えばどうなるか。
ある者は新たな発見があるかもしれないし、ある者は単純に枷を嵌められた状態になるかもしれない。だが、小隊での訓練を始めてから一年以上が経過し、各生徒が今の小隊での動き方に慣れたからこそ、砂原はそれを崩すことにした。
「そういうわけで、諸君らは俺が選別したメンバーで小隊を組み、訓練を行ってもらう。なお、入れ替えについては頻繁に行い、より実戦に近い形にする。わざとバランスの悪い編成をすることもあるが、その際は知恵を絞って乗り切れ。良いな?」
『はい!』
砂原の言葉に、生徒達はそれぞれ返事をする。例え反論しようとも、砂原の授業が変更されることはないのだ。そのため誰も異論を唱えず――代わりに博孝が挙手した。
「教官、質問です。小隊のメンバーを入れ替えて訓練するのは良いんですが、今後の任務などはどうするんですか? 新しい小隊で受けるんですかね?」
博孝が気にしたのは、元々の小隊をどうするのか、ということだ。訓練ということで一時的なものか、それとも完全に入れ替わるのか。博孝としては、小隊員の能力も完全に把握し、連携訓練も積んでいる現状の第一小隊のままが良い。
「入れ替えた方が良いと思う者については、入れ替えることもある。小隊訓練を始めた頃と違い、諸君らの間でも能力に差が出てきたからな。この機会にバランスを取るというのも良いかもしれん」
そう答える砂原だが、第一小隊については様々な問題から入れ替えるのが難しいと考えている。各員の能力的にも、博孝やみらいに関する機密についても、現状のままにしておくのがベストだろうと思われた。
もっとも、戦力として考えるのならば第一小隊のメンバーはバラバラにしたいところである。強さを見せつけて他の小隊の目標にするのも良いが、今のままでは戦力差が大きい。
最低でも博孝と沙織を別の小隊に分けたいところだが、“有事”の際に不安が残ってしまう。それに加えて、博孝はともかく沙織のモチベーションが一気に下がりそうだ。
「……とにかく、これから当面は小隊メンバーを入れ替えながら模擬戦を行う」
普段の沙織の言動や行動を思い出した砂原は、小さく頭を振って話を戻す。そして、早速新しい小隊についてメンバーの発表を開始した。
「まずは第一小隊だが……岡島、河原崎妹、城之内、和田の四人だ。小隊長については各自で相談して決めろ」
考課表を見ながら砂原が告げ、名前を呼ばれた四人はそれぞれ顔を見合わせる。
「バランスは良いな。でも、小隊長っつったら……」
「選択の余地はないな」
「りかおねぇちゃんで」
「え? わ、わたし?」
城之内と和田、そしてみらいは迷うことなく里香を小隊長に推す。
『防御型』の和田、遠距離『攻撃型』の城之内、近接攻撃が得意な『万能型』のみらい、そして『支援系』の里香。小隊としてのバランスが良く、四人の中で最も指揮に向いているのは里香だった。“昔”の里香ならば砂原も止めたかもしれないが、“今”の里香ならば止める理由もない。
「では、第一小隊の小隊長は岡島だな」
「うぅ……が、頑張りますっ」
とんとん拍子で小隊長を務めることが決まり、里香は肩身が狭そうな様子で博孝に視線を向ける。その視線を受けた博孝は、里香を励ますように力強く頷いた。
「大丈夫、里香なら余裕で第一小隊の小隊長を務められるって! 俺の立場が奪われたとか、そんなこと微塵も考えてないからな!」
「それ、励ましてないよ……」
拳を握りしめて力説する博孝に、里香は困ったように眉を寄せる。博孝としては冗談混じりだったが、里香ならば小隊指揮に関してまったく問題がないと思っていた。以前の里香ならば進んで前に出たり、声を出したりすることはなかったかもしれないが、今の里香は以前とは違うのだ。
小隊のバランスも良く、里香が指揮を執ることを考えれば、難敵と考えて良いだろう。前衛にみらいがいるため、博孝は自分が戦うならば沙織か恭介と共にぶつからなければ突破は難しいと考えた。
「次に第二小隊についてだが……」
里香が率いることになった仮の第一小隊について考えを進める博孝だが、砂原の発表は続く。博孝に親しい者としては、沙織が第三小隊の小隊長、恭介が希美率いる第六小隊へと割り振られた。そしてそのまま第八小隊まで発表が続き、恭介は満足そうに頷く。
「希美さんに色々と命令されるとか、本当に第六小隊に異動しても良いかもしれないっすね!」
「じゃあ、恭介が空いた穴にはみらいが入るわけか。でもそれってバランスが悪いよな……って、そうじゃない! 教官きょうかーん! 質問というか抗議をして良いですか!?」
恭介の冗談に付き合っていた博孝だが、どうしても言いたいことがあったために声を張り上げた。そんな博孝の反応は予想していたのか、砂原は落ち着いた視線を博孝へ向ける。
「どうした?」
「どうした、じゃないですよ! なんで――俺だけ名前がないんですか!?」
右手を力強く握り締めつつ、博孝は大声を上げた。生徒達の振り分けについては第八小隊まで発表されたが、そこに博孝の名前がなかったのである。最初は落ち着いて発表を聞いていた博孝だが、後半に進むにつれて首を傾げてしまった。
「ハブですか!? イジメですか!? まさか俺一人で小隊を相手にしろっていうんじゃないでしょうね!?」
第七十一期訓練生は、元々三十二名である。丁度八個小隊だったのだが、そこにみらいが加わったため、一人だけ余ってしまうのだ。その一人になってしまった博孝は、まさか一人で戦えと言われるのでは、と戦々恐々する。
そんな博孝に対し、砂原は冷ややかな視線を向けた。
「馬鹿者。お前は左腕がロクに動かんだろうが」
「うっ……いや、それはそうですが……ひょっとして、グラウンドの隅っこで一人寂しく自主訓練をしていろと?」
普段と異なる小隊メンバーでの模擬戦と聞いて、博孝はあれこれと考えていたのだ。元々の第一小隊とは異なる小隊運用法を身に付けるチャンスであり、普段とは違うメンバーで戦うことによって新たな発見を得る。非常に“勉強”になると思ったのだ。
左腕の負傷を持ち出されては強く抗弁もできないが、さすがに一人で自主訓練をするのは勘弁してほしかった。腕を落とすことはないが、自主訓練だけでは向上も難しい。
そうやって唇を尖らせる博孝を見た砂原は、表情を苦笑へと変化させる。
「お前の考えはわかるが、一人で自主訓練をさせるぐらいならば一対四で戦えと俺は言うぞ? 複数を相手に戦う訓練をしたいと言うのならば、俺も止めはせんが……」
頷けば、そのまま本当に一対四で戦うことになりそうだ。平常時ならばそれも良いが、今は左腕がまともに動かない。右腕一本だけでは、接近戦が困難になってしまう。そのため、博孝は畏まって砂原の考えを拝聴することにした。
「お考えをお聞かせ願えますでしょうか、教官殿」
「それほど複雑な話ではない。今のお前は、左腕がほとんど動かない状態だ。怪我自体は治っているが、そんな状態で訓練を行えば体に妙な癖が染み付く可能性が高い。リハビリを兼ねて多少は運動をする必要があるが、体術で戦うのは止めておいた方が無難だろう」
現在の博孝は、日常生活においてもそれほど不便はない。利き腕は無事であり、左腕を使う機会が限られているからだ。しかし、訓練になると話は別である。
『ES能力者』の身体能力がいかに常識外れとはいえ、左腕が元通り動くようになるまでは一ヶ月近い時間がかかる。その間に“左腕を使わない動き”が身についてしまえば、完治したあとの矯正に苦労する羽目になるだろう。もしかすると、長い間妙な癖として残るかもしれない。
そう説明された博孝は、それもそうだと納得して引き下がった。
「では、俺は何をすれば良いんです?」
朝食の際、砂原は一働きしてもらうと言っていた。そのことを思い出した博孝は、詳細な説明を求める。そんな博孝に対し、砂原は口の端を吊り上げて笑った。
「河原崎兄、お前は『隠形』を使えるな?」
「……ええ、まあ」
ニヤリと笑う砂原を見て、博孝は一歩後ろへ下がる。だが、砂原の言葉を聞いて反応した者がいた。
「え? そ、そうだったの?」
「そうなの? わたしは初耳よ?」
博孝が『隠形』を使えると聞き、里香と沙織が疑問の声を上げる――が、“何故か”周囲の男子生徒達が一斉に視線を逸らしていた。
「い、言ってなかったっけ? つい最近使えるようになったんだよ」
ハハハ、と誤魔化すように笑う博孝だが、嘘は言っていない。一ヶ月ほど前、修学旅行の際に自然と身に付けた技能だ。
――まさか、のぞきの最中に会得したなどとは口が裂けても言えないが。
「そうなんだ……」
「さすが博孝ね」
里香は僅かに落ち込んだように、沙織は感心したように言う。博孝としては里香の反応が気になったものの、良心の呵責によって即座に声をかけることができなかった。
「……で、『隠形』を使って何をしろと?」
そのため、博孝は砂原へと話を振る。他のES能力ではなく『隠形』という辺りで博孝も大体は察しがついたが、詳細は聞かなければわからない。
「お前が行うのは、“襲撃者”役だ。普段とは異なる小隊メンバーということで、周囲への意識が散漫になるだろうからな。『隠形』で『構成力』を消しながら障害物に隠れ、隙を見つけたら『射撃』で撃て」
そう言いつつ、砂原は護衛訓練用に設置された障害物へ視線を向ける。グラウンドを囲うように設置されている物も存在し、『構成力』を隠して移動すれば容易には見つからないだろう。懸念があるとすれば『里香』の『探知』で位置を探られることだが、その点については博孝と里香、どちらの技量が上かにかかっている。
「わかりました。精々、上手く隙を突いてみますよ」
隠れるだけならば里香にも気付かれずに済むかもしれないが、攻撃を行えば確実に『探知』に引っかかるだろう。それでも、これまでとは異なる種類の訓練になりそうだ。
「襲撃者の心情がわかれば、襲撃を受ける際にも役に立つ。気を抜くなよ」
表情を引き締めてそう助言する砂原に、博孝は頷きを返した。しかし、そんな博孝の耳に『通話』による砂原の声が届く。
『それと、模擬戦を行う生徒達の隙を窺う間に長谷川について報告を行え』
『……了解です。お忙しいようなので放課後に報告しようと思っていたのですがね。まさか授業中に報告することになるとは……』
砂原の号令により、急造の小隊で整列する生徒達。その間、博孝は砂原の指示を受けて物陰へと移動する。砂原と会話しながらになるが、『射撃』で狙うのに丁度良いポジションを見つけなければならないのだ。
『隠形』で『構成力』を隠して移動しつつ、それと同時に博孝は沙織に関する報告も行う。さすがに抱き締めた云々とは言えないが、沙織の部屋を訪問して悩みを聞き出し、その解決を行ったことを説明した。
『そうか……敵を殺めたことよりも、その直前で躊躇してお前が負傷したことを悔んでいたか』
砂原は生徒の様子を確認しつつ、博孝は模擬戦を開始した生徒の隙を窺いつつ、報告を行う。物陰に隠れた博孝はどこか困ったように、生徒を見る砂原は表情を変えずに言葉を交わした。
『長谷川の様子がおかしかったので、何が起きたのかと思ったぞ』
『俺もビックリしましたよ。今は里香が止めてくれるので助かっていますが、最初はトイレにまで突撃される始末で……』
心底疲れたように博孝が言うと、それまで表情を変えていなかった砂原の口角が僅かに吊り上がる。笑いを堪えているのか、それとも別の理由か。少なくとも、砂原の表情が見えない博孝には気づきようがない変化だった。
『……報告に関しては了解した。それと、お前の方は本当に大丈夫なんだな?』
『ええ。ハリドを倒した時みたいに体調を崩したりはしていません。睡眠も取れています。問題は左腕だけですね』
自分自身の状態も説明しつつ、博孝は物陰から静かにグラウンドの様子を窺う。現在模擬戦を行っているのは里香が率いる第一小隊と、中村が率いる第二小隊だ。第二小隊は前衛として暴れ回るみらいに手を焼いており、他の第一小隊の小隊員がみらいのカバーに回って博孝の襲撃を警戒している。
『探知』を発現しているのか、里香の視線は博孝が潜む物陰付近へと向けられていた。それと同時に『通話』で小隊員に指示を出しているのか、他の三人の動きもスムーズである。
『むぅ……さすがに里香が相手だと不意打ちは難しいですね』
『だろうな。『探知』もそうだが、『通話』を覚えたことで指揮に関しても問題がなくなっている』
里香は声を張り上げるような性格をしていないが、『通話』可能な距離にいる『ES能力者』には問題なく指示を出せる。むしろ、多少離れても声が届くという点では肉声よりも有利だろう。
里香の隙を窺う博孝だが、同じように里香達の模擬戦を見ていた砂原が抱く印象は異なった。教官として、一人の『ES能力者』として里香を観察する。
(ふむ……指揮官という分野では、河原崎兄よりも上だな。小隊員の性格や能力を活かした指揮だ。見知った間柄の者だけで固めるならば、中隊の指揮も問題なく執れるか?)
『通話』を使えば実際に声を出す必要がなく、距離が離れてもタイムラグなしで指示を出せる。里香本人の戦闘能力についても、支援型の『ES能力者』としては『射撃』を得意としているため上等な部類だろう。博孝の影響かもしれないが、小隊指揮を行いながら『探知』で周囲の警戒を行う姿は手慣れてもいる。
そこで砂原は、博孝に指示を出して隙のあるなしに関係なく襲撃させることにした。隙を窺うのではなく、弾数を重視して雨のように光弾を降らせたのだ。しかし、里香は慌てることなく城之内に防御を担当させ、防ぎ切れないものについては自身が『射撃』で迎撃する。
みらいは里香の指揮を信じているのか、博孝の攻撃に動じた様子もなく攻撃を敢行した。それに対する第二小隊は、博孝の『射撃』に気を取られたせいでみらいの対応が遅れ、やすりで削るようにして戦闘不能になる者が出始める。
結果として、博孝の攻撃を発端として第二小隊は敗北した。二つの小隊には均等に光弾を放った博孝だが、指揮を執る者の差が表れた形である。
勝負がついたことを確認した砂原は、手元の考課表に里香に関する評価を書き加えることにした。
(本人は治療専門の『ES能力者』を希望していたが、部隊指揮を学ばせるのも面白いかもしれんな……精神面の打たれ弱さが気にかかるが、岡島は視野も広い。臆病なのはある意味では美点だ)
訓練が進めば、中隊規模での模擬戦も行う予定だった。その際には、里香を中隊長に据えてみるのも一つの手だろう。そう判断した砂原は、続いて行われる第三小隊と第四小隊の模擬戦に視線を移す。
第三小隊は沙織が小隊長を務めているが、どこか不機嫌そうだ。訓練ということで『無銘』の使用は控えているが、それが原因ではないだろう。『武器化』で発現した大太刀を片手に持ち、忙しなく周囲に視線を向けている。
(本人の力量は突出しているが、小隊長には向いていないな……)
第三小隊は最も腕が立つ沙織を小隊長に据えていたが、明らかに悪手だった。本人の実力と指揮能力はイコールではなく、沙織はその典型である。結果、沙織が『全員突撃』という指示を下して第四小隊に襲い掛かり、実力差で押し切ってしまった。
博孝が襲撃を行うよりも早く決着がついており、勝敗を決するという部分では間違っていないだろう。ただし、小隊同士での模擬戦では間違いである。小隊というものはあくまで連携を重視するべきであり、沙織が執ったのは指揮ではない。単純に、先陣を切っただけである。
模擬戦に参加した生徒達の評価を下しつつ、砂原は内心でため息を吐いた。
(長谷川は実力があっても連携に難がある……だが、河原崎兄や岡島が指揮を執れば話は別だろう。仲間内ならば素直に従うようにもなっている……が、やはり改善が必要だな)
並の正規部隊員よりも高い攻撃力を持つ沙織だが、小隊の枠に嵌めて運用するには問題がある。指揮を執る小隊長によっては、逆に連携を乱されるだろう。
(しかし、この手の『ES能力者』は最小単位……単独か、あるいは分隊ならば驚異的な力を発揮するか。バランス的には、河原崎兄と組ませるのがベストだな)
同レベルの接近戦を行うことができ、遠距離攻撃での援護に、『活性化』や支援系ES能力による補助。沙織が『無銘』を使い、誰にでも合わせられる博孝が一緒に戦えば最も力を発揮するだろう。
(正規部隊に配属されることを考えれば、矯正は必要だがな)
最後にそう締め括り、砂原は続いて行われた模擬戦を観察する。希美が率いる第六小隊に所属することになった恭介が、やたらと張り切っているのが印象的だった。
恭介は『防御型』の『ES能力者』だが、接近戦も得意である。博孝や沙織には及ばないが、『防御型』としての頑丈さを前面に出して戦う姿は訓練生の枠を超えつつあった。
(頑丈さでは武倉が一番、か……しかし、接近戦しかできないのが欠点だな)
防御力の高さは褒められるが、攻撃面では大きく劣ってしまう。体術は第七十一期訓練生の中でも上位だが、遠距離の攻撃手段が乏しかった。
そんな恭介目がけて博孝が光弾を放つが、容易く防がれてしまう。訓練ということで威力を落としているのが原因だが、博孝と波長が合う恭介としては、攻撃してくるタイミングがある程度はわかるのだ。
そして、そんな恭介を指揮する希美にも砂原は視線を向ける。元々小隊長を務めているだけあって、指揮にそつがない。『ES能力者』として突出した部分はないが、欠点もないような戦いぶりだった。
他の生徒についても評価を下しつつ模擬戦が進み、第八小隊まで一巡してしまう。それを確認した砂原は、今の模擬戦で得た情報を踏まえて再度小隊の入れ替えを行った。
そうして授業の時間が終わるまで何度も模擬戦が行われ、その度に博孝は物陰に潜んで『射撃』のタイミングを待つ。模擬戦を行っている生徒達は眼前の相手と戦いつつ、博孝の『射撃』を防ぐなり避けるなりした。
砂原は毎回の模擬戦で何かしらの情報を掴み、考課表へと書き加えていく。今後の生徒の鍛え方にも直結するため、重要な情報なのだ。同時に、校長である大場や“上”、源次郎などにも提出する報告書に記す必要がある。
元々手を抜く性格ではないが、“これまで”のことと“これから”のことを考え、砂原はよりいっそうに生徒達を注視した。
生徒達が訓練校を卒業するまで、残り一年と三ヶ月。既に訓練校で学べる時間の半分が過ぎており、それを過ぎれば正規部隊へ配属されるだろう。
最近では『ES寄生体』や敵性『ES能力者』に関する危険性が増しているため、任務の際の危険性も増している。正規部隊員になれば毎日のように任務に駆り出され、負傷することも珍しくない。
負傷ならばまだ取り返しがつくが、命を落とす危険もあるのだ。砂原としては、手塩にかけた教え子達が命を落とすような事態にはなってほしくない。
それ故に、生徒達が持つ適性や可能性を見落とさないよう、生徒達以上に砂原も真剣になるのだった。