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第百十六話:異変

 第二指定都市の大規模襲撃から三日後。予定よりも遅れる形となったが、博孝達は訓練校に帰還することになった。

 民間人の被害こそ出なかったものの、『ES能力者』によって防備が整っているはずの指定都市が襲撃を受けたという事実は衝撃的である。敵性『ES能力者』の襲撃に関する話は伏せられたものの、大量の鳥型『ES寄生体』が襲撃してきたことは各種メディアでも報じられ、全国のお茶の間に衝撃を与えた。

 無論、その“裏”で起こったことについては当事者たち以外には知らされていない。戦闘に参加した博孝達も箝口令を敷かれ、対外的には民間人の避難活動に従事していたということになった。

 なお、博孝が破壊した民家や道路については、敵性『ES能力者』によって破壊されたものとして処理され、国から修理費が支給されることが決まって博孝を安堵させた。敵性『ES能力者』と交戦したことで生じた被害のため、博孝に責任が及ばなかったのである。

 もしも敵性『ES能力者』が自爆していれば、比較にならないほどの被害が出ていたのだ。それに比べれば、非常に安く済んだとも言える。

 里香を除いた博孝達第一小隊は、第二指定都市滞在中に戦闘現場の検分にも駆り出された。左腕以外は全く問題がないため、博孝も防衛部隊の要請に応えて検分に参加している。

 正規部隊員ならば問題もないのだが、博孝達は訓練生だ。いくら戦力が不足しており、事前に砂原が戦線に参加させることを防衛部隊に承諾“させていた”としても、問題は山積みである。

 戦闘がなかったのならば問題も少ないのだが、博孝達は敵と交戦した。その上、博孝が三人、沙織が一人、敵性『ES能力者』を仕留めている。戦果だけを聞けば正規部隊員の中でも優秀な部類だが、それを成したのが訓練生となれば話は変わってしまう。

 本当に博孝や沙織が『ES能力者』を仕留めたのか、それはどの場所で、どんな状況で、どうやって成されたのか。防衛部隊の一部の『ES能力者』がそれらを根掘り葉掘り尋ね、事実に相違がないかを何度も確認する。

 敵性『ES能力者』の自爆が防がれたことを感謝する気持ちはあるが、敵性『ES能力者』を撃破するという華々しい戦果を妬む気持ちが根幹にあった。しかも、それを行ったのが遥かに年下――訓練生ともなれば、妬むと同時に信じられないという気持ちもあるだろう。

 人面樹の捜索任務で指定都市を離れていた者にはその傾向が強く、特に、実戦経験が乏しく、階級が低い者に多く見られた。

 しかし、それは戦闘を経て精神が不安定になっている訓練生に対する態度ではない。博孝は笑って聞き流すだけの腹芸もできるが、沙織は薄い反応を返すだけだ。それ故に、現場検証に同行した砂原が無表情で応対した。

 階級が高い者や年齢を重ねている者に対しては、『穿孔』の名と共に様々な逸話が伝わっている砂原である。階級が低く、比較的年齢が若い者は『穿孔』を噂話程度にしか知らず――幾多もの死線を潜り抜け、敵に『穿孔』というあだ名を付けられるに至った『ES能力者』が“どれほど”の存在かを初めて知ることとなった。


「貴官らの職務は何かね? 一度確認すれば理解できることを、何度も繰り返して尋ねることかね?」


 淡々と、それでいて無表情のまま尋ねる砂原。殺気を放っているわけではなく、怒気を放っているわけでもない。それでも、砂原を見知った『ES能力者』が即座に現場検証の担当者を替える程度には効果があった。

 威嚇したわけでもないが、救われたはずの博孝が真っ先に逃げ出しかける程度には迫力のある問いかけである。替わった担当者が、無意識なのか心臓を守るように手で隠していたのが印象的だった。

 砂原とて、ラプターと交戦したというのに取り逃がしたことを悔む気持ちがある。鳥型『ES寄生体』を単独で半数以上撃滅しつつ、同格の『ES能力者』と交戦しつつ、その上で教え子の援護まで行うという、個人で成し得る限りの最善を尽くした。

 それでも結果としてラプターを取り逃がした以上、“上”が文句を付ける可能性もあり――“そんなこと”よりも、今は教え子の精神状態の方が重要なのだ。

 『あんなに緊迫感に満ちた現場検証は今後ないんじゃないか』と博孝が呟いたのが、ほんの一日前のことである。

 予定よりも二日遅れることとなった、訓練校への帰還。実家へ帰宅することはできたが、荷物をまとめればすぐに出発することになっていた。そのため、博孝はみらいと共に両親と別れの挨拶を手短に行う。


「最後は慌ただしくなったけど、また訓練校で頑張ってくるよ」

「おかあさん、おとうさん、いってきます」


 荷物を担いだ博孝とみらいがそう言うと、博子と孝則は残念そうな顔をした。一週間という期間が、あっという間に過ぎ去ったように思える。

 相手が家族と云えど、今回の戦いについて話すわけにはいかない。そのため博孝は怪我のことも伏せ、最後の挨拶の時間が短いことに感謝と残念さを等分に感じた。

 それでも、博子も孝則も博孝の様子に気付いているのだろう。時折視線が博孝の左腕に向いている。だが、二人とも何も言わず、労わるような笑顔を浮かべた。


「二人とも、体に気を付けるのよ。里香ちゃん達にもよろしくね?」

「帰ってきたくなったらいつでも帰ってきなさい。父さんはいつでも大歓迎だぞ」


 そう言って博子はみらいを抱き締め、孝則は博孝の肩を叩く。そんな両親に対して博孝は笑い返し、みらいは名残惜しそうに頷いた。

 そうしていると、訓練生の各家庭を回っていたバスが博孝の家の前に到着する。クラクションを鳴らされた博孝はみらいの手を取り、両親と別れてバスへと乗り込んだ。

 博孝とみらいは最後だったらしく、バスの中には既にクラスメートが揃っている。しかし、どこか空気が重たい。ほとんどの生徒が何も喋らず、沈黙を保っている。

 折角の帰省が最後の最後で台無しになったからか。任務でもないのに『ES寄生体』が襲ってきた現状を憂いているのか。他に何か理由があるのか。博孝にはわからなかったが、それでも即座に場の空気を読み取り、満面の笑みを浮かべて右手を上げる。


「やぁやぁ、明けましておめでとう。ん? どうしたんだ? もしかして、一年ぶりに帰省したらいつのまにか叔父さん叔母さんになってて、甥や姪にお年玉を渡す羽目になったのかな? 漢字で書くと問題ないのに、“おじさん”や“おばさん”って呼ばれるとショックだよな!」


 とりあえず、思いつくままに口を滑らせる博孝。しかし、数人が反応しただけで返事はない。思ったよりもリアクションがないことに焦った博孝は、咄嗟に恭介に視線を向けた。


「よし恭介、今から五秒で漫才のネタを考えてくれ! 御題は正月で……あだっ!?」


 無茶振りをしようとした博孝だが、砂原の拳骨を受けて倒れ伏す。そんな博孝を見た砂原はため息を吐くと、口を開いて低い声を吐き出した。


「いいから席に座れ」

「……了解であります、教官殿」


 頭をさすりつつ立ち上がり、博孝は敬礼をする。僅かに意識を向けてみるものの、相変わらずクラスメートの反応が鈍かった。


『教官、みんなは最初からこんな感じなんですか?』


 第一小隊が並んで座るバスの最後部座席に向かいつつ、博孝は『通話』で尋ねる。いくら『ES寄生体』が襲ってきたとはいえ、静かすぎるのではないか。そう思った博孝だが、砂原から返ってきたのはため息だった。


『お前は鋭いのか鈍いのかわからんな……原因というわけではないが、長谷川の態度がおかしいからだろう』


 そう言われて沙織に視線を向ける博孝。沙織は腕を組んで目を瞑っており、博孝からすれば異常があるようには思えない。


『今回の戦いについてだが、メディア関係には情報規制を行っているが、民間人の間で噂話程度には広がっているようだ。生徒もそれを知っているのだろう……お前とは違い、上空で戦えば人目につくからな』


 少しばかり硬い口調で砂原が言い、それを聞いた博孝は納得したように頷くた。最初は博孝が『飛行』を発現して戦っていたが、最後には地上に下りていた。沙織はその逆であり、最初は地上で戦っていたものの独自技能保持者と戦う――とどめを刺す際には上空にいたのだ。それが人目につき、噂話が流れてもおかしくはない。


『それと……お前の左腕については注意を促しておく必要もある』


 博孝がバスの最後部座席に座ると同時にバスが動き出し、それと同時に砂原が生徒達へと向き直る。


「今回の件については、諸君らも思うところがあるだろう。だが、防衛部隊も通常の任務に戻ることが決定している」


 砂原が最初に口にしたのは、第二指定都市の防備についてだった。人面樹の捜索任務があったとはいえ、通常時に比べて手薄だった第二指定都市。今回はその隙を突くようにして鳥型『ES寄生体』が襲来したが、さすがに同じことを繰り返すわけにはいかない。

 人面樹の捜索は続くものの、民間人が住まう地域の防衛を優先することにしたのだ。これは防備が厚い第二指定都市が襲撃を受けたことに対し、不安を訴える世論に押されて決定した側面がある。

 防衛を優先しつつ、各任務の体制を一時的に見直して余剰戦力を抽出。その戦力を以って全国各地の調査を行うこととなっていた。

 それらの事情を軽く説明した砂原は、最後に博孝へ視線を向ける。


「それと、河原崎についてだが……先日の戦いにより、左腕を負傷している。日常生活についてはそれほど問題ないが、訓練の際には不自由もあるだろう。諸君らもその点を留意しておけ」


 砂原がそう言うと、生徒達のほとんどが博孝へ視線を集中させた。視線が集中した博孝は、物は試しと左腕を持ち上げようとする。しかし、左腕はゆっくりとしか上がらず――無理をするなと言わんばかりに沙織が博孝の左腕を掴んで下げさせた。


「……見ての通りよ。博孝はわたし達を“庇って”負傷したわ。みんなも、少しで良いから気にしてあげてちょうだい」


 それまで沈黙していた沙織が、訴えかけるように言う。博孝の左腕を握る沙織の手は僅かに震えており、一体何があったのかと何人かの生徒が首を傾げた。


「……沙織?」


 首を傾げたのは、博孝も同じである。沙織の発言自体は嬉しいが、まさか沙織がそこまで博孝に気を遣ったことを言うとは思わなかったのだ。沙織は博孝の声に何も言わず、ただ静かに、博孝の左腕を服越しに撫でる。

 その視線に含まれていた感情は、一体何なのか。さすがの博孝も一目では看破できず、困惑の感情を覚えた。周囲の生徒達も尋常ではない空気を察したのか、博孝達から視線を外して前を向く。沙織は博孝の左腕から手を離すと、当初と同じように沈黙した。


『……ねえ、博孝君』


 何か声をかけるべきかと悩んでいた博孝だが、今度は里香から『通話』で声が届く。わざわざ『通話』を使ったのは、沙織の状態に配慮したからか、それとも口にするのも憚られる内容なのか。


『里香? どうした?』


 沙織への対応を保留した博孝は、椅子に背を預けながら里香に応対する。里香は博孝の右隣に座っており、視線を合わせたわけではなかったが、どこか窺うような気配を感じた。


『その、こういうことを聞いて良いのか迷ったんだけど……博孝君の怪我って、どういう風に治ったの?』

『俺の怪我の治療法? ああ……里香は支援型だもんな』


 里香と顔を合わせるのは、第二都市の防衛戦以降初めてだ。どんな話題を振れば良いかと迷っていた博孝としては、里香から振られた話題は有り難い。


『三級特殊技能の『修復』で千切れた腕をつないでもらったんだ……といっても、その時は気を失っていたから話でしか聞いてないんだけどね』

『三級特殊技能……』


 意識がない状態で行われた治療のため、博孝としては伝聞の情報を教えるしかない。それでも参考になればと思った博孝だが、里香から返ってきたのはどこか暗い声だった。


『どうかしたか?』


 故に、博孝はすぐに声をかける。何か気になる点があるのか、聞きたいことがあるのかと、里香から話を引き出そうとした。


『……ううん。なんでもないよ』


 だが、里香から返ってきたのはそんな言葉である。その声が落ち込んで聞こえた博孝は、思わず視線を宙に彷徨わせた。


(なんだ? 里香は何を聞きたかったんだ?)


 里香は控えめな気性をしているが、聞くべきことは聞き、言うべきことは言う。そんな里香が言葉を濁したことに違和感を覚えた博孝だが、明らかに踏み込むべき空気ではない。普段ならば躊躇なく踏み込むこともあるが、“今は”踏み込まない方が良いと博孝は感じた。

 結果として、博孝は両隣を沈黙した沙織と里香に挟まれて訓練校へ戻ることとなる。バスでの移動がここまで苦痛に感じたのは初めてだと、博孝は現実から逃げるように心中で呟くのだった。








 訓練校に戻った博孝達だが、すぐに授業や訓練が元通り行われるわけではない。生徒達を訓練校に送り届けた砂原が、今回の件に関する調査や報告のため東京へ向かうからだ。

 そのため、午前の授業を校長である大場が引き継いで一般科目を重点的に教え、午後からは自主訓練を行うこととなる。さすがに監督者がいないのは問題になるため、訓練校の防衛に当たっている『ES能力者』が監督を行うこととなった。

 博孝達第七十一期訓練生は、砂原がいないからといって羽目を外すような真似はしない。その程度で統制を乱していては、後々砂原による有り難い“指導”を受けることになるだろう。粛々と授業を受け、自主訓練を行う程度には“教育”が行き届いている。

 砂原もそれは理解しているが、本音では報告に行くのは後にしたい。第二指定都市が襲撃された一件については、砂原としても報告すべき点が多くある。そのため普段のように日帰りとはいかず、数日拘束される見通しだからだ。

 東京に向かう砂原を見送った生徒達は、自分達の教官が非常に不機嫌であると感じ取る。砂原からすれば報告よりも自身の教え子――特に、精神的な不調を抱えているであろう沙織の面倒を見たかった。博孝とて、何があるかわからない。

 博孝は自分の体調や精神状態を確認し、ハリドの時のような不調は感じないと砂原に報告した。しかし、自分が気付かないだけで何かがあるかもしれない。他の生徒についても、帰省の最中に襲撃を受けたショックを癒す必要があった。

 だが、今回の一件は報告しないわけにもいかない。あまりにも重要なことが多く、電話やメールでは漏えいが懸念されるため、直接報告する必要があるのだ。源次郎だけでなく、“上”からも召喚されている点が厄介だった。

 それでも砂原は、生徒の精神状態を勘案して報告を数日待ってほしいと上申した。教官である自分が、今生徒の傍を離れるわけにはいかないと上申したのだ。

 そんな砂原に対し、“上”はすぐに報告を行うよう厳命してくる。そのため砂原は非常に不機嫌になりながら、渋々東京へ向かうこととなった。沙織を除いた第一小隊の全員に対し、沙織に異変があれば即座に連絡するよう厳命した上でだ。


「教官が爆発しないと良いっすねぇ……」

「町田少佐が今の教官を見たら、即座に逃げ出すかもな……」


 『飛行』を発現して飛び立った砂原を見て、博孝と恭介は遠くを見るように目を細めながら言葉を交わす。普段は感情を表に出さない砂原が、生徒全員にわかるほど怒りの感情を発露していたのだ。

 生徒の中には、砂原がそこまで自分達のことを気にかけてくれているのだと感激し、落ち込んだ空気を吹き飛ばす者もいた。主に、一部の女子生徒達に見られた現象である。男子生徒の一部には、砂原の怒気に当てられたことで普段の“指導”を思い出し、“正気”に返った者もいたが。

 砂原が去ったことにより、生徒達は解散する。第二指定都市から戻ったばかりであり、さすがにこの日は休日になっているのだ。それぞれが自室へと向かう中、第一小隊のメンバーは集合して顔を突き合わせる。


「それで、今日はこれで解散っすか?」

「そうだな……戦いがあったばかりだし、休みたいなら休んだ方が良いだろ。俺は左腕のこともあるし、部屋に荷物を置いてから体を動かそうと思ってるけど」

「そこは休むべきところじゃないかな?」

「どんだけストイックなんすか……」


 左腕の不調が戦闘にどれだけの影響を及ぼすか、今のうちに確かめておきたい。そう告げる博孝に対し、里香は困ったように、恭介は呆れたように指摘した。


「左腕はそんなに使わないって。当面は射撃系の技能を磨きたいところだし、体を動かす上でどれだけの不便さがあるかを確認するだけさ。それで……沙織はどうする?」


 普段通りの態度で尋ねる博孝だが、その問いを受けた沙織は何かを考え込むように視線を逸らす。そして僅かな間を置いてから首を横に振った。


「……わたしは部屋に戻るわ。色々と、考えたいこともあるから」

「そっか……みらいは?」


 沙織が自主訓練も行わずに部屋に戻ると聞き、博孝は内心は驚きつつも頷く。そのままみらいに話を振ってみると、みらいは博孝と沙織の顔を交互に見比べ、最後には沙織の腕を小さな手で握った。


「さおりといっしょにいる」


 博孝ではなく沙織と共にいることを選ぶみらい。それはおそらく、沙織の変調を気にしているのだろう。気を遣ったのか、純粋な心配かはわからないが、みらいの言葉に博孝は破顔する。


「わかったよ。沙織、考え事をするって聞いたあとに頼むのは申し訳ないんだけど、みらいが一緒でも良いか?」

「……構わないわ。みらいなら、わたしの部屋で騒ぐこともないでしょうし」


 特に反対することもなく、みらいに腕を引かれる沙織。話がこれで終わりだと告げると、沙織とみらいは連れ立って女子寮へと歩き出す。里香もそれに続こうとしたが、それは博孝が止めた。


「ああ、里香。悪いんだけど、少しばかり時間をくれないか。沙織について話しておきたいんだ」

「沙織ちゃんについて?」


 里香は里香で何かしら抱え込んでいるように見えた博孝だが、今は沙織の精神状態の方が気になる。そのため里香を引き留め、第二指定都市で起こった戦いの顛末について語った。里香は第一小隊の仲間であり、沙織の変調については説明する必要がある。

 さすがに伏せるべき部分は伏せるが、交戦した際に沙織が敵を殺めたことだけはきちんと伝えた。

 沙織も博孝自身と同じように、精神的肉体的な不調に陥っている可能性があること。もしも何か見かけたら、すぐに教えてほしいこと。博孝はそれらを頼み込む。

 話を聞いた里香は、内容を理解して頷いた。


「そんなことがあったんだね……うん、わたしの方でも注意するよ」

「頼む。これは悪い意味じゃないんだが、俺の時は恭介がいたから周囲が気付いた。同性の里香なら、俺達でも気付けない部分で気付けるからな」

「さすがに博孝だと、女子トイレに突入するわけにはいかないっすよね」


 自分が博孝の不調に気付いた切っ掛けを思い出し、恭介が場の空気を軽くするように言う。それを聞いた博孝は、大仰に肩を竦めてみせた。


「俺が女子トイレに侵入してみろ。教官の“指導”よりも恐ろしい目に遭わされるぞ。そんな目に遭うぐらいなら、『ES寄生体』の発生確率が高い地域に一人で突撃した方がマシだ……まあ、緊急事態なら突入しても仕方ないよねって冗談ですから重心を変えないでください里香さん」


 冗談を口にしていた博孝だが、後半で里香が僅かに前傾姿勢になったため、即座に冗談を切り上げる。下段蹴りが飛んでくるのではないかと思うだけで、博孝は白旗を掲げてしまうのだ。もっとも、本当に緊急事態の場合は、周囲の批判を気にせず躊躇なく踏み込むつもりだが。


「じょ、冗談はこれぐらいにして、異性の俺や恭介だと目が届かない部分があるからな。みらいも気を遣っているみたいだけど、やっぱりこういう場合は里香が頼りだ」


 何気ないように言う博孝だが、里香は僅かに目を見開く。何かの意図があったのか、それとも何も考えていないのか、博孝の言葉は里香の“目標”にも沿うものだ。

 博孝が体調を崩した時、里香は『ES能力者』の精神も癒せるようになりたいと思った。治療系のES能力は未熟でも、人の精神を癒すのに重要なものは言葉である。周囲との“差”に気を取られていた里香だが、大切なことは“一つ”ではない。


「……うん。頑張るね」


 さすがに胸を張って全てを任せろとは言えないが、それでもできる限りのことをしようと里香は思った。沙織は第一小隊の仲間であり、大切な友人である。正式に精神的なケアの手法について学んだわけではないが、できることはあるだろう。


「さて、それじゃあ当面はそういう感じで。さっきは聞かなかったけど、二人はこれからどうする?」


 砂原が戻ってくるまでにできるのは、沙織の状態や行動に気を配ることぐらいだ。博孝としてはあとで声をかけてみるつもりだが、今は沙織が言ったように、“考え事”に集中させるべきだろう。みらいは性格的に今の状態の沙織と騒ぐはずもないが、ネガティブな思考に陥ろうとすればそれを阻止する癒しとなる。


(まあ、病院では食事を取っていたし、寝たふりの可能性もあるけど横になって眠ってもいた。俺の時みたいにはならないと思うけどな……)


 博孝と沙織の違いがあるとすれば、元々の覚悟の差と相手を殺める際の手段だろう。博孝が最大の攻撃力を発揮するのは、『構成力』を集めて直接叩き込む打撃技だ。それに対して、沙織は『無銘』を使っている。

 状況も、殺めた際の手応えも、博孝と沙織では異なるだろう。博孝は今回三人の『ES能力者』を殺めた右手を持ち上げ、掌を見ながら二度三度と開閉する。


「あの……博孝君は大丈夫なの?」


 視線を鋭くし、右手を見つめる博孝に対して里香が声をかけた。沙織の状態も気になるが、博孝には“前科”がある。今回も隠しているのではと疑う里香だが、その問いを受けた博孝は苦笑しながら頷いた。


「今のところは問題ないよ。病院でもしっかりとメシを食ったし、眠れてもいるから」


 “前回”はやせ我慢をしたが、今回は本当に何もない。さすがに気分が多少落ち込みはしたが、それも笑顔で隠せる程度だ。食べた物を“戻す”こともなく、寝付くまで時間がかかるものの睡眠も取れている。


「そうなんだ……うん、良かった」


 博孝の言葉と表情から、嘘はないと判断したのだろう。里香は胸に手を当て、安堵したように息を吐き出す。それを見た博孝は、口の端を吊り上げてニヤリと笑った。


「あ、また料理を作ってくれるなら大歓迎ですよ? 喜んで、それこそ歓喜の涙を流しながら食べますとも!」


 少しばかりのからかいと、大部分の本音を混ぜて言い放つ博孝。里香のリアクションを期待しての言葉だったが、その期待は裏切られることとなる。


「ごめんね、博孝君。少しやりたいことがあるから」

「……あ、はい。わかりました」


 まさかあっさりと、顔色を変えることもなく断られるとは思わなかったため、博孝は素で敬語を話す。


「やりたいことって、博孝じゃなくて沙織っちに対して料理を作るとかっすか?」


 里香の反応を訝しく思ったのは博孝だけではなく、恭介が疑問の声を上げる。普段の里香ならば、博孝の言葉に対して慌てるなり顔を赤くするなりしているだろう。さすがの里香も博孝の冗談に慣れたのかと思ったが、恭介は僅かに違和感を覚えた。


「……ううん。“個人的”なことを、ちょっと……」


 里香は目を伏せ、それ以上の追及を避けるように言う。そんな里香の様子に、博孝が覚えた違和感は恭介以上だ。


(やりたいこと、ねぇ……)


 里香の言葉を反芻し、博孝は内心だけで首を傾げる。里香の口振りから判断するに、本当に沙織に食事を作るのが目的ではないようだ。しかし、そうなると里香が何をしようとしているのかがわからない。


(個人的にって言っている以上、プライベートの話だよな。これ以上尋ねるのは……)


 個人的に、と言われた以上、博孝としても容易には踏み込めなかった。そのため、軽く触れるに留める。


「俺にできることがあったら手伝うから、困ったことがあったら言ってくれよ?」

「その時は俺も手伝うっすよ!」

「……うん。ありがとう」


 博孝と恭介の言葉に、里香は小さく微笑んだ。その微笑みに少しばかり陰りを感じた博孝だが、里香の態度から今は踏み込むべきではないと思うのだった。








 翌日、博孝は大場による午前の授業と、訓練校の防衛部隊に所属する『ES能力者』が監督する午後の自主訓練を終え、そのまま継続して夜中まで自主訓練を行っていた。

 宇喜多によれば一ヶ月もすれば左腕が完治するらしいが、それまで訓練を怠るわけにもいかない。そのため左腕を使用しない体捌きや射撃系ES能力の訓練を重点的に行い、自分の体の調子を確かめていた。


「ふむふむ……まあ、こんなもんか」


 左腕が自由に動かないことで、時折バランスが崩れる。それを見越した動き方を昨日今日と二日間かけて体に覚え込ませ、納得したように博孝は頷いた。元々の動き方と差異があるため違和感を覚えるが、徐々に治ることを考えれば今後整合性を取ることは十分に可能だろう。


「ぜぇ……ぜぇ……さ、さすがにしんどいっすね。今夜はこれぐらいにするっすか……」

「おう、サンキュー恭介。助かったよ」


 博孝の自主訓練に付き合ったのは恭介だった。恭介も色々と“思うところ”があったのか、射撃系ES能力の訓練も並行して行う博孝に付き合ったのだ。具体的に言うと、的の役割である。

 防御型の『ES能力者』である恭介に求められるのは、第一に防御力だ。そのため『射撃』で光弾をばら撒く博孝を相手に、回避と防御を行っていた。

 その場からほとんど動かずに光弾を放つ博孝と、『防殻』や『盾』、時には『防壁』や『瞬速』を発現しながら博孝に接近する恭介。その役割の違いから、体力と『構成力』を大きく消耗した恭介は息も絶え絶えといった様子だった。


「なんか、博孝の『射撃』の威力が上がっているし、避けにくくなってたっすよ。何かあったんすか?」


 息を整えた恭介は、汗を拭いながら尋ねる。その問いを受けた博孝は、顎に手を当てながら首を傾げた。


「今のところ試行錯誤の段階だけど、鳥型『ES寄生体』に対する教官の攻撃を見てちょっとなぁ……速く正確に、それでいて相手を撃破するのに最低限必要な『構成力』の運用を身に付けたいと思って。でも、やっぱり難しいわ。習得するには長い時間がかかりそうだ」

「ああ……アレはすごかったっすからねぇ」


 恭介も砂原が鳥型『ES寄生体』を大量に撃墜したのは目撃しており、納得したように頷く。熟練の技というべきか、砂原の射撃系ES能力の腕前は非常に優れている。それこそ、遠距離戦を得意とする攻撃型『ES能力者』でも勝つのは容易ではないほどだ。

 それに加えて、砂原には『収束』がある。遠近の攻撃だけでなく、防御や支援系の技能も習得しているとなれば、付け入る隙はほとんどないだろう。勝てるとすれば、非現実的だが総合力で上回るか、何か“一点”で勝るしかない。だが、砂原の『収束』は生半可な独自技能よりも優れている。


「まあ、上を見れば限りがないか……とりあえず左腕の違和感にも慣れてきたし、当面は射撃系のES能力を磨かないとな。次は『砲撃』でも覚えようか……」

「博孝の場合は光弾をばら撒いて、隙を突いた接近戦の方が向いてるんじゃないっすか?」

「それもアリなんだけど、接近戦だと『構成力』を集中させて叩き込むぐらいしかできないのがな」


 顔を突き合わせ、ああでもないこうでもないと意見を交わす。それでも数分ほど話し込んでいると、恭介は疲れを解すように体を脱力させた。


「さすがに『構成力』を使い過ぎたんで、今日は部屋に戻るっすよ。博孝はどうするっすか?」

「俺はもうちょっと訓練を続けるよ。“一人”だとできることも限られているけどな」


 そう言って、博孝は苦いものを噛んだように眉を寄せる。博孝の言葉通り、恭介が去ればこの場に残るのは博孝だけだ。

 沙織は午後の自主訓練が終わると、そのまま部屋に引き上げていった。里香とみらいはそんな沙織が心配だったため、付き添っている。博孝と恭介も沙織のことが気になったが、さすがに女子寮についていくのは気が引けたのだ。

 何かと気にかけた博孝だが、沙織はきちんと食事も取っている。普段に比べれば口数が少なく、何かを考え込んでいるようだが、“以前”の博孝に比べれば十分落ち着いているように思えた。


「それじゃあ、無理は禁物っすよ?」

「おうともさ。もう少し体を動かしたら俺も休むよ」


 時刻は既に丑三つ時となっており、さすがの博孝ももう少しだけ体を動かしたら休もうと思った。他の生徒達は半数ほどが放課後の自主訓練を行っていたが、深夜まで行っていたのは博孝と恭介だけである。第二指定都市でのショックが抜けていない者も多く、早々に部屋で休んでいるのだろう。

 男子寮に引き上げる恭介を見送り、三十分ほど体を動かしてから整理運動を行う。『ES能力者』は準備運動や整理運動を行わずとも影響はないが、博孝は重傷から治ったばかりである。そのため、念には念を入れて体を解す。


「さて……このまま戻るか、どうするか……」


 そう言いつつ、博孝が視線を向けたのは女子寮である。正確に言えば沙織の部屋に視線を向け、少しばかり考え込んだ。


(さすがに寝ているよな? いや、眠れてない可能性もあるけど……)


 事件以降、沙織とは最低限の会話しかできていない。博孝や恭介がボケてもほとんど反応せず、会話を行う時は淡々としていた。それでいて時折博孝の左腕に視線を向けており、博孝としてはどう対応すれば良いかと迷うほどである。


「むぅ……ちょっとだけ様子を見に行くか」


 『探知』や『通話』を使って確認しても良いが、『通話』はともかく『探知』は範囲内の『構成力』を無差別に読み取る。他の女子生徒がいる手前、気付かれないと思っていても『探知』は使えない。『通話』についても、沙織が寝ていれば起こすことになるだろう。

 そのため、博孝は正面から突撃した。女子寮の玄関を潜り、談話室に誰もいないことを確認し、抜き足差し足で沙織の部屋へと向かう。

 男子寮と女子寮については、規則上は互いに足を踏み入れて問題がない。それでも住み分けている以上、男子が足を踏み入れれば女子達から集中砲火を食らう。それが故に、博孝は周囲に気を配りながら歩を進めた。


(……あれ? 今の俺って、まるっきり不審者じゃね?)


 周囲の気配を探りつつ、泥棒のように進んでいく自分。それを客観的に見て、博孝は軽い自己嫌悪に陥る。それでも、これも沙織のためだと自己弁護し、博孝は沙織の部屋の前に立った。

 『通話』を使わなかったというのに、呼び鈴を鳴らすわけにもいかない。そのため、博孝はES能力を使わずに気配を探るだけに留めた。ついでにドアを小さく、軽くノックする。いくら沙織が鋭くとも、寝ていれば気付かないほどの小さい音でのノックだ。


「……ん?」


 しかし、部屋の中で僅かに気配が揺らいだのを博孝は感じる。一瞬気のせいかと思った博孝だが、ここまで近づけば『探知』を使わずとも『構成力』を探ることができた。


(……起きてるな)


 部屋の中に存在する『構成力』は一つ。女子寮の部屋に入ったことがないため確証はないが、自分の部屋と間取りや家具の配置が同じならば、沙織はベッドで眠っていないと博孝は判断した。沙織がいるのは部屋の中央付近で、ベッドがある場所ではないのだ。


『沙織? 起きているのか?』


 僅かに迷った博孝だが、そのまま放置することもできず『通話』で声をかける。すると、その返答は即座にあった。


『……博孝? こんな時間にどうしたの?』

『いや、沙織のことが気になってね……』

『部屋の扉から小さな音がしたけど、博孝だったのね?』


 誤魔化すように言う博孝だが、沙織からは得心がいったような声が返ってくる。ここまでくれば誤魔化すわけにもいかず、博孝は誰にも見られていないというのに頷いた。


『ああ……眠れないのか?』

『……そう、ね。考え事をしていたら眠れないのよ』


 沙織の声は淡々としており、感情の色が見えない。博孝は困ったように頬を掻き、思わず沈黙してしまう。


『でも……うん。ねえ、博孝』

『ん? なんだ?』


 言葉を切った博孝に対し、沙織は何かを決意したように声をかけた。その声に問い返す博孝だが、沙織はすぐには答えない。僅かな間を置いてから、博孝に言う。


『時間があるのなら……少し、話ができないかしら?』

『俺は別に構わないけど……』

『そう。それなら部屋に入ってきて。鍵はかけてないわ』


 深く考えずに答えた博孝だが、沙織はそのまま部屋に入れと言う。思わず思考を停止させた博孝だが、試しにドアノブを捻ってみると、本当に扉が開いてしまった。


「おいおい……女の子が不用心だぞ?」


 扉を開けつつ、博孝が呟く。いくら『ES能力者』が住む寮と云えど、不用心に過ぎるだろう。その声が聞こえたのか、部屋の奥から沙織の声が返ってくる。


「みらいが入ってくるかもしれないのよ。今日は部屋で眠ったみたいだけどね」

「それは妹が迷惑をかけて……沙織?」


 話をしたいという沙織の要望に応え、靴を脱いで部屋に上がる博孝。しかし、部屋は電気がついておらず、真っ暗だ。月明かりによって多少視界が利くが、『ES能力者』である博孝でも電気の付いた廊下から入ったばかりでは目を凝らさずにはいられない。

 沙織の口調から、それほど落ち込んでいないのかと博孝は思った。だが、その考えが間違っていたことに博孝はすぐに気付く。



 ――部屋の中には、膝を抱えて座る沙織の姿があったのだから。













どうも、作者の池崎数也です。

5件目のレビューをいただきまして、ありがとうございました。

砂原について触れられていないレビューを見て、何故か感動したのは内緒です。


それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。

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