第百十三話:二年目の帰省 その6 葛藤
時を僅かに遡る。
突如博孝が敵性の『ES能力者』に襲われ、引き離されたのを見て、沙織は咄嗟に博孝を追いかけようとした。直進だけならば、という条件がつくが、沙織も『飛行』を発現して空を飛ぶことができる。
押されるようにして距離が離れていく博孝にも、追いつこうと思えば追いつけるだろう。その気になれば、『盾』を足場にして『瞬速』で空を“駆けて”も良い。
『沙織達は正規部隊員に連絡を入れて下の奴らを!』
そんなことを考えた沙織だが、遠ざかる博孝からそんな声が届いた。その“指示”を聞いた沙織は、博孝を追うことを止めて意識を眼下へ移す。昔ならいざ知らず、今の沙織にとって博孝の指示は絶対だ。正当なものならば、拒否するつもりは微塵もない。
本当に危険だというのなら、博孝も助けを求めただろう。あるいは、地上の敵性『ES能力者』の存在を危惧したのか。
「博孝の指示通り、正規部隊員に連絡を入れるわ。その間にわたし達は移動して、相手の足止めが可能な位置に陣取りましょう」
そう言いつつ、沙織は携帯電話のトランシーバー機能を使う。正規部隊員の電話番号は知らないが、トランシーバー機能を使えば付近の『ES能力者』に連絡を取ることができる。
『こちら第七十一期訓練生、第一小隊の小隊員、長谷川沙織です。現在砂原教官の指示のもと、上空の警戒に当たっています。民間人の避難誘導に当たられている正規部隊員の方、応答願います』
恭介とみらいにハンドサインを送って移動を指示しつつ、沙織は正規部隊員へ応答を求める。すると、その返答は即座にあった。
『砂原軍曹から話は聞いている。長谷川訓練生、何かあったか?』
『敵性の『ES能力者』と思わしき者が三名、避難中の民間人がいる方向へと接近中。我々が足止めをいたしますので、応援の人員を派遣していただけますか?』
『……なんだと? 少し待て』
沙織の報告を聞き、僅かな間通信が途絶える。しかし、十秒もせずに通話が再開された。
『君達の姿はこちらから目視できるが、避難誘導に当たっている『ES能力者』が多い。敵の『構成力』の位置がわからん。本当に足止めが可能なのか? それと、君達も三人のようだが、もう一人はどうした?』
砂原から訓練生の一個小隊が上空で警戒しているというのは聞いていた。最初は冗談かと思ったのだが、目を向けてみれば確かに、『構成力』を発現した年少の者達が空に浮いているのがわかる。
いくら砂原が迎撃の参加許可を出した『ES能力者』とはいえ、沙織達は訓練生だ。敵性の『ES能力者』と戦わせるのはどうか、と思うぐらいにはその陸戦部隊員は常識的だった。
『河原崎小隊長は単独で向かってきた敵の空戦『ES能力者』と交戦中です。足止めについてですが、相手が陸戦ならば十分に可能かと』
しかし、返ってきた言葉に驚愕するしかない。既に博孝は空中で敵とぶつかり合っており、沙織達も陸戦が相手ならば問題はないという。訓練生が『飛行』を発現していることといい、敵性の『ES能力者』と戦っていることといい、最近の訓練生は用意された訓練課程が余程厳しいのかと思考が逸れそうになった。
『……了解した。まずは足止めを頼む。こちらも民間人の避難を急がせるが、他にも敵がいないとも限らん。君達の救援へ向かうのには、少し時間がかかるが……』
空戦部隊員へ要請を行いたいところだが、砂原を筆頭として鳥型『ES寄生体』の対処に追われている。陸戦部隊員達は街の外に対する警戒と、可能ならば対空迎撃を行う。手の空いた者が訓練生を指揮して民間人の誘導を行っているが、これに敵性『ES能力者』への警戒まで加わると、沙織達への応援を差し向けることができるのはいつになるか。
『了解いたしました。足止めに徹しますが、場合によってはこちらで対処します』
応援の人員がどれほどの時間で駆けつけるかわからないというのに、沙織の声に揺らぎはなかった。その声を聞いた陸戦部隊員は、最近の訓練生はどんな訓練を受けているのかと再度思考しつつ、沙織の声に押されて頷くのだった。
「わたし達で足止めを行うわ。場合によってはそのまま“倒す”ことになるから」
共に空を翔ける恭介とみらいに対し、沙織は淡々と告げる。その言葉を聞いた恭介は表情を強張らせ、みらいは何も答えなかった。
「……了解っすよ。博孝がいないのは少し不安っすけど、俺は防御型の『ES能力者』として沙織っちとみらいちゃんを守り抜くっす」
拳を固めながらそう言って、恭介は博孝がいるであろう方向へ視線を向けた。時折轟音が聞こえてくるが、それは博孝のものなのか、それとも砂原のものなのか。『探知』や『通話』などの支援系ES能力が扱えないため、それは知る由もない。
「……へんなの。よんでる?」
恭介が自身を奮い立たせる中、みらいがぽつりと呟いた。その呟きを聞き、沙織が首を傾げる。
「さっきもそんなことを言ってたわね。『へんなの』っていうのは?」
「……へんなのはへんなの」
謎かけのような返答され、さすがの沙織も口を噤んだ。頭脳労働は博孝か里香の仕事だ。その二人がいない以上は、実力と適性的に沙織が指揮を執る必要がある。
「博孝は仕方ないとしても、里香がいないのは痛いわね……足止めについてだけど、恭介、アンタが弾幕を張りなさい。建物に当てるんじゃないわよ?」
「げっ、俺っすか……てか、沙織っちは攻撃型じゃないっすか。俺、射撃系は得意じゃないっすよ?」
「わたしもよ。威力はともかく、狙いが曖昧になるの。その点で言えば、恭介なら威力はともかく狙いはそれなりに正確でしょ?」
“敵”に接近しつつ、沙織と恭介はそんな言葉を交わした。第一小隊において最も射撃系のES能力に長けているのは、博孝だ。『射撃』で光弾を弾幕のようにばら撒くこともできれば、『狙撃』で威力と正確性を求めた攻撃もできる。次点は里香だが、支援系『ES能力者』のため狙いの精度はともかく威力に乏しい。それでも牽制としては有効だ。
攻撃型の『ES能力者』でありながら、沙織の適性は近接戦闘向きだ。『射撃』を発現することは可能だが、遠距離攻撃を博孝に任せていたため、それほど技量を磨いていない。威力はあるが、正確性という点では恭介の方が上だった。みらいについては、実戦で使用できるほど『射撃』に長けていない。
沙織も恭介もみらいも、言うなれば近接戦闘型の『ES能力者』だ。足止めをすると言ったものの、足止めに向いたES能力を習熟していない。
これは今後の課題だ、などと考えつつ、沙織は恭介を促す。恭介は嫌そうな顔をしたものの、『射撃』を発現すべく足を止めた。『飛行』を発現しながらでは他のES能力が使えないのだ。
しかし、状況は変化する。一度動きを止めた沙織達に対して、敵性の『ES能力者』の方から仕掛けてきたのだ。光弾を十個ほど発現し、空中に浮いている沙織達へ向かって発射。それを見た沙織は、即座に指示を出す。
「『射撃』は中止! 近接格闘戦用意!」
そう叫びつつ『飛行』の発現を中断し、『防殻』を発現しながら腰の『無銘』を抜刀する。自分達に向かって飛来する光弾を切り裂き、地上の敵性『ES能力者』のもとへと降り立った。恭介も『飛行』の発現を中断すると、みらいを守るために『防壁』を発現し、敵の光弾を防御する。そして沙織を追って地上へ下り、敵性『ES能力者』達と対峙した。
敵の数は三人。発現している『防殻』の『構成力』から判断するならば、同格かやや格下という程度だ。それでも『ES能力者』との戦闘に絶対はない。恭介は気を引き締め、沙織やみらいと共に男達と対峙する。
沙織達が降りた場所は、片側二車線の道路だ。男達は空から下りてきた沙織達を見て、足を止めている。それぞれが『防殻』を発現しており、通せんぼをするように立ちふさがった沙織達に無機質な視線を向けた。
三人は似たような顔立ちであり、背格好もほとんど一緒だ。髪は黒色であり、それほど印象に残らない顔立ちと相まって個性が見受けられない。服装も地味なものであり、人込みに紛れれば気にも留めないだろう。
「アンタ達……」
そんな男達に対して、沙織が声をかける。優先すべきは足止めであり、なるべく戦闘は避けるべきだ。そう考えたものの、沙織は博孝のように相手の気勢を削ぐ会話はできない。あるいは口舌を尽くして相手の目的や情報を引き出すべきだが、そんな器用な会話はできなかった。
そのため、『無銘』を突きつけて覇気のある顔立ちで言う。
「回れ右をしてこの街から出ていきなさい。さもなければ――斬るわ」
「初っ端っから挑発してどうするんすか!?」
沙織らしいといえばらしいのだが、状況的に良くはない。そのため恭介がツッコミの声を上げ、沙織を黙らせてから男達に視線を向ける。
「どこのどちらさんっすか? 新年早々に押しかけられても迷惑なだけっすよ? 訪問詐欺だって、もう少し時期を考えるものっす」
恭介の言葉に対し、男達は何も答えなかった。感情の見えない、ガラス玉のような目を沙織達に向けるだけである。
「…………」
そして、男達は無言のままで視線を動かす。その視線の先にいたのは、みらいだ。みらいは男達の視線を受け、不機嫌そうに唇を尖らせた。
「……なに?」
嫌悪感が滲んだ声。その声を聞いた恭介は、僅かに驚く。みらいは感情の動きが少ないが、それでも最近は喜怒哀楽をはっきりと出すようになってきた。そんなみらいだが、基本的に他人に対して嫌悪を向けることはない。その辺りは兄である博孝に似ており、最初から嫌悪感を剥き出しにするみらいは恭介としても初めて見るものだ。
「乙、ヒトマルフタヨン号……」
みらいに視線を向けていた三人の内、一人が呟く。その言葉が意味するものは、『乙1024号』――つまりは、みらいの“本当”の名前だ。その言葉を聞いたみらいは、嫌悪感を色濃いものにする。
「ちがう……わたしはみらい。かわらざきみらい。おにぃちゃんのいもうと」
その名で呼ぶなと言わんばかりの態度だが、男達はみらいの返答を聞いて表情を変えた。それまでの表情が嘘だったように、口の端を吊り上げて歪な笑みを浮かべる。
「乙ヒロマルフタヨンごおおおおおおおおおぉぉっ!」
「あああああああああぁぁぁっ!」
みらいに対し、不意を打つようにして男達が飛びかかった。その動きは素早く、並の訓練生を凌駕しているだろう。飛びかかられたみらいは、突然の行動に身を竦ませる。
「おいおい、みらいちゃんに手を出すとか」
「そんな真似、許すわけないでしょう」
だが、この場にいたのは“並”の訓練生ではない。『無銘』を右手に持ち、左手に『武器化』で発現した大太刀を構えた沙織。そして、拳を構えた恭介が三人を迎撃する。
飛びかかった男達のうち二人を沙織が迎え撃ち、残った一人は恭介が迎え撃つ。男達の動きはたしかに素早いが、それだけだ。『ES能力者』としての身体能力に頼ったものであり、沙織達のように上位者に鍛えられたものではない。
情報収集のためには殺すわけにもいかず、沙織は『無銘』も大太刀も峰を返し、男達を殴りつける。本来、刀というものは峰打ちをすると簡単に折れることがある。しかし、沙織が持っているのは柳が鍛えた『無銘』に、『構成力』の塊で生み出した大太刀だ。まるで金属バットで殴ったかのように、男達に痛打を与える。
恭介は飛びかかってきた男の拳に合わせて懐へ潜り込み、カウンターとして左拳を顔面に叩きつけた。動きはそれなりに速いが、普段からもっと動きの速い相手と組手をしている。その点から言えば、カウンターを取るのも容易だ。
「博孝がいなくて良かったっすね。みらいちゃんに飛びかかるとか、殺されても文句は言えない所業っすよ?」
敵性『ES能力者』との戦闘による緊張感を誤魔化すように、恭介は意識して笑う。相手はラプターのように隔絶した実力差がある相手ではない。あるいはハリドのように殺意を振り撒く相手でもない。自分でも十分に戦える相手なのだ。
体をほぐすようにして、空中に向かって拳を放つ。そんな恭介の隣に立つ沙織は二刀を構えて立っており、緊張感は見られなかった。
「『構成力』はそれなりだけど、腕の方はお粗末ね。これなら足止めは簡単だわ」
「油断は禁物っすよ沙織っち。そんなことを言って出し抜かれたら、あとで博孝や教官に怒られるっす」
博孝や砂原に怒られる。その言葉を聞いた沙織は、『待て』と言われた犬のように表情を歪めた。
「……怒られるのは嫌ね」
「それなら気を抜かないことっす。お互いに」
軽口を叩いて気を引き締め、沙織と恭介は男達の攻撃をいなし続ける。男達は時折光弾を放ってくる程度で、動き自体は単調だ。問題があるとすれば、何の目的があるのかわからないが、みらいを優先的に狙った動きをしていることだろう。
それぞれがみらいのかつての名前――『乙1024号』の名を叫び、襲い掛かってくる。そんな男達に対し、みらいは怪訝そうな顔を向けた。
「へん……あなたたち、へん」
言葉にできない違和感を覚えたみらいは、沙織と恭介に守られながら首を傾げる。引き寄せられるようでいて、近くにいたくない。どこか懐かしく思うものの、嫌悪感が先に立つ。複雑な感情までは理解できないみらいにとって、男達の存在は理解の外にあった。
そうやって沙織達が男達の攻撃を捌いていると、男達は動きを止める。上空では爆発音が発生したり、巨大な『構成力』が発現したりしているが、眼前の敵から視線を逸らすわけにもいかず、沙織達は敵対する男達の動きを注視した。
男達は沙織達から距離を取ると、徐々に『構成力』を集中し始める。何か大技でも放つのかと思った沙織と恭介だが、敵の様子がおかしい。無表情に戻り、淡々と『構成力』を集中させているのだ。
「……まさかとは思うっすけど、自爆する気じゃないっすよね?」
否定してほしい、といった口調で恭介が呟く。その言葉を耳にした沙織は、『無銘』を握る右手に力を込めた。
『ES能力者』による自爆は、過去に一度見たことがある。その時は未熟な敵性『ES能力者』が二人同時に自爆して、山が半分欠けた。それが今回は三人に増え、以前に比べて『ES能力者』として質が高い。
――『ES能力者』は無事でも、第二指定都市は無事では済むまい。
そのことを一瞬で理解した沙織は、大太刀を消して『無銘』を両手で握る。まだ自爆が可能なほど『構成力』が溜まっていない。今ならば、まだ止められる。“自爆ができないようにすれば”、止められるのだ。
「ど、どうするっすか?」
困惑するように恭介が尋ねる。敵性の『ES能力者』と戦うことはできても、殺めることが可能なほどに覚悟を固めていないのだ。その点、沙織は違った――以前ならば。
源次郎の役に立とうと足掻いていた頃ならば、源次郎の役に立つべく他の『ES能力者』を殺めるだけの覚悟があった。しかし、今の沙織は昔の沙織ではない。
敵性の『ES能力者』と、強者と戦う覚悟はある。だが、『ES能力者』を、他者を殺めるだけの覚悟を固めているか。普段聞かれれば、沙織は頷いただろう。沙織自身、いずれはそんな時が訪れると覚悟している。
身近な存在として、博孝がハリドを殺めて精神的に不調を抱えた時に覚悟を固めた――はずだった。しかし、いざその機会が目の前にくれば即断はできない。
『無銘』の切れ味を試す好機、などとも考えられなかった。相手の技量と自身の技量。それに加えて『無銘』の存在を考えれば、自爆を実行させる前に仕留めることは可能だというのに。
恭介は動けず、沙織も動けない。みらいも男達の“存在”に戸惑うばかりで、手が出せない。それでも、このままでは街に被害が出る。下手をせずとも、大勢の人間が死ぬ。そう判断した沙織は『無銘』を握る手に、更に力を込め――。
「っ!?」
男達の背後に、博孝が突然姿を見せた。そして沙織の躊躇すら貫くようにして、男達のうち一人の心臓を右手で貫く。敵が自爆をしようとしていることに気付き、即座に駆け付けたのだろう。流れるようにして、一人、二人、三人と仕留めていく。
そんな博孝の姿を見て、沙織は無意識の内に安堵する気持ちを覚えた。博孝は多少怪我をしているが、他の敵を倒してきたのだろう。
沙織はそう考え――最後の一人を倒した博孝の姿が消えた。博孝を追って飛んで来た敵が、博孝を殴り飛ばしたのだ。咄嗟に左腕で防御を固めたものの、轟音と共に博孝が吹き飛び、住宅を破壊しながら瓦礫の中へと消えていく。沙織は虚を突かれたように動けず、そして、重たく湿った音が響いて我に返った。
「――博孝?」
博孝の名を呼んだのは、何故だったのか。敵の攻撃を避けたか、それとも耐え切った博孝が駆け付けたと思ったのか。そんなことを思考しつつ、沙織は音のした場所へ視線を向ける。
音の発生源は、奇妙な物体からだった。どこから落ちてきたのかわからないが、まるで人の腕のような形をしている。ところどころが赤黒く染まっており、赤い液体が博孝の吹き飛んだ方向へ点々と続いていた。
見たことのある意匠の洋服だが、あれは、博孝が着ていたものと同じではないか。
「博孝!?」
「おにぃちゃん!」
恭介とみらいの叫び声で、沙織の意識が戻る。否、戻るどこか瞬間的に沸騰した。
「――あああああああああぁぁっ!」
喉の奥から怒声が迸り、怒りのあまり視界が真っ白に染まる。握っていた『無銘』の柄が軋んで悲鳴を上げるほどの力を込め、全力で地を蹴った。
「博孝は任せたわ!」
恭介とみらいに対してその言葉をかけられたのは、ほとんど奇跡だっただろう。敵に対する怒りと殺意。その中で博孝の身を案じる言葉が出たのは、それほど沙織の中で博孝に対する比重が大きかったからか。
『瞬速』を発現し、『無銘』の切っ先を向けて一心不乱に突撃する。敵対する男は薄い黄色の『構成力』を発現しているが、今の沙織にとっては関係ない。精々、白色よりも目立って狙いやすいと思う程度だ。
男は沙織の動きに反応するが、あまり脅威に思ってないのだろう。沙織が放つ刺突を雑に避けようとするが、そのまま『防殻』を貫かれ、肩口を抉られる。
「っ!?」
「ちっ!」
男は驚きから目を見開き、沙織は一撃で仕留められなかったことに対して舌打ちをした。怒りのあまり切っ先が揺れてしまい、心臓を貫けなかったのだ。
怒りを鎮めようとするが、上手くいかない。男は沙織の攻撃力を自身の体で体験し、慌てて『飛行』を発現した。それを見た沙織は、即座に『飛行』を発現して男を追う。
男も沙織も、ほとんど真っ直ぐに飛ぶ程度の技量しかない。それでも男は逃げ切れると思った。博孝に比べれば、“通常”の沙織の飛行速度は劣る。
故に安堵し。
「――死になさい」
死神の声は、すぐ背後から聞こえた。
激しい怒りの感情で『構成力』を爆発的に発現させた沙織の飛行速度は、博孝を超えていた。男の背後を取り、心臓に狙いを定め、力を込めて『無銘』を突き出す。
男は咄嗟の判断で体を捻るが、完全には回避できない。『無銘』の刃が、博孝の『狙撃』に耐えきった左腕を切り裂き、地に落とす。
恐るべきは『無銘』の切れ味だろう。男の『防殻』と肉体をまとめて切り裂いた切れ味は、沙織の予想を遥かに超えている。それでも、今の沙織にとっては“丁度良い”としか思えなかったが。
「ぐ……あああああぁっ!」
左腕を切り落とされた男が、なんとか反撃を試みた。残った右手を繰り出すが、沙織からすれば鼻で笑うしかない行動だ。『無銘』が跳ね上がり、突き出された右手も斬り飛ばす。沙織はそのまま『無銘』を大上段に構え、男を睨み付けた。
「――ひっ」
男が悲鳴のような、短い声を上げる。それまでの無表情さが嘘のように、怯えた顔だ。その顔を見た沙織は僅かに『無銘』の切っ先を揺らし――今度は迷うことなく、『無銘』を振り下ろした。
「博孝! しっかりしろ博孝!」
普段の口調を投げ捨て、恭介は博孝に声をかける。瓦礫に埋もれた博孝を見つけるのは容易だったが、その治療を行うのは容易ではない。博孝の左腕に視線を向けた恭介は、思わず目を背けそうになった。
切断されたのではなく、千切れている。あるいは吹き飛んでいるというべきか。博孝は口元からも血を流しており、下手をすると内臓を傷つけているのかもしれない。早急に治療を行う必要があるが、恭介が発現できる治療系ES能力は汎用技能の『接合』だけだ。
それでも行わないよりはマシだろうと判断し、博孝に声をかけながら『接合』を発現する。近くにはみらいもいたが、みらいは博孝の姿を見て目を見開き、呆然としていた。
「おにぃ……ちゃん?」
掠れた声をかけるが、博孝からの反応はない。恭介は何か声をかけるべきか迷ったが、今は博孝の治療の方が先だ。焼け石に水だが、『接合』を発現しつつ携帯電話を取り出す。
『こちら第七十一期訓練生の武倉! 誰でも良いから支援系の奴は来てくれ! うちの小隊長が重傷を負った!』
治療を行いつつ応援を呼ぶ。これが恭介にできる最善の行動だった。トランシーバー機能の出力を最大にし、近くにいる『ES能力者』に助けを求める。
『どれぐらいの重傷だ?』
返事はすぐにあったが、恭介が聞きたいのはそんな言葉ではない。それでも怒りそうな自分を戒め、冷静に答える。
『……左腕が千切れて出血多量。多分、左側の肋骨も折れて内臓に刺さってます』
『それほどの傷だと、『接合』や『療手』ではどうにもならんな……『治癒』が使える者を連れてすぐに向かう。それまでなんとかもたせてくれ』
怪我の症状を聞いた陸戦部隊員の男は、即座に『治癒』を発現できる者を向かわせることにした。もう少しで民間人の避難誘導が完了するため、一人、二人程度ならば抜けても問題はない。
「わ、わたしも行きます! 同じ小隊員なんです!」
恭介と陸戦部隊員の会話を近くで聞いていた里香は、思わず博孝の元へ向かうことを願い出た。しかし、周囲の警戒に関する指示を出した陸戦部隊員は怪訝そうな顔をする。
「君は『治癒』を使えるのか?」
「……いえ、『療手』までは使えますけど、『治癒』は……」
「それでは話にならん。民間人の避難誘導と護衛に当たっていたまえ」
男は切羽詰まった様子で里香を突き放すと、『治癒』を発現できる支援系『ES能力者』を連れて駆け出す。通話越しに聞いた博孝の傷は、十分に致命傷に成り得る。少しでも早く駆け付ける必要があった。
博孝や沙織達が足止めをしてくれたおかげで、民間人を無事に避難させることができたのだ。死なせるわけにはいかない。そう思ったからこそ、走る速さも自然と速くなる。
里香はそんな陸戦部隊員を見送り、悄然と俯くのだった。
「ここまでか」
同時刻、上空で砂原と戦っていたラプターは、ポツリと呟く。その体のいたるところに血が滲んでいるが、致命傷には程遠い。対する砂原は、『構成力』の消耗こそあるもののほとんど無傷だった。
「なんだと?」
ラプターの発言を不思議に思った砂原が眉を寄せる。ラプターは眼下に視線を向け、小さく口の端を吊り上げた。
「俺の任務は完了した。故に退かせてもらおう」
「――逃がすと思うか?」
ラプターの言葉を聞き、砂原の全身から殺気が溢れ出す。ラプターは砂原でも気付けないレベルで『構成力』を隠し、それでいて『飛行』などの特殊技能を発現して不意を打ってくる戦い方をしていた。
砂原は十分に対応できたが、『構成力』を感じ取ることだけに集中すれば命を落とす羽目になっていただろう。『構成力』の『隠形』が異常に上手いラプターに対し、さすがの砂原も仕留めきることができなかった。もしかすると、そういった類の独自技能を持っているのかもしれない。
いくらか手傷を負わせたものの、退くと言ってそのまま逃がすわけにもいかない。砂原としても、かつて教え子に重傷を負わせた相手だ。遺恨がある。
正面から戦えば、砂原の方が有利だ。しかし、ラプターは時折眼下の第二指定都市に向かって『砲撃』を撃つことがあり、砂原はそれを防ぐために手を割かれていた。
『砲撃』を無視すれば、多くの民間人や建造物に犠牲が出る。砂原がそれを防ぐことを見越して『砲撃』を放っていたラプターだが、“ここまで”来れば最早“足止め”をする必要はない。
「逃がしてもらおう。なに、無論タダでとは言わん。一つ良いことを教えてやる」
「ほう……聞いてやろう」
ラプターと言葉を交わしつつ、砂原は『構成力』を右手に集中させる。隙があれば、そのまま風穴を開けてやろうと思った。
そんな砂原の様子を視界に納めつつ、ラプターはなんでもないことのように言う。
「どうやら河原崎博孝が死に掛けているようだ。“こちら”としても、それは望むところではない。どうやら、こちらの駒が少しばかり強すぎたようだな……いや、相性の問題か」
ラプターとの戦闘で地上に被害が出ないよう、砂原は高高度で戦闘を行っていた。そのため博孝達の『構成力』を『探知』できなかったが、ラプターの言葉を信用するならば博孝が死に掛けているという。
嘘だろう、と砂原は思った。博孝が戦っていた相手は、確かに博孝よりも格上だ。しかし、『爆撃』によってそれなりの傷を負わせている。博孝と同様に独自技能を発現していたが、技量差を超えるには十分の援護だった。
「『武神』の孫娘が想定外だったか……あの刀も想定外だった。“実験体”にも動きはなかったしな」
「……何の話をしている?」
何を言っているのか、砂原にはわからない。どこか残念そうに話すラプターの意図が読めない。
「あとは自分の目で確かめろ。俺はこれで失礼する」
そう言うなり、ラプターは眼下へ向かって『砲撃』を放った。それも、数は五発。
「ちっ!」
ラプターを仕留める間に、『砲撃』が第二指定都市へ命中する。そう判断した砂原はラプターへ『砲撃』を放ちつつ、一気に急降下した。
自身の放った『砲撃』が炸裂する音が響く。命中したか、それとも防がれたか。それを判断するよりも先に、ラプターが放った『砲撃』に対して砂原も『砲撃』を発射した。その数は四発であり、狙いも正確にラプターの『砲撃』を誘爆させる。残った一発は『飛行』と『瞬速』を併用して追いつき、『収束』を発現した状態で叩き潰した。
「……逃げられたか」
ラプターの『砲撃』が炸裂しても、砂原には怪我一つない。その代わりに、苦々しい表情を浮かべて空を見上げた。
そこには既にラプターの姿がなく、取り逃がしたことを痛感する。ラプターが砂原の『探知』でも気付けないほどに『構成力』を隠せる以上、一度見失ってしまえばあとは逃げられるだけだ。
手傷を負わせたが、借りを“完済”することはできなかった。そのことを悔むが、頭を振って即座に意識を切り替える。
鳥型『ES寄生体』は可能な限り叩き落としたため、残った空戦部隊員でも対応可能だろう。そう判断した砂原は第二指定都市に向かって急降下する。
そして、そんな砂原を出迎えたのは、博孝が重傷を負ったというラプターの言葉を裏付ける事実だった。
どうも、作者の池崎数也です。
毎度ご感想や評価をいただき、ありがとうございます。
突然ではありますが、諸々の事情がありまして更新ペースが不規則になります。
諸々の事情につきましては、活動報告にて詳細を説明させていただきたいと思いますので、可能な方は活動報告も覗いていただければ幸いに思います。
あとがきに書ける部分としましては、ひとまず重大なお知らせがある、とだけ。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。