第百十話:二年目の帰省 その3 夜話
河原崎家に宿泊して五日目。三が日の末の晩に、里香と沙織は思わぬ事態に陥った。思わぬ事態といっても、悪い意味ではない。ある意味では悪いのかもしれないが、里香や沙織にとってそれが悪いのかは判断できかねた。
「こんばんは。ちょっとお話しできないかしら?」
里香と沙織の宿泊用に宛がわれた部屋がノックされ、博子がそんなことを言ってきたのである。片手にお盆を持ち、お盆の上では三つの湯呑と急須、それに茶菓子が鎮座していた。
入浴を済ませた里香と沙織は、パジャマの上から上着を羽織っている。博子もそれは同じであり、里香が部屋に招き入れるとニコニコと笑いながら絨毯の上に腰を下ろした。
里香や恭介は両親が帰ってきた時に一度だけ帰宅したが、思いの外任務が忙しいらしく、両親は一泊することもなく再度の任務へと飛び出していった。里香や恭介が世話になっているということで二人の両親が河原崎家にも挨拶へ来たのだが、博子と孝則が和気藹々と対応し、安心して任務へと赴いている。
帰省してからずっと世話になっていることもあり、里香や沙織は博子に心を開いていた。博子の人柄は明るく気が利き、それでいて豪胆なところがある。柔道や合気道の段を持っていると聞いた沙織は、心を開くと同時に尊敬の念を博子に向けていた。
博孝やみらいの友人というだけでなく、里香や沙織“個人”と向き合う博子の姿勢には、自然と沙織も頭が下がったのである。孝則や博子に接した里香と沙織は、博孝の両親であると強く納得した。
里香はことあるごとに『河原崎家の味』というものを伝授され、嬉しいやら恥ずかしいやらで、複雑な気分になったりもしたが。
そんな博子が夜に訪ねてきたとしても、里香と沙織は喜びこそすれ、邪険に扱うことはない。里香と沙織が寝起きしている部屋は元々空き部屋だったが、急遽人が泊まるということで絨毯や小さめのテーブル、布団や座布団は用意されていた。そのため里香は座布団を博子に進めつつ、テーブルを囲んで絨毯に座る。
「それでおば様、お話というのは?」
博子が淹れたお茶を有り難く頂戴しつつ、沙織が尋ねた。その疑問は里香も共有するところであり、何事かと身を寄せる。
「それほど畏まった話でもないのよ。世間話みたいなものだと思ってほしいんだけど……」
そう言いつつ博子は両手で持った湯呑を傾け、ゆっくりとお茶を飲み、一息吐いてから里香と沙織に視線を向けた。
「――どっちが息子と付き合っているの?」
世間話と前置きをした割に、飛んできたのは弾道弾のような衝撃を与える話題だった。里香は目を見開いたままで硬直し、沙織は首を傾げる。
「博孝とどっちが付き合っているか……ですか?」
「うん。付き合っているかって聞いたけど、まあ、わたしとしては付き合ってない可能性と半々かな、と思っているんだけどね? でも、里香ちゃんは態度を見れば一発でわかるし、母親としては気になるところなのよ。博孝は何も言わないしねぇ」
悠々とお茶を飲みつつ尋ねる博子を前にして、里香は顔を真っ赤にして俯いてしまう。その様子がとても可愛らしく感じられ、博子は相好を崩した。
「う、うぅ……その、博孝君には?」
「あっはっは、言うわけないわよ。ついでに言えば、あのバカ息子とみらいちゃん、恭介君は一階のリビングで孝則さんが相手をしているから、よっぽど騒がない限り聞かれる心配はないわ。もちろん、ここで聞いた話を息子に伝える気は微塵もないから」
想い人の母親に一発で慕情を見抜かれてしまい、里香は忙しなく視線を彷徨わせた。里香に隣に座る沙織は、特に動揺することもなくお茶を飲む。
「わたしは博孝と付き合っているわけではありませんが……里香はどうなの?」
もしや、知らない間に博孝と付き合っていたのか。もしもそうだとすれば、教えてもらえなかったことを寂しく思う。そんな感情が沸くことに違和感を覚えることもなく、沙織は里香に尋ねた。
「えっと……わたしも、その……」
「付き合ってないと。そうなの……残念ね。二人のどちらかが博孝のお嫁さんに来てくれたら、おばさん、大喜びするのに」
頬に手を当て、残念そうに博子が言う。何歳になろうとも、女性にとって恋愛話というのは面白いのだ。ましてやそれが息子の恋愛話となれば、博子としても座視してはいられない。もっとも、余計なことをして博孝との関係が拗れられても困るため、からかい半分、興味半分で話を聞きに来ただけだ。
「博孝の妻に、ですか……うん、わたしは別に構いませんけど」
「えぇっ!?」
「さ、沙織ちゃん!?」
だが、さすがに沙織の発言には即座に食い付いた。それまで余裕綽々だった博子は思わず湯呑をテーブルに叩きつけ、里香は先ほどの博子の発言を聞いた時よりも驚いている。
そんな二人の驚愕を目の当たりにした沙織は、何か変なことを言っただろうか、と僅かに身を引きながら口を開く。
「……そんなに驚くことですか?」
「驚くわよ! いや、これが驚かずにいられるもんですか! なに? 沙織ちゃんはうちの愚息と付き合っているわけじゃないのよね?」
「はい」
思わず詰め寄る博子だが、沙織の態度は冷静なままである。しかし、よく見るとその頬が僅かに赤く染まっていた。そして、胸に手を当てて大切な“何か”を思い出しながら言う。
「おば様の前で話すのも気が咎めますが……入学してから当分の間、わたしは博孝のことを見下していました。博孝は『ES能力者』としての力を引き出せず、それでいて“あの性格”ですから、当時のわたしには中々受け入れ難かったんです」
その言葉を聞いた里香は、思わず訓練校に入校してからの生活を思い出す。“今の”沙織が印象的過ぎるために忘れていたが、入校当初の沙織は周囲を寄せ付けず、排他的で寡黙な性格だった。
里香が沙織と親しく付き合い始めたのは、同じ小隊に配属されてからである。気が弱い里香からすれば、そうでもなければ沙織に話しかける機会が少なかった。
「博孝が第一小隊の小隊長になった時も、わたしは反発していました。時折組手を行う間柄ではあったのですが、博孝を小隊長として認めず、命令や指示を無視していたんです」
ぽつぽつと語る沙織に、博子は何も言わない。ただ静かに、沙織の言葉に耳を傾ける。
「任務に関わることなので、詳細な話はできません。しかし、わたしが取った勝手な行動で、博孝を危機に追い込んだことがありました。そのことは、おば様には謝罪することしかできません……ですが、博孝はそれを許し、その後も“私情”で反発するわたしを諌めてくれました」
沙織が言う私情というのは、源次郎との関係についてである。今思えば、沙織としては顔から火が出るほどに恥ずかしい。それでも当時は、それしかないと、それだけしかないと思い定めていたのだ。
「博孝はわたしのために色々と尽力してくれました。そして、今ではわたしと肩を並べ……いえ、『ES能力者』として総合すれば博孝の方が上に立っています」
沙織は博孝に感謝している。源次郎の役に立てる『ES能力者』になるという、“盲信”を打ち砕いてくれたのだ。そして、沙織が博孝に対して抱く感情は感謝だけではない。
「『ES能力者』としての強さ、人としての強さ、常に努力を怠らない姿勢……同じ『ES能力者』としても、わたし個人としても尊敬しています。ですが、それだけではわたしの感情を表現できないと言いますか……」
そこまで語った沙織は、困ったように眉を寄せる。博孝に対しては、感謝をしている。尊敬もしている。しかし、それにも勝る“何か”が自分の中にあるのだ。それは感謝と尊敬が混じり合い、他の要素を加え、沙織の胸の内を満たしている。
「上手く言葉にすることはできませんが、わたしは博孝のことを大切な“仲間”だと思っています。初めてできた……初めてそう思えた、大切な存在です。共に訓練に励み、共に死地を乗り越えた博孝のことを、わたしは大切に思っています」
静かに語った沙織だが、その雰囲気には一片の嘘も見当たらない。博子は呑まれるように話を聞いていたが、お茶で唇を湿らせ、慎重に尋ねる。
「だから……博孝のお嫁さんにって言われても拒否しないの?」
「そう、ですね……拒否する感情はまったくないです。でも、これが世間で言う恋だとか愛だとか、そういった感情なのかは……」
沙織自身も自分の感情が理解できていないのか、言葉尻を濁してしまう。里香や沙織よりも長く生き、孝則という夫を持つ博子からしても、沙織の感情は理解できない部分があった。
それにしても、と博子は思う。息子である博孝のことを憎からず思っていると判断して話を聞いてみれば、思わぬ事態だ。藪を突いて蛇が出てきた気分になってしまう。
(余計なことはしない方が良かったかしら……)
内心でそう呟き、博子はさり気なく里香を見た。里香は態度からして容易に心情を看破できたが、沙織は違う。訓練校での博孝の生活について聞きたいという思いもあったが、沙織の態度と行動に違和感を覚えたのも事実だった。
沙織が博孝に向ける態度は、博子から見ても不思議なものに映る。仲の良し悪しを尋ねられれば、間違いなく良いと言えるだろう。しかし、里香のように博孝を異性として意識しているのかと言われれば、頷くのが難しいのだ。
『ES能力者』ではない博子からすれば、理解ができない領域にある関係なのかもしれない。友人か、親友か、戦友か。
博子は知り得ないことだったが、博孝と沙織は共に死地に立ち、それを潜り抜けている。背中を、命を預け合う関係なのだ。武道を学びこそすれ、命を賭けて殺し合う立場になったことがない博子には、発想ができない領域の話である。
沙織のことはわからない点が多い。しかし、不思議に思う点は他にもあった。
里香と沙織は仲が良い。五日間という短い期間ながらも、一緒に生活した博子にはそれがわかる。上辺だけの付き合いではなく、互いに欠けた部分を補うような関係だ。
それだというのに、里香の博孝に対する心情を沙織は気付いていない、あるいは気にしていないように見える。博子にはそれが不思議でならない。
博子は沙織の言葉に対する里香の反応を確認してみるが、里香は驚いた様子で沙織を見ている。意外と複雑な関係なのか、それとも息子である博孝に何かしらの咎があるのか。博孝には話さないと告げた博子だが、事と次第によっては問い詰める必要があるかもしれない。
息子である博孝に対する評価が、博子の中で不規則に上下する。『ES能力者』の訓練生ということで、電話をしてもそれほど詳しい話は聞かない。博孝やみらいが元気にやっているかを確認する程度だったが、もしかすると博孝は、訓練校の中で“間違った方向”に馬鹿をやっているのかもしれなかった。
博子は改めて里香を見る。この五日間、身近で共に暮らした里香に対する印象としては、良い部分と悪い部分があった。
良い部分としては、その性格や行動だろう。調理師を目指していたらしく、料理の筋が良い。それ以外にも家事全般を得意としており、一歩後ろに引いて夫を立てるような、“古い”タイプの良妻の資質が見て取れた。決して前に出る性格ではないが、それでも“芯”を感じられる。
悪い部分としては、良い部分の裏返しだ。その性格が当てはまる。押しが弱く、相手に押されるとそのまま押し込まれてしまう。十五年もの間息子である博孝を見てきた博子からすれば、博孝の性格は里香の真逆となる。
博孝は口も行動も軽いと思っている博子からすれば、里香はさながら、悪い男に引っかかった勤勉で真面目な少女に見えてしまう。口説かれ、押しに押され、押し切られてしまったのではないか。
「ねえ、里香ちゃん。うちの息子は、学校ではどんな感じなのかしら?」
故に、沙織のことを一時的に脇に置いて博子は尋ねた。以前砂原と会った時、砂原は博孝のことを褒めていた。だが、それは教官である砂原の視点である。同じ訓練生である里香がどんな評価を下すのか。
「え? 博孝君のことですか? その……」
博子の問いに対し、里香は訓練校での博孝の様子を思い浮かべる。さすがに訓練校内部の情報は教えられないが、それでも博孝のこととなると様々な情報が脳裏に浮かんだ。
「悪いところも含めて教えてくれると助かるわ」
笑顔を浮かべながら促す博子だが、里香は僅かながらも威圧感を覚えた。下手なことを言えば、博孝が危険かもしれない。しかし、嘘を言っても見抜かれそうだ。
「博孝君は、その、とても努力家で、勉強や訓練にも一生懸命で、周囲のことにも気を配っていて……」
里香はなるべく良い印象になるよう、博孝の訓練校での様子を伝える。博子は真剣に聞いていたが、疑問を覚えたように沙織へ視線を向けた。
「ふんふん……里香ちゃんの話を疑いたくないけど、沙織ちゃん、今の話は本当なの? うちの息子が努力家とか、勉強にも一生懸命とか、周囲にも気を配ってるって聞くと、いまいち信じられないんだけど……」
里香の話を聞いた博子が最初に抱いた感情は、困惑である。訓練校でも元気に過ごしていることは疑いようがないが、努力家で、勉強にも一生懸命で、周囲に気を配っていると言われても、信じられなかった。
「里香の話に間違いはありませんが……博孝は元からそういう性格じゃないんですか?」
沙織からすれば、博子が里香の話を疑ったことが納得いかない。沙織の目から見ても、博孝に対する評価は里香とほとんど一緒なのだ。
博子は頬に手を当てると、飲み込み難いようにため息を吐く。
「あの子がねぇ……『ES能力者』になって空を飛んでみたいって騒いでいたけど、夢が叶うから頑張ったのかしら? 去年帰省した時はあまり“違い”がなかったけど、今回帰省して顔を見たら、“何か”があったってことはわかるんだけど……」
本人には言っていないが、博子から見ても博孝に何かしらの変化があったことは理解していた。『ES能力者』の事情を知らない博子などは、博孝がハリドを殺めたことを知らない。母親として博孝に“何か”があったことは読み取っていたが、幼い頃から博孝を知る博子としては、里香の評価と博孝の実像が結びついていなかった。
「あの子ってほら、テキトーな性格をしているでしょ? 孝則さんに似たのか、性格もちょっとアレなところがあるし……調子の良いことを言って、女の子を誑かしたりしているんじゃないかって、心配になるのよ。中学生の頃も、勉強より友達と遊ぶ方が重要だったから、テストの成績もそこまで良くなくてねぇ……」
ため息を吐きながら下された博孝の評価に対し、今度は里香の方が違和感を覚えた。
「……そうなんですか?」
「そうなの。『ES能力者』になったことで、その辺りを改めたのかしら? でも、三つ子の魂百までっても言うし……あの子のことだから、里香ちゃんみたいな性格の子には意地悪するんじゃないかって、おばさんは心配だわ……責任感もない子だから、何かしたら放り出しそうだし」
その時は徹底的に絞ってやるわ、といった様子で困ったように言葉を紡ぐ博子だが、里香や沙織からすれば違和感は膨らむばかりである。
「博孝君が……」
「……責任感がない?」
なんだそれは、と思う。里香から見ても、沙織から見ても、博孝は責任感がないような性格をしていない。むしろ『ES能力者』として、人として、第一小隊の小隊長として、責任を重んじている。
里香からすれば、博孝は責任感が“あり過ぎる”存在だ。それこそ、普通の範疇を超えて異常だと思えるほどに。率先して先頭に立ち、仲間を庇うその姿を見れば、責任感がないとは到底言えない――が、気にかかる点があるのは事実である。
沙織からすれば、博孝は責任感が強く責任の所在を常に意識しているように見える。初めて任務を行った際も、博孝は命令を無視して動く沙織を庇うために、砂原に前もって報告を入れるほどだ。沙織が源次郎に関する嫉妬から博孝と戦い、傷つけた時も、我が身を省みずに沙織を庇ったことがある。責任感がないと言われれば、否定するしかない。
里香と沙織は博子の言葉に困惑する。しかし、二人の口から出てきた言葉は、それぞれ意味が異なるものだった。
「そう……なんですか?」
「博孝はそんな男ではありません」
里香は確認の言葉を、沙織は否定の言葉を口にしていた。意見が異なった二人は、互いに驚いた顔をして見つめ合う。
「沙織ちゃん?」
「里香?」
目を瞬かせ、何故意見が異なるのかと不思議そうな顔をする二人。
以前から、里香は博孝の責任感の強さ、あるいは我が身を省みないその姿勢に、疑問を持っていた。普段は責任感が強いという言葉で片付くが、時折それを踏み越えるのである。その“異常”については砂原にも相談したことがあるが、ここ最近は鳴りを潜めているため、勘違いだったかと密かに悩んでいた。
対する沙織は、里香とは立場が異なる。博孝の姿勢は尊敬すべきものだと思っており、沙織自身、博孝の気性を快く思っていた。博孝以外のクラスメートが上に立って小隊長を務めていれば、それに従うか迷うほどに。
戸惑うように互いの一挙動を注視する里香と沙織。そんな二人の動揺を打ち破ったのは、博子だった。
「ごめんなさいね、変なことを言っちゃったみたいで……あの年頃の男の子は、しばらく会わないうちに大きく成長するものだもの。『ES能力者』として過ごしているうちに、あの子も成長したのね」
博孝が訓練生になってからは、一年の間に一週間程度しか顔を合わせない。外見的にはそれほど変わりがないが、その内面はしっかりと成長しているのだろう。そう判断した博子は、余計なことを言ったと反省しながら里香と沙織を仲裁する。
「子どもって、知らないうちに成長するんだから……母親としては、少し寂しいわ」
困ったように微笑む博子を見て、里香と沙織は何も言うことができなかった。しかし、博子の言葉は二人の――特に、里香の中に強く残ることとなる。
帰省をして六日目となり、翌日に訓練校へ帰還することになる一月の四日。その前夜から、博孝はみらいにとある要求をされ続けていた。
「かえでちゃんとあそびたい」
それは、砂原の娘である楓と遊びたいという、可愛らしい要求である。遊ぶとしたら、残り一日しかない。それ故に、みらいにしては珍しく、食べ物以外のことで強請られることになった。
「おにぃちゃん、かえでちゃんとあそびたい」
「んー……遊ぶって言ってもなぁ」
みらいが楓と遊びたがる気持ちは理解できるが、帰省の期間も残り僅かだ。次に両親と会えるのは、当分先になる。それは楓も一緒だが、孝則や博子のことを考えると簡単には頷けなかった。
博孝が孝則へ視線を向けると、孝則は苦笑しながら口を開く。
「砂原先生のお子さんだったかな? 砂原先生が良いと言うのなら、思う存分遊んできなさい。父さんや母さんのことは気にするな。せっかくみらいちゃんにできた“お友達”なんだからな」
「まあ、そうだよなぁ」
孝則の言葉に博孝も納得し、砂原へ携帯電話をかける。緊急の連絡と思わなければ良いが、などと考えていると、僅かコール一回で砂原が出た。
『――何事か?』
砂原の口調は硬い。博孝達に何かあったのかと思っているのだろう。それを申し訳なく思いつつ、博孝は事情を説明する。
『あのですね、みらいが楓ちゃんと遊びたいと言っていまして……可能ですか?』
博孝が直球で尋ねると、砂原は気を抜くようにして息を吐いた。
『なんだ、そういった用件か……こちらとしては一向に構わん。うちの娘も、河原崎妹と遊べないのかと騒いでいるからな』
そんな答えを返す砂原の口調は、どこか柔らかい。砂原の口から出た、『うちの娘』という言葉の響きに違和感を覚えつつ、博孝は傍にいたみらいの頭を撫でる。当然ではあるのだが、砂原も一児の父らしい。娘にせがまれれば、それを叶えたいと思うのだろう。
『了解しました。それでは、教官の家に伺っても?』
『仕方あるまい。住所はメールにて教える……いや、お前の家からでもそう遠くないが、車で迎えに行った方が良いか?』
『近いのなら歩いていきますけど……多分、恭介達もついてくると思いますよ?』
『……うちの車には乗りきらんな』
『じゃあ、歩いていきます。ついでにお菓子とか飲み物も買っていきますんで』
そんなやり取りを砂原と行い、博孝はみらいに要望が叶うことを伝えた。すると、みらいは大喜びで跳ね回る。表情は相変わらず無表情に近いが、それでもみらいの顔を見慣れている博孝からすれば、その喜び具合はこれまででも数えるほどしか見たことがない。
そのような経緯があり、博孝とみらいは第一小隊の仲間と共に砂原の自宅へと向かっていた。一応恭介や里香、沙織にもついてくるかを聞いたのだが、全員が首肯している。
「この前は衝撃的過ぎて聞けなかったっすけど、教官の奥さんの年齢が気になって仕方ないっすよ。あと、プロポーズはどっちからだったのかを聞いてみたいっす」
恭介は美由紀について疑問があるらしく、それを尋ねる心積もりのようだ。博孝としても気になるところだが、聞いたが最後、砂原による楽しい愉しい“課外授業”が開催されそうで怖い。
「……駄目だよ、武倉君。女性の年齢を聞いたらいけないんだよ? わたしも気になるけど……」
「……そうね。わたしも気になるわ」
一応のツッコミを入れる里香だが、その声色に違和感を覚えた博孝は片眉を上げた。博子がお茶とお茶菓子を持って楽しそうに里香と沙織の部屋へ突撃する姿を見たのは、昨晩のことだ。それ以来、里香と沙織の様子がどこかおかしいように博孝には感じられた。
もしかすると、博子が何か余計なことを言ったのかもしれない。そう考えた博孝だが、女性同士の話し合いを聞き出すのは如何なものかと思ってしまう。藪を突けば、蛇どころか『ES寄生体』でも飛び出してきかねない。
(里香と沙織に変なことを聞いてないといいけど……)
訓練校での生活態度について尋ねられたのだろうか。授業や訓練に真面目に励んでいるつもりだったが、周囲から見れば違うのかもしれない。さすがに訓練校内部の情報を話したとは思わないが、身の回りのことを話されていれば博孝としても怯えてしまう。
(クラスでの評判を聞かれたとか……やべえ、里香なら変なことを言わないと思うけど、沙織がどんな風に言ったか……)
里香と沙織が自分の母とどんな会話をしたかわからず、博孝は一人で戦慄する。博子が何も言ってこない以上、怒られるようなことはないと思いたいが。
「……ん?」
そんなことを考えていた博孝だが、不意に足を止めて空を見上げた。考え事をしている間も周囲への警戒は解いていない。さすがに『探知』を発現するほどではないが、博孝は奇妙な空気を感じ取った。
急な雨が降り出す前の気圧の変化に似た、感覚的な違和感。空気が僅かに緊張しているように感じられ、博孝は視線を鋭くする。ほとんど同時に沙織も足を止め、背負っていた布袋を手に取った。
僅かに遅れて恭介とみらいも足を止め、眉を寄せる。
「……? みんな、どうしたの?」
足を止めた博孝達を見て、里香が不思議そうな顔をした。しかし、博孝達の様子がおかしいことに気付いたのだろう。すぐに表情を改める。
そして、街のいたるところに設置されたスピーカーから、数秒と経たずに空気を裂くような警報音が鳴り響いた。
――それは、『ES寄生体』の接近を知らせる警報だった。




