第百八話:二年目の帰省 その1
年の暮れが近づくと、訓練校の中も俄かに活気づく。訓練校という閉鎖された空間で生活する生徒達だが、任務や休日以外の外出で訓練校から出ることができる、数少ない機会が迫りつつあるからだ。
それは、帰省である。年末年始の一週間ほどを家族と共に過ごせるため、ほとんどの者は表情を輝かせ、指折り数えて日々の授業や訓練をこなす。電話を掛けることは可能だが、やはりじかに顔を合わせることには及ばない。
第七十一期訓練生の生徒達も、久しぶりの帰郷とあっては心騒がずにはいられなかった。もっとも、帰郷と言っても『ES能力者』になった際に自宅を指定都市に移されている。博孝などはその典型であり、両親は第二指定都市へ引っ越しを強制された挙句、新たな職を用意されてそれに励んでいるのだ。
里香や恭介は両親が『ES能力者』だが、元々は両親が所属する部隊の駐屯地近くに住んでいた。子供が『ES能力者』になったということで、帰省中には安全な指定都市で過ごすこととなる。
通常の都市部でも、『ES能力者』や兵士が安全の確保に努めている。しかし、『ES能力者』の数はそれほど多くない。そのため、小さな市や街では一個分隊の『ES能力者』すら存在しない場所もあった。
山林地帯などは『ES寄生体』が発生しやすいため、付近の部隊が定期的に“掃除”を行っている。空を飛ぶ『ES寄生体』については、発見次第空戦部隊が撃滅した。それでも不測の事態というものは起こる。そのため、寒村などでは対『ES能力者』用の装備を整えた兵士や、銃器を備えた警察官などが主力となっていた。
それに比べれば、指定都市の防御というのは雲泥の差である。例えるならば、城塞と一般家屋ぐらいに防衛力の差があった。
訓練生の家族が住むため、危険に晒されないよう空戦と陸戦から常に人員が配備されている。配備される人員については、自身の子が『ES能力者』として目覚め、指定都市付近の部隊へ“異動”になった親達が多い。
つまりは、年末年始の時期は訓練生を含めると多くの『ES能力者』が集まり、連隊規模以上の戦力が集中することになる。
無論、年末年始だからといって敵性の『ES能力者』や『ES寄生体』、スパイなどが遠慮をすることはない。むしろ、人の移動が激しいこの時期にこそ、気を引き締めるべきである。
下手な動きをすれば、百人を超える『ES能力者』達に取り囲まれる危険性があった。しかし、上手く動けば様々な情報を得ることができるだろう。あるいは、将来的に危険となる訓練生を排除する格好の機会でもある。
『ES国際連合』等の世界的組織、各国家間の同盟、あるいは平時の交戦規定では、他国の『ES能力者』を害することは禁じられていた。それでも“抜け道”や例外はある。
“抜け道”として考えられるのは、『天治会』のような『ES能力者』が所属する犯罪者集団を形成し、それらに秘密裏に襲わせることだ。自国を裏切って逃げ出した『ES能力者』になるため、どこの誰に殺されようと文句は言わない――ただし責任も取らない。
そんなスタンスで“意図的”に『ES能力者』を放り出し、あとは他国の戦力を削るための“仕事”に取り掛かる。当然と言えば当然のことだが、この手によって自国の『ES能力者』に手を出された国は憤慨する。しかし、証拠がなかった。
顔を見れば、おおよその人種はわかる。だが、本当にその国に所属していたのか証拠がないのだ。『我が国では与り知らぬことである』と空惚けられれば、それ以上は踏み込めない。余程の国力差、戦力差があるなら話は別だが、例え小国が相手でも報復行動を取られれば大きな被害が出る。
そのため、各国は他国に潜ませる『ES能力者』を派遣しつつ、表面上は笑顔で手を取り合っているのだ。これは当然のことだが、あまりにも有名な『ES能力者』をその手の作戦に従事させることはできない。『武神』や『穿孔』が襲ってくれば、それは日本の仕業だと断定されるからだ。
かといって、無名の新兵を送り込むことも有り得ない。何もできずに捕縛され、目的を吐かれては困る。故に、“普通”の人間と共に諜報員、あるいは暗殺者として送り込まれる『ES能力者』は専門に教育される。
『ES能力者』として一定以上の技量があり、それでいて最悪の場合は自爆されても極力痛手にならず、与えられた任務と祖国に忠実。現地に溶け込むだけの言語能力を習得することができ、目的達成のために最適な行動を自分で選択できる者。そんな者達が選抜して他国に潜り込もうとする。
『天治会』のような国際犯罪組織の場合は、末端の『ES能力者』はとりあえず目的地まで“生きて”辿り着いて、その後自爆ができれば良い、などと考えている部分もあったが。
例外に当たるのは、自国内で他国の『ES能力者』が暴れた場合である。その場合は正当防衛であり、例えその『ES能力者』を捕縛しようとも、殺めようとも、問題にはならない。むしろ、その『ES能力者』が所属する国に対し、声を高らかに非難できる。
公海上などでは問題になることが多々あるが、領土内ならば間違いなく適用されるものだ。それを利用して、係争地での開戦理由に利用されることもあるが。
そのような理由があるため、指定都市というものは他の都市に比べれば比較的安全である。さすがにES訓練校には劣るが、移住を求めて引っ越す者も多かった。その際は厳重なチェックを受けることになるが、真っ当に生活している日本人ならば問題はない。親族に『ES能力者』がいる場合は優先的に移住することも可能だった。
そんな場所であるからして、生徒達は安全な帰省ができると喜ぶ。しかし、中にはまったく喜べない者もいた。
「今年は指定都市周辺の防衛任務が割り振られているらしいから、お父さんとお母さんにあまり会えないんだよね……」
「俺の家もっすよ。一応一日か二日ぐらいは家に帰ってくるらしいっすけど」
「わたしの家は元々両親が寄りつかないから、関係ないわね」
里香と恭介の両親は『ES能力者』であるため、今年は任務に駆り出されて会える機会が少ないようだ。沙織に至っては、母親は一般人ながらも夫と不仲であり、娘ながら『ES能力者』でもある沙織と関わろうとしない。沙織の父親も沙織のことを構わないため、帰省すれば訓練校よりも寂しい日々を送る羽目になる。
「俺の家は両親がいるからなぁ……みらいも父さんと母さんに会えるから、ここ数日はテンションが高いし」
「……たのしみ」
博孝は両親が一般人のため、問題なく会える。それは嬉しいが、仲間が寂しそうにしているのを見ると素直に喜べない。沙織については同情するべきか、沙織の両親に対して憤るべきか悩むが。
そこまで考えた博孝は、一つの案が浮かんだ。両親に確認を取っていないが、もしかしたらと思い提案をする。
国に用意された家は、無駄に広い。使ってない部屋や客間も存在するため、泊めようと思えば泊められるだろう。博孝の父である孝則も、母である博子も、息子や娘の友人ならば諸手を挙げて家に泊めるような性格である。
年末年始で、それも滅多に会えない息子や娘と親子水入らずで過ごせる短い期間。そこに他人を招く者は、あまり多くないだろう。しかし、博孝は両親の性格を熟知しているために『多分大丈夫だろう』と思った。
「まだ聞いてないから可能かわかんないけど、うちに泊まりに来るか?」
実家に帰っても一人ならば、泊まりに来るのはどうだろうか。そう思った博孝が提案すると、里香の肩がビクリと動く。沙織は顎に手を当てて視線を遠くへ向け、恭介は頬を掻いた。
「それは嬉しい話っすけど、家族水入らずの場にお邪魔するのはどうかと思うっすよ」
「そうね……わたしもそれはさすがに気が咎めるわ。博孝の御両親が承諾するとは思えないし。まあ、今年はお爺様主催のパーティが開催可能かわからないから、可能なら有り難い話よね」
恭介は遠慮し、沙織は可能ならそれも良いが、という程度の反応。毎年源次郎が開いているパーティについては、人面樹の発生と“オリジナル”のESが盗まれたために開催が可能かわからなかった。後者の話は沙織も聞いていないが、源次郎から最近多忙でパーティが開けるかわからないと連絡を受けたのである。
「え、えと、その、あの、いきなり博孝君のお父さんとお母さんに会うのは、えっと……」
里香は何やら挙動不審になっていた。博孝は恭介と沙織の反応に苦笑し、里香の反応には首を傾げる。それでも両親へ連絡を取ってみると、博孝の両親らしい返答があった。
『友達を泊めても良いかって? 男の子一人に女の子二人? え? 女の子が二人もいるの? 博孝、まさかアンタ二股でもかけてるの? だったら帰ってきた時に覚悟しなさい! 当て身から投げて極めて締めて……あ、違う? 同じ小隊の仲間? そう、それなら連れてきなさいな。顔を見てみたいわ。みらいちゃんもお世話になっているんでしょう?』
『なに? お前とみらいの友達? よし、連れて来なさい。なあに、部屋は余っている。折角の帰省だというのに、御両親に会う機会が少ないのならばなおさらだ。我が家でどれぐらい持て成せるかわからんが、少しでも楽しんでもらえれば良い……ところで博孝。その二人の娘さんは、お前の彼女か? 可愛いか? いやぁ、お父さん、ちょっと張り切って……あ、あれ? 母さん? なんで腕を取って……やめてっ!? 投げて倒してマウントからの打撃技は勘弁してくれっ!』
電話越しに繰り広げられたその会話を聞いて、博孝の脳裏にとても愉快な光景が浮かんだ。きっと、孝則が博子に折檻を受けたのだろう。もっとも、それはいつものことだと、息子である博孝には見慣れた光景が展開されたに違いないと思えた。
笑顔で電話を切った博孝が聞いた内容を伝えると、三人はそれぞれ異なる反応をする。
「本当に良いんすか? ダチの家に泊まるとか、楽しそうだとは思うっすけど……」
恭介は遠慮すべきではないか、という態度だった。言葉にした通り、友人の家に泊まるのは楽しそうだと思う。博孝やみらいの話を聞く限り、博孝達の両親も“楽しそう”な人である。だが、年末年始にお邪魔するのは、と常識的な考えを示した。
「博孝の御両親、か……そう、ね。会ってみたいし、ご厚意に預からせていただけるのなら、わたしとしては断る理由がないわ」
沙織は意味ありげに考え込んでいた。もっとも、沙織からすれば実家に帰っても誰もいないのである。帰省した際の予定は、源次郎のパーティがなければ家の庭で運動をするぐらいしかなかった。
『無銘』の素振りでもしたいところだが、さすがに抜身の刀を振り回していると通報されてしまう。それならば、博孝の家で厄介になった方が楽しそうだ。
「え、ええ、ほ、本当に? 本当に博孝君の家に泊まりに行くの? そ、その、さすがにそれは……でも、みらいちゃんのお友達ってことなら、断るのも……でも、え、ええっ?」
里香は更に挙動不審になっていた。目をグルグルと回し、顔を真っ赤にして、頭から湯気でも噴き出しそうな様相である。
「いや、さすがに俺も無理にとは言わないよ。嫌なら断ってくれても……」
「う、ううんっ! 大丈夫!」
同じ小隊員の仲間とはいえ、異性の実家に泊まるのだ。沙織のように前向きに承諾する方が異例であり、里香の反応は正しいと博孝は思う。故に、そこまで勧めるのも酷だと思ったが、一歩引くと里香は猛然と食い付いた。
「……俺、邪魔になるんじゃないっすかねぇ。別の意味で」
恭介が小声で呟くが、仲間内で自分一人だけ誰もいない実家で過ごすのは寂しすぎる。両親が任務から帰ってきた時は実家に戻るとして、それ以外は博孝の家に厄介になろうかと思った。
そんな三人の反応を見たみらいは、喜びを増してその場で飛び跳ねる。
「いえでも、りかおねぇちゃんとさおりと、きょーすけといっしょ? それならうれしい」
満面の笑顔を浮かべたみらいに抱き着かれれば、態度を保留していた恭介としても首を横に振れない。結局、二年目の帰省は第一小隊全員での“お泊り会”へと変わるのだった。
生徒達が帰省に思いを馳せて浮かれている頃、そうはいかない者も多くいた。人面樹の捜索と討伐に駆り出され、二週間近く山中を駆け回る羽目になった多くの者達に、『進化の種』を盗まれたことに対する調査や追跡を行っていた者達だ。
捕獲された人面樹を見て狂喜乱舞し、五日間ほど不眠不休で研究を行った馬場が過労で倒れ、そのまま救急車に運ばれるという事件もあったが、それらの事件を解決しようと努力する“当事者”達にとっては年末年始など関係なかった。
人面樹については、生息地域がどれほどまでに広がっているのか、何故発生したのか、全てを狩り尽くしたのか、等々の疑念がある。事態が完全に終息したと結論付けるには、まだまだ時間が足りない。
そもそも、最近は『ES寄生体』の範疇から逸脱した『ES寄生進化体』も発見され始めている。これまでの防衛体制で対応できるのか、『ES能力者』の中でも実戦経験がない者で対応できるのか。
不安と疑問を挙げればキリがなく、その対策を講じるのは非常に難しい。現状では対策を講じるどころか、対策を論じる段階だった。人面樹の特徴を現場に通知し、現場の意見を収集しながら具体的な対策を練っている。
盗まれた『進化の種』については、ほとんど調査が進展していなかった。『進化の種』をイミテーションとすり替えた手口もわからず、すり替えた相手の目的もわからず、『進化の種』の行方もわからない。不眠不休で究明を進めているが、遅々として進んでいなかった。
それらの事情があろうとも、これまで行われていた平穏の維持は欠かせない。船舶や航空機の護衛に、日本各地で発生する『ES寄生体』の対処を中断するわけにはいかない。空戦部隊は防空網を維持する必要もあり、陸戦空戦を問わず多くの『ES能力者』が休暇を返上して任務に当たっている。
現場からは愚痴以上の不満は上がってこないが、長期間任務に拘束するのは更なる不満を招くだろう。ただでさえ数が少ない『ES能力者』に多くの負担がかかり、それは訓練校にも及ぶ。
『――つまり、訓練生の護衛に関する人員は借り受けられないと?』
冷え冷えとした声で砂原が尋ねる相手は、日本の『ES能力者』を取りまとめる源次郎だった。訓練校に設置された有線電話で源次郎に連絡を取ったのだが、源次郎の回答は芳しくない。
訓練生が帰省するに当たって、砂原は護衛の人員を手配しようとした。訓練校にも護衛の『ES能力者』がいるが、六期分の訓練生が帰省するとなれば、多くの手が割かれてしまう。
訓練校自体の防衛にも人数が必要であり、例年ならば帰省する訓練生を護衛するための人員を借り受けることも容易だった――例年ならば。
『すまんな、軍曹。こちらとしても可能な限り手を打ったが、人面樹の“後片付け”で多くの人手を取られている。訓練校防衛の人員についても、訓練生が帰省している間に周辺の“掃除”に回される予定だ』
人面樹の発生は、一般市民が考えるよりも多くの負担を『ES能力者』に掛けていた。人面樹が発生した地域の調査と殲滅は、二週間近く掛けて完了している。しかし、人面樹を全て排除したという保証はない。
日本における森林地帯の割合は、七割もあるのだ。さすがに日本すべての山中に足を踏み入れて人面樹が存在するかを調査するのは、現実的ではない。それでも市民の不安を取り除くために、人が住む地域の周辺だけでも調査する必要がある。
それだけでも膨大な労力と時間を要し、船舶や航空機の護衛任務や領海領空の防衛網構築に関わる部隊以外の多くは、年末年始の時期でも山野を走り回っているほどだ。
訓練生は大事である。だが、市民の安全確保はそれを上回る。源次郎が掌握する日本ES戦闘部隊監督部に務める多くの『ES能力者』も、一時的に原隊復帰して現場を駆け回っているのだ。さらにそこから、『進化の種』の行方を調査する人員も捻出している。
無い袖は振れない。それは何事にも共通する真理であり、現場のことの熟知している砂原は心中で一つ嘆息し、無い物強請りを諦めた。
『なるほど、事態が切迫しているとは思いましたが、これほどとは……』
『“上”からは訓練生が帰省している期間を利用して、教官職に就いている者達も全て駆り出し、訓練校周辺の安全を確保しろとも言われたがね。そちらは訓練校に残る陸戦部隊に回しておいたが、軍曹には第二指定都市内で警戒を行ってもらうことになる。すまんが、第二指定都市では常に警戒態勢を取ってくれ。有事の際は交戦を許可する』
教官職の者も全て駆り出せ、という言葉を聞いた砂原の眉が僅かに動く。源次郎が握り潰したようだが、それでも第二指定都市の中で警戒態勢を取り、有事の際は交戦を許可するというのは余程のことだ。
機能している防衛体制に加えて、砂原も常に注意しろと言っている。警戒態勢を取る以上、砂原は『探知』を発現して外敵の攻撃に備える必要があった。表面上は年末年始を休暇として楽しみ、その内側では常に警戒を続ける。
面倒で厄介なことだ。だが、砂原はその面倒を完遂できるだけの技量があった。
それほどまでに人手が足りないのだろう。この分では、源次郎が言葉にした通り訓練校の防衛を任務としている者達も使えない。
『指定都市の防衛に多くの『ES能力者』を回しているが、それは防衛というよりも周辺調査の方が主な目的になっている。山林の調査が目的ということで、空戦の者もほとんどいない。“上”は、質より量を投入して事態の終息を早めようとしている。訓練校の人員も年末年始の間は最低限まで減らされるだろうな』
そして、砂原が抱いた危惧を源次郎が肯定する。自分の教え子達を第二指定都市まで連れて行くのは問題ないだろうが、滞在中に護衛に回せる『ES能力者』がいない。第二指定都市も他の指定都市と同様で、防衛力は優れている。しかし、単身で侵入してくるような『ES能力者』を防げるかどうか。
砂原が『探知』を発現すれば、四方十キロ程度ならば『構成力』を探れる。だが、第二指定都市には多くの『ES能力者』が集まるのだ。『構成力』の大小はわかっても、それが敵かどうかまではわからない。余程特徴的な『構成力』を持っていれば話は別だが、上手く『隠形』を使える者が相手ならばそれも通じない。
『構成力』が急激に増減すれば、戦闘中ということがわかる。砂原にできるのは、その兆候を見落とさずに対応することだけだ。
『事態を思えば、仕方のないことではありますな』
『仕方がないで済ませたくはないがな。おかげで今年は親族と顔を合わせる暇も“ほとんど”なさそうだ。まあ、呼んでも喜んで来る者は限られているがね』
『その“喜ぶ者”が一人、教え子にいるのですが?』
砂原が言っているのは、沙織のことだ。源次郎の影を追うことを止めた沙織だが、源次郎と会うこと自体は喜ばしく思うだろう。
『長谷川訓練生か……まあ、会えるようなら会いに行くかもしれん』
電話越しながらも、源次郎の声に喜色が混じったのを砂原は感じ取った。源次郎には多くの子と孫がいるが、その中でも『ES能力者』になった者は少ない。直系とも呼べる、源次郎の妻との間にできた長男に、その長男の娘である沙織。それ以外では、合計すれば百人を超える子と孫がいるにも関わらず一人しか生まれていない。
自分と同じ『ES能力者』になり、その上、自分をいつか殴り飛ばす、いつか超えてみせると口にした孫娘。元々可愛がってはいたが、今では目に入れても痛くないほどである。立場上、そんな素振りを周囲に見せたりはしないが。
話もそこそこに、砂原は増員が認められないことを確認して再度心中で嘆息する。源次郎との通話を終えた砂原は、いっそのこと年末年始の帰省を中止にしてはどうかと思った。だが、訓練生は『ES能力者』になったことで強制的に親元から離され、訓練校の中で訓練に励む日々を送っている。飴と鞭というわけではないが、里心を蓄積させた訓練生に帰省は中止だと言えるはずもない。
「仕方のないことだとはいえ、手元にある戦力だけでなんとかするしかないか」
ぼやくように言う砂原だが、かつて部隊にいた頃とは異なり、自由にできる部下もいない。かつての部下に“お願い”するのも手だが、今頃殺人的な忙しさに悲鳴を上げているだろう。源次郎が無理だと言った以上、砂原から個人的に話を通すわけにもいかない。
海上護衛任務の時のように“裏技”を使えれば楽だが、正規部隊員は休暇を返上して日本各地を駆け回っている。
「何事もなければ良いが……」
そんな砂原の呟きは、誰に聞かれることもなく宙に消えた。
十二月三十日から翌年の一月五日までが帰省の期間である。これは例年通りの予定であり、第七十一期訓練生達は昨年と同様にバスへ乗り込んで第二指定都市まで移動する。
移動の際は訓練校の防衛を担当する『ES能力者』が車に乗って護衛を務めるが、第二指定都市まで同行したあとは訓練校に戻り、訓練校周辺の“掃除”に回される予定だった。訓練生が冬休みを満喫する間、寒空の下で山林を駆け回る羽目になるのだ。
それを知っている砂原は、同情せずにはいられない。それでも、可能ならば教え子――問題が頻発する博孝やみらいの周囲に護衛として置きたかった。事情が事情だけに不可能となったため、砂原は開示できるギリギリのラインで博孝に『通話』で忠告をする。
『河原崎』
『……はい? なんですか?』
バスの座席に座り、恭介と話していた博孝が応答した。その間も博孝は恭介と会話をしており、傍目から見れば博孝と砂原が『通話』で話しているようには見えない。
ただ一人、沙織だけは砂原が発する僅かな『構成力』に気付いたのか、不思議そうな顔をした。それでも砂原が一度だけ視線を向けると、それで理解したように視線を逸らす。
沙織本人の感覚の鋭さもあるだろうが、僅かな『構成力』の発現にも気付ける辺り、常に周囲のことを意識しているのだろう。教え子の出来に満足しつつ、砂原は博孝へ注意を促す。
『今回の帰省中は、極力集団で行動するようにしろ。第一小隊の者達がお前の家に泊まるそうだが、周囲への注意は怠るな。良いな?』
『突然そんな話を振られるとは……去年よりバスを護衛する『ES能力者』の数が少ないですし、“忙しくて”訓練生に構っていられないということですか?』
今年もバスの護衛に『ES能力者』がついているが、去年に比べれば数が少ない。その事実と、人面樹の存在。その二つを絡めて尋ねる博孝に、砂原は『まずまず』と評価を下す。『進化の種』が盗まれたことを知らない点を考えれば、合格点だろう。
『そういうことだ。第二指定都市には多くの『ES能力者』が集まるが、その多くは内部よりも外部に割り振られる。外出の際には十分注意しておけ。何かあれば即座に周囲に助けを求めろ。距離的に、連絡が入れば俺も一分とかからず急行できる』
『せっかくの帰省なのに、気が休まらないような……了解です。いつも以上に気を配ります』
『ああ。俺の方も、少しばかり面倒を押し付けられた。常に即応できるよう注意しておく。いいな? 何かあればすぐに連絡を入れろ。これは命令だ』
『了解です』
砂原からの念押しに、博孝は内心で首を傾げた。人面樹の件は懸念として大きいだろうが、ここまで多くの人員の手が取られることだろうか、と疑問に思う。
人面樹の生息域の調査などを考えれば、たしかに多くの人手が必要だ。その分のしわ寄せが訓練生の帰省に回ってきたのだとすれば、一応は納得がいく。
(でも、それにしては人手が削られ過ぎているような……他にも何かあったとか?)
もしかすると、人面樹の発生以外にも重大な“何か”が起きたのかもしれない。それならば博孝としても完全に納得ができる。問題は、“何か”が起きたのだとしてもその情報が伝わっていないことか。
(ニュースになってないってことは、表に出せないことか? しかし、そうなると見当がつかねえや)
所詮は博孝も一介の訓練生であり、訓練校の中にいるとテレビでニュースを見たり、砂原から話を聞いたりするぐらいしか情報を得られない。ましてや、機密に関することなどは耳に入るはずがなかった。みらいの出生など、“立場上”他の訓練生が知らない機密を知ってはいるが、それだけである。
常に警戒を怠らないようにして、何かあれば砂原へ連絡を行う。それさえ守れば、早々問題も起きないだろう。これ以上問題が起こらない可能性だってあるのだ。その可能性がどの程度のものか、皆目見当もつかないが。
そして、そんなことを考える博孝の身に、数時間もしない内に“問題”が発生する。それはある意味では避けられず、ある意味では非常に厄介な問題だ。
「おお……君達が息子の友達か! どうも、博孝の父です。しかし、みらいちゃんの他に女の子を二人連れてくるとは聞いたが、二人とも可愛い子じゃないか! それで博孝、お前はどっちの子を狙ってるんだ? ん? それとも他に好きな子がいるのか?」
実家に到着し、出迎えるなり里香や沙織を見て大騒ぎをする自分の父親――孝則の姿を見て、博孝は思わず暮れの冬空を見上げてため息を吐く。孝則の隣に立っていた博子が孝則の襟首を掴み、笑顔で家の中に引きずり込んだのを見て、博孝は帰省の間の平穏を願うのだった。




