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第百七話:絶望の翌日

 博孝が絶望の声を上げた“事件”の翌日、食堂に姿を見せた博孝の目は死んでいた。博孝にしては珍しく、朝の自主訓練にも顔を出さずに不貞寝していたのだ。しかし、目を覚ましても一人であり、一年近くみらいと共に同じ部屋で過ごした生活とのギャップが大きい。


「おや、おはようっす――ひ、博孝? なんか、死んだ魚みたいな目をしてるっすよ?」


 博孝の姿を見つけた恭介が挨拶をしようとするが、博孝の目付きを見て思わず心配するように尋ねてしまう。博孝はそんな恭介に片手を上げて応えると、口の端を僅かに吊り上げた。


「いやぁ……昨日は大変だったからな」

「まあ、そうっすよね……」


 重苦しい声色で理由を話す博孝に、恭介は心底同情したように頷く。恭介は博孝がみらいに手を出すはずがないと思っていたが、周囲の異様な熱気を前に擁護を封じられてしまった。

 そうやって博孝と恭介が話をしていると、博孝が食堂にいることに気付いたのか、数人の女子生徒達が歩み寄ってくる。


「あのー……河原崎君?」

「ん……ああ、おはよう」


 声を掛けてきた女子生徒は、博孝に断罪を下していた者達である。結局は誤解だったわけだが、博孝としては逆の立場ならば同じことをしただろうとも思う。そのため、どこか気まずそうな顔をする女子生徒達に対して、普通に挨拶をした。


「あ、うん、おはよう。それでね、えーっと……」

「なんというか……」

「その、ね? 一晩経ってよく考えてみたら、その……」


 女子生徒達は互いに顔を見合わせ、もごもごと口の中で言葉を転がす。博孝は何事かと片眉を上げ――閃いた。


「はっ! ま、まさか昨日の続きをしたいと!? やめろ! 俺には女の子に縛られて鉄板の上に正座させられてついでに罵倒されて悦ぶ趣味はねえ!」

「違うわよっ!」


 戦慄しながら放たれた博孝の言葉を、女子生徒達は即座に否定する。そして、その言葉で踏ん切りがついたのか、女子生徒達は一斉に頭を下げた。


「ごめんなさい。さすがに昨日はやりすぎたわ」

「うん、ごめん……」

「ごめん……なさい」


 次いで、口々に謝罪の言葉をかけられる。言葉の通り、昨日はやり過ぎたと思っているのだろう。一晩経っての謝罪になったのは、女子生徒達も時間を置くことで落ち着き、自分がしたことを理解したからか。

 しおらしく謝罪するその姿を見た博孝は、僅かに目を見開く。昨日の一件では、博孝は気が動転していた。里香も気が動転していた。沙織は微妙だったが、多少なり動転していただろう。恭介は蚊帳の外だった。

 それを考えれば、謝罪する女子生徒達も気が動転していたのだ。普段のみらいを見ていれば、博孝に着替えを目撃されたからといって泣くとは思わない。ましてや、悲鳴など上げないだろう。

 みらいは女子生徒達に可愛がられており、今回の暴走はその証左とも言える。博孝は頭を掻くと、その謝罪を受け入れた。


「まあ、今回は色々と間が悪かったということで……でもそうだなぁ、さすがに謝罪の言葉だけっていうのはなぁ……」


 謝罪を受け入れたものの、意趣返しを開始する博孝。わざとらしく口元を緩め、謝罪する女子生徒達へ視線を向ける。その視線を受けた女子生徒達は、恐れ戦きながら一歩後ろへと下がった。


「え? ま、まさか……体で払え、とか?」

「悪いと思っているけど、さすがに体で払うのは……」

「さ、触るぐらい? それぐらいなら、まあ……」

「ちっげーよ! 本当に俺のことを何だと思ってるんだよ!?」


 警戒した女子生徒達なりの冗談だろう。博孝は自分にそう言い聞かせ、指を二本立てる。


「まず一つ。これは謝罪の要求っつーか、頼みごとっつーか……みらいが一人暮らしを始めたんで、それとなく気を配ってやってほしい。俺が見に行ければ良いんだけど、さすがに女子寮に入り浸るわけにはいかないからな」


 表情を改めた博孝が一つ目として要求したものは、みらいについてである。これまでは博孝が面倒を見ていたが、みらいが一人で生活をするとなれば話は別だ。食事は食堂があるために問題ないが、他の面が気にかかる。

 洗濯物はきちんと洗うか、ちゃんと風呂に入るか、掃除も忘れないか。はっきり言ってしまえば、みらいは生活能力が皆無である。料理については興味を持ったのか、以前のように暗黒物質を錬成することはない。しかし、それ以外の部分が欠点に過ぎた。


「それぐらいなら全然かまわないけど……」

「むしろこっちからみらいちゃんのお世話をしたいぐらいよ?」


 博孝の言葉を聞いた女子生徒達は、疑義を挟むこともなく承諾する。博孝は里香や沙織にも頼むつもりだったが、女子生徒達の多くが協力してくれるのならば心強い。博孝は男性であり、女性であるみらいについては気が回らないこともある。その点、同性の女子生徒達ならば博孝が気付かないことにも気付くだろう。


「次に、これは俺からの“要求”だけど……」


 二つ目の要求を口にしようとする博孝だが、女子生徒達は警戒しつつ、それでいて諦めたように博孝の言葉を待っている。冗談で体を要求してみようかと思った博孝だが、さすがに問題があり過ぎるために自重した。


「そうだな……全員に一食ずつ飯を奢ってもらうかな」

「……え? そんなことで良いの?」


 博孝が出した要求を聞き、女子生徒を代表して牧瀬が尋ねる。もっと過酷な要求をされると思っていたのか、安堵するよりも警戒の方が強い。『ES能力者』の訓練生として毎月給料をもらっている身からすれば、一食奢る程度は負担にもならなかった。


「みんなみらいのために怒ってくれたんだしな。それに、鉄板の上で正座して、ついでに鉄の板を乗せられても痛くなかったし」


 精神的には痛かったが、肉体的には痛くなかった。そのため、食事を奢ってもらえれば水に流そうと博孝は思う。何も罰がないよりも、そちらの方がお互い納得ができるだろう。


「河原崎君がそれで良いならいいんだけど……」


 そう言いつつ、牧瀬が博孝を促して朝食を買いに行く。とりあえず食費が浮いたことを喜ぶ博孝だが、用途が定まっていない多額の金銭が通帳の中に眠っている。もう少し別のものにすれば良かったかと悩むが、今更撤回するつもりはなかった。

 定食を奢ってもらった博孝は、そのままの流れで女子生徒達と共に席に着く。恭介に視線を向けると、恭介は関わり合いを避けるように視線を逸らした。


「なんとも珍しい面子になってしまったけど……まあいいや。いただき――」

「あ、博孝君……え?」

「博孝……え?」


 両手を合わせ、いざ朝食を、と思った博孝に対して二つの声がかかる。その声は里香と沙織のものだが、途中で何故か不思議そうな響きへと変わった。それを不思議に思った博孝は、合掌をしたままで振り向く。


「おっす、おはよう二人とも……ん?」


 振り向いた博孝は、思わず硬直する。里香と沙織が声をかけてきたのは良い。しかし、里香と沙織は両手に布包みを持っており、互いに顔を見合わせ、手元の布包みに視線を向け、何かを図るように視線を合わせていた。

 布包みの大きさからすれば、おそらく中身は弁当箱だろう。“二人とも”、中身は弁当箱だろう。


「……ご用件は何で御座いましょうか?」


 何と声を掛ければ良いか迷った博孝の呟きに、里香と沙織は行動を再開する。


「えっと、ね? 昨日のお詫びにと思って朝ごはん用のお弁当を作ってきたんだ……けど」

「わたしもよ。昨日のお詫びにと思って弁当を作ってきたの……だけど」


 けど、の後に続く言葉はなかった。博孝は何故か、背中から一気に汗が噴き出すのを感じた。里香と沙織は博孝の席に用意された朝食と、真顔になって硬直する女子生徒達の姿を見て、差し出そうとしていた布包みを引っ込める。


「ご、ごめんね? その、わ、わたしが勝手に作ってきただけだから……」

「……自分で食べるわ」


 二人はそう言って、踵を返そうとした。それに気づいた牧瀬は、対面に座っていた博孝の足を軽く蹴って行動するよう促し、他の女子生徒達にアイコンタクトを取る。


「な、何を言ってるのよ二人とも! これはそう! 一食だと足りないから、わたし達で分け合って食べるためなの!」

「そ、そうそう! いやぁ、『ES能力者』になってからは体重もあまり増えないし! 食堂の料理が美味しいし!」

「朝ごはんはしっかり食べないとね!」


 かなり苦しい言い訳だったが、博孝はそれに乗ることにした。


「そうなんだよ! 俺がここに座っているのは、昨日の件について謝罪を受けてただけなんだ! 謝罪の代わりにみらいの面倒を見てくれって頼んでたところで……ああ! もちろん二人にも頼もうとしていたとも!」


 そんな誤魔化しを口にしつつ、博孝は席から立ち上がる。奢ってもらって申し訳なく思うが、言葉にした通りみんなで食べてくれるだろう。そう判断した博孝は、ややオーバーなリアクションを取りながら里香と沙織から布包みを受け取った。


「手料理なんて嬉しいなあ! 食堂の料理も美味しいけど、こういうのはまた格別だよ!」


 そう言いつつ、博孝は里香と沙織を促して別の席へ移動する。里香と沙織は何か含みのある眼差しをしていたが、必死に弁当を褒め称える博孝を見て嘆息した。


「うん……ありがとう、博孝君」

「食べきれないなら里香の分だけ食べて。わたしのは残しても良いわ」


 “とりあえず”は納得したらしい。博孝は二人の言葉を聞くと、乾いた笑みを浮かべながら首を横に振った。


「二人前でも余裕だって! こちとら泣く子も黙る成長期ですよ!? さーて、おかずはなにかなー」


 自分でも何を言っているのかわからなくなりつつあるが、博孝は席に座ると早速布包みを開けようとする。しかし、先に食べ始めるわけにもいかず、里香と沙織に食事を買ってくるよう促した。


「ミスったわ……岡島さんと長谷川さんがああ出るとは」

「河原崎君にご飯を奢るのは今度にしましょうか」

「ふぅ……嫌な汗をかいた……」


 女子生徒達のそんな呟きが聞こえたが、博孝は聞かなかったことにする。そして冷や汗を拭っていると、食堂の入口に奇妙な生き物を発見した。


「…………」


 食堂の入口から顔を半分だけ出し、無言で見つめてくる小柄な銀髪の少女。もちろん、第七十一期訓練生の中に銀髪の者は一人しかいない。


「みらいの奴、何をしてるんだ?」


 まるで警戒心が強い小動物のような行動に、博孝は腰を浮かしかけた。すると、みらいは驚いたように物陰に隠れてしまう。


「……んん?」


 みらいの行動があまりにも不思議だったため、博孝は席を立って食堂の入口へと足を運ぶ。すると、みらいは周囲に視線を向け、その場で二度、三度と足踏みをした。

 まるで、逃げ出すべきか、この場に留まるべきか迷っているような仕草である。博孝はそんなみらいの態度に疑問を持ちつつ、みらいの元へとたどり着いた。


「みらい? どうかしたのか?」


 なるべく声を優しいものにしながら尋ねると、みらいは唇を引き結び、僅かに顔を赤くしながら視線を床に向けた。


「おーい、みらいさーん?」


 膝を折って視線の高さを合わせ、博孝が再度声をかける。その声を聞いたみらいは、恐々といった様子で顔を上げた。


「……おこって、ない?」

「ん? 怒る? なんでだ?」


 いきなり怒っているかと聞かれ、博孝は正直に答える。そんな感情はなく、むしろ困惑しているぐらいだ。みらいは博孝の顔を見て、本当に怒ってないと気付いたのだろう。おずおずと、博孝の首に両手を回して抱き着く。


「……きのう、ないたから」


 その言葉に、博孝の困惑は深まる。しかし、みらいが何を気にしているかを読み取ると、そのままみらいを抱き上げた。


「あー……あれなぁ。怒るわけないよ。むしろ悪かったなぁ……みらいもビックリしたんだろ? 兄ちゃんが悪かった。もっと気を遣えば良かったな」


 安心させるように背中を叩くと、みらいは首を横に振る。


「……えと、は、はずかしい? だけだから……」

「うん、恥ずかしかったから悲鳴を上げちゃったんだよな? それはな、間違ってはいないんだ。だからそこまで気にすることはないって」


 どうやら、本当に羞恥心を覚えていただけのようだ。それでもみらいが羞恥心を覚えたことに、博孝は嬉しいような、寂しいような複雑な心境になる。みらいはそんな博孝の心境を知ってか知らずか、不思議そうな声で尋ねた。


「……それでね、おにぃちゃん。なんでみらいはべつのへやになったの?」

「お……あー、それはだな……えーっと、昨日と同じようなことがあったら、みらいも恥ずかしいだろ?」

「んー……たぶん」


 みらいからの質問に対し、博孝はかなりぼかして尋ねる。みらいは僅かに悩んだものの、肯定するために頷いた。


「兄妹でも、ある程度年齢を重ねたら部屋をわけるものなんだよ。みらいだって、もう立派な女の子だ。言わばレディだ。だから、部屋をわけることにしたんだ」

「れでぃ……」


 言葉の意味がわかったのか、みらいは急に博孝の腕から飛び降りる。そして何故か上機嫌になると、博孝の服の裾を引っ張った。


「……うん、わかった。おにぃちゃん、ごはんたべよ?」

「一体何に納得したんだ……いや、朝食は今から食べるけどさ」


 レディという言葉が琴線に触れたのか、みらいは昨日のことを忘れたように食事を求める。みらいの中で、何かしらの形で落ち着いたのだろう。

 そう結論付けた博孝は、自分を待つ二つの弁当箱のことを思い出し、心中で嘆息する。

 里香と沙織の弁当は、“胃と心”に色々な意味で染み込む、とても美味いものだった。








 その日の午前中に行われた授業は、修学旅行で学んだ護衛方法に関するおさらいである。実際に護衛任務を行う『ES能力者』の立ち振る舞いを見たことで、気になる点や参考になった点を洗い出し、自分達の血肉にするのだ。

 そして、午後の実技訓練は学んだことの実践になる。実際の護衛の動きを見て学んだことを取り入れ、実践することで身に付ける。そんな趣旨の説明を受けた博孝だが、午後になってグラウンドに出ると違和感を覚えてしまった。


「……あれ? なんか、障害物の配置が変わってね?」


 護衛任務の訓練を行うということで、グラウンドに設置された木製の障害物。実際の街並みを参考にして道や建物が配置されているのだが、以前訓練をした時と比べると、配置が変わっているように感じられた。それに加えて、何故かオブジェクトとして大量の草が設置されている。

 そのことを疑問に思った博孝だが、砂原が姿を見せたことで詮索を止める。他の生徒達も私語を止め、整列したままで砂原の言葉を待った。


「さて、諸君。午前中は座学で護衛について学び、午後からはその実践だ」


 整列している生徒達を見た砂原は、どこか楽しげな口調でそんなことを言う。その声色に不穏なものを感じた博孝は、間違っていないだろう。砂原が実技訓練で楽しそうにする時は、生徒にとって辛い時なのだ。


「修学旅行で学んだことを自分の力に変えてほしい。だが、俺は思うのだ。学んだことを実践に移すことで、大きな経験値となるだろう。しかし、その経験値を可能な限り増やしてやるのが教官としての役目ではないか、とな」


 砂原が言っていることは、間違ってはいない。見て学んだことを実践して覚えるのは良いと思うが、所詮はそれだけだ。見て学んだ以上のことはできない。

 それは博孝としても納得ができる。だが、それを口にしているのは“あの”砂原だ。生徒との模擬戦で『収束』を発現し、徹底的に、とことん追い込む砂原だ。


「そこで、一つ考えてみたのだが……」


 顎に手を当て、何かを考えるように視線を遠くへ向ける砂原。生徒達のほとんどはそんな砂原の仕草に目を取られ、何を言い出すのかと意識を砂原へ集中させる。



 ――次の瞬間、博孝は振り向きざまに拳を振るった。



 僅かに感じた殺気。それに体が反応し、最適な防御を行わせる。体を捻り、咄嗟に『構成力』を集中させた拳が“何か”に激突して弾かれた。


「っ!?」


 博孝の行動から数瞬遅れて、軽い発砲音が響く。それも、“複数”だ。


「なんだっ!?」

「きゃあああぁっ!」

「いてっ!」


 飛来する銃弾が命中し、生徒達が慌てたように周囲を見回す。博孝と同様に反射的に体が動いたのか、飛来する銃弾を弾いた沙織が『無銘』に手を掛けて腰を落とした。

 グラウンドに設置された障害物や、偽装された地下壕。あるいは校舎の窓などから艶消しの施された銃口が覗いており、博孝達訓練生を狙っている。グラウンドの砂地や障害物、設置された草の色にカモフラージュするためか、ギリースーツを着込んでグラウンドに伏せている者もいた。

 驚く生徒達を見た砂原は、にこやかに告げる。


「緊張感を増すために、狙撃兵を用意した。襲ってくるのが『ES能力者』だけとは限らんからな。いついかなる時でも狙撃があると思えば、日常生活を送る中でも自然と警戒心が養われるだろう?」


 何が楽しいのか、砂原は笑顔だった。そして、生徒にとっては爆弾にも等しい物体を懐から取り出す。


「銃弾を弾いた河原崎と長谷川、それと実際に被弾した者にはわかっただろうが、潜ませた狙撃手には対『ES能力者』用の狙撃弾を持たせている。毎回使用するわけではないが……まあ、昼食を食べた後には眠くなる。これは丁度良い“目覚まし”だと思わんかね?」


 お前達もそう思うだろう、と言わんばかりに笑顔で同意を求める砂原。博孝は思わず頬を引きつらせると、その場で挙手をした。


「教官、質問をしても良いですか?」

「河原崎か。なんだ?」


 僅かに衝撃が残る左手を掲げつつ、否定してほしいと思いながら博孝は尋ねる。


「今の銃弾、けっこう威力があったんですが……直撃すると危険なのでは?」

「ふむ……柳に『こんな訓練をしたい』と言って協力を求めたら、喜んで用意してくれたのだがな。まあ、一発一発がハンドメイドのようなものだ。威力に多少の誤差はある」


 さらりと、恐ろしいことを言ってのける砂原。それを聞いた生徒達は、恐怖から思わず引きつった笑みを浮かべてしまった。

 無論のことではあるが、生徒達に重傷を負わせる、あるいは死なせてしまうような威力の銃弾は用意していない。そもそも、銃弾程度に込められる『構成力』には限度がある。精々が、『防殻』なしに直撃すると出血する程度だ。

 質よりも量が欲しいと相談したため、一発の弾丸に込められた『構成力』は少ない。柳の元を訪れた際、砂原が密かに受け取っていたのである。込められた『構成力』の量は砂原も『探知』で確認しているため、間違っても生徒達を死なせることはない。危機感を煽るため、それは口に出さないが。


「そういうわけで、護衛訓練に狙撃の警戒訓練を付け足すことにした。どうだ? 実に楽しそうだろう?」


 まるで、ピクニックに行くから喜べと言われた気分である。実際には、ただでさえ気を遣う護衛訓練に、周囲を警戒する必要性が加わっただけだ。難易度は比べ物にならない。


「護衛に対する脅威というものは、身の回りだけに発生するわけではない。狙撃などは暗殺の常套手段だ。護衛対象の動きに、周囲の動き。そして狙撃が可能なポイントに対する警戒心。この三つを警戒できれば、諸君らも最低限の護衛はできるようになるだろう」


 砂原の言いたいことも、生徒達には理解できる。常に周囲に気を配ることができれば、護衛対象だけでなく自身の安全にもつながるのだ。


「これからしばらくは、実技訓練の最中に銃弾が飛んでくることもあるだろう。護衛訓練だけに限らず、準備運動や模擬戦、小隊連携訓練の時も注意したまえ。ああ、さすがに座学の時は中断するが、窓が空いていると“何か”が飛んでくるかもしれん」


 いつまで、どれぐらいの量の弾丸が飛んでくるのか。それを明示しないままに砂原は午後の授業を開始する。生徒達は常に周囲に視線を向け、神経を尖らせ始めた。しかし、それを見た砂原は視線を外していた生徒の頭に拳骨を落とす。


「ほう……俺の話を聞こうとしないとは、良い度胸だな」

「えぇっ!? さ、さすがに周囲を警戒しながらだと無理ですよ!」


 理不尽とも言える発言に、その生徒は反射的に抗弁していた。すると、再度拳骨が落とされる。


「馬鹿か貴様は。護衛任務は周囲に溶け込むことが重要だと教えただろうが。そのように周囲を警戒していれば、何かあると喧伝しているようなものだぞ」


 護衛対象を守るために護衛が慌てていたのでは意味がない。相手や周囲に悟らせず、それでいて護衛対象を守り抜けるよう自然に警戒を行う必要があるのだ。二回の拳骨を受けた生徒は、不満そうに唇を尖らせた。


「……いきなりは無理ですよ」


 いつ、どの方向から、何発の狙撃が行われるのか。普通の銃弾ならば気にしなくても済むが、対『ES能力者』用の銃弾が使用されるのなら話は別だ。その生徒の抗議は、砂原でも理解できる。しかし、それを聞き流して博孝と沙織に視線を向けた。


「河原崎兄と長谷川。お前達は最初に狙撃を防御したな。あの時は俺の話を聞いていたはずだが、何故防御できた?」

「え? 殺気を感じたからですが?」

「わたしもです。何かに狙われた感覚がありましたから」


 砂原に問われた博孝と沙織は、至極当然のように答え――その二人を狙って、再度銃弾が放たれた。しかし、博孝は掌底で弾丸を叩き落とし、沙織は抜刀した『無銘』で銃弾を両断する。『ES能力者』の動体視力と身体能力があってこそ、初めてできる技だ。それでも、あらかじめ狙われているとわかっていれば対処は容易い。


「おお、なんだよ沙織。今のって映画みたいで格好良かったぞ」

「え? そう?」


 銃弾を弾いた博孝が称賛すると、沙織は嬉しそうに微笑む。『無銘』を扱う練習になると思っていたが、博孝からの賛辞に沙織は大いに喜んだ。そんな博孝と沙織を見て、砂原は先ほど抗議した生徒を諭す。


「見ろ。あれぐらいはすぐにできるようになる。だが、そうだな……」


 そんなことを言いつつ、砂原が右手を上げた。すると、今度は砂原目がけて銃弾が放たれる。その数は三発ほどだったが、砂原は弾道を見切ると、残像が残る速さで両手を振るった。


「理想は、狙撃された弾丸を掴み取ることだ。河原崎兄と長谷川。お前達のように弾丸を弾くと、周囲に被害が出る危険性がある。可能な限り掴め。『防殻』を発現していれば怪我をすることもない。まあ、さすがに対人ではなく対物ライフルでも使われたら、『盾』ぐらいは発現して防御した方が安全だがな」


 博孝と沙織に注意を促す砂原の両手から、掴み取った弾頭が零れ落ちる。砂原の両手に激突した衝撃で潰れており、それを見た博孝と沙織は大きく頷いた。


「了解です」

「わたしとしては斬りたいところですが……了解しました」


 銃弾を弾くと、周囲の人に命中するかもしれない。そんな砂原の教えに納得する二人だった。砂原は列が乱れた生徒達を再度整列させると、これからの訓練の趣旨をまとめる。


「先ほども言ったが、これは警戒心を身に付けるための訓練だ。護衛訓練を行いつつ、近くだけでなく遠くにまで意識を配る。狙撃可能な危険な場所を目で探り、狙撃手の発砲は感覚で探る。ここでいう感覚とは、『構成力』ではないぞ? 人間が生き物として持つ、感知能力を研ぎ澄ませろ」


 元々予定していた授業ではあるが、本来ならば年が明けてから行うつもりだった。それを前倒ししたのは、源次郎からもたらされた『進化の種』が盗まれた情報と、人面樹などの『ES寄生進化体』の存在が危惧されたからである。

 前倒しして教え込めるのならば、可能な限り教え込む。そして、前倒しして空いた分だけ新たな技術を授けることができるのだ。

 本来ならば、狙撃の警戒訓練に使用する銃弾は通常の銃弾である。対『ES能力者』用の弾丸など使用しないのだが、砂原はその通例を容赦なく蹴り飛ばした。

 生徒の安全に配慮しつつ、それでいて最大限危機感を煽る。そうすることで、生徒達の警戒心はよりいっそう磨かれるのだ。さすがに“実戦”で経験させるわけにはいかないが、この方式ならば実戦に近い感覚を養うことができる。

 狙撃手については近隣の陸軍から借り受けており、訓練生が相手とはいえ『ES能力者』の身体能力に慣れることが可能になるという目的から喜んで派遣されていた。訓練の最中に激しく動き回る訓練生を狙い、命中させるだけの技量があれば『ES寄生体』などにも有効となる。そのため、陸軍の中では地味に人気が高い訓練方法でもあった。


「それではこれから実技訓練を開始する。準備体操と組手を行え。それと長谷川、お前はこっちに来い」


 生徒達に準備体操とES能力なしでの組手を命じる砂原だが、沙織だけは別に呼ばれる。それを疑問に思った沙織だが、砂原は『無銘』に視線を向けて口を開いた。


「その刀についてだが、少し貸してみろ」

「……はい」


 沙織は僅かに渋ったものの、相手が砂原ということで『無銘』を差し出す。砂原ならば、意味もなく『無銘』を貸せとは言わないだろう。『無銘』を受け取った砂原は沙織から距離を取ると、抜く手も見せずに『無銘』を抜刀し、その場で軽々と剣舞を始めた。

 その動きは、剣術を学んだ沙織から見ても見事なものである。少なくとも自分よりは技量が上だと沙織が確信するほど、流麗なものだった。


「ふむ……中々扱いやすいな。切れ味も確認したいところだ」


 抜刀してからいくつもの太刀筋を披露した砂原は、納刀して校舎傍の倉庫に向かう。そして訓練用の鉄塊を片手で担ぎ、グラウンドへと運んだ。


「教官?」

「まあ、見ていろ」


 まさかと思いながら沙織が声をかけると、砂原はグラウンドに置いた鉄塊の前で腰を落とす。鉄塊は一メートルほどの大きさだったが、砂原は気負うことなく『無銘』を鞘走らせた。

 右足で踏み込み、体を捻りつつの抜刀。その一閃は左横から鉄塊に食い込み、軽い金属音と共に何の抵抗もないように右横へと切り抜ける。その切り口は見事であり、斬られた鉄塊は微動だにしない。


「なるほど……たしかに頑丈さと切れ味は大したものだ」


 鉄塊を両断した砂原は、刀身を眺めながら言う。刃毀れもしておらず、刀身の“腰”が伸びた様子もない。砂原自身の技量もあるだろうが、『無銘』の頑強さと切れ味が優れている証拠だった。

 さすがに鉄塊まで斬るとは思っていなかったため、沙織は『無銘』を雑に扱われたように思ってしまう。そんな沙織の心情を見抜いたのか、砂原は苦笑しながら納刀した。


「そう腹を立てるな。詫びと言ってはなんだが、一つ面白いものを見せてやろう」


 沙織の頭に軽く手を乗せ、砂原は斬ったばかりの鉄塊から距離を取る。そしてゆっくりと抜刀すると、『無銘』の刀身に『構成力』を込め始めた。

 『構成力』によって白く発光する『無銘』。砂原が何をするのかと沙織が注視すると、砂原は小さく笑ってから『無銘』を振り下ろした。


「……え?」


 思わず、沙織の口から呆けたような声が漏れる。砂原が『無銘』を振り下ろすと、『無銘』の刀身から『構成力』で構成された刃が飛んだのだ。その刃は宙を翔け、今度は鉄塊を縦に両断する。


「三級特殊技能の『飛刃(ひじん)』だ。見ての通り、“飛ぶ刃”だな。『武器化』を応用した遠距離攻撃になる。射撃系のES能力に比べれば射程と連射性能で劣るが、切断力に優れるES能力だ。上手く当てれば、この一撃で勝負がつくこともある。それと、『構成力』を上手く使えばこんなこともできるぞ」


 言うなり、砂原は『無銘』を正面へと突いた。すると、刃先から白く発光する刃が伸び、鉄塊を貫く。


「お前も『武器化』で刀身の長さを変えていたが、こうやって“伸ばす”こともできる。遠距離攻撃が苦手なお前には丁度良いだろう。『無銘』を使えば補助にもなるぞ」


 一連のES能力を披露した砂原は、納刀してから『無銘』を沙織に渡す。沙織は砂原が見せた『飛刃』を脳内で振り返り、興奮したように頷いた。


「“お手本”を見せていただき、ありがとうございます」

「なに、俺はこの刀の可能性の一端を見せただけだ。これ以上のことができるようになるかは、お前の修練次第だな」


 沙織の様子を見た砂原は、苦笑しながらそう言う。遠くでは、『飛刃』を見た博孝や恭介が歓声を上げていた。

 そして、砂原は沙織を真っ直ぐ見据えて視線を鋭くする。


「だが、この刀はお前を助ける代わりに戦う相手を危険に晒す。抜くなとは言わん。使うなとも言わん。ただ、この刀は人間だけでなく『ES能力者』を殺し得る“凶器”であると肝に銘じろ。努々、それを忘れるな」

「……はい」


 浮かれていた沙織は、その砂原の言葉で冷静さを取り戻す。凶器は使い手次第で様々な用途があるのだ。砂原の言葉を胸に刻みつけ、沙織は再度頷くのだった。











どうも、作者の池崎数也です。

一話前の話について、読者の方々から「あれほど酷いことをしたのに謝罪がないのはちょっと……」という旨のご感想をいただきました。

文量が多かったため、前話では謝罪イベントまでは書けませんでした。そのため、今回の話に跨る形となっております。

一話辺り一万字前後で書いていたため、今回の話に回してしまいました。御不快にさせてしまい、申し訳ございません。


ご指摘を下さった方々、ありがとうございました。これも一つの勉強と思い、今後の話の構成に活かしたいと思います。


それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。


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