閑話:クラスメートの視線
ES訓練校第七十一期訓練生、出席番号八番。第六小隊小隊長。それが、中村明良という人間の肩書きである。
両親が『ES能力者』であり、遺伝する可能性が一割程度であるにも関わらず『ES能力者』となった。中学校の三年目に受けたES適性検査にて『構成力』の発現が確認され、そのままクラスメートから隔離されて検査用の施設行きである。
『ES能力者』になる可能性については、両親が『ES能力者』である点から覚悟していた。『ES能力者』として忙しい日々を送る両親だったが、悪い『ES能力者』や時折発生する『ES寄生体』と戦い、市民の平和を守っているのだと尊敬してもいた。
そんな中村であるからして、『ES能力者』になった時の衝撃はそれほど大きくはない。同期として入学したクラスメートのほとんども、似たようなものだろうと中村は思う。『ES能力者』を両親に持てば、ある程度は自然と覚悟できるものだ。
中村は第七十一期訓練生であり、同期は自分を含めて三十二人。普通の学校の一クラス程度だと思えば、過不足はないだろう。
入学したその日は、ピカピカの真新しい制服に身を包み、自分と似たような表情をしている新たなクラスメート達と出会い、そして、午後になるといきなり拳銃で撃たれる羽目になった。
『ES能力者』の体が如何に頑丈と云えど、中村は『ES能力者』になったばかりである。肉体はともかく、精神は普通の人間の頃のままだ。そのため、クラスメートになったばかりの博孝が砂原に撃たれ、地面の上でのた打ち回った時には驚愕し、実際に自分が撃たれる時には恐怖した。
拳銃で撃たれても衝撃しか感じなかった点には驚いたものの、連日行われる訓練によってその認識を改める。
人間離れした身体能力に、普通の人間では持ち得ないES能力。その二つによって、中村は『ES能力者』がどのような存在かを実感していく。
何百キロもの鉄塊を担いで走り、拳銃で撃たれても怪我もせず、『構成力』を操って魔法のように放つ。まるで自分がスーパーマンにでもなったような全能感は、中村明良という少年の性根を大きく捻じ曲げた。
本来、中村明良という少年はそれほど活動的な性格ではない。勉強も運動もそれなりにこなし、友人も適度にいるだけの、どこにでもいる少年だった。そんな中村が得た『ES能力者』としての力は、年若い彼を昂らせ、調子に乗らせる。
中村の同期には、河原崎博孝がいた。出席番号は一番で、最初の自己紹介ではボケをかまし、その後もことあるごとに騒ぐ。授業では頻繁に質問をし、それと同時に騒ぐことも多いのは積極的なのか、それとも傍迷惑なだけか。中村は、それを後者とした。
入校からそれなりの日時が経とうと、『ES能力者』としては基本中の基本である『防殻』すら発現できない落ちこぼれ。それだというのに授業では恭介と騒ぐことが多く、教官である砂原が殴って止めるような人物だ。
中村は自分と似たような性格だった和田や城之内と仲良くなっており、よく三人で行動している。そんな中村達は、授業で騒ぐ博孝に対して軽く不満を持った。
「あいつ騒ぎすぎじゃね? ちょっと目障りだよな」
「たしかにな。『防殻』すら使えないくせに、はしゃぎ過ぎだろ」
「まあ、そうだな……」
この時、博孝と一緒に騒ぐ恭介に矛先が向かなかったのは、恭介が『防殻』を発現している上に体術の成績が良かったからだ。
『ES能力者』として手に入れた力に溺れ、全能感に浸り、自分は特別で選ばれた人間なのだと思い込んだ末の行動。それは、博孝を直接害することである。
身に付けた力を使ってみたいという欲求。『防殻』を使えない博孝に対する侮蔑と優越感。そんな博孝が騒がしく振る舞うことに対する不満と苛立ち。
後になって振り返れば、中村はこの時のことを悶絶するほどに恥ずかしく思う。思い上がっていた自分と、その思い上がりを自分以外の者に向けたこと。それは幼かった、あるいか若かったと一言で片づけるには羞恥が大きすぎた。
だが、中村は和田や城之内と共に博孝に喧嘩を売る。いくら『ES能力者』同士でも、『防殻』が発現できない博孝では相手にならない。そう思った中村は、三対一という状況に関わらず博孝に殴り倒された。
全員が『防殻』を発現していたものの、和田を掴んで振り回す博孝に虚を突かれ、動揺した途端に『防殻』を維持できなくなり、それを好機と見た博孝に殴り倒されたのだ。数の暴力によって博孝を地に伏せさせたものの、この時点で中村は自分の力と行動に疑問を持つ。
そんな中村も、日々の砂原との訓練で自分の技量が『ES能力者』の中では大したことがないのだと気付いた。教官である砂原は豪傑か化物とでも形容すべき技量であり、鼻歌混じりの気楽さで第七十一期訓練生達を叩きのめす鬼教官である。
それでも、入校から半年経っても『防殻』を発現できない博孝に対する侮蔑の感情は消えていなかった。博孝は相変わらず『構成力』を感じ取れず、ES能力が発現できないために体術を磨き続けていたが、『防殻』すら発現できないのでは意味がないと思っていた。
そんな中、初めて行われた任務。『ES寄生体』の出現頻度が低い地域での警邏という、訓練生でもできる“初めてのお使い”。中村率いる第六小隊は何の問題もなかったが、博孝率いる第一小隊が『ES寄生体』と遭遇し、里香を庇った博孝が瀕死の重傷を負った。
この時ばかりは、クラスメートとして博孝を心配した。だが、博孝は数日も経てばケロッとした顔で訓練校に帰還する。無事だったことを喜ぶ半面、よく無事だったものだと侮る気持ちがあった。
博孝に対する侮蔑が、文字通り粉々にされたのはそれからすぐのことだ。博孝に“模擬戦”を挑まれ、ものの見事に惨敗する。他の生徒とは異なり、入校以来夜を徹してまで体術の研鑽を行っていた博孝が『防殻』を発現してしまえば、結果は目に見えている。
その結果を証明するように、中村は和田や城之内と共に叩きのめされることになった。三対一という状況にも関わらず、博孝一人に負けたのだ。
その時、中村は強く思った。それは、博孝に対する不満や怒りではない。これまで自分が何をしていたのかという疑問だ。
話を聞けば、博孝は『ES能力者』になれたら『飛行』を発現して空を飛びたいと思っていたらしい。『飛行』は三級特殊技能であり、余程才能に溢れる者でも習得に時間がかかる。訓練校を卒業するまでに『飛行』を発現できる者が現れるのは、数年に一度ぐらいだ。正規部隊員の中でも、『飛行』を発現している者は少ない。
ES能力を発現できずとも、自分にできることとして体術を磨き続けた博孝。それに対して、自分は何をしていたのか。
もしもここで、博孝が中村達に対してこれまでのことに対する報復を行っていれば話は変わっただろう。だが、博孝は互いの戦績を一勝一敗とし、これまでのことは水に流そうと握手を求めてきた。
そんな博孝に対して憎まれ口で応えたのは、年頃の少年としては仕方がないことだろう。それでもクラスメートとして、同じ『ES能力者』として、中村は博孝のことを認めることとなる。
博孝と最も仲が良い友人は、武倉恭介という少年である。博孝と似たような性格をしており、騒ぐ時には博孝と共にとことん騒ぎ、砂原の鉄拳によって沈黙させられる間柄だ。
ES能力を発現できるようになってからも、博孝は騒がしい。中村はそう感じたが、以前ほど苛立ちを覚えなかった。
それは博孝のことを認めたから――では、ない。たしかに博孝はよく騒ぐが、時折何かしらの意図を持っているということに気付いたからだ。無論、何も考えずに馬鹿騒ぎをしていることも多々ある。恭介と共に騒ぎ、砂原に殴り倒される姿は見慣れたものだろう。ついでに言えば、何を仕出かしたのかクラスメートである里香に対して土下座をしている姿もよく見かけたものだ。
中村からすれば、河原崎博孝というクラスメートを一言で表すのは難しい。
博孝は馬鹿である。ついでに言えばアホである、さらに付け足せば、お調子者である。毎日のように砂原に殴り倒され、時折里香に下段蹴りを食らって縦に回転し、女子生徒達に追い回されて袋叩きに遭うような人間だ。
クラスの女子に聞いてみたところでは、『遠くから見ている分には面白いものの、彼氏にするには熟慮を要する』という評価である。ついでに言えば、『予約済みの商品に手は出せない』という言葉もあった。あるいは、『デートには行っても、良いお友達でいるのが丁度良い』という評もある。
好意的に解釈するなら明るく目立つ人物。露悪的に解釈するなら騒動の種になる人物。そんな、口を塞いで椅子に縛りつけて静かにさせたい博孝と同じクラスにいれば、ある程度の性格等は中村も自然と理解してしまった。
――性格は明るく豪胆だ。
これは中村としても断言できる。そもそも、博孝のような人間を指して暗い性格だと言えば、人類のほとんどは暗い性格になるほど騒がしく、明るい性格だ。それに加えて、年長者だろうと階級が高い者だろうと気兼ねなく接する度胸があった。礼儀を払いつつも、自分を押し殺さずに接することができる。
――勉強は意外とできる。
中村としては驚くしかないのだが、博孝は『ES能力者』に関する知識だけでなく、一般科目もテストでそれなりの点数を取っていた。
――『ES能力者』としての成長も早い。
訓練が苦にならないのか、自ら率先して自主訓練に励んでいる。連日徹夜で自主訓練を行うのも珍しくなく、いつ休んでいるのかと不思議に思うほどだ。接近戦に限れば第七十一期訓練生の中でも随一の沙織と渡り合えるのは、博孝だけである。
ES能力についても、攻撃系だろうが防御系だろうが補助系だろうが、全てを満遍なく身に付けている。その上、『飛行』まで発現するほどだ。中村としては、砂原が『飛行』の訓練と称して生徒達の『射撃』の的にさせる点は同情するが。
――小隊長として上手く部下をまとめる。
訓練校の小隊長というものは、正規部隊ほどに厳格なものではない。それでも将来を見越して指揮官適性のある者が務めており、博孝は同期の中でも指折りだろうと中村は思っている。
何があったのか、どんな手品を使ったのかはわからないが、入校当初は氷のように冷たく、他人を寄せ付けなかった沙織に心を開かせた。模擬戦では連携を重視し、中村達第六小隊は一度も第一小隊に勝てていない。博孝と沙織の間で何があったのかだけは気になるが、中村は努めて気にしないようにしている。
河原崎博孝という少年を人間として、あるいは『ES能力者』として評すならば、中村としてはこれ以上のことは“ほとんど”ない――そう、“ほとんど”だ。
博孝の性格は、生来のものだと思う。
勉強に関しても、真剣に取り組めばテストで良い点を取れるだろう。
『ES能力者』としての成長が早いが、それを可能とするだけの努力もしている。第七十一期訓練生には、博孝の他にも成長が早い者がいるのだ。
小隊長としての技量は、博孝個人の性格と技量、そして努力で培われたものだろう。
これらを総合すれば、本人の努力と才能で力を身に付けているのだと思う。あるいは、教官である砂原の影響が強いのだろう。
“通常”ならば、訓練生は卒業までに汎用技能の全てを扱えるようになれば上出来と言われる。特殊技能を一つでも身に付けたならば、秀才だろう。卒業後の進路として、各部隊から引く手数多になるほどだ。
砂原は、そんな訓練校の常識を無視した。あるいは、凌駕したとも言える。生徒を徹底的に鍛え、汎用技能だけでは生温いと言わんばかりに特殊技能まで教え込む始末だ。
体力と『構成力』を増やし、体術を鍛え、戦況を見極める洞察力を身に付けさせ、どんな状況にも対応できるようES能力をバランスよく習得させる。生徒の限界を見極めつつ、少しでも限界の“先”に進めるよう教え込むその手腕。訓練の時は非常に厳しいが、それでも砂原のことを憎く思っている生徒はいないだろう。むしろ、尊敬している者ばかりだ。
そんな砂原の“お気に入り”である博孝は、訓練の際に徹底的に扱き抜かれる。沙織や恭介なども参加しているが、放課後に個人的に師事をしていれば、嫌でも強くなるだろう。
なるほど、たしかに博孝は努力をしているだろう。『ES能力者』として才能もあるのかもしれない。『飛行』を発現したいと強く思っていたために、向上心もある。
――だが、それだけではないと中村は思う。
博孝達ほどではないが、中村とて放課後の自主訓練に励んでいる。体力と精神がもたないために何日も連続で行うことはないが、可能な限りの努力は積んでいるつもりだ。
それでも追い付けず、差は徐々に広がるばかりである。才能、あるいは努力量の差。言葉で片付けるのは簡単だが、中村はそれだけではないと思うのだ。
博孝は、“何か”を隠している。確証はないが、そう思う。これは中村だけの意見ではなく、クラスメートの多くが感じていることだ。
そう思うに至った切っ掛けは、博孝の“妹”である河原崎みらいの存在である。十三歳には見えない、幼い外見と言動。行動も幼く、まるで無邪気な子供のようだ。顔立ちも西洋系であり、髪の色は銀。名字が一緒でも、兄妹とするには不自然過ぎる。
みらいの性格は博孝と真逆であり、ほとんど喋ることがない。かといって行動的でないかといえばそうではなく、言葉少なにアグレッシブな行動を取ることも多々あった。その外見と性格、言動から、第七十一期訓練生全員の妹のような存在になっている。
中村としても、お菓子をあげると無表情の中に喜びの色を発生させ、リスのように齧る姿は微笑ましく可愛らしいと思った。さすがに、友人である城之内のみらいに対する感情を知った時は、友人を止めるべきか、それとも友人を辞めるべきかと悩んだが。
そのみらいは博孝が“オリジナル”のESに適合したため、妹であるみらいも同じように適合するのではないかという推論からES適性検査を受けたという。その結果みらいも“オリジナル”のESに適合したが、『構成力』が安定しないため、兄である博孝と同じ第七十一期訓練生として“転入”することになった。
博孝が訓練校に入校してから、約九ヶ月経っての話である。何故ES適性検査を受けるのにそれほどの時間がかかったのか。そして、『ES能力者』としてはそれほど時間が経っていないはずだというのに、五級特殊技能である『固形化』を使えるのは何故か。
砂原からは情報規制が行われていると言われたために、その疑問をぶつけることはない。しかし、同じ疑問を持つクラスメートは多いのだ。
付け加えて言うならば、任務で外出する度に博孝の周りで何かしらの問題が発生するのも疑問だった。任務だけでなく、訓練校近くの街へ外出した際に敵性の『ES能力者』に襲われたこともあるという。
博孝もみらいと同様に“オリジナル”のESに適合したとは聞いたが、それが原因なのだろうか。
訓練生が行う任務というものは、簡単に言えば現場体験だ。将来的にどんな任務に携わるのかを実体験し、少しでも現場の雰囲気に慣れるためのものである。実際に戦うのは想定外の事態であり、『ES寄生体』と戦うことですら正規部隊員になってからというのが通例だ。
博孝のように敵性の『ES能力者』と戦うというのは、正規部隊員の中でもそれほど多くない数の者だけが体験していることである。博孝が『ES寄生体』や敵性の『ES能力者』と戦ったのを偶然で片付けるのは、とてもではないが無理があった。
一の実戦は百の訓練に勝るとも聞く。中村も『ES寄生体』と戦ったことがあり、その点には同意できた。何度も実戦を行うことで、博孝は飛躍的に力量を伸ばしたのだろう。
そう思えば、博孝の成長にも納得ができる。納得できるのだが、やはり疑問は尽きない。
疑問は解消したいと思うが、それはそれで“危険”な気がした。教官である砂原が何も言わない以上、中村達生徒にできることは限られている。
『ES能力者』は通常の軍組織ではないが、それでも分類としては軍組織に含まれるのだ。下手な詮索は危険であり、自分のためにもならない。
クラスメートの中には、現状を不安に思う者もいる。しかし、それを博孝にぶつける者はいなかった。
“ある日”を境に、博孝の雰囲気が変わったのが理由の一つである。飽きもせずに授業で騒ぎ、砂原に殴り倒され、努力を続けている点に変わりはない。上辺だけを見るならば、変わったところはないだろう。
だが、中村は博孝に違和感を覚えた。それは博孝が敵性の『ES能力者』に襲われ、その相手を“倒した”とニュースで流れた後のことである。
敵性の『ES能力者』を倒した――すなわちそれは、相手を殺したということだ。
もしも普通の人間ならば、殺人は立派な罪である。しかし『ES能力者』同士ならば話は異なる。相手は敵性の『ES能力者』であり、殺さなければ自分が殺されるのだ。博孝が敵性の『ES能力者』を殺したからといって、罪に問われることはない。
それでも、精神的な負担にはなるだろう。もしも自分が同じ立場だったら、どうなるのかすら中村にはわからない。少なくとも、以前と同じようには振る舞えないだろう。
それだというのに、博孝は以前と同様の振る舞いを続けている。相変わらず馬鹿なことをしては砂原に殴られ、授業で騒いで盛り上げ、訓練にも真剣に励む。『ES能力者』として一皮剥けたと言うべきか、あるいは砂原などの熟練の『ES能力者』に一歩近づいたという言うべきか。
辛くないはずがない。それでも“普段通り”に振る舞う博孝の姿を見て、他の生徒も不安を飲み込んでいた。ここで自分達の不安を表に出し、博孝に疑問をぶつけ、責め立てて何になるというのか。
仮定の話ではあるが、もしも博孝が不遜な性格であり、周囲との関係を気にせず振る舞い、我が儘な人間ならば話は違った。その場合、周囲の生徒は遠慮なく博孝に疑問と不満をぶつけたに違いない。
中村達から見れば、博孝はお調子者だ。ついでに言えばみらいを溺愛する兄馬鹿であり、里香に頭が上がらず、調子に乗っては砂原に殴り倒されているバカヤロウだ。
失敗に終わったが、修学旅行では率先して女子風呂を覗きに行こうと提案し、扇動し、実行するような奴である。馬鹿だと、アホだと思う。しかし同時に、そんな博孝のクラスメートであることを楽しく思う気持ちもあった。
ホワイトデーが満喫できなかったからといって、クラスメート全員を巻き込んでパーティを開くような気遣いもできる。あるいは、仲間思いと言い換えても良い。それは普段の行動や言動にも表れている。
そんな博孝だからこそ、そんな“仲間”だからこそ、周囲のクラスメートは何も触れずに博孝と接する。博孝が馬鹿なことをすれば笑い、砂原に殴り倒されれば笑い、女子生徒に追い回されているのを見れば、やはり笑う。
第七十一期訓練生として、クラスメートとして、同期として、友人として、仲間として。いずれは博孝から“事情”を話される時も来るだろうと信じ、今は何も言わない。
そんなクラスメートの空気を察しているのか、それとも素なのか、その日も博孝は馬鹿なことをやって騒いでいた。それを当たり前のように感じる程度には、中村達クラスメートも博孝のことを受け入れているのである。
「でも、やっぱり馬鹿だよなぁ……」
最終的には、その一言に落ち着いた。だが、その言葉には慣れと親しみの色が混ざっている。
その感情こそが、博孝と親しい者を除くクラスメート全員の心情だった――かも、しれない。
どうも、作者の池崎数也です。以前お話していた閑話の回です。
台詞がほとんどないため短めですが、クラスメート(と言いつつ主に中村基準)からの博孝に対する評価についてです。
今のところ、周囲からはこんな目で見られています。これが今後、どのように変化し、あるいは影響するのか。その辺りを書くのも楽しみに思います。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。