第百一話:修学旅行 その6 平和な修学旅行
柳のもとで“社会科見学”を終えた博孝達は、再びバスに乗り込んでの移動となった。ただし、それまでとは僅かに席順が異なる。他の小隊に変わりはないのだが、博孝の第一小隊だけは席順を変えざるを得なかったのだ。
「ふふ……ふふふ……早く訓練校に帰って振るってみたいわ。どれほどの切れ味を持つのかしら……」
蕩けるような笑みを浮かべ、布製の細長い袋に入った『無銘』を撫でる沙織がいたために。
「教官、沙織がマジでヤバいです。隣に座っていることに危機感を覚えます」
「ここで席替えのサプライズとかないっすかね」
沙織の言葉を聞き、かつてないほどの真剣な表情で博孝と恭介が言う。それまでとは席順が異なり、窓側に恭介、その隣に沙織、沙織を挟んで中央に博孝、その隣に里香、そして恭介とは反対の窓側の席にみらいが座っているが、理由は一つ。万が一にも沙織が暴れた時に、取り押さえる係だ。沙織の両隣に座る博孝と恭介は、それを察して悲壮な決意を固めていた。
そんな二人の様子に気付かないほど舞い上がっているのか、沙織は楽しげに笑いながら布袋越しに『無銘』の柄を握っている。そんな沙織を見た中村が隣に座る博孝を羨ましそうな目で見たが、博孝が『交代するか?』とハンドサインで尋ねると首を横に振った。
「あまり浮かれるなよ、長谷川。その刀については、国に登録する必要もある。“下手なこと”に使えば、取り上げられるだけでは済まんぞ」
さすがに博孝や恭介を不憫に思ったか、それとも正当な理由からか。砂原が厳しい声色でそう言う。それを聞いた沙織は、それまでの浮かれた表情を引き締めて頷いた。
「当然です。この『無銘』にも失礼ですから」
“敵”に向けるのは良くても、味方に向けることはない。そういった意味を込めて返答する沙織に、砂原は納得したように頷く。『ES寄生体』の存在もあるため、一般市民における銃刀法はかなり緩い。しかし、沙織が持っているのは『ES能力者』にも通用する特殊な武装なのだ。扱いには十分に注意する必要がある。
「その刀を抜いた途端、何かに憑りつかれたりしないだろうな……」
沙織と砂原の話を聞いていた博孝は、小さな声で呟いた。柳が口にしていたが、『無銘』で“ネズミ”を一個小隊分斬っているらしい。“ネズミ”が何を指しているのか推察している博孝にしてみれば、沙織が大事そうに握っている『無銘』が性質の悪い妖刀魔剣の類にしか思えなかった。
人を斬った刀には、独特の凄みがある。その上、『無銘』はただの刀ではないのだ。柳の話を聞く限り、『ES能力者』に対しても十分通用する武装である。鞘に納まり、布袋に納められた今でも威圧感のようなものを覚える博孝だった。
そうやって騒いでいると、バスが減速する。窓の外を見てみれば、いつの間にか今日泊まるホテルの傍まで来ていた。昨晩泊まった和風の旅館とは異なり、洋風のホテルである。
日が落ちた窓の外は、暗闇に包まれて視界が妨げられていた。それでも“普段”とは異なる要素に気付き、博孝は目を細める。
「雪か……」
二日目は“社会科見学”を行ったが、三日目と四日目の午前中はスキー場でのスキーが予定されていた。そのため、宿泊する施設もスキー場に隣接するホテルが用意されている。
季節は十二月。日本海側に属するその地域では、ちらほらと雪が舞っていた。
窓際に座ったみらいなどは、食い入るようにして舞い散る雪を眺めている。路肩には膝丈までの雪が積もり、建物の屋根も雪化粧に染められていた。みらいは初めて見る雪に興味津々らしく、隣に座る里香の袖を引いて騒いでいる。
そうしている間に減速したバスが停車し、砂原の号令によって生徒達がバスを降り始めた。博孝も荷物を持ってバスを降りるが、同じようにしてバスから降りたみらいの様子がおかしい。タラップを蹴り、バスから降りるなり地面に積もった雪に手を突っ込み、その感触を味わっている。
「……つめたい」
そう呟くなり、みらいが駆け出した。突然駆け出したみらいの姿に博孝は焦るが、みらいはそれほど離れることもなく、路肩の雪に頭から突っ込んでいく。
それは、見事な飛び込みだった。ビーチフラッグスで旗を取るように、跳躍して一直線に雪へ飛び込んだのだ。
「つめたいっ……すごいっ」
真っ白な雪に飛び込み、テンションを高めて転がり回るみらい。そんなみらいの姿を見て、生徒だけでなく砂原や護衛の『ES能力者』も相好を崩す。純粋に、幼い少女のように雪と戯れるみらいの姿を前にすれば、生徒達としては昔の自分を見ているような気分だ。大人達にしてみても、失った童心を刺激されるような光景である。
だが、みらいが取った行動によって博孝と里香の顔色が変わった。それまで雪の上を転がっていたみらいが、何を思ったのか雪を手で掴み、そのまま口に運んだのである。
「……つめひゃい」
何故、食べられると思ったのか。みらいは路肩に積もった新雪を口に含み、咀嚼し、そのまま飲み込もうとする。
「こらみらいっ、汚いからぺっしなさい、ぺって!」
「そうだよみらいちゃん! お腹壊しちゃうよ!」
それまで微笑ましく見守っていた博孝と里香が、慌てて吐き出すように言う。その必死な声が聞こえたのか、みらいは振り返った。
「えー……」
博孝と里香の言葉を聞いたみらいは、どこか不満そうだった。そんなみらいを見て、恭介がしたり顔で頷く。
「いや、みらいちゃんの気持ちもわかるっすよ。俺も小さい頃、庭に積もった雪を皿に盛って、かき氷用のシロップをかけて食べたことがあるっすから」
「余計なことを言うなよ恭介! みらいが真似したらどうするんだ!? ええい、沙織!」
「え? お仕置き?」
博孝の言葉に含まれた意図を漏らさず汲み取り、沙織がどこか嬉々とした様子で恭介へと歩み寄っていく。その手には相変わらず『無銘』が握られており、それを見た恭介は全力で後退した。
「ちょっ!? その物騒な刀を持って近づかないでほしいっす!」
「失礼ね。斬ったりしないわよ……峰打ちならセーフよね?」
「そのまま峰を返されそうなんで、勘弁してほしいっすよ!」
鞘袋を解こうとする沙織から逃げる恭介。ホテルに到着するなり騒ぎ始めた博孝達を見て、砂原がため息を吐く。
「旅行先で騒ぎたい気持ちもわかるが、落ち着け。それと河原崎妹、その辺の雪を食べるな。不衛生だぞ」
「……はーい」
砂原に窘められ、みらいは口に含んでいた雪を吐き出した。そして、手に持っていた雪も地面に落とす。
そんな小さな騒動があったものの、第七十一期訓練生達は無事にホテルへと入ることができた。ホテルは大きく、同時に数百人が宿泊できそうな規模である。ホテルから少しばかり離れたところにはスキー場があり、スキー客が宿泊するには最適のロケーションだった。
生徒達がホテルに入ったのを確認すると、近藤は自身が率いる第四陸戦部隊を散開させて周囲の索敵や確認に取りかかる。町田が率いる空戦一個中隊も周囲を飛び回り、危険人物がいないかのチェックを開始した。
第七十一期訓練生達が宿泊するのは、雪山の傍に作られたホテルである。普段に比べると、索敵も容易ではない。何しろ、周囲は雪に覆われているのだ。真っ白なギリースーツに身を包んだ狙撃兵が潜んでいた場合、発見は困難である。
『探知』による『構成力』の確認と、目視による監視。この二つを駆使して、周辺の索敵を行っていく。
訓練生の修学旅行は、安全性が重視される。だが、それと同時に“ネズミ”を釣り上げる絶好の機会でもあった。
普段は訓練校という巣穴に籠った“ヒヨコ”が、五日間の遠出を行う。“ネズミ”からすれば、さぞ美味しい餌に見えることだろう。それに加えて、柳という日本の『ES能力者』の中でも屈指の重要人物に会いに行くのだ。日本に敵対する国でなくとも、動向程度は確認したい。
大隊規模の訓練生に、『付与』を扱う『ES能力者』。“ネズミ”にすればそれらの情報は重要であり、隙があれば訓練生の数を減らそうとする。特に、柳を仕留めることができれば日本で製造されている対『ES能力者』用武装がなくなり、戦力を落とすことも可能だ。
もっとも、重点的に狙われる柳などは、自分が打った刀の試し切りに丁度良いとしか思っていないのだが。
訓練生の安全を確保するために、正規部隊員達はネズミ狩りに勤しむ。その間、ホテルにチェックインした生徒達は割り振られた部屋に荷物を置き、自由時間を与えられていた。
初日に宿泊した旅館とは異なり、男女にわかれて大部屋に泊まることはない。護衛をしやすいように同じ階層に割り振るが、一部屋につき二人で宿泊する。博孝は恭介と同室であり、気が楽な割り振りだった。里香や沙織はみらいの世話を引き受け、二人部屋に三人で宿泊する。
今日の予定は、特に何も残っていない。夕食を取り、入浴し、あとは自由時間だ。仲が良い面子で集まり、就寝時間まで騒ぐだけである。ある者は持ち込んだトランプやゲームで遊び、ある者はホテルの中を探索し、ある者は翌日のスキーについて語り合う。ホテルから出なければ、比較的自由に動くことができた。
夕食を取り、入浴を済ませた博孝は、自室に里香や沙織、みらいを招いてトランプで遊ぶことにする。博孝や恭介だけでなく、里香や沙織、みらいも入浴済みだ。そのため、女子には普段感じない色気のようなものがあった――が、沙織が持ち込んだ『無銘』のせいでそれも台無しである。トランプの際にも傍らに置き、時折、抜いて振り回したそうにウズウズとした視線を向けていた。
「沙織……目つきが怖いぞ」
「気のせいよ」
決して気のせいでない。そう指摘したかった博孝だが、今の沙織には何を言っても聞かないだろう。まるで、長年欲しがっていた玩具を手に入れた子供のようである。玩具と呼ぶには、物騒過ぎる代物だが。
そんな会話を行いながら、博孝達はトランプで遊んでいた。室内でできる遊びは限られており、護衛を受ける身としては外に出て自主訓練に励むわけにもいかない。そのため、親しい仲間で集まって車座に座り、カードゲームに興じているわけだ。
ババ抜きや大富豪、神経衰弱と一通り遊んだあとに選んだのは、ポーカーである。みらいはルールを知らないため、最初に教えた上での対戦だった。さすがに何かを賭けることはしないが、それでも沙織以外は真剣である。
カードを配ったあとは、手札の交換が一回のみ。賭けではないため、レイズもフォールドもない。その代わり全員が手札を開示して、揃った役を競う。そんなルールでゲームを開始し、それぞれが手札を交換して開示する。
「ツーペア」
「ぐぅ……ワンペアっす」
「えっと……スリーカード」
「……ブタよ」
集中していなかったためか、沙織は何も役が揃っていなかった。さすがに自分だけ役ができていないのは悔しいのか、どこか期待するような視線をみらいに向ける。みらいは完全にルールを理解できなかったのか、手札を変えてからしきりに首を傾げていた。
「……ぶた」
結局、何も役が出来なかったようだ。ブタと口にしつつ、みらいは自分の手札を開示する。そこには、クラブとハートが混じっているもののエースとキング、クイーンにジャック、そして10が並んでいた。
「って、ストレートかよ!?」
「しかもエースハイストレートっすよ……」
ストレートの中でも最も強い手札を提示され、博孝と恭介が床に沈んだ。手札を開示したみらいは、何が起きたのかわからずに首を傾げている。
「……みらいのかち?」
「うん、そう。みらいちゃんの勝ちだよ」
博孝と恭介の反応を見て、自分が勝ったことを悟ったのだろう。みらいが里香に尋ねると、里香は苦笑しながら頷く。
「……やった」
無表情ながらも、両手を上げて喜びを表現するみらい。それを見た博孝は、床から立ち上がって口を開いた。その瞳には、切実なまでに勝利への渇望が輝いている。
「ゲームとはいえ、妹に負けたままでは兄の沽券に関わる……さあ、次のゲームだ!」
「博孝、必死っすね」
みらいに負けたままではいられない、と息巻いた博孝がカードを配り始める。手札を交換し、博孝は唸りながらも手札を開示した。
「これなら勝てる! ストレートだ!」
「おおっ、けっこう強い役がきたっすね。ジャックのスリーカードっす」
「ワンペア……」
「……またブタだわ。博孝、カードに何か仕込んだんじゃない?」
ストレートが揃ったことに喜び、気合を入れ開示する博孝。恭介はそんな博孝に対して若干引きながら手札を見せ、里香と沙織も自分の手札を見せる。みらいは博孝の様子に首を傾げつつ、自分の手札を開示した。
「んー……ふらっしゅ?」
「嘘だろっ!?」
あっさりと、自分が作った役を超えられる。博孝は驚愕と共にみらいの手札を確認するが、確かに全てのカードがハートで揃えられていた。
「ぐっ……つ、次だ! 次なら勝てる気がする! きっと次は俺がフラッシュを出す! いや、いっそのことフルハウスだ!」
「そしたら、みらいちゃんはフォーカードかストレートフラッシュを出すんじゃないっすかね……」
再度カードを配り始める博孝に、恭介が冷たくツッコミを入れる。しかし、博孝の耳には届かない。みらいに負けたままでは、兄の沽券に関わるのだ。
――しかし、現実は非情である。
二十分後、そこには膝を抱えてうずくまる博孝の姿があった。
「どういうことなの……みらいの手札、なんで強い役ばっかりなの?」
壁に向かって呟く博孝の背後で、フォーカードを揃えたみらいが小さな笑みを浮かべながら踊っている。十回ほど対戦をしたのだが、ことごとくが敗北であった。今しがたの対戦でも、意気揚々とフルハウスを提示した博孝を、エースのフォーカードを提示したみらいが撃退したのである。
「いいですよーだ。どうせ俺は妹にポーカーで勝てませんよーだ」
「なんっすか、その拗ね方……」
博孝だけでなく、他のメンバーもみらいに勝てていない。だが、所詮は遊びだ。博孝のように、兄としての沽券がかかっているわけでもない。沙織だけは、十回の対戦で八回がブタという謎の不運振りを見せていたが。
「ま、いいや……夜も更けてきたし、そろそろ寝る時間か。みらいはここで寝るか?」
いつまでも凹んではいられない、と気持ちを切り替える博孝。就寝時間が迫っているため、みらいにこの部屋で眠るかを尋ねる。訓練校の自室では、一緒に寝ることもあるのだ。恭介が一緒だが、みらいは気にしないだろう。
そう判断して問いかけた博孝だが、みらいの反応は予想を裏切るものだった。
「……やっ」
「え? 嫌? な、なんでだ?」
断るにしても、里香と一緒に寝る、あるいは沙織と一緒に寝る、という言葉が返ってくると思っていた。それだというのに、返ってきたのは『嫌』という一言。博孝が動揺しながら理由を尋ねると、みらいは僅かに顔を赤くしながら首を横に振った。
「……はずかしい」
「なん……だと……」
みらいからのまさかの言葉に、博孝が石のように固まる。目を見開き、瞳孔すら開きながら動きを止めた。
その間に、みらいが部屋から出ていく。里香は心配そうに博孝を見たが、結局は何も言えずにみらいを追った。沙織は自分の運のなさに首を傾げ、『無銘』を片手に提げて退室していく。
パタン、という扉の閉まる音が響き、博孝と恭介だけが残される。恭介は彫像のように固まった博孝の眼前で手を振り、反応がないことを確認してから肩を叩いた。
「博孝? 博孝? なんか、座ったまま突然死を遂げたみたいになってるっすよ」
肩を叩き、声を掛け、そこでようやく博孝が動き出す。数度瞬きすると、錆び付いた機械のような動きで首を動かし、みらいが出ていった扉を指差した。
「……え? 恥ずかしい? 今、恥ずかしいって言われた? 俺と一緒に寝るのが恥ずかしいの? それとも俺自体が恥ずかしいの?」
やはりポーカーで負けたのが原因なのか。そう呟く博孝を見た恭介は、心底関わりたくないと思いながら首を横に振った。
「いや、みらいちゃんも女の子っすよ? 博孝とは戸籍上兄妹っすけど、さすがに恥ずかしいと思うこともあるんじゃないっすか?」
みらいの“事情”を知っている恭介が慰めるが、博孝は聞く耳を持たない。ノロノロとした動きでベッドに潜ると、ショックで気を失うようにして眠りに就く。それを見た恭介は、肩を竦めながら部屋の電気を消すのだった。
明けて翌日、博孝はすがすがしい笑顔を浮かべながら雪原に立っていた。
修学旅行の三日目は、一日かけてのスキー体験である。翌日の午前中も滑るが、博孝にとっては人生初のスキーだ。湧き上がる期待感は抑えられない。
今回ばかりは訓練校の制服ではなく、ジャージを着た上にスキーウェアを纏っている。手にはストックを持ち、傍にはスキー板が立てかけられていた。額にはゴーグルがかけられており、日差しの下で淡く反射している。
スキーをするための装備に身を固め、ゲレンデに立った博孝の表情。それが明るいものだったために、朝から触れずにいた恭介が口を開く。
「一晩経ったら、憑き物が落ちたような顔をしてるっすね……スキーをするからって、テンションが上がってきたっすか? てか、博孝ってスキーで滑られるっすか?」
腫れ物に触れるような口振りで尋ねた恭介だが、博孝の中では昨晩のみらいの発言は寝ている間に見た悪夢ということで処理している。それは、心を守るための防御的反応だった。
朝食の時にみらいと顔を合わせたが、いつも通りのみらいだったため、昨晩のことは気のせいだった、あるいは聞き間違いだったと自分に言い聞かせている。
博孝はストックを掲げてみせると、自信ありげに笑った。
「スキーはしたことないけど、俺は『ES能力者』だぞ? 普段の訓練を考えれば、スキーなんて簡単だっての」
「へー、自信満々っすね」
男二人で雑談を交わしていると、スキーウェアに着替えた女子生徒達が姿を見せる。生徒の周囲には護衛の『ES能力者』がいるが、彼らの半分はスキーウェアに身を包んでいた。僅かに待つと、同じくスキーウェアに身を包んだ砂原が姿を見せる。
「全員、揃っているな」
普段の軍服や野戦服に見慣れた生徒達にすれば、スキーウェアを着た砂原というのは珍しい。生徒達がその感情を視線に乗せてみると、砂原はどこか居心地が悪そうに視線を逸らす。
「仕方あるまい。『ES能力者』の修学旅行でスキーを教えたいと思うインストラクターは、滅多にいないんだ。大金を積んでも、危険性を説明すれば尻込みをするからな。そういうわけで、こうしてスキーができる者が護衛を行いつつレクチャーも行う」
周囲を見回してみれば、スキーウェアを着た護衛達が顔に苦笑を浮かべている。彼らが訓練生の頃も、こうやって教官や護衛にスキーを教わったのだろう。
『ES能力者』の趣味としては色々と制限があるため、スキーを趣味にする者は少ない。それでも雪が降る地域に駐屯している陸戦部隊員ならば、雪山で『ES寄生体』と戦うこともある。移動の際にはスキー板を利用することもあるため、簡単な教授ぐらいは可能だった。
生徒達は小隊ごとに別れ、最も基本的なプルークボーゲンについて教わっていく。足を広げ、膝を内側に向け、スキー板の内側にエッジを立てる滑り方だ。それを一個小隊辺り二人の陸戦部隊員に教わり、それぞれが恐る恐る滑り始める。中には訓練校に入る前にスキーを体験したことがある者もいたが、それは少数だった。
「見ろ、この華麗な滑り!」
そんな中、博孝が滑らかな動きで滑り始める。ストックで雪を突き、加速しながら雪の斜面を下っていく。プルークボーゲンではなく、パラレルターンで滑るその姿は様になっていた。
「おお、言うだけあって上手っすね! ……って、『飛行』を使って浮いてるじゃないっすか!?」
博孝が滑った跡を確認してみると、スキー板が作る轍が見当たらない。雪が保護色になっているためか、博孝が発現している『構成力』の光も目を凝らさないと見えないほどだ。あっさりと反則が露見したことに焦り、博孝は声を張り上げる。
「雪に跡が残らないぐらい体重が軽いんだよ!」
「ズルは駄目っすよ!」
遠ざかる博孝に再度のツッコミを入れる恭介。そんな二人のやり取りを聞き、周囲の生徒は『またか』と言わんばかりに知らない顔だ。だが、護衛を務める陸戦部隊員からすれば驚愕するしかない。
今期の訓練生については、“出来”が良いという噂を聞いたことがあった。初日に泊まった旅館での覗き騒動の時にも実感したことだが、平然と特殊技能を発現しているのだ。それも、博孝が使用しているのは三級特殊技能の『飛行』である。
これが卒業間近の訓練生ならばまだ納得できたが、仮にそうだとしても珍しいことに変わりはない。
「なるほど、『飛行』を使うという手があったわね。それじゃあわたしも……」
「……おー……おにぃちゃん、たのしそう。わたしも」
「いや、あの……二人とも? あれだとスキーの意味がないよ?」
スキーウェアに『無銘』を背負った沙織や、小さなスキーウェアに身を包んだみらいが博孝に続こうとするが、里香によって止められる。その会話を聞いた護衛の陸戦部隊員は、ぎょっとした様子で沙織とみらいに視線を向けた。
騒ぎに発展しそうだと判断した砂原は、ため息を吐いて雪上を滑り出す。博孝とは異なり、堂に入った動きで加速し、あっという間に博孝に追いつき――そして、そのままの勢いで飛んだ。
「ぐはっ!?」
『飛行』で滑る“振り”をしていた博孝の背中に、砂原によるスキー板越しの飛び蹴りが炸裂する。博孝はそのまま吹き飛ぶと、程よく積もった雪の上を数回跳ねてから動きを止めた。
「不用意にES能力を使うな、馬鹿者が」
「すいません……調子に乗りました。正直、早く誰かに止めてほしかったんで助かりました」
止め方が乱暴に過ぎたが、博孝は感謝を示してからリフトに乗り込む。スキー場もリフトも貸切にしてあるため、他に利用する客もいない。そのため一人寂しく、砂原に蹴られた背中をさすりながら元の場所へと戻っていく。
(……ん? 護衛の数が少ないと思ったら、周囲の林を警戒してるのか。そんな中でスキーに熱中するっていうのは、申し訳ないような……)
リフトの上から見下ろすと、スキー場周辺の林の中に野戦服に身を包んだ陸戦部隊員の姿を発見することができた。空戦部隊員は空を飛んで周囲を警戒しているが、陸戦部隊員の半数、インストラクター役以外は周囲の警戒に当たっている。
それをなんとなく眺め、リフトの終点についた博孝はリフトから下りる。そしてゆっくりと第一小隊の元に戻ると、何事もなかったように片手を上げた。
「さて、滑るか」
「今度は『飛行』はなしっすよ?」
「はっはっは、『飛行』を使わなくても余裕だっての……ぬわあああああああぁっ!?」
『飛行』がなくても問題はない。そう宣言した博孝は、三十メートルほど滑ってから派手に雪原へと転がる羽目になった。ブレーキを掛けようとしたものの、慣れないスキー板ではそれも上手くいかず、そのまま体勢を崩してしまったのだ。
それでも、『ES能力者』は頑丈である。加速した状態で転んでも、傷の一つも負わない。周囲を見回してみれば、博孝以外にも転んでいる生徒は大勢いた。数人は器用に滑っているが、スキー経験者なのだろう。時折転んだ生徒にアドバイスをしており、楽しそうに滑っている。
雪上を滑る生徒の周囲には、常にインストラクター役の陸戦部隊員が控えていた。生徒が滑るスピードに合わせて自身も滑り、それと同時に周囲を警戒している。インストラクター自身もスキーを楽しんでいるようだが、それでも立ち振る舞いに隙は見当たらなかった。
転んだついでに護衛者の動きを観察していると、ゲレンデの上の方から悲鳴が上がる。それは切羽詰まったものではなく、絶叫マシンに乗った時のような悲鳴だった。
「んん? うぉっ!?」
首を巡らせてみれば、至近距離まで接近した里香の姿が見える。里香は珍しく大きな声で悲鳴を上げつつ、それでいてプルークボーゲンに気を取られているのか、視線は足元に固定されたままだ。
このままでは激突する。そう判断した博孝はその場から飛び退こうとしたが、スキー板を履いているため機敏な動作はできない。『飛行』で逃げるにしても、咄嗟のことで集中する余裕がない。
「里香! 前! 前を見てくれ!」
「え? あ、きゃっ!?」
それならば里香に避けてもらおうと思った博孝だが、スキー初体験の人間には不可能だ。結果、博孝は咄嗟に両手を広げ、真正面からぶつかってきた里香を抱き留める。無理矢理体勢を整えて受け止める羽目になったが、それでも『ES能力者』の腕力は伊達ではない。里香をしっかりと抱き留め、博孝は安堵の息を吐く。
「ふぅ……里香、大丈夫か?」
「……え、あ、ひ、博孝君っ!?」
思ったよりも少ない衝撃に目を瞑った里香だったが、博孝に声を掛けられて目を開け、そして驚愕した。下手をすれば唇が触れ合いそうな距離まで接近しており、体も密着している。スキーウェア越しのために詳細な感覚はわからないが、それでも里香からすれば一瞬で顔を真っ赤にするほどの衝撃だった。
「ひっ、あ、ひ、ひろたか、くん」
「あー……」
どもるように博孝の名を呼ぶ里香だが、博孝の様子がおかしい。いや、そもそも周囲の様子がおかしかった。
――周囲の光景が、あっという間に後ろに流れていく。
里香を抱き留めた博孝は、そのまま後ろ向きでゲレンデを滑り降りていた。それも、ブレーキの掛け方がわからないために時間が経つごとに加速している。
「後ろ向きの場合、どうやってブレーキをかければいいんだろうな?」
困ったような博孝の声を至近距離で聞き、里香は羞恥と共に再度の悲鳴を上げるのだった。
「いやぁ、スキーは奥が深いね」
「博孝と岡島さんが後ろ向きで滑っていった時は、どう反応すれば良いか迷ったっすよ」
時間が進み、時刻は午後七時の十分前。博孝と恭介は雑談を交わしつつ、ホテルの大広間へと足を向けていた。
修学旅行の三日目ということで一日中スキーをしていたが、散々だった最初に比べ、時間が経つごとに滑り方が上達している。『ES能力者』として普段から激しい運動を行っている生徒達は、一時間も滑るとそれなりに様になった滑りを見せていた。
博孝に抱き着いた形になった里香は中々顔の赤みが引かず、その上で最も上達が遅れていたが。
「それにしても、大広間で何をするんすかね?」
「旅行のしおりには講演会って書いてあるけど……何の講演会だろうな?」
恭介の疑問に対して、博孝も首を傾げる。講演会と言われても、何を講演するのか。それが皆目見当もつかない。
「護衛方法に関する講演とか?」
「ああ、ありそうっすね」
互いに予測を口にしながら、大広間へと到着する。既に半分ほどの生徒が集まっており、置かれた椅子に座っていた。それぞれ筆記用具とノートを手にしており、講演会が修学旅行の『修学』に当たることを窺わせる。
午後七時の五分前になる頃には、生徒全員が大広間へと集まった。すると砂原が姿を見せ、五分前に全員が集合しているのを見て満足そうに頷く。
「さて、全員揃っているな。今から講演会が行われるわけだが……」
スキーウェアから軍服に着替えた砂原が、生徒達を見回しながら言う。生徒の周囲、大広間の四隅に陸戦部隊員が護衛として立っているが、他の護衛の姿はない。今頃は、大広間の外やホテルの外で警戒に当たっているのだろう。
生徒達は私語を慎み、それでいて砂原の言葉を待つ。講演会と聞いてはいるが、どんな内容なのか。そんな期待と興味、僅かな不安の感情が場に満ちる。
砂原は言葉を切って生徒達を見回していたが、やがて、生徒全員に聞こえる大きさの声で講演の趣旨を口にした。
「これから行われるのは――『ES能力者』に関する研究を行っている研究者による講演だ」
どうも、作者の池崎数也です。
更新が遅れて申し訳ございません。
十月の上旬まで更新ペースが遅くなります。前話の時点で告知しておけば良かったと、反省しております。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。