第百話:修学旅行 その5 無銘
砂原が柳の身分を説明すると、そのまま視線を柳に移す。そして顎でしゃくり、言葉を発した。
「柳、自己紹介をしてくれ」
「ああ……簡単に説明があったが、俺の名前は柳鉄心。砂原とは違って軍属じゃねえから、お前らも気軽に接しろ。バッジを見ればわかるだろうが、砂原の説明通り一級特殊技能を持っている。技能の名前は『付与』……平たく言えば、物体に『構成力』を付与する技能だ」
自分が持つES能力について簡潔に語る柳。その語られた内容を聞き、ほとんどの生徒が驚きの感情を覚える。
――『構成力』を、物体に付与する。
『構成力』について、そんな使い方を考えた者はいなかった。もしも実際に行おうとしても手段が思いつかず、それがどれほど難解なのかもわからない。
(一級特殊技能の『付与』か……この国でも使えるのが柳さん一人だけって辺り、余程難易度が高い技能なんだな)
柳の話を聞き、博孝は内心で呟く。ES能力の中でも、特殊技能に分類される技能は上にいくほど難易度が上がる。一級特殊技能と言えば、『ES能力者』を大勢有する大国でもほとんど発現し得ないレベルの技能だ。
一級特殊技能に分類される技能はいくつかあるが、そのほとんどは情報が公開されていない。ある意味では独自技能よりも知られておらず、一国の中でも同じ一級特殊技能を持つ者は二人もいないほどの希少さだ。
世界的に見ても、柳が発現した『付与』を扱える者は少ないだろう。物体に『構成力』を付与できるという話からしても、『付与』を扱える者が大勢存在するのならば対『ES能力者』用武装が現状よりも多く流通しているはずだ。
そんなことを考える博孝も、世界で唯一『活性化』が使える『ES能力者』である。しかし、博孝は自分の能力をそれほど大きく評価していなかった。希少な技能を発現していようが、使うのは自分自身である。その希少さに反して、博孝自身の力量はそれほど高くない。もしも砂原などが殺す気で襲ってくれば、『活性化』を使用しても勝てないのだ。
どんなに希少な技能だろうと、使う本人の技量が伴っていなければ宝の持ち腐れである。その点で言えば、かつては独自技能として扱われた砂原の『収束』や眼前の柳が持つ『付与』は、身の丈に合った技能と言えた。
「先ほど河原崎兄で実験をしたが、銃弾に『構成力』を付与すれば『ES能力者』や『ES寄生体』が相手でも通用する武装になる。今日の“社会科見学”の目的は、柳が行う作業に関する見学だ」
生徒達にそんな説明を行い、砂原は全員を促して“二重の壁で囲われた建物”へと歩き出す。近くに歩み寄ってみれば、建物を覆う壁は金属製であり、その上『構成力』を感じ取ることができた。
「この建物は、云わば“作業場”だ。『ES能力者』が外部から攻撃してきても、ある程度までは防ぐことができる。日本各地に似たような施設があり、柳は移動を繰り返しながら対『ES能力者』用の武装を作っているんだ」
移動を繰り返すのは、“外部”の敵に狙われにくくするためだろう。対『ES能力者』用の武装を製造できる『ES能力者』など、他国からすれば脅威でしかない。しかし、一国に所属する『ES能力者』を表だって狙うことはできないため、柳を害するならば暗殺するしかない。
(あの人を暗殺か……教官クラスでようやく可能なラインだろうな……かといって、教官ぐらい腕が立つ『ES能力者』を投入するのも難しい、と……)
時折砂原と談笑している柳には、隙が見当たらなかった。一見無防備に見えて、常に周囲に警戒を向けている。もしも親しい友人に襲いかかられても、鼻歌混じりで迎撃しそうだ。
博孝の好奇心が、僅かに疼く。もしかすると、見立てが間違っていて砂原ほどの力量はないかもしれない。そう思った博孝は意識を研ぎ澄ませ、僅かに殺気を滲ませ――。
「――え?」
気が付けば、目の前に柳が立っていた。そして、虚を突かれた博孝の頭に手を乗せて口を開く。
「おいおい、さすがは砂原の教え子だなぁ。負けん気が強いというか、悪戯っぽいというか、昔のお前に似てるな」
そんなことを言いながら、柳は博孝の頭を乱暴に撫で回した。言葉と口元は笑っているが、博孝を見下ろす瞳だけは笑っていない。
博孝が殺気を放つ際、視線は柳に固定したままだった。それでも博孝の知覚能力を超え、刹那の間に距離を詰めてきたのである。それを悟った博孝は、降参するように両手を上げた。
「……昔の教官は悪戯っぽかった、という点が気になりますね。是非とも話をお聞かせ願いたいもんです」
「ほう……度胸もある、と。良いな、気に入ったぞ」
突然現れた柳にギョッとした視線を向ける恭介の隣で、博孝は冗談を飛ばす。それを聞いた柳は愉快そうに笑い、博孝の頭から手を離した。そして、砂原の元へ戻ろうと踵を返し、ついでと言わんばかりに一言付け足す。
「だが、本気で向かってきたら――斬るぞ」
「……肝に銘じますよ」
おっかないおっかない、と肩を竦める博孝。表面的には余裕があるが、内心では柳の技量に対する驚愕と畏怖で満たされていた。柳が離れると、恭介が博孝の肩を小突く。
「何やってるんすか……驚き過ぎて、寿命が縮むかと思ったっすよ」
「悪い……俺もビックリしたよ。いや、しかし……出されたのが手じゃなくて腰の刀だったら、死んでたなぁ」
額に浮いた冷や汗を拭い、頭を掻く。砂原は博孝か沙織が柳に対してアクションを起こすと思っていたのか、呆れたようにため息を吐くだけだ。柳に視線を向け、疲れたように呟く。
「……すまんな、うちの生徒が」
「いや、なに、訓練生にしては肝が据わっている。さすがはお前の教え子ってところか」
笑いをかみ殺す柳だが、砂原はその回答が気に喰わなかったのか頭を横に振る。
「俺に教えられることなど限られている。生徒の自主性と努力の賜物だ」
教官として“最低限”のことは教えられているか、と自嘲するように砂原が笑うが、今度は柳の方が頭を横に振ってしまった。
「生徒に……は、聞きにくいだろうから、町田にでも聞いてみると良い。お前の教えがどんなものかをな。きっと、泣くぐらい喜んで答えてくれるぞ」
もしも町田がこの場にいれば、頼むから余計なことを言ってくれるなと懇願しただろう。砂原の錬成は有り難いものだったが、同時に、思い出したくもないのだ。血反吐を吐いてのた打ち回る記憶など、封印したいだけである。
そうやって雑談を交えて歩を進めると、製造施設の中へと到着した。鋼鉄製の扉を開け、工場並みの広さを誇る施設へと足を踏み入れた博孝達は物珍しそうに周囲を見回す。
施設の中には、作業員らしき人間が多くいた。数にすれば五十人程度だが、あちらこちらで機械を操作しており、金属を叩く音や削る音が施設の中で反響している。
作業を邪魔しないよう注意しつつ、それでいて興味に満ちた眼差しで観察する生徒達。そんな生徒達に向け、砂原が周囲の音に負けない声量で説明を行う。
「ここで作っているのは、主に小火器だ。弾薬についても多少は作っているが、“持ち込んだもの”の方が多い」
説明を行いつつ、砂原は傍にあった完成品と思わしき銃弾を手に取った。鈍色に輝くその銃弾に変わった点はなく、標準的な9ミリパラベラム弾である。
「柳、頼む」
「わかった」
砂原が銃弾を指で弾き、柳が空中でキャッチした。そして銃弾――弾頭部分を指で摘み、精神を集中させる。すると、柳が摘まんだ弾頭部分で『構成力』の白い光が輝き始めた。
「これが『付与』だ。『構成力』を物体に“付与”する特殊技能であり、対『ES能力者』用武装の製造における最終段階となる」
砂原が説明を終えると、柳が摘まんでいた弾頭部分から『構成力』の光が消えた。それと同時に弾頭部分から『構成力』を感じ取ることができるようになっており、『付与』が成功したことを示している。
「まあ、普段は銃弾一発ずつに『付与』を行ったりはしないけどな。今回はわかりやすいだろうと思って実演したが……」
“完成”した銃弾を脇に置き、今度はダース単位で銃弾が納められている金属製の箱を手に取る。そして手をかざして『付与』を発現すると、複数の銃弾に対して同時に『構成力』を宿していく。
「いつもはこうやって『付与』を行っている。銃弾なら弾頭に『付与』を行うだけで済むが、これが爆発物……手榴弾やミサイルになると話は別でな。手榴弾は“外殻”部分への『付与』、ミサイルは“中身”への『付与』が必要になる。正直言って面倒だからやりたくねえ」
銃弾ならば、弾頭だけに『構成力』を『付与』すれば良い。しかし、爆発物となると事情が異なる。
手榴弾ならば、爆発した際に飛散する破片で敵性の『ES能力者』や『ES寄生体』にダメージを与える。そのため、火薬ではなく“外側”に『付与』をかけるのだ。ミサイル等になるとさらに大規模な『付与』が必要であり、銃弾とは勝手が異なる。弾頭に『付与』を行う点に変わりはないのだが、ミサイルの弾頭には爆薬等の“中身”があるため、『付与』の規模が増えるのだ。
面倒だと言い放つ柳に生徒達が何とも言えない顔をしていると、砂原が苦笑しながら口を開く。
「最も『付与』が面倒な刀剣類の作成が趣味の男が、何を言っている」
「いいんだよ。撃ったら終わりの銃弾とは違い、折れない限りはいくらでも使えるんだ。愛着もわくし、こだわりもするってもんだろう」
茶化すような砂原の言葉に、柳は鼻で笑って返した。そんな二人の会話を聞き、沙織が興味深そうな顔をする。その視線は柳の腰元の刀へと向き、柳の顔と行ったり来たりしていた。
沙織の挙動を見て、博孝が疑問と共に口を開こうとする。だが、それよりも先に砂原が言葉を発した。
「さて……折角だ。諸君らも一つ、『付与』に挑戦してみようか」
そんなことを言いつつ、傍に置かれていた銃弾を配り始める砂原。生徒達は顔を見合わせてから銃弾を受け取り、首を傾げる。
「挑戦すると言っても、その、どうすれば良いんですか?」
周囲の疑問を代表するように、里香が尋ねた。それを聞いた柳は、先ほどを同じように銃弾の弾頭を摘まんで『付与』の実演を行う。
「『構成力』を弾頭に込める……これだけだ。『構成力』の扱いに長けているなら、“一応”は誰でもできるぞ」
一応、という言葉に博孝は引っかかりを覚えた。それでも、今は『付与』の実践が先だと判断して意識を集中させる。
(『構成力』を弾頭に込める、か。『活性化』を他人に対して発現する要領でやれば良いか?)
そんなことを考える博孝の周囲では、他の生徒達が『付与』に挑戦していた。『構成力』を弾頭に“込める”ために集中させ――眉を寄せる。
「全然『構成力』が込められないわね……」
「むむむ……げっ!? 力を入れ過ぎて弾頭が潰れたっすよ!」
「難しいね、これ……」
沙織や恭介、里香なども挑戦しているが、上手くいかない。恭介などは『構成力』を集中させようと力を込め、そのまま弾頭を押し潰してしまった。
他の生徒達も上手くいかず、首を捻るばかりだ。そんな中、博孝は『活性化』を発現する要領で指先の弾頭に『構成力』を込めていく。
「そーっと、そーっと……『構成力』を込めて……」
恭介のように弾頭を潰さないよう注意しつつ、『構成力』を込める。『活性化』で“他者”に構成力を与えることに慣れていた博孝は、少しずつ弾頭へ『構成力』を注ぎ込み――次の瞬間、弾頭が爆発した。
「ぬわあああああああぁぁっ!?」
咄嗟に弾頭を指で押さえ込み、爆発で破片が四散しないようにする博孝。しかし、眼前でカンシャク玉が炸裂したような音と衝撃を感じ、同時に指先に痛みを覚えた。
「弾頭が破裂ってか指がいてぇっ! うおっ!? 破片が刺さってる!?」
思わず悲鳴を上げる博孝だが、弾頭を摘まんでいた右手の指先にはいくつかの金属片が刺さっている。衝撃的な体験をした博孝が顔を上げると、驚いたように目を見開いた砂原と柳の二人と目が合った。だが、博孝の慌て振りを見て口の端を吊り上げる。。
「馬鹿者、『構成力』を込め過ぎだ」
「くくくっ……ははははははははっ! 構成力を込める対象の“許容量”を超えるとなぁ、そうなっちまうんだよ!」
博孝の慌て振りがツボに入ったのか、砂原の口元が僅かに震えている。柳は腹を抱えて笑っており、博孝は指先から血を流しながら口を開いた。
「最初に教えといてくださいよ!? くっそ、いってぇ……」
知っていたのなら、事前に教えておいてほしい。そう思った博孝は、涙目になりながら金属片を取り除く。すると、近くで『付与』の実践を行っていた里香が慌てたように博孝の手を取った。
「だ、大丈夫? すぐに治すね」
そう言って、里香は『療手』を発現する。『接合』でも十分に治る傷だったが、里香も驚いていたのだろう。博孝の傷口を『療手』で治し、上目遣いで博孝を見る。
「傷は塞がったけど……大丈夫?」
「破片も残ってないし、大丈夫。サンキューな、里香」
指先を擦り合わせ、指先に異常がないことを確認してから礼を言う博孝。里香は安堵したように息を吐くと、博孝の手を握っていたことに気付いて慌てて離す。まるで博孝の腕を放り出すような形になったが、博孝としては感謝するしかない。
僅かに顔を赤くした里香に博孝が声を掛けかねていると、柳が床に落ちていた薬莢を拾い上げた。弾頭が破裂したその薬莢には発射薬や雷管が残っており、柳は手の中で薬莢を転がしながらニヤリと笑う。
「事前に説明しなくて悪かったな。普通なら『構成力』を込められず、何も起きないんだが……何か“その手”のES能力を持ってんのか?」
笑いながら問われるものの、相変わらずその瞳は笑っていない。博孝は怪我が治った右手を軽く開閉しながら、空惚けることにした。
「さあ……それこそ教官の指導の賜物じゃないですかね。『構成力』の扱いについては、多少自信がありまして」
「そうかい。砂原が鍛えているにしても、訓練生にしちゃあ上出来だ。お前さん、名前は?」
尋ねつつ、柳は手の中の薬莢を握り潰す。それを見た博孝は、威嚇されている気分になりながらも答えた。
「河原崎博孝です」
「そうか、河原崎……ん? ああ、そうか、お前さんが河原崎か。なるほどなるほど、『付与』じゃないにしても、『構成力』の扱いが上手いわけだ」
博孝の名前を聞くと、柳は納得したように頷く。“立場上”、柳には博孝の持つ『活性化』に関する情報が伝えられているのだ。
柳はそれまでとは異なる、砂原に向けるものと似たような笑みを浮かべる。
「お前さんとは、いつか一緒に“仕事”をするかもしれねえ。その時はよろしく頼むぜ?」
「は、はぁ……仕事って言われても、何がなんだか……とりあえず、わかりました」
かけられた言葉に対して、博孝は困惑することしかできない。一緒に仕事をすると言われても、博孝は訓練生だ。軍属でない柳と一緒に仕事を行うと言われても、いまいちピントこなかった。
(柳さんの反応から考えると、『活性化』絡みか? 俺が柳さんに『活性化』を使って、柳さんが『付与』を使って武装を作る……どの道、口に出して確認できることじゃない、か)
心中で予測を立てる博孝だが、『活性化』について口外するわけにもいかない。そのため、何も言わずに口を閉ざす。柳は博孝の表情から得心の色を見て取ったのか、満足そうに頷いた。
「頭も悪くねえな。おい、砂原。こいつ俺に預けないか?」
「馬鹿を言うな。無理に決まっているだろうが」
博孝から視線を外し、砂原と交渉を始める柳。冗談混じりとはいえ、気軽に生徒の身柄を引き渡せと言われた砂原は話にならないと一蹴した。柳は少しばかり残念そうに首を振ると、生徒達に向けて視線を向ける。
「それじゃあ、次は質問の時間にしようか。俺がやっている仕事について、質問がある奴は挙手してくれ。ああ、もちろん機密に関することは話せないからな」
実践のあとは、疑問の解消だ。そう促す柳だが、生徒達からは中々手が上がらない。柳が軍属でないため、どんな質問なら問題がないかわからないのだ。
悩む生徒達だが、さすがに質問が一つもないのは問題だった。何故なら、これは“修学”旅行の一環である。質問がなければ、後々砂原から『何を学んでいるんだ』と“指導”を受けそうだった。そのため、博孝が最初に手を挙げる。
「それじゃあ、機密に抵触するかもですけど……柳さんが作った銃弾って、一発いくらぐらいで売られているんですか?」
質問の部類としては俗なものだが、他の生徒も気になったのか目を輝かせた。通常の銃弾ならば、安くて数十円、高くて数百円程度だ。それが対『ES能力者』用の銃弾となればいくらになるのか。そんな問いを向けられた柳は、口の端を吊り上げて答える。
「時価だ」
「その回答はずるいですよ!」
時価と答えられれば、詳細な値段がわからないに等しい。博孝や恭介がブーイングし、砂原に殴り倒された後、柳は笑みの種類を変えて答える。
「本当に時価としか答えられないんだよ。『ES寄生体』の発生頻度で変動するし、武装の消耗具合……残りの“在庫”次第でも値段が上下する。国内での需要は辛うじて満たしているが、飛ぶように売れるから国外への輸出品としても扱われる。国外向けなら……まあ、元値の数十倍程度と思え」
「つまり、銃弾一発で一万円ぐらいする可能性もあると……」
そう言いながら博孝の脳裏に浮かんだのは、以前の任務で世話になった艦船『いなづま』のことである。任務の最中に『ES寄生体』に遭遇した際、艦長である鈴木は景気良く銃弾をばら撒き、砲弾を発射し、魚雷を射出したのだ。
金額にすると、いくらになるのか。敵性の『ES能力者』を捕縛し、海洋性の『ES寄生体』の死骸を確保するなどの功績も挙げているが、全てを補填できるとも思えない。もっとも、『ES寄生体』などを前にして銃弾を使うことを惜しんだ場合、容易に命を落とす羽目になるのだが。
つらつらと博孝が考え事をしていると、博孝の近くに立っていた沙織が前へと足を踏み出す。丁度話が一区切りついたタイミングであり、柳は沙織に対して怪訝そうな視線を向けた。
「お願いがあります」
「お前さんは?」
口を開くなり、質問ではなく“願い”があると申し出る沙織。柳は片眉を上げ、沙織の名を聞く。砂原は沙織を止めるべく口を開いたが、沙織の表情が真剣なものだったために声を出さずに口を閉じた。そんな砂原を見て、沙織を止めようとした博孝も動きを止める。
「失礼いたしました。わたしは、長谷川沙織と申します。あなたは長谷川源次郎中将が持つ、『斬鉄』を打った刀匠で間違いありませんか?」
真剣な表情で沙織が問うと、柳は面白い物を見つけたように口の端を吊り上げた。
「『斬鉄』か……懐かしい名前を聞いたな。そうか、お前さんが噂の『武神』殿の孫娘だったか。なるほど、目元がよく似ている」
柳の声色には、親しみに近い色が宿っている。親しい友人の娘や孫を前にしたような声色であり、出会った当初に博孝や沙織が覚えた危機感は鳴りを潜めていた。
「それで? 願いっていうのは?」
菓子でも買ってやろうか、小遣いでもやろうか、と言いたげな柳の様子を無視して、沙織は告げる。
「――柳鉄心殿が鍛えた刀を一振り、お売りいただけないでしょうか?」
真剣な表情で、沙織は言う。柳が作り出す対『ES能力者』用武装――その中でも、源次郎が持つ『斬鉄』のような刀が欲しいと。
「……何故、俺の打った刀を欲しがる?」
答える柳も真剣な表情だが、その表情の中には多分に訝しさが混じっている。
柳が見たところ、沙織の腕前は訓練生としては破格のものだということが見て取れた。それこそ、長じればどの程度まで力量を伸ばすかわからない。並の『ES能力者』で終わる可能性もあるが、同時に、砂原や柳と同じ域まで達する可能性もある。下手をすると、それすらも超える可能性がある、と。
直接手を合わせたわけではないが、『ES能力者』として長年を生きてきた柳にはそれがわかった。だからこそ、同時にも思う。
――何故、わざわざ新しい力を欲するのか。
砂原が鍛えれば、訓練校を卒業するまでに一端の『ES能力者』になると柳は思っている。しかし、柳が打った刀を手に入れれば、その未来もあやふやなものへ変わってしまう。
刀を打つ、刀剣類を鍛えるというのは、柳にとっては実益に沿った生き甲斐だ。国も“上”も、源次郎さえも、その点については文句を言わない。日本で唯一対『ES能力者』用武装を作ることができる、『付与』を発現できる柳が“やる気”を失えば、それだけで大きな損失だ。罷り間違って他国に亡命でもされれば、笑い話にもならない。
そんな柳が打ち出す刀は、源次郎が持つ『斬鉄』のように強力な武装である。刀を打ち上げるまでの全工程で『付与』を発現し、材質が耐え得る極限まで『構成力』を注ぎ、一個の兵器として造り上げるのだ。
無論、全ての作品が納得のいく出来に仕上がるということはない。“仕事”をこなす必要もあるため、鍛冶のみに集中することができないのだ。しかし、そうして出来上がった刀が鈍らだろうと、訓練生の手には余る。簡潔に言うならば、武器の威力に振り回されるのだ。それは本人の成長を阻害するだけでなく、扱いを誤れば周囲を傷つけかねない。
柳に問われた沙織は、僅かに視線を動かした。その視線の先にいたのは博孝や里香、恭介やみらいなどの“仲間”である。
「強くなるために……そして、強くなって仲間を守るためです」
柳の瞳を見返し、沙織はそう言い切る。
沙織の実力を客観的に見るならば、柳が評したように訓練生としては破格の技量を持つ。だが、沙織本人には自分自身の致命的な欠点が見えていた。
『飛行』の訓練に励んで空を飛ぶことに慣れ始め、地を蹴っては『瞬速』で移動ができる。接近戦においては『武器化』で発現した大太刀を振るい、防御では『防壁』を発現することもできる――が、その反面、遠距離戦を苦手としていた。
『射撃』を発現することはできるが、その威力や射程は博孝と比べれば大きく劣る。恭介や里香と比べても、精度で劣るだろう。しかし、接近して斬ることを意識しているからか、『射撃』に関しては訓練しても一向に伸びないのだ。ある意味では、苦手意識を抱いているのかもしれない。訓練校に入校した当時はそれほどでもなかったのだが、『武器化』を発現できるようになってからは近距離戦闘一辺倒になっていた。
しかしながら、得意と言える近距離戦闘でも敵わない者がいる。砂原には訓練で、ラプターには実戦で叩きのめされ、沙織は自分の戦闘方法が頭打ちになっているのを感じた。技量を伸ばそうと思えば伸ばせるのだろうが、それでは根本的な解決にはならない。沙織は剣客ではなく、『ES能力者』なのだ。
だが、沙織が考えたのは短所を克服するのではなく長所を伸ばすことである。かといって、先んじて考えたように技量を伸ばすのは一朝一夕では不可能だ。
そんな沙織の前に、柳が現れた。源次郎が持つ『斬鉄』を打った刀匠の刀ならば、沙織としては喉から手が出るほど欲しい。源次郎が持つ『斬鉄』は、刀の重みだけで鉄を斬れるほどの切れ味を持つ。『付与』を施した鞘が無ければ、腰から提げることすら危険な刀だ。
そこまで考えた沙織は、もう一つ理由があったことを思い出して口を開く。
「そして、いずれお爺様を超えるためです。お爺様の『斬鉄』と打ち合える刀があれば、あとは互いの技量だけで競えますから」
付け足すような言葉だったが、その言葉の内容は衝撃的だ。柳は驚愕に目を見開き、思わずといった様子で砂原を見る。柳に視線を向けられた砂原は、真顔で頷いた。
――嘘は言っていない。
「……気に入った」
故に、柳の口からは自然とそんな言葉が零れていた。その言葉を聞いた沙織が喜色を浮かべるが、それを制するように柳が手をかざす。
「だが、俺の刀は持ち主を選ぶ。そうさな……外に出ろ」
顎で示し、柳は施設の外へと歩いていく。沙織もそれに続き、残された博孝達は砂原に視線を向けた。
「教官、なんか大事になってきたんですが……」
「これも修学旅行の一環……ということにしておくか。良い機会だ。全員、外に出ろ」
沙織と柳を追い、博孝達も施設の外へと出る。そこでは沙織と柳が五メートルほどの距離を取って対峙しており、剣呑な空気が漂っていた。
「俺にお前さんの“腕”を見せてみろ。それで納得すれば俺の刀を譲る。納得できなきゃ諦めな」
「わかりました」
潔く頷き、沙織は『武器化』で大太刀を発現する。その大太刀を見た柳は、面白い物を見たように目を細めた。
「……なるほど、『斬鉄』の現物を見て真似たか。余程思い入れがあるらしいな」
柳が笑うが、沙織にとって手の中にある大太刀は力の象徴だ。あるいは、源次郎に対する憧憬を形取った物とも言える。
「――柳」
「わかってる。あくまで腕を見るだけだ。遠路遥々訓練校から来たガキ共に、一つ土産話を作ってやるだけさ」
砂原の冷えた声に対し、柳は笑って返す。それを聞いた砂原は、ため息を一つ吐いて諦める。本来ならば止めなければならない立場だが、条件付きとはいえ柳が自分の作品を誰かに託そうとすることも珍しい。それに加えて、“上”からも見学は良いが柳の機嫌を損ねないよう注意されていた。
「さあ、どこからでも来い」
腰の刀に手をかけず、自然体で言い放つ柳。沙織は大太刀を上段に構え、気息を整えて柳を見据える。そして少しずつ、ゆっくりと距離を詰めていく。
沙織と柳が立ち合っている姿を見た博孝は、内心だけでため息を吐いた。いつも通りと言えばいつも通りだが、沙織はやることが突拍子もない。それでも“以前”源次郎との間にあった確執も知っているため、博孝としては強硬に止めることもできなかった。
怪我だけはするなよ、と博孝が内心で呟いた瞬間、沙織が動く。大太刀を上段に構えたまま地を蹴り、踏み込み、鋭い呼気と共に大太刀を柳に向かって振り下ろした。
その動きは、博孝がこれまで見た中でも最高の踏み込みだった。もしも正面に立っていたのが自分ならば、避けることができるかどうか。間違っても受けようとは思えないほどに鋭い太刀筋であり――柳は容易にその上をいく。
チン、という軽い音が響く。大太刀を振り下ろした沙織がその音を知覚する頃には、眼前から柳の姿が消えていた。そして、振り下ろしたはずの大太刀も姿を消していた。鍔元から先が消失しており、残った柄が淡い発光と共に消えていく。
「ふむ……」
そんな呟きを漏らしたのは、沙織の背後に立った柳である。
沙織が大太刀を振り下ろし、自分の体に触れる直前で腰元の刀を抜刀。沙織の大太刀を斬り飛ばし、そのまま沙織の背後に回る。言葉にすればそれだけだが、その動作が速過ぎた。遠目に見ていた博孝の目でもほとんど動きを追えず、対峙していた沙織からすれば瞬間移動でもされたように映っただろう。
抜刀し、踏み込み、大太刀を斬り、納刀と共に移動。大太刀を切断した音と鍔鳴りの音が同時に聞こえ、一つの音にしか聞こえないほどの早業だった。
柳は右手を開閉し、切った沙織の大太刀の感触を確かめる。そして背後に立つ沙織へ振り返ると、皮肉気に笑ってみせた。
「まだまだ、だな」
その言葉を聞いた沙織は、悄然したように肩を落とす。柳の口振りから、“テスト”に不合格したと思ったのだ。
「……参りました」
それでも素直に頭を下げ、自身よりも遥かな高みにある柳の技量を体感できたことに感謝する。柳は沙織が素直に頭を下げたことに対し、莞爾とした笑みを浮かべた。
「お前はまだまだ伸びるな。砂原の下でもっと腕を磨け」
「……はい」
少しばかり落ち込んだ様子で頷く沙織。それが拗ねた子供のように見えて、柳は“意地悪”を止める。それまで腰に差していた刀を鞘ごと引き抜くと、沙織へと差し出したのだ。
「コイツをくれてやろう。失敗作とは言わんが、訓練生が持つには過ぎた刀だ。刀に見合う技量を持てよ」
柳がそう言うと、沙織はきょとんとした様子で目を丸くする。差し出された刀に目を向け、柳に目を向け、本当に受け取って良いのだろうかと視線を彷徨わせた。
「昨晩、“餌”についてきた“ネズミ”を一個小隊分斬ってみたが、まあまあの出来だった。切れ味と頑丈さは保証しよう。いらないと言うのなら、それでも良いが?」
そう言って柳が刀を引っ込めようとすると、沙織は慌ててそれを止める。そして窺うような視線を向けながらも、柳から刀を受け取った。
「銘は?」
「ない。言うならば、『無銘』だな」
沙織の問いに対して、柳は簡潔に答える。沙織は手の中にある『無銘』を握り締めると、決然とした顔で柳を見た。
「そうですか……それなら、銘はいりません。振るっているうちに、“この子”に相応しい名前も浮かぶでしょう」
その時に自分でつける。そう呟く沙織に、柳は満足そうに頷く。沙織はまだまだ未熟だが、いずれは『無銘』を十分に扱えるだけの技量を身に付けるだろうと思えた。
「刀をもらって喜ぶ、か……『武神』殿が聞いたら嘆きそうだな」
「いえ、逆に安心するのでは?」
服や装飾品ならばともかく、刀を手に入れて喜ぶ。そんな孫娘の存在に対して、源次郎は嘆くのではないか。そう思った柳がからかうように放った言葉に対し、沙織は笑顔で応える。受け取った『無銘』を抱き締め、満面の笑みを浮かべ、言った。
「わたしは、お爺様の孫ですから」
蛙の子が蛙なら、蛙の孫も蛙ということだろう。沙織の返答を聞いた柳は、心底楽しそうに笑うのだった。
どうも、作者の池崎数也です。
今回の話で100話(プロローグ除く)になりました。
ここまでこれたのも、拙作を読んでくださった方々のおかげです。ご感想やご指摘、評価やレビュー等をいただきありがとうございます。
せっかく百話まできたので、五十話の時にあとがきで書いた以下のネタを書きたいと思います。
・名前がある登場人物の男女比率(および五十話時点からの変動)
男性16名→27名(30歳以上9名→18名)
女性7名→11名
合計23名→38名
パーセンテージでいうと。
男性69.6%→71.1%(30歳以上39.1%→47.4%)
女性30.4%→28.9%
気が付けば、いつの間にか女性の割合が3割を切っていました。男女の比率はそれほど変わっていないのに、おじ様の割合が跳ね上がっています……この物語の約5割はおじ様でできています。おかしい、現時点では学園モノなのに。
それでは、こんな拙作ではありますが今後ともお付き合いいただければ幸いに思います。




