第九十九話:修学旅行 その4 生贄
明けて翌日の、修学旅行二日目。
日が昇ると共に、博孝は目を覚ました。覗き騒動から一晩中騒いでいたのだが、さすがに少しは眠っていた方が良いと判断し、床に就いていたのだ。眠った時間は三時間ほどだが、普段は徹夜で自主訓練を行っているため、睡眠時間が短いと感じることもない。
大部屋の中では男子生徒達が眠りに就いており、人それぞれの寝相を晒している。博孝は何故か折り重なるようにして寝ている恭介と中村に首を傾げるが、寝相が悪いのだろうと判断して視線を逸らした。
「おー、今日も良い天気だ」
窓の外を眺めると、雲一つない空が広がっていた。太陽が昇り始めた時間のため、水平線が赤く染まり、暗い夜空を徐々に明るく照らし始めている。博孝はなんとなくその光景を眺めた後、『修学旅行のしおり』を取り出した。
「今日の予定は……“社会科見学”してからホテルで宿泊か。うーむ……肝心の、何を見学するのかが書かれていないんだよなぁ」
社会科見学というからには、会社や工場、あるいは史跡や寺社などを巡るのだろうか。そう考えた博孝だが、『ES能力者』の社会科見学には合わない気がした。
「もしかして、『ES能力者』が駐屯する基地を見に行くとか?」
考えを口にしてみるが、答えは出ない。実際に着いた時の楽しみにしておこうと判断し、博孝は『修学旅行のしおり』を閉じた。そして他の者を起こさないよう注意しながら制服に着替え、洗面を済ませると、大部屋から廊下へと出る。売店が開いているならば、今のうちにデジカメに使用するメモリーカードを購入しておこうと思ったのだ。
「開いてるかねぇ……そんで、売ってるかねぇ……ん?」
小さく呟きながら廊下を進むと、博孝は首を傾げてしまった。昨晩ならば配置されていたはずの護衛が、いなくなっている。全員がいないわけではないが、明らかに数が減っているように感じられた。
感覚に頼って『構成力』を探ってみると、おぼろげながら旅館内にいくつかの『構成力』を感じる。他の者は全て外にいると考えれば筋は通るが、それでも旅館内に配置した『ES能力者』や兵士のが数が少ない気がした。
「……何かあったのか?」
疑問の声を漏らすが、確証は持てない。昨晩のうちに大量の“お客様”が旅館を訪れ、その“おもてなし”に手を取られたのだろう。ひとまずはそう結論付け、博孝は売店へと足を運んだ。すると、見慣れた顔が土産を物色していることに気付き、そちらへと足を向ける。
「おはようっす、お二人さん。早いねぇ」
「あ……博孝君、おはよう」
「博孝……おはよう」
博孝が声をかけると、土産物を見ていた里香と沙織が顔を上げた。そして挨拶を返すが、すぐに口を閉じて博孝の顔を注視する。
「んん? 俺の顔に何かついてるか?」
いきなり顔を見つめられ、博孝は自分の顔を手で触った。顔を洗った時に鏡で確認したが、特に何もなかったはずである。それでも女性にしか気付けない“何か”があるのかと思ったが、里香はどこか不安そうに、沙織は真剣な顔で博孝を見るだけだった。
「……ううん。なんでもないよ」
「そうね。なんでもないわ」
二人は示し合せたように視線を逸らすが、博孝からすれば『何もない』では済まない。
(……はっ!? ま、まさか……昨日の“アレ”がバレてるとか!?)
思い当たる節がない――などとは口が裂けても言えない。里香と沙織に視線を逸らされるようなことをしたかと聞かれれば、思考して一秒で思い当たるぐらいのことをしていた。
(まずい……これはまずいですよ! 教官の謀略によって失敗に終わったとはいえ、覗きを実行したことに変わりはない……謝る……土下座すれば許してくれるか?)
表情は平静を保っているものの、背中に大量の冷や汗が流れるのを感じる。ここは機先を制して土下座を敢行するべし――そこまで考え、博孝は自制して思考を巡らせた。
(い、いや待て、早まるな俺! 教官は黙っていると言った。他の護衛の人達も、“伝統行事”ってことで黙っていてくれるだろう……もしも二人が違うことを考えていた場合、こちらから頭を下げれば何事かと思われる……下手な手は打てん!)
一人で勝手に緊張し、戦闘時よりも素早く思考を巡らせる博孝。それでも表面上は普段通りを心がけ、僅かに視線を揺らした。
「そういえば、みらいは?」
妹の様子を尋ねる兄の姿を演出しつつ、博孝は聞く。里香と沙織は視線を博孝へ戻すと、小さく苦笑した。
「わたしと一緒に眠っていたんだけど、さっき起きたら隣で眠っている“希美さん”に抱き着いてて……」
「“松下さん”もみらいも起きそうになかったし、わたし達は完全に目が覚めたから土産でも見てみようと思ったのよ」
「はぁ……松下さんにねぇ」
みらいのことを迷惑に思わないでくれれば良いが、と思いつつ、博孝な内心で首を傾げる。
(なんだろう……里香も沙織も、松下さんの名前を呼ぶ時に少しだけ声が変わったような……仲悪かったっけ?)
希美は同期の中では年上であり、本人の性格もあって女子生徒達の中ではリーダー的な存在だ。常に周囲のクラスメートに気を配る性質であり、女子生徒からすれば身近な姉、男子生徒からすれば年上で憧れの女性のような立ち位置にいる。その点から考えると、里香や沙織が希美を嫌っているとは思えない。
(まあ、俺の気のせいだろうな)
寝起きということで、頭の回転が鈍っているのだろう。そう判断した博孝は、気のせいだと思って特に触れなかった。
「他の女子なら不安だったけど、松下さんなら大丈夫か……とりあえず土産を見るか? 俺も買いたい物があるんだ」
希美ならば、例え起きてもみらいのことを邪険に扱うこともないだろう。他の女子でもみらいを邪険に扱わないと思うが、里香や沙織、あるいは希美以外の女子だと、寝起きのみらいに“良からぬこと”を行いそうだ。
そんなことを頭の片隅で考え、それと同時に博孝は里香と沙織を促す。
「……ん? どうした?」
博孝は数歩前へと進むが、里香と沙織が何の反応もしてないことに気付いて足を止めた。里香は先ほど同様に不安そうに、沙織はどこか怪訝そうな顔をして博孝を見ている。
「……ううん。なんでもない」
「……そうね。なんでもないわ」
どこか硬い声色で返答され、博孝は数度瞬きをしてしまった。どう見ても、“なんでもない”ようには見えない。
「そ、そうか……」
だが、博孝としても昨晩の“地雷”が見え隠れしているため、迂闊なことを言えなかった。そのため、里香と沙織の態度に困惑しつつも頷くことしかできない。
博孝が、女子生徒の間でどんな会話が行われたかを知るはずもなかった。
「ひ、博孝君は、その……希美さんのことをどう思ってるの?」
故に、突然里香から振られた話題にも深く考えずに答える。
「どうって……まあ、美人だよな。それに性格も良い。話すと楽しくもあるし、俺達が年下だからか、けっこう世話を焼いてくれるよな」
特に隠すこともなく、希美に対する印象を述べる博孝。女性に対する賛辞は隠さないのが博孝の主義だったが、今回の場合はそれが裏目に出た。
「ふ、ふーん……」
「いや、ふーんって……」
思わずそうツッコミを入れる程度には、里香の反応がおかしい。落ち着かない様子で視線を逸らす里香を見て、博孝は首を傾げてしまった。そんな里香の隣に立っていた沙織は、博孝の言葉に同意するように頷く。
「なるほど、たしかに博孝の言葉には同意するわ。わたしでも同じ印象を持つわね。あと、松下さんに対して男子が思うことといったら……胸の大きさについてかしら?」
「お前は何を言ってるんだ!? ちょっとは恥らえよ! 慎みなさいよ!」
朝も早くから、なんでこんな話をしているのだろう。そんなことを思いつつ、博孝は沙織に対するツッコミを入れる。
結局、博孝がデジカメ用にメモリカードを購入できたのは、沙織と、今日に限って意思疎通が困難な里香に付き合った一時間後のことだった。
「一体なんだったんだ……」
旅館の前に集合した男子生徒達の中で、博孝は一人呟く。朝方の里香と沙織の反応は一体何だったのか。それが疑問として残っているものの、里香と沙織に直接尋ねられる雰囲気でもなかった。そのため脳裏で疑問に対する回答を考えつつ、首を捻ってしまう。
「何を考え込んでるんすか?」
「いや……ちょっとした難問にぶち当たっていてな」
「よくわからないっすけど……女子連中はまだっすかねぇ」
博孝の様子から、それほど深刻なことではないと判断したのだろう。恭介は会話を切り上げると、未だに出てこない女子生徒達へと意識を向ける。
旅館を出た後は、“社会科見学”に向かうため初日と同様にバスでの移動だ。男子生徒達は手短に身支度を済ませたのだが、女子生徒達は男子生徒に比べると遅い。出発の時間までは多少の余裕があるため、砂原などの引率者も騒いだ様子がなかった。
「……おにぃちゃん」
そうやって待っていると、最初に旅館から出てきたみらいが声をかける。だが、その傍には希美の姿もあり、みらいと手をつないでいたため博孝は片眉を上げた。
「あれ? 里香と沙織は?」
「りかおねぇちゃんはもうちょっと。さおりはすぐ」
里香はもう少し準備に時間がかかり、沙織はすぐに出てくるということだろう。そう判断した博孝は、今度は希美へと視線を向ける。
「松下さんはみらいの相手をしてくれていたのかな? 悪いね」
修学旅行ということで動き回るみらいを心配し、共にいたのではないか。博孝がそう判断して声をかけると、希美は小さく微笑んだ。
「悪いなんて、とんでもないわ。みらいちゃんのお世話なら、こちらからお願いしたいぐらい……河原崎君がみらいちゃんを甘やかしちゃう理由がよくわかるわ」
そんなことを言いつつみらいを見た希美は、微笑ましいものを見たような優しい眼差しをしていた。博孝は頭を掻くと、希美と同様に微笑んでしまう。
「今朝もみらいが迷惑かけたんだろ? 里香から聞いたけど、松下さんにしがみ付いて眠ってたらしいじゃないか」
「ああ……起きたらビックリしたけど、それだけよ。ふふっ……しがみ付いて眠るみらいちゃんも可愛らしかったわ」
口元に手を当て、希美はコロコロと笑う。そこには一切の悪感情がなく、言葉通りに驚きこそすれ、みらいのことを悪く思う気持ちは微塵もない。それでも“兄”として博孝が頭を下げようとすると、そんな博孝を制してみらいが博孝の服の裾を引っ張った。
「のぞみちゃん、おこってない」
「ん? おお、そうか。それなら頭を下げるのは逆に失礼か」
希美を『ちゃん付け』で呼ぶみらいに対し、博孝は苦笑してしまう。希美はそんな博孝とみらいの様子を見ると、微笑を深めた。
「本当に仲が良いのね」
「……まあ、兄妹だから。みらい、松下さんが優しいからってあまり迷惑をかけちゃ駄目だぞ?」
希美の言葉に対し、途中で話の矛先をみらいに向ける博孝。すると、みらいは大きく頷いて視線を横にずらした。
「だいじょぶ……でも、ふかふかだった」
「ふかふか?」
どこか満足そうに話すみらいに、博孝は首を傾げる。みらいの視線を辿って首を捻ると、そこには希美の胸があった。博孝は至極真面目な表情で頷く。
「そうか……ふかふかか」
「うん、ふかふか」
「あらあら、河原崎君も男の子ねぇ。でも……セクハラよ?」
「すんませんっしたー!」
言葉の後半で声色が変わり、博孝は即座に頭を下げる。希美はそんな博孝を見て、僅かに赤く染まった頬を手で押さえながら首を傾げた。
そうやって騒いでいると、他のみらい達以外の女子生徒達が続々と旅館から出てくる。その内の数人は、みらいを挟んで楽しげに話す博孝と希美を見て目を輝かせた。
「み、見てアレッ!」
「え? うわぁ……ま、まさか、昨晩の話って嘘に見せかけた真実……」
そして、ヒソヒソと話し合う。
「ん? 何か言われてる?」
距離があったものの、何かしらの意識を向けられていることに気付いた博孝は疑問符を浮かべた。しかし、ヒソヒソ話をしている女子達へ視線を向けると、すぐに視線を逸らされてしまう。
「なんだアレ?」
「さぁ……何かあったのかしらね? それとも、河原崎君が何かしたとか?」
自分には思い当たる節がない、という様子で博孝に水を向ける希美。それを聞いた博孝は、心臓を一瞬だけ嫌な予感で震わせながらも首を横に振った。
「いやだなぁ、俺が変なことをするわけないでしょう?」
「そう? まあ、河原崎君がそう言うのならそうなんでしょうね」
何が楽しいのか、希美は口元に手を当てながら笑う。だが、何かに気付いたのか、博孝とみらいに対して軽く手を振ると自分の小隊員の元へと歩き去ってしまった。そんな希美の態度に内心で訝しく思う博孝だが、“数秒も経たず”に近づいてきた里香と沙織の姿を見て思考を切り替えるのだった。
バスに乗り、昨日と同様にカラオケで騒ぐこと二時間。博孝達第七十一期訓練生は市街地から遠く離れた場所へと連れてこられた。
昨日よりも数を減らした護衛車両に囲まれ、『ES能力者』が門の前に立つ正門を潜り、広い敷地を高い塀で囲まれた場所へと到着する。その場所は訓練校よりは狭いが、それでも一キロ四方程度の面積があった。
兵舎らしき建物やグラウンド、移動用の車両を格納していると思わしき格納庫に、“二重の壁で囲われた建物”など、物々しい雰囲気が漂っている。博孝は窓の外に広がる景色を確認し、小さくため息を吐いた。
「まさか、本当に駐屯地に連れてこられるとは……」
正門に『ES能力者』が立っていたことから、『ES能力者』の正規部隊が駐屯する基地だろう。そう判断して呟く博孝だが、両隣に座る里香や沙織からの反応はない。その代わりに、一拍置いてから恭介が反応をした。
「そ、そうっすね。修学旅行で基地に連れてこられるとは……何をするんすかね?」
博孝の言葉にそう答えつつ、恭介は博孝に目線で問う。
『博孝、何をしたっすか? 岡島さんと沙織っちの様子がおかしいっすよ!』
『俺にもわからん……朝から様子がおかしかった』
『まさか、“アレ”がバレてるってことは?』
『もしもそうだったら、俺達男子は朝から袋叩きに遭っていただろうよ』
アイコンタクトだけでそれだけを話すと、博孝は恭介から視線を逸らす。朝方に売店で会った時もそうだったが、バスに乗り込んでからも里香と沙織の様子がおかしかった。何かを考え込んでいるのか、博孝や恭介、みらいが声をかけても反応に乏しいのだ。
だが、ここで『何かあったのか?』と聞き出すのもまずい。多少とはいえ死地を潜り抜けてきた博孝の勘が、警報を発している。大量に地雷が埋設された地雷原を、素足になって全速力で走り抜けるような恐怖感があった。
「さて……ここで何をするのやら」
結局、博孝は自分の勘に従って話を逸らすことにした。里香と沙織からの反応はないが、それでも危地から抜け出せる安心感がある。
「全員、バスから降りろ。荷物はそのままで良い」
博孝が恭介と話していると、砂原が真剣な表情でバスから降りるよう指示を出す。それを聞いた生徒達は、文句を言うこともなく指示に従った。
バスから全員が降り、グラウンドに整列する。そして僅かな時を置くと、“二重の壁で囲われた建物”から一人の男性が姿を見せた。
外見だけで判断するならば、三十歳を僅かに超えた程度だろう。百八十センチ程度の体を紺色の着古した厚手の作務衣で包み、その左手には鞘に納まった一振りの刀を握っている。不精なのか顎先に髭が生えており、艶のある黒髪を後頭部でまとめて縛っている。履物は靴ではなく、足袋に草履だ。
男の姿を見た博孝は、江戸時代辺りからタイムスリップした人間なのでは、と思った。左手に下げた刀に違和感がなく、着ている作務衣にも違和感がない。不精髭といい、まるで時代劇の登場人物のようだった。
(なんだ、この人……)
だが、外見以上に気にかかる点があった。それは、無言のままに歩み寄ってくる男の眼差しである。
細めたわけでも凄んだわけでもないに関わらず、奇妙な圧迫感を覚えるのだ。鍛え上げられた鉄のような、それこそ男が左手に持つ刀のような、危険な輝きが見て取れる。
「……博孝」
博孝の隣にいた沙織が、小声で博孝に声をかけた。その声色には緊迫したものが含まれており、沙織の声を聞いた博孝は同意するように頷く。
「ああ、わかってる……滅茶苦茶強いぞ」
「なんつーか、俺にもわかるっすよ……危険を探るセンサーがやばい反応をしてるっす」
博孝と沙織の会話を聞き、恭介も同意した。曲がりなりにも死線を潜り抜けたことがある恭介の膝が、僅かに震えている。博孝がそんな恭介の姿を見たのは、ラプターと対峙した時以来だった。
(少なくとも、教官やラプタークラスの腕前ってわけか……おっかねぇ)
強者特有の気配を感じ、博孝は肩を竦めてみせる。それも、砂原が持つ風格とは大きく異なるものだ。砂原は感情に合わせて爆発物のように一気に闘志を迸らせるが、男は違う。鞘に納まった刀のように、抜かなければどれほどのものかわからない。だが、納刀した状態でも“異常”を覚える辺り、刀は刀でも妖刀魔剣の類だと察せられた。
他の生徒達はといえば、博孝達ほどの反応を示していない。男の格好を不思議に思っている程度であり、里香やみらいでさえも僅かな違和感を覚えているだけだ。
男は堂々とした足取りで歩み寄ると、博孝達の傍に立っていた砂原へと視線を向ける。そして、博孝達の警戒を他所に親しげな声をかけた。
「久しぶりだな、砂原。お前が教官になると聞いた時、今日までに何人の生徒が生き延びているかと不安に思ったもんだが……全員無事なようだな、奇跡的に」
「ぬかせ、俺がそんなヘマをするか」
男の言葉に対し、砂原は不機嫌そうな声を返す。しかし、その声には一定以上の親しみが感じられた。
そんな二人の会話を聞きつつ、博孝は視線を一ヶ所に固定する。それは男の襟元であり、そこには三角形の台座に白い線で槌のマークが描かれたバッジが留められていた。それも、台座自体は金色――つまり、一級特殊技能を有する旨が示唆されている。
(三角形のバッジに白い槌……技能職の『ES能力者』か。初めて見たな。しかも、一級特殊技能保持者……技能の等級だけでいえば、沙織の爺さんと同等か……)
内心で感嘆の声を漏らしていると、不意に男の視線が博孝へと向いた。その視線を受けた博孝は、咄嗟に身構えそうになる。横を見れば、沙織と恭介も僅かに重心の位置を変えていた。
反射的に臨戦態勢を取ろうとする博孝や沙織、恭介を見た男は、どこか楽しげに口元を歪める。
「ほう……さすがは砂原の教え子ってところか。良い筋をしてやがんな」
顎髭を手で撫でつつ、男は称賛するように言う。相変わらず左手に刀を提げたままだが、もしも刀を抜いて襲いかかられても驚かない自信が博孝にはあった。そして、本当に襲われた場合は逃げ切ることすら不可能だろうということも理解できた。
「余計な真似はするなよ、柳。今日は“社会科見学”だ。お前の仕事について説明できればそれで良い」
釘を刺すように砂原が言うと、柳と呼ばれた男は肩を竦める。砂原はそんな柳の様子に嘆息すると、生徒達へと視線を向けた。
「一応、危険な人物ではない。今日の“社会科見学”に必要な人物だ。河原崎兄、長谷川、武倉。お前達の気持ちもわからんでもないが、肩の力を抜け」
そんな砂原の言葉を聞き、生徒達は疑問符を浮かべながら博孝達を見る。恭介などは顎に伝うほどの冷や汗を流しており、博孝や沙織も落ち着かない様子だった。
「教官、『一応』ってところがおっかないんですが」
「ならば訂正しよう。敵対しなければ危険はない」
「つまり、敵対したらアウトってことっすね……」
気分を切り替えるため、博孝と恭介は言葉を吐く。柳はそんな博孝と恭介を見て、小さく笑うだけだ。砂原は一度咳払いをすると、生徒達に対して柳の説明を行う。
「この男は柳鉄心……襟元のバッジを見ればわかると思うが、一級特殊技能の持ち主だ。そして、その技能が本日の“社会科見学”の本題である」
柳鉄心――その名前を聞いた時、沙織が大きく反応をした。そして、穴が開くほどの真剣さで柳を注視する。博孝は沙織の反応に首を傾げるが、今は砂原が喋っている。そのため、後で確認を取ろうと思った。
「本日諸君らが学ぶのは……そうだな、百聞は一見に如かずだ。河原崎兄、貴様に実験台になってもらおう。前に出ろ」
「実験台とか、言葉の響きが恐ろしい上に嫌な予感しかしないんですが……」
突然指名され、博孝は嫌々前に出る。教官である砂原の命令に対しては、逆らうことなどできないのだ。
「嫌か? それなら仕方ないな」
だが、博孝の嫌がる声を聞いた砂原はあっさりと引き下がる。それを見た博孝は、あまりの引き際の良さに違和感を覚えた。“普段”ならば、生徒達の反応など気にも留めない。そんな砂原が一考する仕草を見せたために、博孝は怪訝そうな顔をした。
砂原は博孝の疑問がこもった視線を受け止め、顎に手を当てつつ世間話のように言葉を紡ぐ。
「ところで昨晩、風呂場に大きな“ネズミ”が――」
「はい喜んでー! 喜んで実験台に志願させていただきます!」
砂原の言葉を遮り、右手を挙げ、忙しい時の居酒屋並の投げやりさで志願する博孝。“昨夜”のことを暴露されるぐらいならば、どんな危難だろうと打破するしかない。
「河原崎……」
「もしもの時は、きちんと骨を拾ってやるからな!」
生贄に選ばれた博孝に対し、“同罪”である男子生徒達は右手で敬礼をする。それを見た博孝は、目を剥いて口を開いた。
「バッカヤロー! 縁起でもねえよ!?」
そう言いつつも、これも“指揮官”の運命だと諦める。責任者は、責任を取るために存在するのだ。
博孝がこれから起きるであろう何事かに対し、軽く現実を逃避する。砂原はそんな博孝を脇に置くと、柳と何事かを話し合っていた。
どこから取り出したのか、砂原は艶消しがされた黒い回転式拳銃――リボルバーを握っており、振出式のシリンダーを取り出してから柳に話を振っている。
「“弾”は?」
「“弱め”だ。まあ、眼球にでも直撃しない限りは負傷することもないだろうよ」
「ふむ……それなりに鍛えているから、“痛い”で済むか……」
「それなら、いっそのこと強装弾を使ってみるか? 砂原の教え子ならば、間違っても“腕が吹き飛ぶ”ようなことにはならんと思うぞ」
博孝への説明は行われず、砂原と柳は物騒な会話をしている。『腕が吹き飛ぶ』という辺りに、博孝はかつてない危機感を覚えた。
「こえぇ……なんか、滅茶苦茶不穏な会話をしてるぞ……」
これから一体何が起きるのか。博孝が俎上の鯉になった気持ちでいると、リボルバーのシリンダーに鈍色の銃弾を込めながら砂原が振り返った。その顔は笑顔だった。
「河原崎兄、お前は好きな方の手を真横に上げて立っていろ」
「え? なんですかその命令。撃ちますよね? 今シリンダーに込めた銃弾、絶対俺に向かって撃ちますよね!?」
銃弾程度ならば、撃たれても問題はない。精々、『あー、驚いた』と呟く程度で済む。入校したての頃に、何度も撃ち込まれて慣れているのだ。しかし、砂原と柳の会話を聞く限りは弾倉に込められた銃弾が“普通”の銃弾とは思えない。
覚悟を決めて左手を真横に上げる博孝だが、それを見た砂原は実に楽しそうに言う。
「そんなに怯えるな。不安だというのなら、ロシアンルーレットにするか? 銃弾は三発ほど入れたが」
「当たる確率が二分の一じゃないですか!? 撃つなら早くしてくださいよ!」
博孝の緊張を解すためか、冗談らしき言葉を口にする砂原。だが、博孝としては頷いたが最後、本当にロシアンルーレットをさせられそうだった。
さすがに冗談が過ぎたと思ったのか、砂原は真顔になってリボルバーを片手で構える。距離は五メートルほど離れているが、十分に有効射程範囲だ。そのままリボルバーの撃鉄を起こし、博孝が真横に上げた左手の先――掌に狙いを定め、躊躇なく引き金を引く。
「っ!?」
軽い発砲音と共に左手に痛みと衝撃が走り、博孝は僅かに体勢を崩した。それでも足を引いて体勢を整えると、自分の左手を見る。
「出血はしてないけど……今、痛みが……」
『ES能力者』を相手に拳銃程度の小火器で挑んでも、意味はない。意味があるとすれば、服に穴が開く程度だ。訓練校に入校したての頃ならばともかく、現在の博孝ならば豆鉄砲ほどの脅威にもならない。もしも弾倉に込められたのがマグナム弾ならば少しは衝撃を感じたかもしれないが、それでも衝撃だけだ。痛みを感じるはずもない。
そこまで思考した博孝は、砂原が持つリボルバーに視線を向けた。
「もしかして、今のは対『ES能力者』用の?」
『ES能力者』以外で『ES能力者』にダメージを与えられるものがあるとすれば、それは対『ES能力者』用の武装に他ならない。ハリドが用いたナイフや、野口が持つ拳銃などは見たことがあったが、実際に自分の身で対『ES能力者』用の武装を味わったのは初めてだった。
「正解だ。今のは対『ES能力者』用の銃弾であり……」
そう言いつつ、砂原は柳に視線を移して言う。
「この柳が“作った”ものだ」
柳が作った。その一言に、博孝は目を見開く。
「作った? それじゃあ、もしかしてこの人って……」
困惑や疑問と共に、博孝は柳を見る。砂原はそんな博孝の言葉を聞き、大きく頷くのだった。
「――そうだ。柳は、我が国で唯一対『ES能力者』用武装を製造できる『ES能力者』だ」