真実
『なんでバイトの日じゃないんだよ、余計な時間取らせて』
人気の無い川辺で、柴田裕也は不満げに言った。頭の上にかかる橋を車が走る音が、大きく響いた。
『バイトの後じゃ、話が長引いたら俺が家に帰れなくなる』
『あー、お前んち、イナカだったな。列車が無くなるか。で、話って?』
『沙織のこと。お前、沙織に何かしたんだって?』
『誰がそんなこと言ってた?』
『美羽が、沙織がお前とも出来てたって』
『何かした、ねえ』裕也は苦笑した。
『そう言うお前は、何にもしてなかったんだな。ホントにつきあってたのか? お前らさぁ』
『どういう意味だよ』
瀬央は裕也の、いかにも優位に立った笑い方が気に入らなかった。
『言葉どおりだよ』裕也はにやついて言った。『あいつ、よかったぜ? 何も死ぬこと無かったのにな』
『いつからだ?』はらわたと頭の中が沸騰しかけていたが、瀬央はそれを必死で隠した。
『お前と出来るよりは先だよ』
裕也の笑いは、単に《優位に立っている》人間のそれから、あからさまな嘲笑へ変わっていた。
『嘘だ』
『本当だよ。なんか証拠あんのか?』
『沙織は、バイトを辞める二日前から、急に様子が変わった。お前が本当に沙織に何かしたなら、その直前だろ』
裕也の顔から、嘲りと勝利の笑みが消えた。
『お前、意外と観察眼鋭いね』
『沙織に、何をした?』
聞きたくはなかった。聞かなくとも充分わかることだった。それでも瀬央は、その言葉を口にせずにいられなかった。
『聞かなきゃわかんねえ?』
裕也が言った。
『お前らも来いよ。面白くなるぜ、これから』
前半は瀬央に向かって、それから、橋の上に向かって大声で呼びかける。
そんなことだろう、と瀬央は思った。
バイト帰りでなく放課後を選んだのは、列車の時間の他に、もう一つ理由があった。裕也に仲間がいれば、必ず連れてくるはずだと思ったのだ。そして実際、仲間はいた。
学校帰りなら、おそらく皆、制服を着ている。仲間の顔を覚え、同時に制服、つまり学校を確かめる。それが瀬央の狙いだった。降りてきた二人の男と一人の女は、同じ制服を着ていた。女は美羽だった。
二人は降りてくると、いきなり瀬央の腕を両側から押さえにかかった。身動きできない状態の瀬央のみぞおちに、裕也の拳が食い込んだ。
『っ……』
瀬央は歯を食いしばり、声を殺した。
裕也は、痛みにうつむいた瀬央の顎を持ち上げ、再び薄ら笑いを浮かべる。
『へえ、根性あるじゃん。それとも、殴られんのが好きなのか?』
後ろの二人と美羽も笑いだし、そこから暴力という名の遊びが始まった。
暴行を受けている間、瀬央は抵抗しなかった。
体を丸め、受けるダメージを少しでも弱めようとしているだけのように、三人には見えていた。
それに気づいたのは、少し離れて様子を見ていた美羽だった。
『ちょっと、止めようよ』
『なんだよ、お前もこいつのことムカつくって言ってたろ? 今更かばうのかよ』
『そうじゃなくて、こいつ、なんか変だよ。声も立てないし、目も……』
美羽の言葉に、瀬央の目が真っ直ぐに自分をとらえていることに気づいて、裕也は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
『ずっと、あんた達のこと見てた。ほとんど目を閉じてなかったよ。』
美羽は、裕也達にそう言った。何か得体の知れないものについて話すような、少し怯えた口調だった。
美羽の言葉に、四人は瀬央を放り出してその場を去った。
瀬央はしばらく、地面に転がったままでいた。全身が火を噴きそうに痛んだ。
顔は、覚えた。収穫はあった。瀬央は痛みをこらえて、そう自分に言い聞かせる。
全治二週間。
瀬央は、怪我の理由について、親にも警察にも病院にも、何も言わなかった。
学校とバイトは休んだ。バイトは首になるだろう。シフトに大穴を開けたのだから、それでも文句は言えない。
瀬央はその間、何度も病院を抜け出し、裕也の通う高校の近くへ出向いた。
覚えた顔を隠し撮りし、裕也と同じ高校へ通う、中学時代のクラスメイトに連絡を取った。
二人の名前とクラスが判った。知り合いなら携帯番号を教えて欲しいと言ったが、残念ながら、彼はそれを知らなかった。
あまり近づかない方がいいと、かつてのクラスメイトは言った。『その痣、やられたんだろ?』瀬央の頬を指して『学校でも、裏ではあれこれ噂がある奴らだよ。やり返すとか、考えるなよ?』
『……そうだな』
痣の残る頬をさすりながら、瀬央はそう答えた。
その答えは、数少ない旧友を安心させる嘘でしかなかった。