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レクチャー #2

「これは個人的な興味だから、答える義務はないが」田之上はそう前置きして、瀬央に尋ねた。「お前、あの貯金は本当は何に使うつもりだった?」

「え?」

「銃を売れって言ってきたとき、通帳を持ってただろう」

「ああ」瀬央はぼんやりと前を見ながら答えた。「早く免許取って、中古でも車を買おうと思って」

「お前、まだ2年だろ」

「4月生まれだから、春休みから教習所へ通える。うちのガッコ、そのへん緩いんだよね」

 交通事情の悪い地方都市で郊外に暮らす瀬央は、早く自由な《足》が欲しかった。

「免許取っても高校へ自動車通学って訳にはいかないけどさ。うち、金持ちじゃないから、親にねだるのも気が引けるし」

「ほう、なかなか親思いじゃないか」

「出来るだけ借りを作りたくないってだけだよ」

「褒め言葉ぐらい素直に受け取れ。駐車場はどうする気だ?」

 赤信号。ウィンカーを下げつつ、ブレーキを踏む。ハンドルを握っているのは、当然田之上だ。

 カーラジオは、二人のアナウンサーの、つまらないおしゃべりを流していた。あのバラードがかかればいいのに、と瀬央はちらりと思う。

「この前、うちの近所見たでしょ。イナカには、土地だけはたっぷりあるんだよ。売れないけどね」

「ふむ。高校を出たら、進学か? 就職する気か?」

「あれ、このまま就職させてくれるんじゃねーの?」

「うちの業界は、就職とは言わん。親が嘆くぞ」

「じゃあ、おっさんは、なんでそんな業界にいるワケ?」

「忘れた」交差点を右に曲がる。

「えー、俺は質問にちゃんと答えたぞ」

「答える義務は無いと先に言っただろう。大人の狡さというものを経験させてやったんだ、一つ賢くなったと思え」涼しい顔で田之上は言って、駐車場に入り車を止めた。

 実際、何故こんな仕事をしているかなど、田之上にとってはもうどうでもいいことだった。きっかけはとうに過ぎ去った事で、そんな過去より今を生き抜く事の方がはるかに重要だった。

 二人は車を降りる。スポーツクラブの駐車場だった。田之上は瀬央に用意していたキャップをかぶせた。顔を隠すため、目深にかぶり直すよう命令する。瀬央は素直に従った。二回目のレクチャーの開幕だった。


 二人は建物へ入る。田之上が受付カウンターで「中を見学したい」と申し出た。瀬央は受付嬢の視線から逃れるように、カウンターに背を向けていた。

 少し待たされて、トレーニングウェアを着た若い女が案内係としてやって来た。二人は女の後ろについて、ジムへと案内される。


「親子でジム通いをご検討ですか? 仲が良くて、羨ましいです」

 女は営業用の笑顔で言った。女が実際に羨ましいのは、親子の仲の良さではなく、平日の昼間にジムを見て回る余裕のある事だろう。その日、瀬央は午後から学校を抜け出していた。二人が本当は何をしに来たか知ったら、この女はどんな顔をするだろう? ふと瀬央は想像した。どうでもいいことを考えていなければ、心臓が爆発しそうだった。

 二人は女の説明を受けながら、様々な機材の置かれた、ジムの中を眺めて回る。二人が実際に探しているのは、興味を持てるトレーニングマシンなどではなく、そこで脂肪燃焼に努めているはずのターゲットの姿だ。

 ターゲットは毎週、水曜と土曜の午後に、ジムへ通っていた。もうすぐ、トレーニングを終える時刻だ。

 田之上が、瀬央の脇腹を軽く肘でつついた。

 ターゲットがこちらへ、正確にはジムの出口へ向かって来る。その姿、特に腹周りは、トレーニングの成果が出ているとは言いがたかった。汚い金でいいモノばかり食っているせいだと瀬央は思う。

 瀬央はちらりと、隣の田之上とターゲットを見比べる。田之上は、新たなトレーニングなど必要ないほど精悍に見えた。着るもののセンスも、いかにもそれ系なイメージはなく、親子と見られても悪い気はしなかった。


 ターゲットとすれ違う。「俺、ちょっとトイレ」と瀬央は言った。「先、説明聞いててよ」いかにも親子といった風情で田之上にそう言うと、トイレを探すふりをして、瀬央はターゲットの後を追う。

「あ、こちらに……」案内係は瀬央を呼び止めようとしたが、瀬央は聞こえないふりでジムを抜け出した。

「しょうのない奴だ」田之上は案内係の女に困ったような笑顔を向けた。「いくつになっても、落ち着きが無い。しょうがない、先に続きを案内してもらえますか?」女の注意を、瀬央から引き離す。


 瀬央は、少し距離を置いてターゲットの後を追った。ジムからロッカールームへ向かう途中に、防犯カメラの死角がある。

 今回与えられたチャンスは二度。その死角と、ロッカールーム。

 ロッカールームにはいくつも防犯カメラがあるが、それでもロッカーで仕切られた空間に目撃者がいなければ、実行しろ。どちらも他の人間がいたら、今回はお流れだ。瀬央は田之上からそう告げられていた。

 捕まりたくないなら、引き際も覚えろ。お前が本物の鉄砲玉なら、何をおいても殺れと言うところだ。瀬央は田之上の言葉を頭の中で反芻する。


 一度目のチャンスは、流れた。ロッカールームから出てきた二人組とすれ違ったのだ。瀬央は顔を少しうつむかせて、二人から視線を逸らす。銃を出す前で良かったと、瀬央は心の中で安堵のため息をついた。

 そのままロッカールームへ向かう。ターゲットが使うロッカーの列に、すでに一人男がいた。瀬央は二度目のチャンスを諦めかけたが、幸い男はロッカールームを出るところだった。

 列にはターゲットと瀬央の二人だけになった。

 瀬央は何食わぬ顔でターゲットに近づきながら、肩から斜めがけした鞄からタオルを取り出した。左手にタオルを持ち、右手は銃を取る準備に入る。

「こんにちは」

 ターゲットに声をかけ、振り向かせる。

「ああ、こんにちは」

 知らない相手に挨拶され、ターゲットは戸惑いながら返事を返した。

 挨拶のため開かれたターゲットの口に、瀬央は左手のタオルをねじ込んだ。右手にはすでに銃が握られていた。

 タオルに口を塞がれ、微かに呻くターゲットの胸に、至近距離から打ち込む。サイレンサーが、他の列へ銃声が届くのを阻んだ。


 一発で事は済んだ。瀬央は、心臓も爆発しなければ、右手も震えていない自分を意識する。銃をスエット地のパーカーの下に戻すと、うつむいて防犯カメラから顔を隠し、足早に部屋を出る。

 来たコースをたどって、瀬央はジムへ戻る。案内係と話す田之上を見たとき、瀬央は口元の緊張ががわずかに解けるのを感じた。今の瀬央にとって、田之上の存在は、なにより心強いものだった。


「親父、ちょっと気分悪いんだけど」

 瀬央は口元を軽く押さえて田之上に言った。それは、レクチャー完了を指す暗号だった。お流れなら、怪しまれないよう引き続き中を見て回る事になっていた。

 暗号とは関係なく、実際に、瀬央の気分は悪かった。全身が重い。

「悪いモンでも食ったのか?」田之上は苦笑いの演技をしながら瀬央の肩に手を置いた。案内係を振り向く。

「済みませんが、今日は一度引き取らせてもらっていいですか? また伺いますので」

「はい、またお越しください。息子さん、お大事に」

「ありがとうございます、ではまた」


 二人が建物を出る頃、スポーツクラブの中では蜂の巣をつついたような騒ぎが起きていた。

 

 田之上は車を出し、助手席に座った瀬央はシートにだらりと身を預け、顔が隠れるくらいまでキャップのつばを引き下げていた。

「どっちだ?」田之上が訊いた。「ロッカールーム」質問の意味を確かめることなく、瀬央は答える。

「ふむ」と田之上。「いい状況では、ないな」

「分かってる」瀬央は相変わらず脱力したまま答えた。

 田之上は、瀬央のその態度をとがめようとはしなかった。

 沈黙が車の中で重みを増し、田之上はラジオをつけようとした。その手がふと止まる。

 瀬央が、微かに何かつぶやいていた。よく聞くとそれは、つぶやきではなく歌、古いバラードだった。田之上が今の瀬央くらいか、もう少し若い頃に発売された歌だ。

「そんな古い曲、どこで覚えた?」何気なく田之上は訊いた。

「この前のレクチャー。帰りに、ラジオでかかってた」瀬央は答えて「おっさん、この歌、知ってるの?」少しだけ姿勢を正して田之上に訊いた。

 こうして瀬央はバラードのタイトルとアーティスト名を知り、その夜のうちにスマホでダウンロード購入した。それまで聞いていた曲には、ほとんど興味がなくなっていた。


 翌朝、スポーツクラブで発見された射殺体のニュースが流れ、防犯カメラの映像が映し出された。口にしている朝食の味も分からず、瀬央はテレビに流れる映像を凝視した。

 その映像では顔の特定は困難なようだったが、瀬央は自分の姿が容疑者としてテレビで流れたことに戦慄した。何も知らない母親が、「物騒ねぇ最近は。こんなニュースばっかり」と言った。

 それに答える言葉を、瀬央は持っていなかった。曖昧に返事をして、そそくさと学校へ向かう。

 

 あの日はバイトで貯めた金を少し取り崩して買った、新しい服を着ていた。自分が普段着るものとはだいぶんジャンルが違った。家族がニュース画面を見ても、着ているものから自分だとばれずにすむ。


 レクチャーの時は、親しい人間が知らない服を着ろ。服のタグは切り取っておけ。身元の分かるものは持つな。

 それらは田之上の助言だった。

 素直に受け入れて良かったと瀬央は心から思う。

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