実行
かつてのバイト先の裏口が見えるところに、瀬央はいた。もうすぐ早いシフトの連中が上がってくる。見張っていた裏口の扉が開いた。数人の若者が談笑しながら出てくる。その中に、柴田裕也はいた。
瀬央は裕也の姿を確認すると、路地の向かいにある建物の影に身を潜めた。バイト仲間達は路地を抜け、別れの挨拶を交わしながらそれぞれの家路へと散っていく。
瀬央は距離を取りながら、裕也の後を追った。
裕也は同じ方向へ歩いていたバイト仲間と別れ、一人になった。瀬央は、すぐには声をかけず、バイト仲間が視界から消えるのを待った。
「柴田裕也」
「なんだよ」
フルネームで呼ばれ、裕也は立ち止まり振り返った。
瀬央が裕也を見つめていた。
なぜ瀬央がここにいる? 裕也は目を疑った。
それは裕也にとって、恐怖に近い物があった。仲間で瀬央に暴行を加えたときの、あの瀬央の目。なんの感情も見せず、真っ直ぐ自分をとらえた瀬央の視線を思い出し、裕也は身震いする。
「話がある」
「こっちは、ないね」瀬央の言葉に、裕也が答えた。
「そんなはずないだろ。この前の続きだよ。お前だけじゃない、お前の友達もだ。竹井啓人と中川和馬、それに、美羽も」
瀬央は仲間の名前を知っている。自分達のことを、調べ上げたのだ。裕也の中の恐怖に近いものは、恐怖そのものへと近づいていく。
「これから呼び出せっていうのか?」裕也は言った。バイト帰りの一行の中に、美羽はいなかった。
「遅くてもかまわないんだろ、そっちは? イナカ暮らしじゃないもんな」瀬央が応じた。「今日がいやなら、日を変えてもいい。沙織に何かした奴が他にいるなら、そいつらも全員揃えろ。場所は、この前と一緒だ」
「また殴られたいのか? 懲りない奴だな」裕也は虚勢を張った。「いいぜ、今からで」一人じゃないなら、怖がることはない。裕也は無理矢理そう自分に言い聞かせながら、竹井と中川に電話を掛ける。美羽にも。
電話が終わるまで瀬央は少し待たされ、30分ほどで全員が揃うと裕也から聞かされる。どうやら、沙織の件に関して、他に仲間はいないらしい。
「じゃあ、行くぞ」
瀬央は裕也を促す。
「連中が来るまで何をするんだ?」
「世間話だよ。自慢したいことは、山ほどあるんだろ? 付き合ってやる」
もちろん沙織のことだ。あの時は聞きたくはなかった。今は、聞きたいと思っていた。その方が殺しやすい。
裕也は渋った。人のいない夜の橋の下で、瀬央と二人きりになりたくなかった。
「奴らがつく頃まで、この辺で時間をつぶそう」
「周りに人がいるところで、沙織の話が出来るのか?」
「別にその話をしなくてもいいだろ」
「他になんの話があると思ってるんだ。ふざけるな」
瀬央は、低く言った。声は静かだったが、口調はこれまで使ったことがないほど恫喝的だった。
「みんなが揃ったら、話してやるよ」瀬央の静かな迫力に押されて、裕也はかろうじて答える。
「わかった。じゃあ、そこ入ろうぜ」
瀬央は手近なコーヒーショップを指した。逃げられるよりは、マシだと思った。
お互い無言でコーヒーを飲んだ。賑やかな盛りの高校生が、勉強するでもなくひたすら無言でいる姿は周囲から見れば少しばかり異様だろう。平静を装いながら、瀬央は自分たちが目立たないよう祈った。
「じゃあ、そろそろ行くか」
コーヒーを飲みきって、瀬央が言った。
「ああ」
瀬央に促され、裕也は立ち上がる。行きたくはなかったが、仲間を呼び出した手前、行くしかなかった。
三人はすでに来ていた。
「何してたのよ、呼び出しといて」美羽が怒った声で言った。
橋の街灯からわずかに光が落ちるだけの、暗い空間。
「なんでそいつがいるの?」美羽の怒った声が続いた。
そいつ、というのは瀬央のことだった。どうやら自分がいることを、裕也は仲間に告げなかったらしいと瀬央は気づいた。
「俺が呼び出したから」瀬央が裕也の代わりに答えた。
その一言で、場の空気が一気に冷え込んだ。全員が、あの日の瀬央の視線を思い出した。
暴力を振るうことに夢中だった少年達は美羽に指摘されるまで気づきもしなかったが、自分達をとらえていた瀬央の視線は、氷のように冷徹だった。
竹井と中川は、瀬央を押さえにかかるか、得体の知れないものから逃げ出すか、迷っていた。
「じゃあ、聞かせてもらおうか」瀬央が裕也に言った。「沙織に、何をした?」
「一緒に楽しんだだけだよ」裕也が答えた。「なあ? みんな、そうだよな?」同意を求められた竹井と中川が、曖昧に同意した。
「楽しんだ人間は、普通は自殺しない」瀬央が冷静に指摘した。その冷静さに裕也達は怯えた。
「それは沙織の勝手だよ。死ねと言った覚えはない」
「なるほどな」
裕也の答えに、瀬央は相づちを打った。
「ならお前は、死ねと言われたら自殺するのか」
「そんな訳あるかよ」
「そうだろうな」
瀬央はゆっくりと右手で上着の裾を持ち上げながら答えた。
「おかげで、楽しみが出来た」
言い終わった瀬央の右手には、銃が握られていた。
裕也達には、瀬央の手の中にあるそれが、ひどく非現実的なものに見えた。多少の荒事を楽しんでいても、所詮は高校生だ。
「は、そんな玩具で脅かそうってのか?」裕也は嘲った。緊張が一気に解けた気分だった。
そのとき、頭の上の橋を、大型トラックが走り抜けた。
走行の轟音に合わせて、瀬央は地面に向かって引き金を引いた。砂利がはじけ飛び、暗がりの中でもそれと分かるほどに土煙が上がった。
裕也達は、何が起こったのか、一瞬理解出来なかった。
瀬央はゆっくりと銃口を持ち上げ、まだ事態を理解しきれずにいる四人に銃口を向けた。
次の瞬間、竹井が、声を上げて走り出した。その後ろ姿に、瀬央は狙いをつけた。暗がりでも外さないよう、瀬央は面積の広い背中を狙う。
竹井が地面に転がった。竹井は声を上げ続けていたが、その声の意味は恐怖から苦痛へと変わっていた。
美羽と中川、そして裕也はその場に凍り付いた。
竹井が倒れた場所から動けずにいることを確かめ、瀬央は銃口の向きを変えた。警告なしで中川の右脇腹を撃つ。中川がうめき声をを上げた。撃たれた脇腹を押さえ、地面に崩れる。苦痛に呻き続けているが、その声は言葉にならなかった。
美羽が後ずさった。
「ねぇ、あたしは、何にもしてないよ」ほとんど泣き声だった。「撃たないでよ、誰にも言わないから」
「見てたんだろ?」
瀬央は言った。その口調は静かで、どんな言い訳も赦さない冷たさに満ちていた。
「見て、嗤ってたんだろ?俺に付き合えって言った時みたいに」
「知らない、あたし何も知らな──」
最後まで言わせず、瀬央は引き金を引く。美羽の白い太ももに、赤い血の花が咲いた。
柴田裕也は、地面にへたり込んでいた。
目の前で仲間の身に起こっていることが、信じられなかった。
仲間達はみんな、地面にうずくまり痛みに喘いでいる。
俺たちが、銃で撃たれるような何をした? 裕也は思う。ほんのちょっと、人より楽しんできただけじゃないか。
沙織は勝手に死んだんだ。俺達のせいじゃない。
「どんな気分だ?」瀬央は銃口を地面に座り込んだ裕也に向けて、言った。「他の奴らがしたこともないような経験をした気分は?」
「……助けてくれ」
裕也の口から、微かな声で言葉が漏れた。
「その言葉、沙織も言ったんじゃないのか?」
瀬央は冷ややかに言った。自分が薄く笑っていることを瀬央は意識する。坂田を殺った時のように。
「答えろよ」
瀬央は裕也を追い詰めるように続けた。銃口を裕也の顔の前にちらつかせる。
殺される事への恐怖が、裕也の内側の何かを壊した。
「ああ、言ったさ」
裕也は大声で答えた。
「やめて、助けて、お願いって、何度もな。これで満足か?」
「ああ、満足だ」瀬央は答えて、引き金を引いた。
右足を撃たれて、裕也は悲鳴を上げた。瀬央は続けて引き金を引く。今度は裕也の左の太ももに穴があいた。
「安心しろよ、まだ殺さない」苦痛に顔を歪める裕也に、瀬央は言った。「お前は、一番最後だ」
この痛みに、どれだけ耐えればいいんだ? 両足を撃たれて動けない裕也は瀬央の言葉に戦慄する。
瀬央はゆっくり立ち上がり、一番遠くにいる竹井の方へと向かう。
弾はまだたっぷり残っていた。