白い風船
2022.07.19 ノベプラに転載するので推敲しました。
ふぅわりと、白い風船が揺れている。
寂しそうに、ぽつん、と揺れている。
不況でマンション建設が中止になった、荒れ果てた空き地で揺れている。
空き地は“立入り禁止”の柵で囲まれている。しかし、簡易な柵のため、好奇心旺盛な子供ならば、くぐって容易く入ってしまうだろう。
柵といっても一定間隔に埋められた木の杭に、黄色と黒色の注意を促す紐を結び囲ってあるだけ。そして、赤の油性マジックで“立入禁止”とだけ記された、貧相なプラスチックのプレートがぶら下がっている。
雑草が生い茂っているが、まるで花が咲いているように風船がひょっこりと顔を覗かせている。
ふわふわ、気持ち良さそうに揺れていた。
ある日の事。
その白い風船の隣で、赤い風船がゆぅらりと揺れていた。
白い風船と赤い風船、花のように風に揺られていた。
寂しそうに揺れていた白い風船は、赤い風船が傍にあったので寂しそうには見えなかった。仲良く寄り添い、揺れていた。
いつの間にか、赤い風船が四個になっていた。
白い風船の周囲で、ゆらゆらと揺れている。
空気が足りないのか、一つは今にも地面に落下しそうだった。酷く弱々しい。
反面、何日も前からそこにある白い風船は、妙に張りがある。空気を入れたてのように、ピンとゴムが張っている。
五個になった風船は、通り過ぎていく人々の目を愉しませていた。
大人たちは『そういえば子供の頃、風船に“花いっぱいになぁれ”と花の種をつけて飛ばしたことがあったな』と懐かしんだ。
『多分あの風船も、何処かの子供が花の種をつけて飛ばしたものなのだろう。物悲しい空き地が、花で埋め尽くされればよいのに』
早朝のジョギング中に、慌しい通勤途中に、主婦の井戸端会議中に、日光降り注ぐ炎天下に、赤く染まる夕暮れの空の下に、薄暗い街灯で照らされる暗闇に。通りすぎる人々は、そう思って顔を綻ばせた。
幼い頃の、胸が躍る楽しかった出来事を思い出す。
暗闇に不気味に光る幾つもの赤色ランプと喧しいサイレン音に、近隣の人々は震えた。
まさかこんな小さな街で事件が起きるとは思っていなかった。
閑静な街は、ある日を境に一変した。
幼い子供を狙った誘拐だろうか、快楽殺人犯がやってきたのだろうか。
幼稚園、小学校に通う子供が四人、行方不明になっていた。身代金の要求もなく、フッと消えてしまった子供たち。手がかりは何もなく、警察は公開捜査に踏み切り日中夜問わず捜索した。
少女一人に、少年が三人、その内二人は兄妹だった。消えた日付は兄妹が同じで、他の二人は前後している。有力な目撃情報は一切なく、捜査は難航した。
家を出て消えた子供、学校帰りに消えた子供。時間はバラバラで、元気に走り回っていた姿を見た者はいても、不審者の目撃情報はない。身代金の連絡もなく、全国ニュースでも取り上げられたが情報提供はなかった。
子供たちの両親は励ましあって、愛する子供の写真を配布し、懸命に捜した。
住人は恐怖に怯え、子供たちは例え近所であっても、一人で外出することを禁じられた。学校へ行く際も、必ず大人が一人以上付き添うことになった。ボランティアで通学路に立つ者もいたし、警察も巡回していた。
それ以後、子供が行方不明になることはなかった。しかし、消えた四人は見つからない。
絶望的で、一気に街中が沈んだ。
人々の悲しみに同調したように、空き地の風船は萎んで、地面に落下した。
日光に照られ、風に煽られ、色薄くなった四個の赤色の風船が地面に転がっている。
子供たちを捜すために隣の街からやって来たボランティアが、柵を乗り越えてその空き地に入った。
その場所はすでに何人かが入っている。だが、空き地には風船以外何もなかった。犯行に使われた凶器や、血液が付着した衣類などが捨てられていないかと、警察も捜索した場所だった。
伸び放題の草を掻き分け進むと、足元に萎んだ風船が四個落ちていた。
隣町の彼は、その風船が人々を和ませていたことを知らない。ゴミは捨てねばと、しゃがみこんで一つを手にした。
糸は地面に続いており、地中に埋まっている。
力任せに引っ張ると、糸が抜けた。
じっと、地面を見つめたそのボランティアは、慌ててシャベルを取り出すと土を掘る。ドッと全身から汗が吹き出て、震える手でそっと土を退けていく。
願いも虚しく、ボランティアの絶叫が響き渡った。
警察が飛んできた、空き地の周囲は野次馬で埋め尽くされた。
地中から、行方不明になった子供らが四人出てきた。
消えた当時の衣服のままで、乱れた形跡はない。
不思議な事に、彼らは右手にしろ左手にしろ、片腕を上げた状態で地中から見つかった。
まるで、風船を掴んでいたような格好だった。
何故今までその荒地を誰も捜索しなかったのか、いや、掘り起こさなかったのか。
それは、空き地の地面に背丈の長い草が生い茂っていた為だ。
地面を掘って子供らを埋めたのならば、綺麗に草は生えていない。周囲と同じように、自然に草は生えていた。
すると、子供らはどうやって地中に埋められたのだろう。
死因は窒息死であったが、首を絞められた痕跡はない。本当に、生きたまま地中に埋められてしまったように思える。
ただ、血液の量が著しく減少していた。
第一発見者である善良なボランティアは、懸命に状況を説明した。ネットで拡散され、マスコミが押し寄せ、気の毒な事に容疑者となった。
だが、証拠不十分で釈放された。
そもそも、子供らが行方不明となった日、彼は出張でこの街にいなかった。
世間を震撼させた子供四人失踪事件は、こうして幕を閉じた。
けれども、真実は未だに解っていない。
警察が撮影した現場の写真には、貧相な赤色の萎んだ風船が四個。
その赤い風船の内側に、血痕が付着していた。鑑定の結果、それは子供らの血液だと判明した。
だからといって、謎が解けたわけではない。
白い風船が最初に浮かんでいたことなど、誰も覚えていなかった。
「ねぇ、おにいちゃん! あんなところに白い風船が浮かんでいるよ!」
「あれ、ホントだ。行ってみるか」
「うん! 柵を乗り越えたら行けるよね」
ふぅわりと、白い風船が揺れている。
寂しそうに、ぽつんと揺れている。
不況で倒産した工場の、荒れ果てた空き地で揺れている。
空き地は“立入り禁止”の柵で囲まれている。しかし、簡易な柵のため、好奇心旺盛な子供ならば、くぐって容易く入ってしまうだろう。
柵といっても一定間隔に埋められた木の杭に、黄色と黒色の注意を促す紐を結び囲ってあるだけ。そして、赤の油性マジックで“立入禁止”とだけ記された、貧相なプラスチックのプレートがぶら下がっている。
雑草が生い茂っているが、まるで花が咲いているように風船がひょっこりと顔を覗かせている。
ふわふわ、気持ち良さそうに揺れていた。
白い風船に近寄った兄弟の姿が消えると、その左右で赤い風船が揺れていた。
三個の風船は、ゆぅらりと揺れる。
人々の瞳を、和ませるように。
「まさやー! たくとー! 何処へ行ったのー! ああああああっ!」
「きょうこちゃん! きょうこちゃん、返事をしてぇっ!」
風船が浮かぶ空き地からほど近い場所で、人々が消えてしまった子供らの捜索を懸命に行っている。
白い風船は彼らを見守るように、満足そうに嬉しそうに揺れている。
周囲には、いつの間にやら七個の赤い風船が浮かんでいた。
暫くして、行方不明になった子供の死体が萎んだ赤い風船の下に埋まっている事に、一人の母親が気づいた。半ば発狂していた彼女は、土の中から鬼のような形相で掘り起こし、変わり果てた姿の我が子を抱いて泣き叫んだ。
警察が出動し現場検証して撮影された写真には、萎んだ赤い風船が七個地面に転がっていた。
そこに、白い風船はなかった。
白い風船は、今日も何処かの空地で、ふぅわりと揺れている。
近づく子供らを、待っている。
その写真の状況を見たときは、シュールだなぁと思ってツイッターで呟いたのですが、フォロワーさんが怖いことを言い出したので話を作ってみました。