表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

Dream-novelist-

はじめに一人称を「僕」とすることを許してほしい。

こっちのほうが、話を書きやすいからだ。

正直、心の中をのぞかれているようではずかしいのだが、ここは腹をくくることにしよう。

それでは、本題へはいろう。


ガシャーン。

僕のどん底は、小学校5年生…いや、4年生だったかもしれないが、まぁそのくらいだった。

“ガシャーン”という音は、クラスメイトの男子がまた、暴れている音だ。

僕は他人と極力接したくなかった…というか、単純に面倒事に巻き込まれたくなかっただけだった。いつも知らぬ顔で、“またはじまったか”と思いながら本を読んでいた。今思えば、それもいじめの範囲内だったのだろう。クラスは、最早クラスとはいえない程荒れていて、いじめなんか日常茶飯事だった。

僕の友人関係もその頃には既に崩れてしまっていて、ある事件をきっかけに仲良くしていた友達(家も近い)に避けられ、嫌われ、僕が彼女に触れたりすると、触ったところをはたかれるようにもなった。

それが嫌だったので、僕も自然と彼女を避けるようになり、なるべく近寄らないようにしていた。

そんなこともあってか、女の子を信じられなくなって、5、6年生の頃には、男子に憧れ、制服もスカートは全くはかず、ズボンばっかりはいている、とてもボーイッシュな女の子に育ってしまった。

昼休みも、男子とドッチボールをしたり、とにかく外で活発に遊ぶようになった。

学校ではこんな感じで日々を過ごしていたが、家ではまた違う問題を抱えていた。

僕は小学校低学年から5年生まで、剣道を習っていた。

きっかけは、姉の練習を見に行っていた僕に話しかけてきた先輩からの誘いだった。何となく断れなくて、姉と一緒に剣道をすることになった。

はじめの頃は、真面目に行っていたのだが、だんだん学年が上がっていくにつれ、年下には勝てない、練習はきつい、先生はきびしい、といった理由で、だんだん休むようになっていった。

それを見かねた父親は、僕が休むと言うと、ビンタしてくるようになった。普段は面白くていい父親なのだが、剣道に行かない、気分が悪くて休むと言うと、「早く行け」と殴ってくるのだった。

そんなある日、当時小学5年生だった僕は、「勉強に集中したい」という理由で、剣道をやめた。

結局、剣道を習っていた時にとれたのは、進級試験の時にうった面1本だけだった。

いつの頃からか、そろばんも習うようになったが続かず、中学2年生の頃にはやめてしまっていたと思う。

小学生の頃(確か中学生の頃もあったはずだが)、学校でつらい事があったり、父親になぐられたりした時、“自分はいらない子なんだ”と思って、よくベッドにもぐって、一人で泣いていたこともあった。時には、死ねる勇気もないのに、自分の首を(手で)締めたりもしていたが、結局、自殺することはなかった。まだやりたいことが山ほどあったというのもあるが、単純に死ぬのが怖かったというのが本音だったろう。

小学校5年生の時には、ある程度のいじめもおさまり、6年生の時は、クラスもまとまって、卒業することができた。

だが、中学校でもいじめがあった。僕は花粉症のようで、授業中にもよく鼻をかむので、机の上にはティッシュが山積みだった。だから、とある男子からいつも「汚っ」と言われていた。陰口も言われていたような気がする。

それでもいつの頃からか、そんな言葉も気にしなくなっていった。

そんなある時、気づけば夢は“小説家”になっていた。

委員も、総合文化委員という、小学校などでは、図書委員にあたるところに入った。

本がたくさん置いてあって、わくわくしたのを思い出すようだ。

家では、ネットを繋いだパソコンで、未熟ながらも、自分なりに小説を書くようになった。

中学2年生になる頃には、友達も少なからずできていた。しかし、友達もいじめをうけていた。4、5人くらいいたが、そのほぼ全員が、である。いつしか、僕の部室である、美術室には、友人が集まるようになって、はみ出者ながらも、楽しい日々を送っていた。

“中学2年生”というと、僕の中学校では毎年、修学旅行に行く学年であり、僕たちも広島のスキー場へと出かけた。二泊三日くらいだったか、三泊四日くらいだったかは曖昧だが、そのくらいの時期だった。そのなかで、クラスの出し物が行われた。一組、二組…と、順番にダンスやらマジックやらを披露していた。僕たちのクラスは四組で、しかも僕はダンスのセンターだった。当日、クラスメイトの女子の計らいで、僕はウサミミをつけることになってしまった。(あれはある意味僕の中では黒歴史なのだが。苦笑)

ちなみに、ダンスは当時流行っていたAKB48の会いたかった(オリエンタルラジオ、藤森の合いの手ver.)を踊った。

後日、僕は何かとからかわれたりしたような気もするが、あれからクラスになじめるようになったのは最早言うまでもないだろう。女の子に対する恐怖心もいくらか和らいだ気がする。だが、何故あの時、僕がダンスのしかもセンターを指定されたのかは今でも疑問だ。面白半分だったのだろうか…?しかし、それでいろいろなものが変わっていったから、“結果オーライ”というものか。

それから数ヶ月が過ぎ、僕もいよいよ受験生になったのだが…。

勉強嫌いの僕は、あろうことかパソコンにはまってしまったのだ。その1年間はインターネットに没頭してしまい、勉強という勉強もせず、公立を受験した。結果はいうまでもなく不合格。僕の番号はどこにも見あたらなかった。

そして、何度目かの春が来た。僕は、合格発表のときとはうって変わって、わくわくドキドキしながら入学式を迎えた。自己紹介はすごく緊張したな。

ドリームコースには、入学して1ヶ月もしないうちに、マナー研修というものがあり、その出し物でまたクラスになじむことができた。

それからの1年はすごく楽しい毎日だった。体育祭があったり、スケートをやりに行ったり、ゴルフをやりにいったり、球技大会があったり…どれも楽しかったということしか覚えていない。もちろん、楽しいことばかりではなかった。高校は、中学校と違って、赤点やら追試やらがあり、赤点をとりすぎると、留年してしまう。だから、僕は高校受験の時より必死で勉強した。そのおかげで、赤点をとることなく、無事進級することができた。

話は変わるが、1年の前半(つまり前期)は少しずつ小説を書き進めていた。だが、後半(つまり、後期)は忙しくて殆ど小説を書く時間はなく、その間、スローぺースだったけど、読めるところまで、小説を読んでいた。


少し長くなってしまったが、ここまでが僕の過去だ。

ここからは、これからの想像、未来の話である。笑わないで最後まで読んでほしい。


2年になって数ヶ月が過ぎ、季節は夏。学生の一番の楽しみである夏休みの真っ最中である。

ドリームは2年の夏休みにインターシップで職場体験をしなければならなかった。僕は、出版社へ行った。短い間だったけれど、様々なことを学んだ。

秋には語学研修へ行き、外国の人とふれあった。僕は英語が苦手なのでどれくらい通じたのかは疑問だが(苦笑)

それから、文化祭を楽しみ、冬休みが過ぎ去り、予選会や卒業式を終え、ようやく3年になった。3年は、進路が決まる重要な時期だ。ここで勉強をなまけるわけにはいかないので、僕は今まで以上に努力して、少しずつ成績をあげていった。

僕は、犯罪心理を学ぶ大学へ行くことにした。次は失敗しないように、勉強をがんばった。

そしてまた、春がやってきた。僕は希望の大学へ行くことに成功し、夢に向かって着実に進んでいることを感じとった。

大学は、何でも自分でやらなければいけないので、大変だ。それでもめげることなく、4年間大学に通い続けた。中でも一番苦労したのは卒論だった。もちろん、僕は夢について書こうと思ったのだが、知らないことが多すぎたのだ。そこで、この社会にはなくてはならないインターネットを駆使し、僕はようやく卒論を書きあげることができたのである。意外に、調べ作業は楽しかった。

大学を卒業後、仕事はどうしようといろいろ迷ったのだが、結局、両親にお世話になることにした。

僕の家は自営業で畑仕事をしている。つまり、農家なのだ。僕は両親(主に父)から度々、パソコンでの資料づくりをお願いされていた。家の中では僕が一番機械に強いからだ。その関係もあって、僕はその仕事をしようと決意したのだ。

とは言ったものの、殆ど仕事がないので、昼間の忙しい時期は畑へ行ったり、家の倉庫で袋詰めや箱詰めを手伝ったりしていた。人手が足りる時は、暇をもらって、一日小説を考える。そんな毎日の繰り返しだった。

そして、ようやくいくつかの作品を仕上げることができた。その小説を本にすべく、僕は編集社などに持って行った。はじめはなかなか上手くいかず、たくさんの手直しをしなければならなかった。

大学を卒業して5年後―。ようやく僕の書いた小説が本になったのだ。しかし、これがなかなか売れない。

数ヶ月も過ぎると、ようやく少しずつではあるが、売れるようになってきた。ネットでの評価は、あまり良くないものから、すごく良いものまであり、やっぱり個人差が大きいのは認めざるを得なかった。たまに、アドバイスみたいな、改善点を書いてくれている人もいた。僕はそれを参考にして、また違う小説を書きはじめた。

そんなことを繰り返していくうちに、ようやくベストセラーの小説をつくりあげることができた。道行く人たちが自分の本を手に抱えているのを見ると、なんだか照れくさくて、すごく嬉しかった。

それからたくさんの小説を書いて、たくさんの人々が自分の本を読み続けた。


これが、僕の夢だ。

そして、こんな未来が実現することを願い、努力していこうとこの物語に強く誓ったのである。


Fin.

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ