第二幕/3
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震え上がるような寒さによって、凛は眠りから覚めた。
カーテンの隙間からは微かに太陽の光が差し込んでいる。朝方――時計を見たところ六時半過ぎである。
夏の朝というには寒すぎる――いくら異常気象といえど――と部屋の状態を不穏に思った。この寒さは度が過ぎている。
女子制服を着ているせいか、特に下肢は冷えきっていた。
「ううん……」
寒さに耐えられず、凛はかけていた毛布を取り払い身体を起こした。
立ち上がれば、冷やかな空気が全身に――スカートを履いているため空気に直に触れている下肢には一層――まとわりつき体温を奪う。やはり部屋が異常に寒い。
「どうしてだろう」
呟き、しかしすぐに答えは出た。
天井の片隅を見上げる。
昨晩から今もなお稼働し続けているエアコン。
そこから吹き込まれる風が、非常に冷たい。涼しいでは済まない温度だ。
「もしかして……」
凛はエアコンのリモコンを探す。
昨晩、確かにテーブルに置いておいたはずのリモコン。それは現在、気持ちよさそうな寝顔を浮かべて畳に横になっている雪音の手中にあった。
何故そんな所にあるのだろうと思いつつ、雪音を起こさないよう静かにリモコンを抜き取る。
リモコンの表示を確認してみると、
「お、温度低すぎるよ……」
現在の設定温度は、このエアコンで設定できる温度の限界まで下げられていた。もちろん凛がつけたときはもう少し高めの温度に設定していたはずである。
もちろん、凛が夜中に設定を変更したということはない。となれば、設定をいじったであろう人物は一人しかいない。
凛は幸せそうに静かな寝息を立てている雪女を見た。
眠っているため術を使っていないのだろう。髪の色は銀に戻っていた。ちなみに、胸の膨らみも控え目以下になっている。
「ん、んぅー……」
雪音が目を覚ました。
まだ眠そうな顔で、目を擦りながら身体を起こす。背中を反らし片腕を上げると「うー……」と伸びをする。そして「ふわぁ」とあくびをした。
ぼんやりとした顔で部屋を眺め、凛の姿を見つけると、
「なんだ、もう起きておったのか」
「なんだ、じゃないですっ。なんなんですか、これ!」
「なにって……ああ、この部屋のことか? どうだ、快適であろう! 過ごしやすいだろう! 夜中、暑くてまた目が醒めてしまってな。どうやら、えあこんが停止してしまっていたらしい。そこで、就寝中のそなたの代わりに、うちが起動してやったというわけだ。ついでに温度も出来る限り低くしておいてやったぞ」
はじめてのおつかいを成功させた子どものような笑顔で雪音は胸を張った。いつのまにか黒髪の人間の姿に変身しており、その胸も自信と体積に溢れている。
凛は温度を下げるボタンを連打する雪音の姿を思い浮かべて溜め息を吐きつつ、エアコンの電源を切った。
「むぅ。止めてしまうのか。せっかく快適だったのに」
「エアコンを使うにもお金がかかるので我慢してください」
「世の中、金か」
「それとはちょっと違いますけど……」
凛は雪音に「エアコンを使うなら温度を下げすぎないようにしてくださいね」と頼んだ。気弱な凛の性格上、注意ではなくお願いになってしまったが。
「うむ! 善処しよう」
善処と言われると心許ないが、一応の理解をしてくれたようなので結果的には良しである。
「ああ、もうこんな時間か」
凛が再び時計を見ると、時刻は七時になろうかという頃合いだった。
アパートから学校まではそう遠くないため授業に遅刻する問題は無いが、今日は剣道部の朝練がある。
「そろそろ出ないと……」
通学用の鞄を手にとる。
「それじゃ、学校に行ってきますから、できるだけおとなしくしていてくださいね」
ここに居座ると宣言された以上、雪女である雪音を相手に無理に追い出せる力も凛にはないし、そもそもそんな事をするつもりもない。となれば雪音には凛がいない間、問題を起こさないように気を付けてもらうしかない。
「んむ。善処するぞ。ところで、学校とは何だ?」
「えっと、勉強したり運動したりするところです」
「ひとりでか?」
「いいえ、友達もいますし、勉強は先生が教えてくれます」
「ほう……」
大雑把に理解したのか、雪音は「わかった。留守は任せろ」とだけ言うと、再び畳に横になった。その瞬間、僅かに見えた雪音の顔が、どこか思案気であったのが少々気になったが、
「あと、冷凍庫の中にコロッケがありますから、お腹が空いたらそれを食べてください。この部屋を出てすぐにある白くて大きい箱の上の段です」
凛は台所にある冷蔵庫を指さしながら説明した。
「了解した」
「それじゃ、行ってきますね」
「うむ。達者でなあ」
雪音の声に送られ、凛はアパートを出ようとする。玄関を出ようとして――
「そうだ。あれを持っていかないと」
ドアノブに手をかけた体勢から反転、踵を返す。
「どうかしたのか?」
「いえ、ちょっと忘れ物をしただけです」
部屋に戻った凛は雪音の問いに簡単に答えつつ、昨晩寝る前にとあるものを入れておいたリュックを手に取った。そして、改めてアパートを出た。
「行ってきます」