第二幕/2
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雪音はここを出ていく……はずだったのだが。
「さて、なんだか眠くなってきた」
雪音は限りなく自然な動きで畳へ横になった。そこで寝るのが当然のように。
凛はきょとんとした顔になりながら尋ねる。
「も、もしかして、ここに泊るつもりですか?」
「そうだが……なんだ? ……まさか、うちがここにいるのが嫌かっ? 嫌なのかっ?」
跳ねるように起き上がると、なんとも悲しそうな潤んだ瞳で訴えかけてきた。
半分ふざけているのだろうが、そう言われてしまっては断れるわけがないことをわかって言っていそうなあたり性質が悪い。
しかし雪音が「雪女は群れて生活しない」と言っていたことを凛は思い出す。そこから推察すると雪音も凛と同様ひとりなのかもしれない。
どこかうら寂しさを感じさせる雪音の顔を見てしまうと、孤独というものに対して敏感な凛が、彼女を放っておけるわけもなかった。
雪音に対してある種の共通点を感じたのかもしれない。
「嫌なわけないです。どうぞ、泊まっていってください。布団もお貸ししますから」
「そうか、なら安心だ。そなたは良い嫁になれる。しかし布団はいらぬ。あれは暑くなるだけだ。厚意だけ受け取っておこう。うちはここに直に寝る。布団より畳の方が涼しいのでな」
そう言って雪音は再び横になった。
凛は、目を閉じた彼女の顔をちらりと見る。
とても穏やかな、優しい寝顔だった。
(……雪女、か……)
多大な魅力で男を誘惑し、虜にして精気を奪う雪の妖怪……と凛は想像する。
(たしかにこれだけ美人なら、男の人はあっさり虜になっちゃいそうだ……)
事実、凛自身も話しているときは雪音にドキドキさせられっぱなしだった。
容姿だけでなく、彼女の言動や行動、その性格にも、本能レベルで心を揺さぶってくるような魔的な魅力を感じていた。もちろんそれは彼女が雪女として男を誘惑するために備えている容姿や能力に大きく影響されているものであって、凛の抱いている気持ちが恋愛感情の類のものかと問われれば違うのだろうが……。
さて。凛は気持ちを入れ替え、当面の問題について考える。すなわち、雪音が凛のことを女だと思ってしまっているということについてだ。
男嫌いな彼女のためにも、自分の身の安全のためにも、本当のことは言わない方が良いだろう。雪音の前では女を演じる他ない。
このまま住み着いてしまいそうな感さえある雪音には、頭を悩まされそうだ。
(もしかしたら、魅魚に助けを借りる必要もあるかもしれない……。うう、ぜったい面白がってからかうんだろうなあ)
すでに悩みは二倍三倍へと膨れていた。
「暑い……」
ふと、雪音が顔を上げて小さく呟いた。
「え、暑いですか?」
「うむ……」
彼女はゆっくり身体を起こし、
「暑くて溶けそうだ。なんとかならぬか」
気だるそうに問いかけてくる。
ここのところ寒い日が続いているため、凛にしてみれば暑いとは思わないというのが正直な感想だが、雪音は雪女だからこれでもまだ暑いのかもしれない。和服を着ているのだから尚更だろう。
かといって着替えればいい、とも言えない。代わりに着せる服などないからだ。男物の服を渡してしまえば、それをきっかけに正体に感づかれる可能性も否定はできない。言うまでもないが服を着なければいいなどというのは論外である。
凛はテーブルの上に置かれたリモコンを手に取る。
「それじゃエアコンをつけますね」
「えあこん、とな? それはなんだ」
エアコンを知らないらしい。
「部屋の温度を調節する機械です。すぐ涼しくなりますよ」
説明しつつ、リモコンのスイッチを押した。ゆっくりとフラップが開き、吹き出し口が露出する。
ほどなくして、空気の出てくる低いくぐもった音が部屋に響き始めた。
寒い日が続いているとはいえ、部屋の中であれば肌寒いという程度で(……なのに外では雪……?)冷房を使えば部屋の温度はまだ多少は下がりそうだった。凛にとっては寒くてしようがないが、雪音のためである。本当に溶けられては堪らない。
「おお。風が吹いておるぞ! これは凄いなあ! 普通の人間でもこのような術を起こせてしまうからくりとは興味深い……」
「気に入ってくれたようで良かったです」
夜中に自動で電源が切れるようにタイマーをセットする。せっかくなので雪音にもエアコンの使い方を教えておくことにする。
説明を受けながらひとしきり感動した雪音は、やがて横になり、再び眠りについた。
部屋はだいぶ涼しくなっていた……いや、凛にとってはやはり寒いというのが正直なところだ。凛も暑いのは苦手だが、さすがは雪女、それ以上に暑がりらしい。
(これだけ寒いのにまだ暑いなんて雪女らしいや)
凛は再び雪音の寝顔を見る。
(とにかく、僕も寝よう。……と、その前にお風呂に入らなきゃ)
凛は部屋の電気を消すとバスルームへ向かう。
寝まきは男物のジャージしか持っていないので、風呂から上がっても女子制服を着るしかなさそうだった。