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雪姫の夏  作者: 杏羽らんす
第四幕『愛しの雪童子』
33/39

第四幕/3

/3



 触れ合った唇を介して、自分の中から生命力の源のようなものが流出していくのがわかった。


 凛は、これが雪音の言っていた精気を吸われるということなのだろうと実感した。

 自分の体内で流れる生命力の水脈が強引に分枝させられ、その新しい経路を介して外部

へ流れ出してしまっているような感覚だった。そのうえ、その生命力の奔流は留まることを知らない。


 もともと薄れ始めていた意識がさらに薄らぎ、今では夢うつつの状態だった。


 ぼやける視界が、自分の身体の異常を捉えた。

 青白くなっていた身体が今度は透明に、文字通り透け始めていた。まだ視認できるだけの濃度を保ってはいるものの、手をかざしてもその向こう側――部屋の壁が見えていた。


 ――身体が、消えかけている。


 凛は自身の異変に恐怖を覚えた。


「何も知らずに死んじゃうのは可哀想だから、教えてあげる」


 こごめの声だ。


 凛は項垂れた首を何とか上げて、彼女の方を見る。


 こごめは嬉しそうに語りだした。

「あたしが今したのは、ただ単に精気を吸うってだけの行為じゃないの。正確に言うと、与えた精気を返してもらったのよ」


 与えた精気。それは、こごめが凛に与えた、という意味だろう。しかし、凛は今までこごめに会ったことなんて――ない、と記憶を探り、

(いや……あのときの……?)

 凛は頭を過ぎったある出来事を思い出し、はっとした。


 その様子を見てこごめは満足げに続けた。

「気づいたかなあ? 思い出してくれたかなあ? あなたがまだ小さかった頃、雪山で遭難したでしょう? 死にそうになったでしょう?」


 にやりと笑った。


「あの事故からあなたを助けてあげたのは――――あたしなの」


 こごめは得意げに凛を見下ろす。

「精気を吸うことができるなら、その逆もまた然り。雪女はね、精気を込めて創った雪わらしを人間の体内に送り込むことができるの。身体に融合……憑依させるってわけ。それって結果的に人間に精気を与えたことになるでしょ。精気を込めた雪わらしと、人間が合体するんだから」


 だんだんと気分がよくなってきたのか、こごめは饒舌になっていく。


「あのときのあなたはねー、すごく衰弱していて精気も微弱だったの。だから助けてあげた。あなたと一緒にいた人たちには、してあげなかったけど」


 一緒にいた人というのは、凛の両親のことだろう。凛は朦朧としながらも、なぜ自分だけでなく両親も助けてくれなかったのかと腹立たしく思った。


 しかし、すぐにその答えを知ることになる。


「でも勘違いしないで。雪女はね、親切で精気を送り込んであげたりなんてしないわよ。だってそうでしょ。自分の精気を込めて創る雪わらしは、自分の半身。自分の生命力を削って創り出すわけだから、それは自分の力が弱まるってことよ。それを他の人間に渡すなんていう不利益でしかないことをするのには、ちゃんと理由がある。見返りがあるの」


 こごめは凛に近寄り、冷たい指で顎を持ち上げた。無理に顔を上げさせられて、首に痛みが走った。


「憑依した雪わらしは人間と一緒に成長するの。成長することで込めた精気も増幅する。とくに成長期の男の子の身体に憑依させた雪わらしの精気の増幅はものすごいのよ。――だから子供だったあなたを選んだの」


 ぼうっとする意識の中でこごめの言葉を聞きつつ、凛は衰弱によって身体が限界に近付いているのを感じた。


 苦痛に顔を歪める。その凛の表情を見て、こごめは自分の言葉を凛が信用していないと思ったのか、

「あたしの話が信じられないかしら。でも証拠……というか、証明ならあるわ。まあ、この現状が物語ってはいるけど……」


 こごめは、凛の頬を冷たい手で優しく撫でた。まるで我が子をあやすように。


「あなたの顔って女の子みたいに可愛いでしょー? 雪女が創る雪わらしは、たいてい女の子なの。自分が女だから創るときに想像しやすいのよね。

 女の子の雪わらしが憑依した状態で男の子が成長すれば……自然と雪わらしの影響が出てきて女の子っぽい顔になる。とくにあなたの場合、遭難したときの衰弱が激しくて雪わらしへの依存が強かったから、影響も大きいんだ。言ったでしょ、あなたは半分しか男じゃないって。これはそういうこと」


 こごめは愉悦の笑みを浮かべた。


「つまりあなたは――あなたの正体は、人間というよりも雪わらしと言った方が正しいのよ。その証拠に、雪わらしがあたしの中に戻った今、あなたの身体は消えかけている。とっくの昔に、あなたは人間ではなくなっているのよ」


 自分が本当ならとっくに死んでいたはずの存在だったこと、人間と呼べる存在ですらなくなっていたこと。それらは凛の精神的安定を打ち砕くのに充分な事実だったが、幸か不幸か、曖昧な意識の状態ではあまり実感が湧かなかった。


 こごめは凛から手を離すと一仕事終えたというように、両手を組んで思いきり背を反らした。


「というわけだから、雪わらしを返してもらうためにあたしはやって来たの。もうすごいよー、あなたの中で育まれた精気、活力に満ち溢れてる。本当に……あはっ、すごぉい……今にもあたしの中で爆発しそうで……もうおかしくなっちゃいそう」


 息が荒くなり始めたこごめは、部屋の窓の方へと進んでいく。ベランダに繋がっている大窓だ。


「長い間、我慢していた甲斐があったなあ……。大変だったんだよ、あなたに雪わらしを憑依させてから今日まで。だって他の人間の精気を吸っても応急処置程度の回復にしかならないんだから。わかりやすく例えるなら……そうね」


 こごめは考える風に、顎に指を当てながら、

「精気は飲み物で、雪わらしはそれを溜めておく容器なの。その雪わらしの容器っていうのは、雪女自身の中にある容器を切り取って創る。つまり、あなたに雪わらしを貸している限り、あたしの容器は小さいまま。容器が小さいんだから、いくら人間から精気を吸っても零れていくだけであたしの物にはならないでしょ?」


 ふふと笑った。


「でも、今は違うっ! あなたの中で雪わらしは成長した! 精気も増えたし、容器も大きくなった! そしてそれが今はあたしのもの! これだけの精気があれば、雪姫をおびやかすことができる。……ああ。雪姫っていうのはね、簡単に言っちゃえば、雪山とその山の雪女たちを管理する偉い人、みたいなものかな」


 こごめは精神が昂ぶり、それを抑えられないようだった。もう、彼女の言葉は凛への説明から自己満足の域へと変わりつつある。


「ちなみにあたしが雪姫に倒されたとき、あたしは死んだわけでも消滅したわけでもなかったの。あたし自身が、あなたの身体に憑依して身を隠していたんだ。

 あなたの身体に憑依できたのも、あなたの身体の大部分があたしの雪わらしで構成されていたから。あたしの分身なんだから、それはあたしの身体でもあるものね。でも安心していいよ。今はもう、あなたの身体にあたしの雪わらしはいないから憑りつくことはないわ」


 こごめはおかしそうに小さく笑った。そして、声を荒げて、

「でも。そのかわりに、あなたはもうすぐ消えちゃうんだけどね! あはははああっ!」


 取りこんだ精気の強さに酔い、我を忘れかけているのか、その笑いは不気味なほどに狂っていた。そしてゆらりとした足取りで窓に寄り添う。


 こごめは窓ガラスに手を当てるとそれを氷結させ、破壊した。氷とガラスが辺りに散っていく。


 吹き込んできた強風で水色髪のサイドテールが揺れ、着物の大きな袖も激しくはためいていた。


「それじゃさよなら。あたしの子……だった人」


 こごめは吹雪の渦を身に纏うと、その暴風に乗って外へと飛翔していった。

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