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雪姫の夏  作者: 杏羽らんす
第二幕『女装遊戯』
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第二幕/12

/12



 雪音が風呂に入っているうちに、遅くなってしまったが夕飯を作っておこうと凛は台所に立った。


 冷凍室を開けて中身を確認する。冷凍コロッケがあればそれを出そうかと思っていたが、どうやら品切れらしい。あるのは鳥のから揚げとピザ――どちらも冷凍食品である――くらいだった。


 雪音は解凍していない冷凍食品ならなんでも好んで食べそうだ。そう考えて、食べやすそうなから揚げを選ぶ。自分のぶんも同様にから揚げにすることにした。もちろん自分の物に関してはレンジで解凍するが。


「明日こそはちゃんと買ってこよう……」

 凛は独り言つ。


 と、そのとき風呂場から綺麗な歌声が聞こえてきた。


 雪音が何か歌っているのだろう。

 聞いたことのない唄だが、扉越しに聞こえてくる雪音の澄んだ歌声が耳に心地よい。

 当然のごとく単音でしかないはずのその声音は、風呂場の反響も手伝ってか、非常に耳当たりのよい優しい和音のように聞こえた。


 なんだか心がふわりと包まれ浮遊するようなやすらぎを感じる音色だった。まるで聴く者の心を丸ごとさらっていってしまいそうな、不思議な旋律が凛の心音に重なっていく。


(そうか。ただの推測にすぎないけど――)


 凛は思った。雪音が以前に出会い、彼女に名を付けたという男。その男が『雪音』と名づけたのは、この歌声を聞いたからではないだろうか。


 そう、これは雪の音だ。


 静かな夜に降る雪の音。聞こえるはずのない神秘の韻。それが雪音の歌声となって耳元に届けられるのだ。


 何かに吸い寄せられるように、凛はそちらへ近寄る。


 耳を傾けて――シャワーの音が聞こえてきた。

 雪音の歌声に、不規則な水飛沫の音が重なる。

 壁越しに届くその不調和な旋律は、凛にとって初めてのもので、先程とはまた違った意味で妙に心臓の鼓動を高鳴らせる。


 不意に。


 いつも自分が使っている浴室で白雪の美女が水を浴びている姿を想像してしまう。

 艶やかな黒髪――それとも銀だろうか――が流水に濡れ、きめ細やかな白い肌に張り付き、そして、なだらかな素肌を冷水が伝っていく……。


「い……いけない、いけない! 何を考えているんだ僕は!」


 我にかえって邪念を振り払った。

 雪音が来てからというもの、自分はどうも落ち着きがない。学校では魅魚に翻弄され、自宅では雪音に――悪意がないとはいえ――振り回される。まだ雪音と暮らすようになって二日目だというのにこの有様では先が思いやられる。


「でも……」


 こんな生活も嫌ではなかった。


 凛は一人暮らしというものが寂しくて仕方なかった。

 小学生の頃に両親を亡くし、中学卒業までは親戚の家で面倒を見てもらっていた。ありがたいことに叔父も叔母もよくしてくれたが、どうしても自分は迷惑をかけてしまっているのではないかという気持ちが拭えず、むしろ自分の方から独りになろうとさえしていた。

 そして高校に入るのをきっかけに、一人暮らしを始めた。

 学校では幸太郎や魅魚のような仲の良い友達もできたが、それでも自宅に帰ってくると、不意に独りの寂しさが襲ってくる夜が何度もあった。


 人間とは孤独な生き物だ。そうであるからこそ心の支えとして他者を求める。しかし、それは友人という存在では担いきることのできない役割であるし、凛自身それを友に担わせようなどとは思ってもいない。故に、凛は孤独だった。


 それを考えるとこの『自分を待ってくれている人がいる』という安心感がどんなに素晴らしいことか。

 雪音が自分にとってどんな存在か、その答を述べろと言われてもすぐにはできない。突然現れた迷惑な居候、しかし、それ以上の何かを凛が感じているのも確かであった。

 彼女の新鮮な迷惑さは、妙に心地がよかった。


「良い水だった」


 一声。

 風呂場から雪音が出てきた。


「あ……あっ! ああ!」


 雪音の姿を見るなり、凛は顔を真っ赤に染め、口をぱくぱくさせる。


「ゆゆ、ゆっゆゆゆ雪音さん!」


「ん……? どうかしたのか。そんなに顔を赤くして」


 凛がそうなるのも無理はない。


 雪音は全裸だった。


 濡れた黒髪をバスタオルで拭きながら、一糸まとわぬ強烈な白美の裸身を惜し気もなくさらけ出していた。濡れているために身体に張り付いている長髪が艶めかしさを助長している。まだ身体は若干濡れていて、すらりと伸びた足を伝って、水が床を濡らしていた。


「ふ、服っ! 服を着てくださいっ!」


 雪音の身体を指さしつつ、力一杯目をつぶりながら叫ぶ。


「なんだ。そんなことか。良いではないか。女同士、何を恥ずかしがることがある」


(そういえば……僕、今は女の子なんだった……)


 凛は思い出すが、


「でもだめです! 着てください!」


 全力で食い下がる。ここで同調してしまったら、凛は人として大切なものを捨て去ることになってしまう。幸太郎よりも先に変態の極地に到達するわけにはいかない。


 雪音は、むうー、とつまらなさそうな顔をしたが、凛の必死の訴えが届いたのか渋々了承した。


「ま、恥じらいを持つというのも女として大切なことだな。……ふむ」


 しばし雪音は考え込んで、


「そうだ! せっかくだからそなたの服を着てみたい! うちもたまには和服以外のものを着てみたいのだ」

 ぽんと手を叩き、満面の笑みで言った。


「わ、わかりました。貸しますからとりあえずタオルで身体を隠してくださいっ」

 凛は急いでタンスの中から先程買ってきた服を取り出す。背丈は凛がわずかに下回る程度なので服のサイズは問題ないだろう。


 服を持って風呂場の前へ行く。


 雪音はその間に凛の頼みを聞いてくれていたらしく、身体にバスタオルを巻いていた。足元は相変わらず濡れたままだったが仕方ない。


 凛は洋服とスカートを手渡した。生地が厚めの黒い服で、胸元あたりにギャザーが施されている。サイズは若干大きめで腰のあたりまで覆ってくれる。スカートはシンプルなもので、これも丈は長め。魅魚曰く、男であるとバレにくい服その一だそうだ。


「んむ。かたじけない」

 雪音は服を受け取ると、風呂場へと戻っていった。


 目の前で着替え始めなくてよかった、と凛はほっとする。




 数分して、雪音が出てきた。

「なかなか上手く着られずに手こずったが……どうだ、似合うか?」


 雪音はくるりとその場で一回転してみせた。スカートが靡き、黒髪が宙を泳ぐ。


「あ……は、はい! きれいです。とっても」


 正直な感想だった。純白の和服に身を包んだ雪音も綺麗だったが、それとは正反対の黒でまとめられた洋服姿も落ち着いた大人の雰囲気があって良い。


「そうか! ならばよい。うちもこれが気に入った!」

 そう言って、機嫌よくスキップをするように部屋の中へと駆けていった。


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