第二幕/10
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落ち着いた雰囲気で統一した洋服を計三着、丈の長めのスカート二枚、そして……なぜか女性用下着を二組。
以上が今回の買い物で購入した品である。
代金はすべて魅魚が持ってくれた――曰く自分の趣味の延長なので代金は自分が持つ――のだが、そのかわり所有権も魅魚にある。
今は魅魚が凛に一時的に貸しているという状態らしい。凛自身に女装の趣味があるわけではないため所有権など必要ないが。
アパートに帰る前に魅魚の家に寄り、今まで凛が女装するときに着ていた服も数着借りた。買い物という試練を乗り越えたご褒美だそうだ。
デパートへ行く前は「服は貸さない」と言っていた魅魚だが、それは買い物に行く必要性を主張するための方便であり、目的が果たされた今ならもう構わないらしい。
リュックの中身は一杯になっていた。実際の重量以上に重たく感じつつ(これは心労による重みかなあ……)凛はアパートのドアを開ける。
「だいぶ遅くなっちゃった」
服を借りるために魅魚の家に寄った時間はそれほどでもなかったが、デパートで過ごした時間が長すぎた。魅魚は凛が予想していた以上に真剣に服を選んでいたため、かなりの時間を要したのだ。
時刻はすでに夜の九時を回っていた。
中に入り、ドアを閉め、靴を脱ぐと部屋へと向かう。
「雪音さーん……。あれ?」
電気はつけっ放し。部屋の戸も開けっ放しだった。
しかし部屋には誰もいない。
いつも自分が帰ってくるときと同じ光景。テーブルやタンス、本棚など必要な家具があるだけの殺風景な部屋が待ち構えているだけだ。
「どこか行ったのかな……?」
なんとなく居そうな気がしてテーブルの下やカーテンの裏などを見てみるが、やはり雪音の姿はない。
雪音がいないことを不思議に思いながらも、凛は荷物を置き、リュックの中に詰めた女性物の衣類を取り出した。これらは雪音がいないうちにしまっておいた方が都合が良い。とりあえずタンスの空いている段の中へと入れておく。
「……雪音さん、どこに行ったんだろう」
タンスを閉めながら、凛はおもむろに呟いた。
雪音が理由もなく出ていくとは思えなかった。彼女には食料を手に入れる術がないからだ。
男性の精気を吸って食料代わりにするのが通常の雪女の行動らしいが、雪音はそれをしない。かといって、飲食店やスーパーなどに入って強引に食品を奪うなどということもしないだろう。となれば食料が確保できるのは凛のアパートだけなのだ。
「散歩にでも出かけたのかな……?」
ちょっと外が気になって外出したという可能性ならあり得る。彼女は部屋が暑いと言っていたから、まだ雪の降っている外へ身体を冷ましに行ったのだとしてもおかしくはない。
とは言え、やはり心配だ。
雪女と自称するだけあって不思議な術を使えるようなので、夜道で変質者と遭遇したとしても何とかなりそうだが……そう言った理屈を抜きにして、雪音のことが心配だった。
「やっぱり探しに行った方がいいかな」
このアパートの周辺をまわってみよう、と凛は立ち上がる。
(……そうだ、懐中電灯を……)
夜道は暗い。街灯があるにはあるが、手持ちの明りがあるのに越したことはない。
凛は冷蔵庫の上に懐中電灯が置いてあることを思い出し、台所へ行く。
「あれ……?」
凛のアパートの間取りは、玄関を入って右手がユニットバス、隣の個室にはトイレがあり、左手には台所、正面に向かえば八畳の部屋が一室となっている。最初部屋に入ったとき、台所は素通りしてしまったので気付かなかったのだが――
「いったい何が……?」
冷蔵庫の前は大変なことになっていた。
何者かに荒らされたようにペットボトルが散乱し、さらに冷蔵庫内を仕切るための中板まで放り出されている。魅魚専用のアボカドも同様の有様だった。
空き巣でも入ったかのようだが、それにしては荒らされているのは冷蔵庫だけだ。空き巣が狙うとしたらタンスや、もっと別の場所だろう。
それに冷蔵庫の扉は閉められている。中をこれだけ荒らしておいて、扉だけ律義に閉めていくというのも妙だ。
「どうしてこんなことに……?」
凛は冷蔵庫の扉に手をかけた。
そして、恐る恐る扉を開く。
普段なら気にならない程度の大きさでしかないはずの、ギィ……という音が不安を駆り立てる。
そして、中には。
「う、うわぁああああ――!」
中には死体が入っていた。
密室のアパートで殺人事件が――?
思わず凛は叫び声をあげてしまったが、
「あ」
――いや、死体ではない。見間違いだ。
が、凛がそう思ったのも無理はない。
「……んぅ?」
冷蔵庫の中に、雪音が居た。
膝を抱えるように丸く座って、ぴったりと冷蔵室内に収まっていた。
白の和服を着、そのうえ真っ白な肌の人間が冷蔵庫の中に入っていれば驚くのが普通だろう。自分が殺人事件の第一発見者になってしまったと誤解してもおかしくはない。
「なぁんだ、凛か……ふああ~」
さっきまで寝ていたのか、目を細めながら凛を見上げる。眠そうな目を擦りつつ、
「やっと帰ったか。うちは待ちくたびれて眠ってしまったぞ」
雪音は一瞬目を閉じた。すうっと髪の色が銀から黒へと変わり、目を開いたときには瞳も茶色に変わっていた。同時に胸元に谷間が生まれる。雪音が言うところの一般的な人間の姿だ。
「よい……しょっ。あっ、と――」
立ち上がろうとするが、狭いところから動こうとしたためにバランスを崩した。何かに掴まろうにも、何もない。
雪音はそのまま前のめりに崩れていって――
「ゆ、雪音さん、大丈夫でぐわぁっ!」
凛を押し倒す格好で冷蔵庫から脱出した。
人間モードの雪音にしかないたわわな胸が和服越しに凛の顔面に押し付けられている。とても柔らかく心地よい。しかし呼吸ができない――。
「んむぅ……す、すまぬ。うちとしたことが」
詫びつつ立ち上がり、凛に手を差し出す。
「どうしたのだ。掴まれ」
「は、はい……」
赤面しつつ雪音の手を取り、立ち上がる。
凛は自分の顔が沸騰する音を初めて聞いた気がした。




