第二幕/6
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凛は公園のトイレへ一目散に駆けこんだ。男子トイレだ。個室へ入り鍵をかけるとリュックから自分の制服――男子制服を取り出した。
急いでコートと女子制服を脱ぎ、男子制服の袖へ手を通す。肌をさらせば寒さに震えたが今はそんなことを気にしていられない。
ワイシャツのボタンを留めるのに時間を食ったが上着は学ランだ。とりあえず羽織って後で歩きながら留めればいい。ズボンを履き、女子制服一式はリュックへしまう。焦っていながらも、きちんと折り畳むあたりが凛らしい。最後にコートを羽織って、変身完了だ。
軽く呼吸を乱しつつ、着替えを終えた凛は魅魚のもとへ駆け寄った。
魅魚はちゃんと公園の入り口で待っていた。外に待たせていたため、肩や頭には雪がうっすら積もっている。
ほっと胸を撫で下ろす半面、雪の中待たせてしまったことを悪いと思いつつ、立ち止まった凛は膝に手をついて息を整える。
「ごめん、待たせちゃって」
「あら、普通の男の子に戻ってしまったのね。残念だわ」
普段あまり感情を表にしない魅魚が珍しく哀しそうな顔をする。とはいえ芝居がかったそれが凛をからかうためのものなのは明らかだが。
「さっきも言ったけど誤解なんだよ。好きで女の子の制服を着ていたわけじゃないんだ」
「へえ。そう。とりあえず……立ち話もなんだから歩きながらにしましょう。それに朝練だってあるんでしょう」
「あ、そうだ……朝練があるんだった。うん、行こう」
二人は、雪の降る道を歩き出した。
男子制服に着替えたので、もう突きつけられる視線にうろたえる必要もない。
今度は落ち着いて、順序立てて説明しようと試みる。
「実は、その……昨日、具合を悪くした人を見かけて……。その人を助けたんだ」
さすがに腹ぺこの雪女が……とも言えないので漠然とした言い方でごまかす。それでも嘘はつかないところは凛の性格ゆえだろう。
「それで、その人を僕のアパートで介抱して――今もまだアパートにいるんだけど――その人、大の男嫌いなんだ。そのとき僕は女の子の格好をしていたから、その人は僕のことを女だと思っているんだけど……」
「本当は男だと言いだせなくて困っているのね」
状況を察したのか、魅魚が言葉を引き継いだ。
「その人、女の人よね。わざわざ男嫌いっていうのだから」
「うん」
凛は肯定する。
「若い人?」
「見た目は、僕より上だと思う……二十歳くらいに見えるかな」
五十年程前にも人里へ来たなどと言っていたからには生きている年数はもっと長いのだろうが、見かけ上何歳に見えるか、で答えることにした。
「……そう」
凛の返事に、魅魚は一瞬眉根を寄せた。
そして数秒の沈黙を置いて、話し始める。
「あなた……。人を助けるのはいいけれど、その方法が自宅に連れ込む……というのは、どうなのかしら」
片目だけ細めて凛を見た。芝居がかってはいるものの、まるで変態や犯罪者を見るかのような訝しげな眼差しだ。
「救急車を呼んだり、病院へ連れて行くのが普通だと思うのだけど。自宅に連れ込むなんて、あわよくば……なんてことを考えていそうな人間の行動ね。まるで幸太郎のようよ」
貫いてくる視線は、周囲の気温よりも冷たい。
相手の衰弱の原因が空腹だったため、食事を与えるのが一番の対処法かと思って自宅へ連れて行ったのだが、そのことを曖昧にただ「助けた」としか説明しなかったのが仇となった。
しかし、腹をすかせた女性が助けを求めてきたというのも間抜けな話である。
「ち、違うってば! その……病院へ連れていくほどじゃなかったから、僕のとこへ呼んだだけで……」
結局、慌てふためきながら弁解することになってしまった凛を魅魚はいつも通りの邪気のある笑顔で眺めていた。
「ふふっ――ジョークよ。幸太郎ならともかく、あなたにそんなことをする勇気はないわ。といっても、そんな勇気はいらないけれど」
からかわれていただけのようで安心した。
もともと魅魚は必要以上の詮索はしないタイプだ。凛の状況が把握できればそれでいいのだろう。逆を言えば、魅魚の方から積極的に何か尋ねてきた場合、彼女は何かを企んでいるということでもある。
いつのまにか校門までたどりついていた。
二人は校舎へ入り、上履きに履き替える。
「その女の人、まだいるのよね。あなたのアパートに」
魅魚が下駄箱に靴を入れつつ尋ねた。魅魚の靴箱はやや高い位置にあるため、小柄な彼女は背伸びをして靴をしまう。
「うん。まだ当分の間いることになるかもしれない」
「そう。つまり、あなたはその間少なくとも自宅では女の子でいなければならないのね」
魅魚は上履きに足を通すと、つま先で軽く地面を叩いた。
そして微笑。
それは魅魚が、凛にとってよからぬことを目論んでいるときの悪魔の笑みである。




