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雪姫の夏  作者: 杏羽らんす
序幕
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序幕

序幕


 夏だというのにここ数週間は寒い日が続いていた。


 ただし、これは冷夏ともまた違う。

 冬が去り、やがて春が訪れ、それが去ったと思えばまた冬に逆行しつつあるような寒さ、というのが適切である。

 それでも人というのは環境の変容に対して柔軟に対応できるものである。寒いとはいえ真冬の凍てつくような寒さほどではないため、適当な上着を一枚羽織れば凍えるまでには至らない。

 夕焼けと群青の混ざった中途半端な、ある意味では幻想的とさえ言える色合いの空から寒風が流れ行く――。




 寒空の下、アスファルトの街路を二人の学生が歩いていた。高校での授業を終え帰宅途中の二人は、ときおり吹く寒風にスカートをなびかせながら歩を進める。


「風が冷たいわね、今日も」

 一人は、風でなびくスカートを鞄で軽く押さえながら歩く小柄な少女――神谷魅魚かみやみおである。童顔ながらも凛として落ち着いた表情は、むしろ大人びた印象を漂わせる。


 そしてもう一人は、

「あ、あぅ……」

 スカートが風に揺れることを過剰なまでに意識してしまって、顔を真っ赤にしながら裾を押さえることに必死な早乙女凛さおとめりん


(もう、魅魚がこんな提案しなければ……)

 凛は心の中でそう呟いた。魅魚の持つとある趣味に対し、凛は非常に迷惑しているのである。


「あら」

 背筋を伸ばし堂々と歩く小柄な少女――魅魚が冷静な、それでいて悪戯を楽しむような口調で言った。微声ながらも力強い、涼やかな声音で、

「もっと顔をあげて歩きなさい。せっかくのかわいい顔がもったいないわ」


 同時に寒風が吹いた。肩にかかる辺りで揃えられた、漆を塗ったように艶やかな魅魚の黒髪がわずかに揺れる。

 きれいに切り揃えた髪。整った顔立ち。小柄で華奢だが姿勢の良い体躯。魅魚はまるで精巧をきわめた日本人形のようでさえあった。


「そんなこと言われても、恥ずかしいものは恥ずかしいんだよ……」

 対し、凛は力無く返答する。


「まったく……」

 もじもじして俯いたままの同級生の姿を情けなく思ったのか、魅魚は呆れた顔で、

「凛」

 名を呼び、ぴたりと足を止めた。


 そして凛の方へ振り向くと、おもむろに凛のはいているスカートの裾を掴み、ぐいぐいと引っ張ってみせた。


「わっ、や、やめてよっ!」

 膝上を開放されかけ、素足の肌色がちらりと覗く。凛はスカートを慌てて抑え込んだが、その顔は羞恥心からか真っ赤に染まっている。


「うふふ。ウブなのね。かわいいわよ」

 魅魚は口端を僅かに上げて小悪魔じみた笑顔を浮かべた。

 その表情からは悪戯心とささやかな悪意が放出されている。そのうえ冷静沈着な雰囲気を漂わせているのだからさらに性質が悪い。

 付き合いはまだそれほど長くないが、魅魚に嗜虐的な趣向があるのは間違いないと凛は思う。


「もう、困るよ。本当に……」

 人を食ったような性格の魅魚の振る舞いに、凛はいつも参らされてばかりだった。身長は凛の方が高いため、物理的には凛が魅魚を見下ろす状態になるものの、しかし精神的には、魅魚が見下ろし、凛が見上げているような感覚である。


 ――と、前方から歩いてきた若い男が、二人に声をかけた。


「ねーねーねー。キミたち、かわいいね。学校の帰り? 一緒に遊ばない?」

 サングラスを外しながら軽薄な口調で言うと、男はニヤリと口端をあげた。派手な服とアクセサリで身を固めた、いかにも今時の若者といった風貌の男だった。歳は、高校二年生の凛たちより、二三うえのように見える。大学生……だろうか。


 男は二人を舐めるような視線で見た。足先から頭頂まで、身体のパーツ毎に順にチェックするように移動した視線は、魅魚を見終え、次に凛の気弱そうな顔を直視したところで停止した。


「あっ……あの……」

 男の発する威圧感に凛は委縮し、一歩後退する。


 これは言うまでもなくナンパである。にやつく表情を見る限り、やましいことを考えているとしか思えない。


「いや、あの……その……えっと……」

 突然の慣れない出来事に混乱してしまい、凛は言葉に詰まってしまった。


 そんな凛の様子を見兼ねて一歩前へと出、冷静に切り返したのは魅魚であった。


「わたしたちにはあなたのような下衆と遊んでいるヒマはないの。悪いけれど別の、もっと尻の軽そうな女を当たってくれないかしら」


「な……」

 冷たく重みのある彼女の語調に、今度は男が後退した。そして、あからさまに不機嫌な顔になると、

「ちっ……! ちょっと顔がいいくらいで……。いい気になってんじゃねーよ」


 馬鹿にされてその気をなくしたのだろう。もしくは魅魚の気迫に気圧されたのかもしれない。男は吐き捨てるように言い残して、その場を去って行った。


「まったく。典型的な雑魚ね」

 小さくなっていく男の後ろ姿に向かって悪態を吐き、

「でも、わかったでしょう」


 再び振り向くと魅魚は凛の顔を見据える。


 すっと腕を伸ばし、凛の鼻の先に向かってひとさし指を立てた。


「あなたは、かわいいのよ」


 ふふ、と満足そうに微笑し、魅魚はその手を開くと凛の肩にぽんと置いた。

 凛はその動作に「観念しろ」というメッセージを感じ取っていた。

「そ……そんな……」


「もっと顔をあげて胸を張り、その魅力を振りまいて歩きなさい。元々かわいい顔に、わたしが化粧をしてあげたのだから鬼に金棒じゃない。その制服だって、似合っているわよ」


「そ、そんなの無理だよ……」


 追い討ちをかけるように言葉を続ける魅魚に、凛は弱々しい一言でなんとか抵抗を試みる。しかし魅魚はまったく引かない。


「どうするの、そんな弱気で。座右の銘は『何事からも逃げない』でしょう」


「そ、それと、これとは……話が別だよ……!」


 凛は伏せてばかりだった顔をなんとか上げ必死に抗議の意を示す。


 すると、はあと魅魚は溜め息をつき、凛を諭すように、

「しっかりしなさい」

 指でつんと胸を押す。

 目を細め、冷静さで悪戯心を包み込んだような笑みをつくった。

「あなたは、男の子でしょう」

 その表情から凛は感じとった。間違いなく、遊ばれている、と。


 凛は非常に迷惑していた。

 魅魚の持つ『女顔の凛を女装させる』という趣味に。


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