4章:依頼人、再び。
「あんた…やっぱり朝は弱いみたいだな?」
その声で、目をぼんやりと開けてみようとしたが…瞼が上がらない…。
どうにも、顔に何かが乗っているようだ。
…お前な…起こし方にも色々あるだろうが…。
「叩いたりする程度では起きないと思ったからな…まぁ、サービスだ」
丁重にお断りさせてもらう…そういうサービスは。
とりあえず、どいてくれないと、起きることすら出来ないんだが…?
「おっと、それは悪かったな…今どけるからちょっと待ってくれ」
朝から、とんでもない起こし方は、遠慮願いたいね…。
「引っ掻かなかっただけ、ありがたいと思って頂きたいね」
はいはい、ありがとよ…。
「で、依頼人は、いつ頃来るんだい?」
えっと…後、30分程だな…ちょっと着替えるから、その間にこいつを見ておいてもらえるか?…お前の意見が聞きたいからな。
「ん?これは…何の図面だい…?」
例の廃ビルの図面さ。
「へぇ〜!よく、そんなものを持っていたね?」
持ってはいないさ…昨日、お前が帰った後に入手した。
「昨日?でも、たいして時間は無かったと思うんだが…どうやって手に入れたんだい?」
そいつは…企業秘密ってやつさ。
「ははっ、企業秘密か…それじゃあ、突っ込んだ質問をするのは野暮ってもんだね」
まぁ、そういうことにしておいてくれ…で、それを見てどう思う?
「う〜ん…なんともいえないけど…あのビルって、地下があったんだね…表からは分からなかったけど」
そうなんだよな…で、よく見てくれ…その地下から、表に直通で出られるルートが…ここにある。
このルートを辿ると、少なくとも、ビル周辺を徘徊するような人間と接触することなく、表の人間と接触することが可能になるんだ。
「へぇ…あのビルって、そういうつくりになっていたんだ…ん?でも…このドアのところの書き方だと…って、あんた、もう着替え終わったのか?」
まぁ、着替えるって言っても、ズボン替えて、シャツ着ただけだからな…わざわざスーツとかまで着込む必要も無いだろうしな。
「最もな意見だね」
で、お前が思っている通り、ここの表と繋がっているドアは、中から出ることが出来るが、外からは入ることが出来ないような構造になっている…らしい。
「ふ〜ん…てことは…中に住み着いても、外部と最小限の接触だけで生活できるって事か…流石に、そこまでの情報は無かったなぁ…僕のところにも…」
まぁ、情報源が違うからな…。
「で…ここまで分かったということは、行方不明になっているって言う人は…」
多分、あのビル内にいるんだろうな。
事務所に、来客を継げるベルの音が鳴り響き、俺は、事務所ドアを開ける。
「こんにちは…あの…あの人の行方は分かったんですか…?」
「えぇ…予測の域を出ないところはあるんですが…貴女は、例のビルには行ってみましたか?」
「…えぇ…行ったんですけど…元々、無人のビルだったので…ちょっと怖くて…」
「中までは…確認をしていないということでしょうか?」
「…はい」
…この辺までは、おおよそ予想通りだな…あのビルの中に入って、人の有無を確認した人間は、多分いない…いるとして、警察関係だろうけど…それを考えれば、警察の方が、彼女の依頼を断った形になった事も予想できるな…。
問題は、行方不明の報道後のニュースなのだが…俺は、そのニュースを見ていないんだよな…。
「話は変わりますが…例の行方不明のニュース後の続報については何か見ましたか?」
…生活スペースともなっている事務所にはラジオ以外存在していないし、それすらもまともに動かしたりしないしな。
そもそもの情報は、あいつから聞いたものだ…。
「えっと…そういえば、気が気じゃなくて、テレビとか…全然見ていませんでした…」
…ひょっとすると…悪戯でしたとか、勘違いでしたとか…そういった類のニュースが流されていたかもしれなかったが…地方で起きた事件だし、大々的に取り上げるようなことは無いか…。
「警察の方への連絡は?」
「一応…捜索願も出そうと思って相談したのですが…無駄になるだろうって…そういわれました」
…決定的だな…警察の方は相応の事情を知っている可能性が高い…問題は、何で婚約者って言う立場なのに、姿をくらませた状態を維持しているのかって言う話だな…。
「あの〜…」
おずおずとした声で言ってきたので答える。
「どうかしましたか?」
「猫ちゃんが…なついてしまったんですが…」
良く見たら、黒猫が対面で座る女性のひざの上に居座っている…いい気なもんだな。
「まぁ…放っておけばそのうち、どこかに行きますから…しばらく我慢してください」
「…分かりました…」
…どことなく、嬉しそうに見えるのだが…この人は猫好きなのかね?…ろくでもない奴なのだが…。
「さて…とりあえず、事情は移動中に話しますので、例の廃ビルに行ってみますか?」
「え?…やっぱり、あのビルに何かあるんですか?」
「…えぇ…恐らくですが…」
そう言いながら、女性のひざを独占していた猫の首根っこを掴んで引き上げる。
「フギャーッ!」
不機嫌そうに鳴くが…まぁ、気にしないでも良いだろう、どうせ、こいつも連れてビルの方に行くのだし。
「あれ?その猫ちゃんも連れて行くんですか?」
「えぇ…下手に事務所に置いて行って荒らされても困りますし、元々、隣街の野良ですから」
後半は、結構適当なことを言ったが、実際、こいつを事務所に放置して荒らされたことは何度かあったしな…。
「では、参りましょうか…?」
そう言って、事務所のドアを開けて、表に止めてある車に乗り込んだ。