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朝焼けの向こう側で

掲載日:2026/05/07

 ブォン、とエンジンを蒸す。さて帰るか、とスタンドを払おうとした瞬間だった。


箕島(みのしま)くん!」


「ん、えっと、桐谷(きりがや)さん?」


「わ、ほんとうにバイク乗ってる! かっこいい〜!」


 目をキラキラとさせた彼女が俺の車体に触れようとしてきたので、エンジンを消す。


「……これって後ろ乗れるやつ?」


「……乗れるけど」


「乗りたい!」


 言うと思った。


 ヘルメットのシールドを上げ、ため息を吐く。


「桐谷さん、ヘルメット持ってないでしょ。俺予備のもの持っていないし、無理」


「え〜っ!……ヘルメットあったらいいってこと?」


「なわけ!」


 思ったより大きな声が出て、桐谷さんが目を見開いて、次の瞬間悲しげに俯いた。


 ちが、そうじゃないんだけど!


 そうじゃないんだけど……。


「……桐谷さん、美人じゃないすか」


「え?」


「その、学校内では結構噂のマドンナっていうか……そんな人を俺の後ろに乗せるの、ちょっと緊張する。あと俺、人のこと乗せないことにしてるし」


「えーっ! むぅ……乗りたいのに」


「桐谷さんならもっと良い男が乗せてくれるって」


「私は……箕島くんがいいのにぃ」


「んぐ……」


 この人、たまーにこういうこと言ってくるから、まったく。


 そういう顔してそう言う言い方すれば俺が断れないとでも思ってるんかね。


「……なら今度、準備ちゃんとして、ちゃんと行こうよ」


 と、まぁ、俺の口はたまに俺の意思とは違う言葉を吐くのである。


「〜っ! やったぁ! いつ? いつにする? あっ、ていうか連絡先交換してないよね!? しよ! はい、LINE!」


「はいはい……」


 スマホを取り出し、LINEを交換する。


 すると、小さなフグが手のひらに乗せられた写真のアイコンから、フグの「ニコッ……」というスタンプが送られてくる。


 それにイヌが「わんっ」と鳴いているスタンプを送り返す。


「かわいいスタンプ持ってるね、箕島くん」


「そっちは結構シュールなの持ってるね」


「これおすすめだよ! キレ気味のフグのスタンプ! 釣り行ったことある? フグ釣れるとね、ギッギッて鳴くからそれ思い出して買っちゃったの」


「へえ……釣り行ったことないや。バイクしか免許持ってないから。大学卒業したら車は取るつもり」


「そうなんだ。私は免許は取る予定ないからな〜。今度、釣りも行こうよ! 楽しいかはわかんないけど」


「楽しいかわかんないんかい。まあ、いいよ。まったりするの好きだし」


「よかった。……あ、ごめん、話し込んじゃったけど、予定とかなかった?」


「特には。家帰って寝るよ」


「まだお昼の12時だよ〜?……暇なの?」


「まあ」


 すると、スマホを操作する彼女。


 シュポン。


 LINEが送られてくる。


 小さなフグのアイコン。


 目の前にいるのに? と桐谷さんを見やれば、顔をスマホで隠して、けれど目だけはこちらをじっと見つめていた。


「えっと……」


 そのチャットに書かれていた文章を、二度見する。


 ――お昼ご飯デートしませんか?


 俺は上擦った声で、「うん」と答えた。





 一度家に帰って着替えて、駅に待ち合わせた。


 やってきたのは普通のジャンクフードの店だ。


 突然のことで、心の準備も店の準備もできなかったため、相談した結果そうなった。あとは、財布がちょっと寒い。


 桐谷さんは良いお家のお嬢様らしいし、口に合わないのを心配したが……。


「っ〜! ん! ん!」


 目を輝かせて俺に何かを訴える彼女を見るに、どうやら大層口にあったらしい。


「そんなにうまい?」


「んっ……おいひぃ! あの、ソースがすっごく美味しいの。カツもジューシーだし……箕島くんのおすすめ、とっても美味しいよ」


 勧めたのは、ロースカツバーガー。あまじょっぱいソースが絡められたカツと千切りキャベツがサンドしてある至って普通のハンバーガーだ。


「お気に召したのならよかった。この後はどうする?」


「この後?」


「あ……」


 その反応に、しまった、と思う。浮かれてこの後もデ、デートする……みたいになったけど、彼女はそのつもりじゃなかったのだろうか。


「いや、ごめん、普通に考えてお昼だけだよな、ごめん……」


「あっ、いや、ごめん! 違くて。あ、そっか、言ってなかったっけーって思って」


「言ってなかった?」


「あの、バイクの後ろ乗るのに、ヘルメットとか必要でしょ? この後、行こうと思って。付き合ってくれる?……よね?」


「も、もちろん」


「やった! 私、詳しくなくて。どんなところに売ってるの?」


「あー、二駅行ったとこにバイク用品の大型店舗あるから、俺はそこで揃えたかな。遠くないし、そこに行こう。帰りは……ちょっと大荷物か」


「二駅かかるなら、運転手さん呼ぶよ?」


「うわ……お嬢様出た……」


「揶揄わないでよ〜。……はいっ、呼んだ。30分後に駅前に来てくれるから、それまでお話ししてよ?」


「……うん」


 上目遣いで笑う彼女にドキッとしながら、誤魔化すように手元のコーラを口に含む。


 一気に飲み過ぎたのかしゃっくりが出て、俺は顔に血が昇るのを感じた。


「っひ、ちょっと待って」


「ぶふっ……」


「ちょっと、笑わないでくれよ。まじで。ひっ……」


「ねえ」


「ごめん、ごめん。箕島くん、そういうとこはカッコつかないよねえ」


「別にカッコつけてないし。ひぅっ」


「っふふ、かわい」


「揶揄わないでくれ……」


「さっきのお返し〜」


 そんなやりとりをしているといつの間にか俺のしゃっくりも止まり、運転手さんも到着したようだった。


「そろそろ行こうか」


「あ、うん。これはどうすれば良いの?」


「ゴミはこっちでトレーはこっち。俺がやるよ、ちょうだい」


「ありがとう箕島くん」


 トレーとゴミを片付けて、店を出る。


 桐谷さんの案内で駐車場に到着し、黒塗りの高そうな車に乗り込む。


「うわ、良い匂いする」


「そう? 私のお家の匂いだけど」


「へえ。たしかに、桐谷さんも良い匂いするかも」


「……」


 ぽか、と太ももを殴られる。


 なんだ、なんでいきなり殴ってくるんだ。


 車は安定した走りで、ナビ通りに進んでいく。


 十数分ほどでバイク専門店に到着した。


「ここで待っててちょうだい」


「かしこまりました。いってらっしゃいませお嬢様」


 そんなやりとりを聞きながら、改めてとんでもない子とデートしてるな、と思う。


 デート、デートか。


「? 何にやけてるの、箕島くん。面白いことあった?」


「にやけてませんが!?」


「声でか」


 まずい、顔が緩んでいる。


 気を引き締めてバイク専門店に入ると、嗅ぎ慣れたゴムのような油のような匂いが漂っていた。


「まずは無難にヘルメットかな」


「カードあるから何円でも大丈夫だよ!」


「それは頼もしい。買ってあげれなくてごめんね、貧乏学生なもんで……とほほ」


「そんな貧乏学生の箕島くんは、なんでバイク趣味なの? お金、かかるでしょう?」


 そう問いかけられて、たしかに、と思う。


 なぜバイクが趣味なのか。


 高校卒業して、当たり前のようにすぐバイクの免許取ったし。移動手段としてはかなり助かってるし、考えたこともなかった。


 でも、強いていうなら……。


「……親父がさ、厳しい人だったんだ」


「? うん」


「ごめん繋がりないよな」


「いいよ、聞きたい」


「でも……」


 桐谷さんの顔を見る。


 真剣な眼差しに、ああ、この子は今俺に、向き合ってくれてるんだ、と気づく。


「……ありがとう。俺の家、呉服屋なんだ。けど、昔にあった震災で全部流されて、借金まみれ。けど親父はそれを建て直そうと必死に働いて、結局なんとかなって、今は地元でまた呉服屋やってる。俺はガキの頃からそんな親父の背中見て育ったから、当然のように俺が跡を継ぐんだって思ってた」


 そう、思っていたんだけど。


「親父はそうは思ってなくてさ。跡継ぎは、俺の弟にするって親父が言い始めて。弟は双子なんだけど、あいつも素直な子だったから、周りもそれに賛同してさ。俺だけ置いてけぼり。けど、俺が中学の時かな。弟が友達と喧嘩してそのままグレちゃって。家ん中は毎日怒号で溢れてたよ。弟は反抗するし親父は頑固だし。それと同時に、親父がさ、俺に厳しくなっちゃって」


 正確に言えば、弟に厳しくなった分、俺にも厳しくなった、だろうか。


「俺がテストで80点台の点数を出すと、ぶん殴ってくんの。そんな要領の悪い子供に育てた覚えはない〜って。俺も殴られたくないから頑張るんだけど、頑張ったら頑張っただけ点数は上がって、その代わりエスカレートしていって、100点じゃないと認めない、みたいになっていって」


「……厳しいっていうか、おかしいよ」


「俺もそう思う」


 そうやって笑うと、桐谷さんは眉尻を下げた。


「そんな中、中学の時の、受験期かな。親父の弟……つまり叔父さんがさ、俺のこと引き取るって言ってくれたんだ」


「あ、もしかして、前に言ってた高校の時お世話になった人?」


「そう。今は一人暮らしさせてもらってるけど。親父は顔は殴ってこなかったから、見た目はそんな変わんなかったんだけど、体はボロボロでさ。叔父さんは医者で、働いてる病院に連れてってくれて、手当てとかも熱心にしてくれた。息がしやすくなった、って思った。けど……」


「けど?」


「けど、俺の心は……なんていうか、安全地帯にいるのに敵のど真ん中にいる、みたいな感じのままでさ。夜もなかなか眠れなかった。おかしくなってたと思う。毎日泣きまくって、寝落ちたら夢の中で親父が怒鳴ってくんの」


「……今は?」


「今はないよ。ある時、ぴったりとそれが止んだんだ。きっかけは……叔父が、バイクで朝焼けを見に、海に連れて行ってくれたことだった」


「バイクは、叔父さんのご趣味なんだね」


「うん。前日にバイクに乗るために一式揃えさせられて、叔父さんの後ろに乗って、海に行った。……綺麗だったよ。最高だった。地平線からさ、太陽が出てきて、揺れてんの。その時、叔父さんが言ったんだ」


 ――円也、負けんな。


「俺の頭撫でながら、笑ってた。……負けれない、って思った」


 それが多分、俺がバイクに乗ろうって決めた理由。


 一見つながりがないように見えて、俺にとっては、大事なことだ。


「……負けられない、かぁ」


「うん」


「負けず嫌いだもんね」


「はは、そうかも」


 微笑む桐谷さんの手を、こっち、と引く。


「ヘルメット、こっちだよ」


「う、うん……」


 ヘルメット売り場に到着して、ずらりと並ぶヘルメットの前に立つ。


「フルフェイスがいいと思う。これとか……」


「かっこいい! うーん、どうしよう」


 前屈みになって、わかりやすく悩んでます、って顔でヘルメットを睨みつける桐谷さん。


「桐谷さんは……白とか似合いそう」


「そうかな?」


「これとかいいんじゃない? 値段はそれなりにするけど、機能性良さそう。かわいいし」


「ふふ、ベージュ色だよ、これ」


「あれ、そう? これも白でしょ」


 うーん、たしかに色違うけど、ぶっちゃけ色の呼び方の区分としての違いはわからん。


「じゃあ、これにしよっかな」


「いいの? そんな簡単に決めて」


「いいの。箕島くんが選んでくれるの、うれしい」


「……そ、そか……」


 この子、たま〜に小っ恥ずかしいこと言うよなあ……。


「じゃあ次は……あ、ここに靴あるじゃん。フープシューズ買おう」


「フープシューズ?」


「あれ、ダイヤル式のやつ。楽なんだ。足のサイズは?」


「22.5かな」


 ちっちゃい。かわいい。


「……どれがいいかな?」


「ぜんぶ俺に決めさせる気?」


「そんなことはないけど〜……あ、これかわいい」


「たしかに。似合いそうじゃん。サイズは……あるね」


「これにしちゃお!」


 桐谷さんが手に取ったのは、水色と白のスニーカーのようなフープシューズ。


「うん、可愛いね、桐谷さん。えーと、次はバイクウェアかな。っと、その前にカゴ……どうしたの?」


 そこには、ムッと唇を突き出して頬を赤く染める桐谷さん。


 なんだ、今度は何があった。


「……んーん、なんでもない。箕島くんのばか」


「え」


 馬鹿って……なんだ、かわいいなちくしょう。


「バイクウェアってこれ?」


「ん、うん。これ系がいいかな」


「じゃあ、この色にしちゃお。下は……これはどう?」


「いいと思う。動かしやすそう。一応着てみようか。靴も一緒がいい?」


「うん! じゃあ合わせてくるね!」


「ん」


 試着室の前で数分待つと、シャッとカーテンが開けられる。


 そこにいたのは、持ち前のスタイルの良さと顔の良さでバイクウェアとシューズを着こなした、モデルのような桐谷さんだった。


「っ……いいね、合いそう?」


「うん、着やすい! これにしよ。ちょっと待っててね」


 カーテンが瞬く間に閉められて、ちょっと残念な気持ちになりながら、俺は「いやいやいやいや」と首を振った。


 残念ってなんだ。……どうせバイク乗る日にいっぱい見れるし。


 そうだ、俺は桐谷さんのこの姿を何度も見る権利を得ているんだ。


 ……いや、待てよ。


 もし桐谷さんが他の男のバイクの後ろに乗るのに、今日買ったやつ着てたら……。


「……クソほど嫌だな」


「なにが?」


「はっ! び、びっくりした。なんでもない。ほら、カゴ入れて。次行こ」


「うん! 次は?」


 次はプロテクター、その次はグローブ、その次はインカム、と順調にカゴに入れていって、ついにお会計。


 ちなみに、俺は値段が怖いのでちょっと離れたところに行った。


 付き合ってもないし家族でもないのに、相手のお会計見るのも失礼だな、と思ったから。


 お会計が終わって荷物を持たなきゃ行けないタイミングで戻って、袋を持つ。


 ヘルメットだけは持ってもらって、車に向かった。


「楽しみ! 早く乗りたいな」


「日程とか時間とか、決めようか。大学休みの日がいいよね?」


「いいの? バイトとかあるんじゃないの? そうじゃなくても、たまの休みの日に連れていってもらうって言うのも……」


「どこ遠慮してんの。ここまでやっといて……いいよ、大丈夫。むしろ大学とかバイトある日に行く方が難しいし。朝焼け見にさ、海行こうよ」


「……! 楽しそう! 頑張って早起きするね」


「うん、そうして」





 結局、朝焼けを見る約束を果たせたのは、1ヶ月後のことだった。


 なかなか予定合わずで、毎日のように「乗りたい乗りたい乗りたい乗りたい」と念のようなお気持ちを込めた連絡を受け取って、やっと作り出したのが今日だった。


 朝早くから送られた住所まで迎えに行くと、どでかい豪邸のような家から、あの日買ったヘルメットを小脇に抱え、あの日買った服と靴、それからグローブを身に纏った桐谷さんが出てくる。


「ほんとにお嬢様じゃん」


「え〜? ちょっとお金持ちなだけだよ。私じゃなくて、親がね」


「ちょっとのレベルじゃなさそうだけど……」


 そう言いつつ、タンデムステップをおろす。


「インカム繋げようか」


「うん」


 ヘルメットを受け取り、俺のインカムと繋げる。


 桐谷さんがヘルメットをしっかり被ったのを確認して、俺もヘルメットを被った。


「よし、乗ろうか」


「わ、いつもより声近い!」


「そりゃそうでしょ」


 バイクに跨り、ブレーキをしっかりと握り込む。


「おいで」


「うん! 失礼します!」


 桐谷さんがむん、と気合いを入れて、バイクに跨る。


 昨日、タンデムの時の注意点の動画は送ったから、真面目な桐谷さんのことだ、大丈夫だろう。


「えっと、肩に捕まるとか抱きつくとかじゃダメなんだよね?」


「うん。腰に手を添えて、もう片方は後ろの棒掴んでて欲しいかな」


「こんな感じ?」


「そう。それと、膝でもうちょい俺の腰掴んで」


「は〜い」


「うん、完璧。曲がる時は俺となるべく合わせてね」


「了解!」


「じゃ、行くよ」


 エンジンをかけ、ゆっくりと走り出す。


 じわじわと速度を上げていけば、「うわぁ……」と桐谷さんの感嘆する声が聞こえてきた。


「どう?」


「すごい! 思ったより目線高くて最初怖いけど、走っちゃえばなんか、すごくすごい!」


「語彙力どうしちゃったの、文系さん」


「ふふっ、そのくらい楽しいってこと! わぁー……」


「曲がるよ」


「はぁい」


 声を掛け合いながら、会話をして、バイクで走る。


 これ、やっぱ、最高だな。


 あんなに渋んなくてもよかった……なんて思いつつ、「いやでも、こんな美人後ろに乗せてると思ったら……」とついつい緊張してしまう。


 よかった、抱きつく形じゃなくて。


 そうじゃなくても、こんなに鼓動が聞こえそうなのに。


 ふいに、きゅ、と腰に当てられた手に力が入る。


「どうしたの?」


「ううん。楽しいなって思って!」


「……それはよかった」


 本当に、よかった。


 コンビニやサービスエリアなどでこまめに休憩をとりながら、走ること数十分。


 暗い視界が少しずつ明るくなってきて、海が見えてきた。


「海! 海っ!」


「わかった、わかったから。あそこの駐車場停めるよ」


「うんっ」


 スピードを緩めて、駐車場に入る。


 人っこ1人いない、静かな空間。


 しっかりと停めてエンジンを切る。降りるよ、の掛け声で降りた桐谷さんが、ヘルメットを外した。


 バイクを停めて、ヘルメットを座席に置く。


 すると桐谷さんもヘルメットを隣に置いた。


「写真撮って上げてもいい?」


「えー……親しい限定の投稿なら」


「世界中に見せたいのにー」


 何を言う。たまにメディア出演しているモデルのインスタでそんなことしたら、大変なことになる。


「桐谷さんがいきなりバイクのタンデムの写真あげたら、相手は誰だーって大騒ぎになるよ」


「親しい限定でもどっかから漏れちゃうよ、どうせ」


「それはそう。じゃあ投稿なしで」


「えーっ! ひどいっ! ひどいっ!」


「いいじゃん、俺と桐谷さんだけの思い出ってことで」


 そう言うと、桐谷さんは黙り込む。


「……そういうの、ずるいよねぇ」


 パシャリと一枚写真を撮ってスマホをバッグにしまった彼女は、照れくさそうにそう言った。


 防潮堤の階段を登り、景色を一望する。


 まだ朝焼けには時間がある。かすかに明るくなっていたが、まだ太陽は登っていなかった。


 階段を降りて砂浜に降りると、桐谷さんがしゃがみ込んでなにかを拾った。貝殻だ。


「キレイ……」


「ほんとだ。光り方が、桐谷さんの瞳みたいでキレイ」


「そっ……そういうとこだってば! もう!」


「?」


 ぷりぷりと怒り始めた桐谷さんをテキトーに宥めながら、俺もその場にしゃがみ込む。


 指で不恰好な魚を描くと、隣に桐谷さん作のかわいらしいクラゲが並んだ。


 タコ、イカ、カニ、これはなんだ? ナマコ?


「……なんか腹減ってきた」


「まだ朝焼けも見てないよ〜。あと……十分くらいだって」


「何食べたい?」


「んー、丼もの?」


「朝からいくねぇ。牛丼屋入ったことある?」


「ない!」


「じゃあ、そこにしよう」


「やったー!」


 お絵描きをしながら、会話が弾む。


 そんなこんなであっという間に十分は過ぎて、眩い光が顔を出した。


「……わぁー……」


 桐谷さんが感嘆の息を漏らす。


 ゆらめく水平線の向こう側で、夜の名残が徐々に消えていく。


 朝焼けに染まった海は、さっきみたいな深い青じゃなくて、淡い紫や朱色を溶かしたような色をしていた。


 薄桃色の雲が広がっていく。


 海は金箔を溶かしたようにキラキラと輝いていて、なんというか。


「……桐谷さんみたいだ」


「何か言った? 箕島くん」


「ううん。なんでも」


「そう?……キレイだねぇ」


「うん、キレイだ」


 朝焼けに見惚れる桐谷さんを盗み見る。


 君のほうがキレイだ、なんて。


 今日び流行らないような言葉が浮かんで、俺は思わずふっと笑った。





 帰りには牛丼屋に寄った。


 相変わらず桐谷さんは反応が良くて、美味しそうに牛丼を頬張っていた。


 お腹いっぱいだと眠くなっちゃうね、寝ないでよ、なんて掛け合いをしているうちに、桐谷さんのお家が見えてくる。


「そろそろ到着するから、スピード落とすね」


「……うん」


「桐谷さん? 眠い?」


「ううん、違うの」


 スピードが緩まっていく。


 それと同時に、桐谷さんは俺の背中に抱きついた。


「ちょ、桐谷さん」


「少し、このままでいさせてくれる?」


 桐谷さんのその言葉に、黙って頷く。


 朝よりもずっと門の手前にバイクを停めて、しばらく抱きつかれた状態で、俺はじっと前を見ていた。


 もう随分と明るいけれど、まだ街は眠っているようだった。


「……よしっ、充電完了!」


「充電って……」


「ねえ、箕島くん、また連れて行ってね」


「……もちろん、だよ」


「やったぁ」


 降りるね、と今日何度目かのその言葉とともに、桐谷さんが降りる。


「今日はありがとう。ご飯も奢ってもらっちゃった」


「奢るったって、数百円だよ」


「ううん、嬉しかった。美味しかったし!」


「それは、よかった」


「……またね、箕島くん」


「……うん、また」


「また、LINEするね」


「うん、俺もするよ」


 彼女がヘルメットを外す。


 綺麗な前髪が額でくしゃっとなっていて、俺はそれを治してやった。


「ねえ、箕島くん」


「どうしたの?」


「……ううん、なんでもない。ばいばい!」


「ば、ばいばい」


 桐谷さんが門まで駆け出していく。その背中を見送っていると、桐谷さんがなにかを思い出したかのようにこっちを振り返って、また戻ってきた。


「桐谷さん?」


「箕島くん、ヘルメット、外さないでね」


「え?」


 シールドを下され、ふっと至近距離で微笑まれる。


 近づく桐谷さんの綺麗な顔。


 ふるりと震えるまつ毛まで鮮明に見えて、俺は思わずごくりと喉を鳴らした。


 ――ちゅっ。


 押し付けられる唇。


 一瞬のことだった。


 桐谷さんの恥ずかしげな、けれどどこか満足げな表情が、彼女が俺にキスをした、という事実を物語っていた。


 ……ヘルメット越しかよ。


 そんなことを思って、ぐっとヘルメットを脱ぐ。


 小脇に抱えて、俺は彼女の肩に腕を回した。


「え、えっ、ちょっ――」


 ……ここからの展開は、俺たちの秘密である。

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