初デート
会社に出勤すると、いつものようにオフィスの空気が俺を迎える。
エレベーターが開き、デスクに向かう道中、同僚たちの挨拶が飛び交う。
モニターを起動し、メールをチェックするが、頭の中は梨央奈との偽装デートの予定でいっぱいだ。
彼女からのメッセージが、昨夜届いていた。
「明日、待ち合わせね。楽しみにしてるわ」
合理的で事務的な文面なのに、胸がざわつく。
偽装とはいえ、彼女と過ごす時間が待ち遠しい。
キーボードを叩き始めるが、集中できない。
窓から差し込む朝陽が、デスクを照らす。
そんな中、雫が朝一番にやってきた。
彼女はファイルを抱え、笑顔で近づく。
ショートヘアが軽く揺れ、大きな目が好奇心で輝いている。
白いブラウスにスカート姿で、手にコーヒーを持っている。
「秀太先輩、おはよう! 今日も早いね。顔色いいよ、何かいいことあった? 週末のデートかな?」
彼女の声は明るいが、いつものように探りを入れてくる。
俺はコーヒーカップを手に取り、微笑む。
「おはよう、雫。普通だよ。君こそ、朝から元気だな。コーヒー、ありがとう」
雫はデスクの端に腰を下ろし、ファイルを広げる。彼女の香りが少し漂う。
いつものように、人懐っこい笑顔だ。
「えへへ、昨日Netflix見て夜更かししちゃいました!で、先輩の婚約者さんの話、あの人とはどうなったんですか?」
デスクのコーヒーカップを手に取り、一口飲む。
雫は目を輝かせ、椅子を引き寄せて座る。
まるで取材記者みたいだ。彼女の膝がデスクに当たり、ファイルが少しずれる。
質問の嵐に、俺はため息をつく。
梨央奈との設定を思い浮かべ、適当に織り交ぜる。
モニターを少しずらして、彼女の視線を避ける。
「ご、ご両親への挨拶も終わったんですか!?へ、へぇ…それは…それは…すごいですね!」
雫は手を叩き、興奮する。
彼女の声が少し大きくなり、周りの同僚がチラッと見る。
偽装の設定が、こんなに追求されるとは。
俺はコーヒーを一口飲み、誤魔化す。
カップの温かさが、手に伝わる。
「それよりほら、仕事の時間だ。雫のコード、昨日見ておいたよ。ここ、直した方がいい」
俺は話題を変え、彼女のファイルに視線を移す。
雫は少し不満げだが、ファイルを押しやる。
「わかりました!でも、ランチで続き聞きますから!絶対逃げないでくださいね!」
彼女は立ち上がり、隣のデスクに戻る。
俺はため息をつく。
◇
週末の朝、待ち合わせの公園で梨央奈と会う。
彼女は軽やかなブラウスとスカート姿。
髪をポニーテールにまとめ、爽やかな印象だ。俺はカジュアルなシャツにジーンズの地味に格好だ。
「おはよう。今日もよろしくね」
彼女の声はいつも通り落ち着いている。
俺は頷き、まずは近くのカフェに向かう。
公園の木々が風に揺れ、朝の陽光が柔らかく差し込む。
歩きながら、彼女は計画を説明する。
「今日はカフェで話をして、午後に映画、それから同棲用の家を探しに行きましょう。ひとまず、今日はお互いのことを知るのが目的だから。気軽に行きましょう」
「うん、わかった…」
「何かあったの?」
「いや…親にその…ちょっと申し訳ないなと…」
「そう。そう思うなら少しでもこの関係が続けられるようにすることね」
カフェに着くと、店内は穏やかな雰囲気に包まれていた。
古い木のテーブルと椅子が並び、壁にはレトロなポスターが飾られている。
柔らかな間接照明が暖かい光を落とし、コーヒーの豊かな香りが漂う。
BGMはジャズの軽やかなメロディーが流れ、店員の話し声やカップの音が心地よい背景音となっている。
窓際の席を選び、座る。
外の街路樹が風に揺れるのが見える。
俺はラテを、彼女はブラックコーヒーを注文。
テーブルにカップが置かれ、蒸気が立ち上る。
梨央奈はカップを手に取り、静かに口をつける。
「じゃあ、まずはお互いの趣味から。あなたは本を読むって言ってたけど、どんなジャンル?」
俺は少し緊張しながら答える。
「ミステリーやSFが多いかな。最近読んだのは、村上春樹の新作。梨央奈は?」
彼女は目を細め、考え込む。
「私はビジネス書や心理学の本。SFも好きね。けど、恋愛小説は読まないわ」
彼女は本当に恋愛に興味がないみたいだ。
俺はフォークでケーキを突きながら、続ける。
「高校時代、梨央奈はいつも忙しそうだったよね。生徒会長で、みんなの憧れだった」
彼女は肩をすくめる。
「そう? ただ、推薦とかのために効率的にこなしてただけよ。あなたは地味だけど、真面目でいい印象だったわ。宮野さんとの仲も、微笑ましかった」
元カノの名前が出て、俺は苦笑する。
過去の傷が少し疼くが、梨央奈の前では気にしていない素振りを見せる。
会話が弾み、彼女の意外な一面を知る。
彼女は旅行が好きで、結構な頻度で一人旅をするらしい。
「自由に動けるのがいいの」
それから俺は自分のゲーム趣味を話すが、彼女は意外と興味深げに聞く。
カフェの窓から差し込む光が、彼女の顔を優しく照らす。
時折、目が合うと、ドキッとした。
◇
午後、映画館へ移動する。
街は賑わい、人々が行き交う。
梨央奈が選んだのは、SF映画。
『インターステラー』のような、宇宙を舞台にしたタイムトラベルと人間ドラマが交錯する作品だ。
チケットを買って、席に座る。
劇場内は暗くなり、スクリーンが明るくなる。隣に彼女がいる。
肘掛けが共有で、腕が触れそうになる。
心臓の音が聞こえそうなくらい緊張する。
映画のシーンで、爆発音が響くと、彼女が少し身を寄せる。
無意識だろうけど、俺の肩に彼女の髪が触れる。
甘い香りが鼻をくすぐり、ドキドキが止まらない。
彼女は平然と画面を見つめている。
全然気にしていない様子。
俺は必死で集中しようとするが、頭の中は彼女のことばかり。
映画のストーリーが、俺たちの偽装関係に重なる。
未来の話、予期せぬ出会い……。
エンドロールが流れる頃、俺の心はざわついていた。
映画館を出て、外の空気を吸う。
梨央奈は満足げに伸びをする。
「面白かったわ。あなたはどう?」
「うん、良かった。ストーリーが深くて……」
本当は、彼女の存在が気になって半分しか集中できなかった。
彼女は笑い、「次はもっとロマンチックなのを見ましょうか。せっかくだし」
◇
夕方、不動産屋へ向かう。
同棲用のマンションを探すのが、次の目的。
梨央奈は事前にいくつか候補をピックアップしていた。
店員に案内され、物件を見に行く。
最初のマンションはは、2LDKの明るい部屋。キッチンやリビングを回る中、彼女と並んで立つ。
狭い廊下で、体が触れそうになる。
俺は慌てて距離を取るが、心臓が鳴る。
彼女は平気で壁を叩き、「ここ、音漏れしそうね」と冷静に分析。
次はベッドルーム。
「寝室は別がいいけど、どうやら審査の時にそういうのも見られるらしいから、しばらくは一緒のベッドで寝ることになりそうね」
そんな言葉に、俺の顔が熱くなる。
想像しただけでドキッとする。
彼女は全く動じず、メモを取る。
店員が「お若いご夫婦ですね」と言われて、彼女は自然に「まだ婚約中です」と答える。
俺は頷くしかなく、心の中で葛藤する。
偽装なのに、こんなに近くにいると、好意が芽生えてしまう。
彼女の横顔、集中した表情。
高校時代の憧れが、今、現実として隣にいる。
それからいくつか物件を見て、最後の物件は、バルコニー付きの素敵な部屋。
夕陽が差し込み、二人で外を眺める。
風が彼女の髪を揺らす。
彼女が俺の腕に軽く触れ、「ここ、いいかもね」と言う。
その触れた感触が、電流のように走る。
俺はドキドキしながら頷く。
「うん、ここに決めようか」
彼女は笑い、「契約は後で。今日は下見よ」
◇
デートが終わり、駅で別れる。彼女は手を振る。
「今日は楽しかったわ。また連絡するね」
俺はアパートに戻り、ベッドに倒れ込む。
今日の出来事が、頭を駆け巡る。カフェの会話、映画の暗闇、家探しの近さ……。
すべてが偽装なのに、心が揺らぐ。
彼女は全く気にしていない様子だった。
合理的で、事務的。でも、俺は違う。
少しずつ、好意が膨らんでいる。
窓の外の夜空を見上げ、ため息をつく。
この関係が、本物になる日が来るのか。
それとも、ただの幻想か。
期待と不安が、静かな夜に溶けていく。




