イカれた理由
車を発進させ、黒いワゴン車を追う。
アクセルを踏み込み、エンジンの唸りが車内に響く。
アスファルトをタイヤが抓む音が、俺の緊張を高める。
夕陽が沈みかけ、道が急速に暗くなる。
街灯が点き始め、信号の赤が俺を苛立たせる。クラクションを鳴らし、車線を変更しながら前を走る車を追い抜く。
心臓の鼓動が耳元で鳴り、息が浅くなる。
梨央奈の驚いた顔、抵抗する姿が頭に焼きついて離れない。
間違いなくあの男——紙風の仕業だ。
弁護士の証拠集めや警察の警告が、彼を追い詰め、こんな暴挙に出させたのか。
怒りが胸を焦がす。
そんなことより彼女の安全が第一だ。
スマホのアプリをチラ見し、梨央奈の位置を確認する。
こういう時のためにGPSのアプリを入れていたことが生きた。
赤いドットが郊外の工業地帯に向かっている。
すぐに警察に電話をかけ、状況を説明。
「妻が誘拐されました! 黒いワゴン車、ナンバーは……覚えてる限りで」
オペレーターの冷静な声が少しずつ俺を冷静させる。
そして、位置情報を伝えながら俺はハンドルを握り締める。
道中の回想に浸る。
梨央奈との穏やかな朝、キッチンで笑い合う姿、ベッドで聞く寝息……。
偽装だった関係が、今は本物の絆になっていた。
いや、少なくても俺はそう思っていた。
彼女を失ったら、俺はどうなる?
恐怖が増幅する。彼女の笑顔を守りたい。
あの男に、触れさせない。
汗が額を伝い、視界がぼやける。
ワイパーを動かし、集中する。
ワゴン車のテールライトが、遠くに見える。
距離を詰め、追跡を続ける。
道は次第に人気が少なくなり、工場や倉庫が並ぶエリアに入る。
街灯がまばらで、暗闇が濃くなる。
空気が重く、工業地帯の臭いが車内に入る。
その間に弁護士にも連絡しながら、危険なことはしないようにと忠告される。
俺はライトをロービームにし、気づかれないよう追う。
心の中で、紙風の顔を思い浮かべる。
◇
ワゴン車内の空気が、重く淀んでいる。
手首を縄で縛られ、後部シートに押し込まれている。
黒い目出し帽を被った数人の男たち。
恐らく車を止めた先ではあいつが待っているのだろう。
けど、まさかこんなことをするなんて…。
車がガタガタと揺れながら道を進む。
黒いシートが汗でべたつき、縄が肌を食い込む。
恐怖が体を硬直させる。
「これで1000万って本当なのかよ」
「前金で500もらってんだぞ。信じるしかねーだろ」
どうやら闇バイト感覚で私を攫ったらしい。
運転している男はただ前を向いており、2人の男はソワソワしながら私を監視していた。
なんとか脱出の方法を探る。
位置共有アプリがオンになっているはずだから、多分秀太君はここに来られるはず。
だから、私がするべきことは時間稼ぎだ。
それから、古びた倉庫のような場所に到着すると、そこにはやはり紙風が待っていた。
男たちに何かを渡すと私を拘束したまま、適当なパイプにくくりつけて、私の前に椅子を置いて、こちらを見つめる。
目が血走り、狂気を帯びている。
すると、私に近づき匂いを嗅ぐ。
マスクの下から、息が漏れ、汗の臭いが混じる。
吐き気がする。
「梨央奈ちゃん、ようやく2人きりだね。早く彼とは離婚して僕のものになってよ」と、いいながら、私の口に貼られたガムテープを取る。
彼の声は低く、震えている。
それから語り始める。
「君が入社した時からずっと見ていた。間違いなくこの世で最も完璧な僕の理想通りの女の子だった。可愛い笑顔、仕事ぶり、カリスマ性にその冷たい目……。僕の理想。幼い頃から、誰も僕を愛してくれなかった。父親の暴力、母親の無視。学校のいじめ。初恋の拒絶……。女性は僕を裏切る。でも、君は違った。距離は置いても拒絶はしなかった。だから、君の部屋を訪ね、ベッドに寝転がって、君の香りを嗅いだ。あの盗聴器で、君の声を聞くのが楽しみだった。君の私服姿を盗撮して、毎夜眺めた。注意された後も、止まらなかった。君の部屋の窓から、君のシルエットを撮影して……。だから、結婚の話が出て、許せなかった。でも、あんなの嘘だろ?僕に嫉妬して欲しくてあんなことしたんだろ?ね?」
彼の言葉が、過去の恐怖を鮮明に蘇らせる。
鍵の複製で家に入り、ベッドに寝転がる……。
私服の盗撮、毎夜の監視……。
けど、ここで怒りをぶつけてはダメだ。
「なぜこんなことするの?こんなことしたら、私が嫌いになることくらい分かるでし」
「嫌いになんてならないよ。大丈夫。必ず君は戻ってくる」
助けて……。
恐怖と、秀太君への想いが混じり、心が揺れる。
それから私は興味もないのに彼の過去について質問することにした。
「…分かった。理解はできないかもだけど、せめてあなたの過去について話くれるかしら?」
すると、彼はぽつりぽつりと話始めた。
◇
紙風慎太郎は、幼少期から孤独な子供だった。
地方の小さな町で生まれた彼は、厳格な父親と無関心な母親の下で育った。
父親は工場長で何事にも「努力しろ」と繰り返し言い、僕を厳しくしつけた。
母親は家事に追われ、息子である僕に目を向けなかった。
家庭に居場所はなかった。
けど、学校ではいじめられっ子だったし、成績は平均以下で、スポーツも苦手。
クラスメートからも挙動や言動が「気持ち悪い」と避けられ、友達は一人もいなかった。
学校にも居場所はなかった。
だから、いつも学校が終わると小さな公園で1人、土管の中でただ時間が過ぎるのを待っていた。
なぜ自分は愛されないのか?
なぜ普通の幸せが得られないのか?
そんなことを毎日思っていた気がする。
そんな僕も中学時代、初めての恋をした。
彼女は人気者で、周りに囲まれていた。
そして、僕みたいな人間にも優しく微笑んでくれた。
だから、手紙を渡したのに…。
結果はNOだった。
そのことは仕方ないと割り切れたが、何故か翌日には僕が告白したことがバレて、彼女の彼氏にボコボコにされた。
「てめぇみたいなゴミが俺の女に近づくな」
その時、脇に立つ彼女の目はまさにゴミを見る目だった。
それから僕は心を完全に閉ざした。
高校に入り、勉強に没頭したが、結局大学進学は失敗。
専門学校でコンピューターを学び、どうやら自分には向いていたらしいことと、更に親戚に超お金持ちの社長がいたことで超一流IT企業に就職することができた。
会社では、目立たない存在だった。
けど、コネ入社であることはすぐにバレて、距離を置かれるようになった。
そして、周りの同期はどんどん結婚し、家族を作っていくのを、嫉妬の目で見ていた。
「なぜあいつらだけ……」
過去の拒絶体験が、歪んだ愛情観を生んだ。次第に女性を「所有物」として見るようになり、拒絶されると執着が強まっていた。
そんな頃に梨央奈が入社した。
初めてみた瞬間、運命を感じた。
彼女の完璧さが、理想を刺激した。
全てが理想通り、僕が幼い頃に妄想した理想の彼女そのものだった。
けど、だからこそ僕なんてと思っていたが、彼女は僕に微笑んでくれた。
最初は視線だけだったが、徐々にエスカレート。
鍵の複製、侵入、盗撮……。
年単位で蓄積された狂気が、結婚という事実を知って爆発した。
◇
「だからね、梨央奈ちゃんは僕のものだよ。過去の女たちはみんな僕を拒絶したけど、君は違う。君は僕の運命そのものなんだ」
全てを聞いて私が抱いたのは気持ち悪いという感情だけだった。
勘違いさせるような行動をとったことなんて一度もない。
むしろそういう勘違いをされないようにするために、学生時代から動いていたから。
なのに、何を勘違いしたか私も好きだとそう思い込んで行動した結果が今らしい。
同情のかけらもない。
ただただ気持ちが悪かった。
すると、彼はニヤリとマスクの下で笑顔を浮かべると、私に近づき、胸を触る。
「あぁ…ずっと触りたかったんだ…この胸を」
嫌悪感がMAXになる。
「…悪いけど私、感じないタイプの女だから」
「大丈夫。僕がすぐに直してあげるから」
その瞬間、扉が勢いよく開くのだった。




