第八話:整えられた感情は、声を持たない
澪の仕事部屋は、いつも静かだ。
正確には、音はある。
端末の起動音、入力音、解析完了の通知。
ただ、人の声がない。
感情整形オペレーターの仕事は、
依頼者と直接話すことがほとんどない。
ログ。
波形。
数値化された「つらさ」。
それらを見て、
基準値に戻す。
澪は、今日も淡々と作業を進めていた。
【対象:20代/会社員】
【主訴:理由のない不安】
【希望:普通に戻りたい】
「普通」。
澪は、その言葉に引っかからない。
引っかかれないように、訓練されている。
感情の尖りをなだらかにし、
過剰な自己否定を希釈する。
作業は順調だ。
【調整率:98%】
【副作用:自覚困難】
「……完了」
画面に表示された文字を確認し、
澪は軽く息を吐いた。
その様子を、
ドア越しに恒一は見ている。
「終わった?」
「うん」
「今日も順調?」
「問題ないよ」
その返答に、
恒一は安心する。
問題がない。
それは、良いことだ。
「無理しないでね」
「してないよ」
澪は笑う。
穏やかで、柔らかい。
恒一はそれ以上、踏み込まない。
仕事なんだから。
プロなんだから。
澪の端末には、次の依頼が並ぶ。
悲しみ。
怒り。
恐怖。
それらはすべて、
“過剰”として表示される。
削る。
均す。
整える。
澪は、そのたびに思う。
――この人は、悪くない。
――ただ、強すぎただけ。
だから、弱める。
誰かの感情を弱めることで、
世界は静かになる。
その静けさが、
正しいとされている。
夕方。
澪は作業を終え、
ソファに座る。
「今日は早いね」
「うん、区切りがよかったから」
恒一は、キッチンから声をかける。
「夕飯、どうする?」
「なんでもいい」
“なんでもいい”。
それは澪の口癖になっていた。
恒一は、
それを気にしない。
自分も、よく言うからだ。
澪は、天井を見上げる。
胸の奥に、
何かが残っている気がする。
でも、それが何なのか、
名前がわからない。
仕事で処理しすぎた感情は、
自分の中では検出できない。
恒一は、隣に座る。
「疲れてる?」
「……たぶん」
「休もうか」
「うん」
それで、話は終わる。
澪は思う。
――理解されている。
――だから、大丈夫。
その理解が、
自分を薄くしていることに、
気づく術はない。
同じ夜。
澪は、仕事の最終ログを確認する。
【本日処理件数:12】
【問題発生:0】
完璧だ。
そして、その下に
自動で生成された一文が表示される。
【全体評価:安定】
澪は、それを見て、
安心して端末を閉じた。
感情は整えられた。
誰のものも、基準内だ。
だから——
この部屋にも、
この二人の間にも、
問題は、無い。




