第七話:第三者は、正常を確認する
澪は、病院に行くほどではないと思っていた。
だから、これは病院ではない。
市が委託している「調整センター」だ。
「軽いチェックですから」
受付の女性は、柔らかくそう言った。
澪は頷く。
恒一も隣に立っている。
「付き添い、必要ですか?」
「大丈夫です」
澪が答える前に、恒一が言った。
澪は一瞬だけこちらを見るが、
何も言わずに視線を戻す。
診察室――というより、
仕切られたブースに通される。
白い服の男性が端末を操作しながら話し始める。
「最近、困っていることはありますか?」
澪は少し考える。
「……特には」
恒一は、その答えに安心する。
「眠れないとか、食欲がないとか」
「少しだけ」
“少しだけ”。
男性は端末に入力する。
「生活に支障が出るほどでは?」
「はい」
澪は即答した。
それが“正解”だと知っているかのように。
「不安感は?」
「……あるといえば、あるけど」
「日常に影響は?」
「いえ」
恒一は頷く。
自分でも気づかないほど自然に。
男性は、端末を閉じる。
「では、現状は問題なしですね」
その言葉が、空気を整える。
「一応、同居されてる方として何か気づいたことは?」
急に話を振られ、
恒一は一瞬言葉に詰まる。
澪の横顔が見える。
――寝るのが早くなった。
――食事を残すことが増えた。
――話しかける前に、やめることがある。
だが、それらは
“誰にでも起きること”だ。
「特に……ないです」
口から出たのは、それだった。
「そうですか」
男性は、それ以上聞かない。
「では、記録上も問題ありません」
澪は、小さく息を吐く。
恒一は、胸の奥が軽くなるのを感じる。
帰り道。
「疲れた?」
「ちょっと」
「でも、問題なかったって」
「うん」
澪は笑う。
その笑顔は、
“第三者に認められた正常”だった。
家に戻り、
澪はソファに座ったまま動かない。
「何か飲む?」
「……今はいい」
恒一は、キッチンに向かいながら考える。
今日は、ちゃんと確認した。
専門家も、制度も、記録も。
だから——
「何も、起きてない」
それは事実だ。
澪はその夜、
自分の作業ログを開く。
【感情処理:基準内】
【不快指数:低】
【自己評価:安定】
どれも嘘ではない。
ただ、欠けているだけだ。
澪は、端末を閉じる。
そして、
「大丈夫」と言われた自分を
疑う理由を、完全に失った。
同じ夜、
恒一の端末にも通知が届く。
【同居人:健康状態/問題なし】
彼はそれを確認し、
何もせずに電源を落とした。
第三者は、
正常を確認した。
だからこの世界では、
誰も間違っていない。
——間違っていない、ということだけが
静かに、積み重なっていく。




