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第六話:言われなかったこと


 朝、澪は少しだけ寝坊した。


 目覚ましが鳴る前に、恒一が起きていたことに気づき、

 澪は慌てて身体を起こす。


「ごめん、起こした?」


「ううん。

 俺も今、起きたところ」


 嘘ではない。

 ただ、正確でもない。


 澪はキッチンに向かい、急いで湯を沸かす。

 いつもより動きが少し遅い。


「今日は在宅?」


「うん。

 午後から少し作業あるけど」


「そっか」


 恒一はそれ以上聞かない。

 聞く理由が見当たらない。


 朝食は簡単に済ませる。

 澪はトーストを一口残した。


「もういいの?」


「うん、ちょっと時間なくて」


 恒一は頷く。

 “時間がない”なら仕方ない。


 その一口が、

 いつもより残された理由については考えない。


 澪が出かけたあと、

 部屋は静かになった。


 恒一は端末を開き、

 自動更新された生活ログを確認する。


【睡眠時間:やや短】

【食事摂取:軽微な減少】

【感情指数:変動なし】


 どれも、警告は出ていない。


 “やや”

 “軽微”


 問題にするほどではない。


 恒一はそのまま業務に入る。

 他人の記録を見る仕事だ。


 ・睡眠不足(慢性)

 ・情動反応の遅延

 ・自己評価の低下


 それらに「要注意」のタグを付けていく。


 澪のデータと似ている部分がある、

 ということには気づかないふりをする。


 夕方、澪が帰ってくる。


「ただいま」


「おかえり」


 声が少し低い。

 だが、疲れているだけだろう。


「今日はどうだった?」


「うん……普通」


 ほんの一拍、間があった。

 恒一は、それを聞かなかったことにする。


「そっか」


 澪はコートを脱ぎ、ソファに腰を下ろす。


「ねえ」


「なに?」


 澪は何か言いかけて、

 少しだけ視線を落とす。


「……やっぱり、何でもない」


 恒一は、ほっとする。


「無理しなくていいよ」


 正しい言葉だ。

 優しい言葉だ。


 澪は小さく笑って頷く。


「うん」


 その笑顔は、

 “話さなかった選択”を肯定している。


 夜。

 澪は早めに眠った。


 恒一は、いつものようにログを開く。


【対話発生:あり】

【感情申告:問題なし】

【未申告事項:検出されず】


 検出されないものは、存在しない。


 そう教わってきた。

 そう信じている。


 寝室に入る前、

 恒一は一瞬だけ立ち止まる。


 澪の「ねえ」は、

 何だったのか。


 だが、その答えを考える前に、

 思考は別の言葉に上書きされる。


 ——本人が言ってない。

 ——自分が深読みしてるだけ。

 ——問題があるなら、制度が教えてくれる。


 灯りを消す。


 その夜、

 言われなかったことだけが、

 どこにも記録されずに残った。


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