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第五十六話:昨日と同じという証明


 朝は、昨日と同じ時間に始まった。

 目覚ましが鳴り、止め、カーテンの隙間から光が入る。その順序に違いはない。


 篠宮恒一は、違いがないことを確認するように天井を見た。


 隣では、澪がすでに起きていた。

 起きている、というより、身体は起きているのに、まだそこに留まっているような姿勢だった。


「おはよう」


 声をかけると、少し間があってから澪は頷いた。


「……おはよう」


 返事の内容は、昨日と同じだった。

 ただ、返ってくるまでの時間が、ほんのわずかに長い。


 恒一はそれを気のせいだと処理した。

 寝不足かもしれないし、在宅の仕事が続いているせいかもしれない。

 説明はいくらでもつく。


 キッチンでコーヒーを淹れる音がする。

 湯が沸き、注がれ、カップが置かれる。

 生活音は、どれも正確だった。


 澪はテーブルに座り、両手でマグカップを包む。

 そのまま、しばらく動かない。


「冷めるよ」


 恒一が言うと、澪は少し驚いたように視線を上げた。


「あ……うん」


 口をつける。

 飲む。

 その一連の動作が、どこか途中で一拍、遅れている。


 恒一は見ないふりをした。

 見ないふり、というより、見る必要がないと判断した。


 仕事の話をしようとして、やめた。

 天気の話をしようとして、やめた。

 話題を選ばなかったわけではない。

 選ぶ前に、「今はいいか」と思っただけだ。


 澪は黙っている。

 不機嫌そうでも、悲しそうでもない。

 ただ、何かを探しているようで、見つけていないだけの顔をしている。


「何かあった?」


 そう聞くこともできた。

 でも恒一は、その言葉を飲み込んだ。


 もし「何もない」と返されたら、そこで終わってしまう。

 もし「ちょっとだけ」と言われたら、どうすればいいか分からない。


「無理に話さなくていいよ」


 だから、そう言った。


 その言葉は、穏やかで、正しく、関係を壊さない選択だった。

 澪も、安心したように小さく息を吐いた。


「ありがとう」


 そう言って、またカップに視線を落とす。


 恒一は、そのやり取りに問題を見つけられなかった。

 声を荒げたわけでもない。

 拒絶したわけでもない。

 むしろ、配慮した側だとさえ思った。


 時計を見る。

 出勤の時間が近い。


「行ってくるね」


「いってらっしゃい」


 返事は、少し遅れたが、確かに返ってきた。


 玄関で靴を履きながら、恒一は振り返らなかった。

 振り返る理由が、見当たらなかったからだ。


 昨日と今日の違いを、

 恒一は説明できなかった。


 説明できない以上、

 それは違いではない。


 だからこの朝は、

 昨日と同じだと判断された。


 何も起きていない。

 誰も傷ついていない。


 問題は、無かった。


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