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第五十話:安心は、音を立てずに効いていく


 朝は、

 昨日と同じ形で始まった。


 同じ光。

 同じ気温。

 同じ生活音。


 違いがあるとすれば、

 誰もそれを

 数えなくなったことだ。


 澪は

 目を覚ましたあと、

 すぐには起き上がらない。


 布団の中で、

 呼吸の回数を

 一つだけ数える。


 それから、

 起きる。


 恒一は

 もう起きていた。


 キッチンから

 湯の音がする。


 ――ああ、今日も

 ちゃんとしてる。


 その「ちゃんと」は、

 誰に向けた評価なのか、

 もう区別がつかない。


「おはよう」


「おはよう」


 昨日より、

 少しだけ

 自然な声。


 それだけで、

 恒一は安心する。


 理由は無い。


 理由が無い安心ほど、

 強いものはない。


 朝食は

 簡単なもの。


 トースト。

 コーヒー。

 いつもの配置。


 澪は

 一口かじって、

 咀嚼の速度を

 恒一に合わせる。


 合わせている、

 という自覚は無い。


 ただ、

 そうする癖が

 残っているだけだ。


「今日は在宅?」


「うん」


 短いやり取り。


 短いから、

 問題にならない。


 恒一は

 そのまま

 仕事に戻る。


 澪も

 自分の端末を開く。


 感情整形の依頼が

 いくつか溜まっている。


 どれも、

 深刻ではない。


 少しの違和感。

 少しの不安。

 少しの疲労。


 削って、

 均して、

 整える。


 作業は

 正確で、

 丁寧だ。


 澪は

 他人の感情を

 壊さない。


 壊さないように、

 最適化する。


 その間、

 自分の感情は

 視界の外に置かれる。


 それで、

 問題は起きない。


 昼。


 恒一は

 メッセージを送る。


「昼、何かいる?」


 少しして、

 返事が来る。


「大丈夫」


 それだけ。


 恒一は

 安心する。


 聞き返さなくて

 済むから。


 澪は

 その後、

 端末を伏せる。


 何かを

 考えたわけではない。


 ただ、

 そうした。


 午後。


 部屋は静かだ。


 静かだから、

 うまくいっている

 気がする。


 音が無いことを

 「安定」と

 呼ぶことに、

 誰も異を唱えない。


 夕方。


 恒一は

 仕事を終え、

 伸びをする。


 澪は

 ソファで

 画面を見ている。


「今日はどうだった?」


「普通」


 その「普通」は、

 嘘ではない。


 異常が

 定義されていないだけだ。


「そっか」


 それ以上、

 続かない。


 続けなくていい、

 という空気が

 すでに出来ている。


 夕食。


 二人で食べる。


 味は、

 悪くない。


 会話は、

 必要十分。


 沈黙は、

 気まずくない。


 完璧だ。


 だから、

 誰も疑わない。


 夜。


 テレビを消し、

 部屋の灯りを落とす。


 並んで座り、

 並んで立つ。


 生活の動線が

 噛み合っている。


 噛み合いすぎて、

 ズレが

 見えなくなる。


 寝る前。


 恒一は

 今日を振り返る。


 ――穏やかな一日だった。


 澪も

 今日を振り返る。


 ――問題は、

 起こさなかった。


 どちらも、

 正しい。


 だから、

 誰も修正しない。


 安心は、

 こうして

 少しずつ

 身体に効いていく。


 痛みを

 感じないように。


 違和感を

 言葉にしないように。


 疑問を

 浮かべないように。


 この夜も、

 何事もなく

 終わる。


 問題は、

 無かった。


 そう、

 記録される。


 そして、

 次の日も

 同じ形で

 始まる。


 それが

 どれほど

 危険なことかを、


 誰も

 考えなくて済むまま。


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