第四十九話:それでも、君は気づかなかったのか
――本当に?
それで、
何も問題は無かったと
言い切れるのか。
朝。
澪は、
いつもより
ほんの少しだけ
遅れて起きた。
たった数秒。
目覚ましが鳴る前か、
鳴った後か、
その程度の違い。
恒一は、
気づかない。
いや、
正確には――
気づいて、
判断しなかった。
澪は洗面所で
顔を洗いながら、
一度だけ
鏡を見る。
そこに映る表情が
昨日と同じかどうか、
確認する。
違っていたとしても、
理由は無い。
理由が無いなら、
問題じゃない。
そう、
自分に言い聞かせる。
朝食。
「おはよう」
「おはよう」
声は、
少しだけ
遅れて出た。
恒一は、
聞いている。
だが、
聴いてはいない。
――眠いだけだろ。
その一言で、
全てが処理される。
ここで問おう。
君は、
本当に何も感じなかったのか。
声の間。
視線のズレ。
呼吸の浅さ。
全部、
「あるある」で
流したのは
誰だ。
午前。
澪は仕事を始める。
感情整形。
他人の歪みを
滑らかにする作業。
自分の感情は、
対象外だ。
それは、
職業倫理でも
禁止事項でもない。
ただ、
そうなっているだけ。
昼。
澪は
メッセージを
一つ消す。
内容は、
大したことじゃない。
「少し、疲れた」
それだけ。
消した理由も、
大したことじゃない。
――言っても、
困らせるだけ。
さて、
ここで
もう一度問おう。
それを「優しさ」だと
思ったのは、
誰だ。
恒一か。
澪か。
それとも、
読んでいる君か。
午後。
恒一は
仕事に集中している。
澪の物音が
少し減ったことに
気づく。
だが、
集中している証拠だと
解釈する。
――ちゃんとしてるな。
そう思う。
ちゃんとしていないと
判断する根拠を、
自分から消したのは
誰だ。
夕方。
澪は
ソファに座り、
動かない。
恒一は声をかける。
「大丈夫?」
「うん」
その「うん」は、
即答じゃなかった。
だが、
肯定だった。
だから、
確認は終了。
ここで、
逃げるな。
肯定された瞬間に
安心したのは、
誰だ。
それは、
相手のためか。
それとも、
自分が
これ以上
踏み込まなくて済むためか。
夜。
二人は並んで
テレビを見る。
同じ画面。
同じ音。
同じ時間。
それでも、
同じ場所には
いない。
澪は、
言葉を探すのを
やめた。
恒一は、
問題を探さないことに
慣れている。
完璧な噛み合いだ。
だから、
壊れない。
――壊れていない
ことになっている。
寝る前。
恒一は
今日も思う。
――特に何もなかった。
澪は
今日も思う。
――私が
問題にしなかった。
さあ、
最後の問いだ。
それでも君は、
「誰も悪くなかった」と
言い切れるのか。
言葉にしなかった澪か。
聞かなかった恒一か。
違和感を
「気のせい」で
読み飛ばしてきた
読者か。
誰も殴っていない。
誰も怒鳴っていない。
誰も嘘をついていない。
それでも、
削れたものは
確実に存在する。
問題は、
無かった。
――そう、
判断され続けただけだ。
その判断を
下し続けた
**「君」**は、
いつ、
手を離した?




