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第四話:問題が無い、という生活音



 生活音は、判断を必要としない。

 水の流れる音、キーボードを叩く音、電子レンジの終了音。

 それらはすべて、「異常が無い」ことの証拠として並んでいる。


 恒一は、朝のゴミ出しを終えて部屋に戻った。

 廊下ですれ違った隣人と、軽く会釈を交わす。


「おはようございます」


「おはよう」


 それだけで十分だ。

 声の調子も、表情も、問題ない。


 部屋に戻ると、澪が洗濯物を干していた。

 白いシャツを丁寧に伸ばし、皺を取る。


「ありがとう、ゴミ」


「うん」


 恒一は冷蔵庫を開け、牛乳を取り出す。

 残量は半分ほど。


「牛乳、そろそろ買い足す?」


「うん、でも今日じゃなくていいかな」


「了解」


 “今じゃなくていい”。

 その言葉に、引っかかりは無い。


 昼過ぎ、恒一はオンライン会議に参加する。

 画面の向こうでは、同じような生活を送る人間たちが並んでいる。


「最近、何か変わったことは?」


 上司の問いに、恒一は少し考えてから答えた。


「特には。

 全体的に、安定してます」


 それは嘘ではない。

 暴れている人はいない。

 泣き叫ぶ声も聞こえない。


 “安定”している。


 会議が終わり、端末を閉じる。

 背後で、澪が通話を終えたらしい気配がした。


「お疲れさま」


「お疲れ」


 澪は、少し疲れたように笑う。

 だが、その笑顔は崩れていない。


「仕事、大丈夫?」


「うん。

 ちょっと集中してただけ」


 恒一は頷く。

 その説明で、十分だった。


 夕食は簡単なもので済ませる。

 澪は箸を置くのが、少し早い。


「もういいの?」


「うん。お腹いっぱい」


 皿には、少しだけ残っている。

 だが、残すこと自体は問題ではない。


 恒一は何も言わず、食器を下げる。


 夜。

 ソファで並んで座り、テレビを流し見する。


 画面の中では、誰かが声を荒げている。

 トラブル、事故、炎上。


「大変そうだね」


 澪が言う。


「だな」


 他人事だ。

 ここには関係ない。


 時計を見ると、まだ早い時間だった。


「先に寝る?」


「ううん、もう少し起きてる」


 澪は、膝を抱えるように座り直す。

 その距離は、いつもと同じ。


 恒一は思う。


 ——喧嘩もしていない。

 ——不満も聞いていない。

 ——生活は回っている。


 だから、ここに問題は無い。


 もし何かあったら、

 澪が言うはずだ。


 言わないということは、

 判断が下されているということだ。


 テレビの音が、部屋を満たす。

 生活音が、重なり合う。


 そのどれもが、静かに告げている。


 今日もまた、問題は無かった。


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