第四十六話:自分で数えてしまう
澪は、
目を覚ました。
今日は、
ちゃんと目覚ましが鳴る前だった。
それだけで、
少し安心する。
――大丈夫。
まだ、
自分で起きられる。
そう思った瞬間、
胸の奥で
小さく音が鳴る。
一。
数字ではない。
だが、
“数えた”という感覚だけが残る。
澪は、
その感覚を
振り払うように
起き上がる。
朝食の準備。
パンを焼く。
卵を割る。
卵の殻が、
少しだけ
大きく割れた。
澪は、
それを見つめる。
「……」
何も起きていない。
黄身は流れ出ていないし、
指も切れていない。
なのに、
澪は心の中で
数える。
二。
何を数えたのか、
分からない。
ただ、
“増えた”という感覚。
朝。
恒一が起きてくる。
「おはよう」
「おはよう」
声は、
いつも通り。
表情も、
いつも通り。
だから、
恒一は気づかない。
澪が、
すでに
何かを
数え始めていることに。
午前。
在宅の仕事を始める。
画面の向こうで、
誰かの感情が
整形されていく。
言葉の角を削り、
不安を
“適切な量”に丸める。
澪は、
作業をしながら
ふと思う。
――私は、
誰に整えられているんだろう。
考えた瞬間、
数える。
三。
数字が、
頭の中で
輪郭を持ち始める。
昼。
澪は、
自分の体調ログを開く。
開ける範囲だけ。
そこには、
グラフがある。
緩やかな線。
上下はしているが、
基準値は
超えていない。
「問題なし」
そう表示されている。
澪は、
その文字を見て
安心しようとする。
だが、
視線が
端に引っかかる。
小さな注釈。
※軽微変動、観測中
観測中。
澪は、
画面を閉じる。
そして、
数える。
四。
午後。
少し、
反応が遅れる。
チャットの返信。
一拍。
作業の切り替え。
半拍。
誰も気づかない程度。
だから、
澪は自分で気づく。
五。
夕方。
恒一からメッセージ。
「今日は早く帰れる」
澪は、
すぐに返事をしようとして、
止まる。
――急がなくてもいい。
そう思った。
そして、
それを
“理由”にしてしまったことに
気づく。
六。
返信を送る。
「わかった」
短い。
だが、
問題はない。
夜。
二人で食事をする。
会話は、
途切れない。
笑うところも、
同じ。
だから、
恒一は言う。
「今日も平和だね」
澪は、
うなずく。
「うん」
その瞬間、
数える。
七。
平和。
問題なし。
正常。
それらが、
澪の中で
一つの塊になる。
風呂上がり。
鏡の前。
澪は、
自分の目を見る。
疲れているようには
見えない。
壊れているようにも
見えない。
だから、
数える。
八。
布団に入る。
隣で、
恒一が寝息を立てる。
澪は、
天井を見ながら
考える。
――これ、
いつまで数えるんだろう。
数えるのを
やめたら、
どうなるんだろう。
その問いが、
浮かんだ瞬間。
澪は、
初めて
数えなかった。
代わりに、
小さく息を吸う。
まだ、
声にはならない。
だが、
数は、
もう
頭の中に
並んでいる。
ゼロではない。
それを、
澪自身が
一番よく知ってしまった。




