第四十五話:誰が数えるのか
朝。
澪は、起きた。
少しだけ、
遅れて。
目覚ましが鳴ってから、
ほんの一拍。
それだけ。
だが、
身体の内部で
微妙なズレが残る。
澪は、
それを無視して
起き上がる。
洗面台の前。
鏡の中の自分は
昨日と同じ顔をしている。
「問題ない」
口に出してみる。
声は、
ちゃんと出た。
午前中。
澪の端末が
短く震える。
通知。
《軽微フラグ:累積値更新》
澪は、
一瞬だけ指を止める。
“累積”。
その言葉が、
胸の奥に引っかかる。
軽微は、
一回では
数えられない。
だが、
重なると
“値”になる。
澪は、
通知を閉じる。
開いても、
詳細は見られない。
見る権限が
無いからだ。
昼。
俺は、
仕事の合間に
澪にメッセージを送る。
「体調どう?」
少しして、
返事。
「大丈夫だよ」
いつも通り。
文末の
丸も、
いつも通り。
だから、
深く考えない。
考えなくていい、
と判断する。
午後。
澪の仕事用端末に
定期チェックの
項目が追加される。
自動。
本人の申請は
不要。
《感情安定度:要観測》
要観測。
要治療ではない。
要介入でもない。
ただ、
“見ておく”。
澪は、
その言葉を
何度か読み返す。
見られる。
だが、
見られていることを
意識するのは、
澪だけだ。
誰が見ているかは、
表示されない。
夕方。
澪は、
いつもより少し
長くシャワーを浴びる。
湯の音が、
思考を覆う。
頭の中で、
何かが
数えられている気がする。
一つ。
二つ。
その基準は、
澪には分からない。
分からないまま、
濡れた髪を
タオルで拭く。
「ねえ」
食事のあと。
澪が言う。
「“累積”ってさ」
「うん?」
「誰が数えてるんだろ」
俺は、
一瞬考える。
「システム、じゃない?」
正しい答え。
澪は、
少しだけ眉を寄せる。
「システムって、
誰?」
俺は、
言葉を探す。
「……みんな、かな」
制度。
規則。
判断装置。
それらを
一言でまとめた
曖昧な答え。
澪は、
それ以上聞かない。
「そっか」
短い返事。
その夜。
澪の端末が
再び震える。
《軽微フラグ:累積3》
数値が、
具体性を帯びる。
三。
それが多いのか、
少ないのか。
澪には、
分からない。
ただ、
“ゼロではない”。
それだけが、
はっきりしている。
布団に入る。
隣で、
俺はもう寝ている。
澪は、
天井を見る。
この揺れは、
まだ
声になっていない。
声にならないものは、
訴えではない。
訴えでないものは、
問題にならない。
問題にならないものは、
静かに数えられる。
誰かによって。
誰か、という形をした
何かによって。




