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第三十七話:正しい判断の共有


 市役所からの封書は、白くて薄い。


 広告でも、請求でもない。

 開ける前から、そう分かる。


「なにそれ?」


 澪が聞く。

 声は、少し遅れて届く。


「調査の結果だって」


 そう答えながら、封を切る。


 文字は整っている。

 感情を排した、無機質な文章。


現時点において、当該事案に

明確な問題は確認されませんでした。


 目が、自然にそこへ行く。


 理由も、説明も続くが、

 重要なのは一行だけだ。


 問題は、無い。


「よかったね」


 澪が言う。


 それは、安心した声だ。

 少なくとも、そう聞こえる。


「うん。よかった」


 俺も頷く。


 第三者が同じ判断を下した。

 それだけで、胸の奥が軽くなる。


 自分の判断は、間違っていなかった。


 澪は書類を覗き込まない。

 興味がないのか、

 見なくても分かっているのか。


「これで、もう気にしなくていいね」


 澪がそう言った瞬間、

 微かな違和感が胸をかすめる。


 ――気にしていたのは、誰だろう。


 その問いは、言葉になる前に消える。


「そうだね」


 俺は同意する。


 正しい判断は、共有された。

 それで十分だ。


 数日後、病院で同じ言葉を聞く。


「医学的には、問題ありません」


 医師は穏やかだ。

 声に迷いはない。


 澪は頷く。

 俺も頷く。


 二人の反応は、ほぼ同時だった。


「何か気になることは?」


 そう聞かれて、

 俺は一瞬、澪を見る。


 澪は首を振る。


「特に」


 それで話は終わる。


 終わるべき形で。


 帰り道、澪がぽつりと言う。


「みんな、同じこと言うね」


「まあ、基準があるんだろ」


「……そうだね」


 澪の返事は、少し遅れる。


 だが、それを問題だとは思わない。


 基準が一致しているなら、

 個人の感覚は誤差だ。


 夜、二人でテレビを見る。


 ニュースでは、

 システムによる判断の迅速化が

 評価されている。


「間違いが減ったんだって」


「すごいね」


 澪は画面を見たまま言う。


 表情は、分からない。


「人が迷わなくて済む」


「……うん」


 その「うん」は、

 肯定だったのか、

 単なる相槌だったのか。


 俺は区別しない。


 区別する必要がない。


 寝る前、澪が洗面所で手を止める。


 鏡を見ている。

 長い時間。


「どうした?」


「なんでもない」


 即答だ。


 即答は、安心材料だ。


 布団に入る。

 澪は先に横になる。


「ねえ」


 小さな声。


「なに?」


 澪は、少し間を置いてから言う。


「もし、何かあったとしてもさ」


「うん」


「それが問題じゃないって言われたら、

 それでいいのかな」


 問いは、曖昧だ。

 具体性がない。


 俺は、答えを選ばない。


「専門の人がそう言うなら」


 澪は、しばらく黙っている。


 そして、静かに頷く。


「……そうだよね」


 その瞬間、

 何かが確かに閉じる。


 俺は、それを「安心」と呼ぶ。


 正しさは、外部に委ねられた。

 判断は、共有された。

 責任は、分散された。


 もう、個人的に悩む必要はない。


 問題は、無い。


 それを皆が同じ言葉で言う世界は、

 とても静かで、

 とても安全だ。


 だから俺は、

 澪の呼吸がわずかに乱れていても、

 目を閉じる。


 正しい判断は、

 もう下されているのだから。


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