第三十五話:慣れてしまった違和感
朝は、規則正しく始まる。
アラームが鳴る前に目が覚める。
天井の染みを一つ数えて、息を整える。
隣では、澪が眠っている。
呼吸は浅く、一定ではない。
以前から、こんなだっただろうか。
思い出そうとして、やめる。
朝の準備をする。
洗面所で顔を洗い、歯を磨く。
キッチンでコーヒーを淹れる。
音は最小限。
起こさないため、という理由が一番分かりやすい。
澪が起きてきたのは、その少し後だった。
「おはよう」
「おはよ」
声の高さが、少し違う。
でも、誤差の範囲だ。
澪はテーブルに着き、俺の淹れたコーヒーを見る。
「ありがとう」
「どういたしまして」
短いやり取り。
いつも通り。
澪はカップを両手で包む。
すぐには飲まない。
――熱いのかもしれない。
それ以上、考えない。
「今日、仕事ある?」
「うん。在宅だけど」
「そっか」
それで十分だ。
細かい予定までは聞かない。
澪が食パンを一口かじる。
噛む回数が多い。
「無理しないで」
また、言っている。
澪は小さく笑って頷く。
「大丈夫だよ」
その言葉を聞くたび、
安心と同時に、どこかで責任を手放している気がする。
でも、それを「気のせい」に分類するのは簡単だ。
出勤の準備をする。
靴を履きながら、振り返る。
澪はキッチンに立ち、食器を洗っている。
水の音が、少し強い。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
返事が、一拍遅れる。
昨日より、ほんの僅かに。
ドアを閉める。
鍵をかける。
エレベーターを待つ間、
なぜか胸の奥がざわつく。
――戻った方がいいだろうか。
理由は、特にない。
遅刻するほどでもない。
エレベーターが来る。
扉が開く。
その瞬間、ざわつきは消える。
会社では、いつも通りの一日だった。
報告書をまとめ、確認をして、承認を待つ。
「問題なし」
その言葉に、違和感を覚えることはない。
帰宅すると、部屋は静かだった。
澪はリビングにいる。
ソファに座り、膝を抱えている。
「おかえり」
「ただいま」
声は、穏やかだ。
「今日はどうだった?」
俺は聞く。
習慣になった問い。
「普通」
答えも、習慣だ。
澪は立ち上がり、夕飯の準備を始める。
手順が、少しだけ遅い。
それでも、失敗はしない。
――問題は、無い。
その判断が、
もう考えなくても出てくることに気づく。
違和感は、ある。
確かに、ある。
けれど、それは
「慣れてしまった」という理由で、簡単に処理できる。
俺は澪の背中を見る。
声をかけようとして、やめる。
代わりに、コップを洗う。
水音が、二人分になる。
そのことに、
どこか安心してしまう自分がいる。
違和感は、今日もそこにある。
でも、それはもう――
わざわざ確かめるものではなくなっていた。




