第三十四話:確認しなくていい理由
夜は、穏やかだった。
テレビの音量は低く、画面の光も抑えめで、二人とも同じソファに座っている。
近い。
けれど、触れてはいない。
澪は膝の上で指を組み、ほどいて、また組む。
その動きに、一定のリズムはない。
「今日はどうだった?」
俺が聞くと、澪は一拍置いてから答えた。
「普通、かな」
普通。
それ以上でも以下でもない言葉。
「そっか」
会話はそこで終わっても、何の支障もない。
それが、長く一緒にいる利点だと思っている。
画面では、誰かが笑っている。
笑い声が、少しだけ遅れて部屋に届く。
澪がクッションを抱え直す。
抱え方が、以前より強い。
――寒いのかもしれない。
俺はエアコンの設定を一度だけ確認する。
数字は問題ない。
「寒い?」
「ううん。大丈夫」
即答ではない。
けれど、否定は明確だ。
それなら、確認は不要だ。
澪は画面を見つめている。
見ている、というより、視線を置いている。
俺は、その横顔を一瞬だけ見る。
頬の筋肉が、ほとんど動いていない。
――疲れてる。
今日も、その結論に落ち着く。
落ち着いてしまう。
「無理しないでな」
言い慣れた言葉。
言うことで、役目を果たした気になれる。
「うん」
返事は小さい。
でも、拒否ではない。
沈黙が続く。
不自然ではない沈黙。
澪が、ふと口を開く。
「ね」
「ん?」
「……なんでもない」
その二往復目は、
以前なら、もう少し間が短かった気がする。
俺は笑ってしまう。
「最近、それ多いな」
冗談のつもりだった。
空気を軽くするための。
澪は、少し困ったように笑う。
「ごめん」
「謝ることじゃないだろ」
そう言いながら、
本当は何を謝らせたのか、自分でも分からない。
澪は視線を落とし、クッションに顔を埋める。
深く息を吸って、吐く。
――聞けばいいのかもしれない。
そう思う。
けれど、続きがあると分かっている質問は、簡単じゃない。
聞いてしまったら、
今の「普通」が壊れるかもしれない。
だから、聞かない理由を探す。
澪が言わない。
泣いていない。
怒っていない。
生活は回っている。
確認しなくていい条件は、十分に揃っている。
「そろそろ寝る?」
俺が言うと、澪は少し遅れて頷く。
「うん」
立ち上がるタイミングが、また僅かにずれる。
それでも、同じ寝室に向かう。
電気を消す。
暗闇の中、澪の呼吸が聞こえる。
一定。
安定している。
――問題は、無い。
確認しなくていい理由が、
今日も一つ、増えただけだ。




