第二十九話:判断する側
朝、恒一は先に目を覚ました。
カーテン越しの光は、
もう夏に近い色をしている。
隣で澪は眠っている。
呼吸は一定で、浅くも深くもない。
――問題は、無い。
その言葉が、
考えるより先に浮かぶ。
洗面所で顔を洗いながら、
恒一は今日の予定を整理する。
仕事。
夕方に一本、簡単なオンライン確認。
夜は特に予定なし。
平凡だ。
だから安心できる。
朝食の準備をしていると、
澪が起きてくる。
「おはよう」
「おはよう」
声のトーンは揃っている。
「今日、面談だったよね」
「うん。もう終わった」
「どうだった?」
澪は一拍置く。
「問題なかった」
恒一は頷く。
「そっか」
それ以上、
聞く必要は感じなかった。
聞かないことが、
配慮だと思っている。
食卓に並ぶのは、
トーストとコーヒー。
澪は黙々と食べる。
恒一は、その様子を見ている。
以前なら、
「元気ない?」と聞いていたかもしれない。
だが今は、
そう思わない。
落ち着いている。
集中している。
余計な感情がない。
――良い状態だ。
そう判断する。
仕事中、
恒一は同僚と通話する。
話題は、
最近の制度改訂。
「感情整形の確認プロセス、
また簡略化されるらしいですね」
「利用者も安定してるし」
「問題起きてませんからね」
問題。
「数字見る限り、
介入減らした方が合理的ですよ」
「感情の揺れは、
本人の主観ですし」
恒一は相槌を打つ。
「そうですね」
その言葉に、
違和感は無い。
澪の顔が、
一瞬よぎる。
だが、
それは肯定と結びついている。
――彼女も安定している。
夕方、
恒一は澪に声をかける。
「疲れてない?」
「大丈夫」
即答。
「無理しなくていいから」
「してないよ」
澪は微笑む。
その微笑みを見て、
恒一は安心する。
安心は、
判断を停止させる。
夜、
二人は並んでソファに座る。
テレビをつけるが、
内容は頭に入らない。
澪が言う。
「私、前より楽」
「うん」
「考えなくていいことが増えた」
「それ、いいことだと思う」
恒一は即座に答える。
考える前に。
「考えすぎてたしね」
「そう」
澪は頷く。
会話は、
穏やかに終わる。
恒一は、
自分が正しい位置にいると感じる。
支える側。
理解する側。
判断する側。
だが、
その自覚は無い。
ただ、
「普通に生きている」だけだ。
眠る前、
恒一はふと思う。
――もし、何かおかしかったら。
だが、その仮定は、
すぐに打ち消される。
第三者も。
制度も。
数字も。
すべてが「問題無い」と言っている。
それなら、
自分が疑う理由はない。
疑う方が、
過剰だ。
恒一は目を閉じる。
隣で澪が、
小さく寝返りを打つ。
その音を聞きながら、
恒一は安心する。
自分は、
間違っていない。
その確信が、
最も強い判断だった。




