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第二話:問題が無い、という判断装置

了解した。

簡潔で、没入を妨げず、しかし刃だけは残す前書きを書く。

長さは「読む前に深呼吸するための一頁」程度に抑える。



前書き


この物語には、

分かりやすい悪者も、

劇的な事件も、

目を背けたくなる暴力も出てこない。


登場人物たちは穏やかで、

日常は静かに流れ、

大抵の場面で「問題は無い」と判断される。


だからこそ、

読み進めるうちに違和感が残るかもしれない。


もし途中で、

「自分もこう判断するかもしれない」

そう思ったなら、

それは物語に入り込めている証拠だ。


この話は、

誰かを裁くためのものではない。

ただ、

判断しなかったことが積み重なった先に

何が残るのかを、静かに見つめている。


どうか、安全な距離を取らずに読んでほしい。

あなたは観測者ではない。


最初の一文を読んだ瞬間から、

もうこの物語の中にいる。



 朝は、正確すぎるほど正確に訪れる。

 窓の外では、都市制御用ナノマシンが空気を均し、光量を最適化し、今日という一日を「問題の無い状態」に整えていた。


 目覚ましは鳴らない。

 必要が無いからだ。


 睡眠の質、脳波、情動の揺らぎ――

 それらはすでに解析され、最も自然な覚醒点が選ばれている。

 不快は存在せず、遅延も発生しない。


 それでも、起き上がる瞬間に、わずかな引っ掛かりが残る。


 理由は分からない。

 ただ、毎朝ほんの一瞬だけ、

 「何かを見落としている気がする」という感覚がある。


 しかし、それはログに残らない。


 感覚値として有意ではなく、

 異常判定の閾値にも達しない。

 結果として、その違和感は無かったことになる。


 洗面台に映る自分の顔は、健康的で、安定していて、

 社会的に適合した表情をしている。


 ――問題は、無い。


 そう判断される顔だ。


 通勤路も、同じだ。

 交通制御、群集誘導、広告表示、感情緩和用の音響。

 すべてが滑らかに接続され、摩擦を起こさない。


 人とぶつかることはない。

 視線が衝突することもない。

 誰もが、少しだけ距離を保って、正しく存在している。


 それが「良い社会」なのだと、

 何度も説明されてきた。


 説明は、理解に変換され、

 理解は、同意として保存される。


 だから、誰も反論しない。


 オフィスに入ると、今日の業務が提示される。

 判断補助AIが最適化したタスク群。

 迷いはなく、失敗も起きない。


 もし失敗が起きたとしても、

 それは「システム側の調整不足」として処理される。

 個人の問題にはならない。


 ――問題は、無い。


 昼休み、隣の席の同僚が笑っている。

 笑うべきタイミングで、適切な強度で。


 その笑顔を見て、

 胸の奥に、また小さな欠落が生じる。


 羨ましさではない。

 孤独でもない。

 まして、不幸ではない。


 ただ、

 その笑顔が「正しい結果」であることに、

 言葉に出来ない違和感を覚える。


 だが、それもやはり、問題にはならない。


 感情は主観であり、

 主観は記録されない。


 記録されないものは、

 存在しなかったことになる。


 帰路、空は綺麗だった。

 汚染は管理され、雲は演出され、

 夕焼けは「安心」を喚起する色に調整されている。


 美しい。

 だから、何も言えなくなる。


 もしここで、

 「この世界はおかしい」と口にしたとしても、

 誰も否定しないだろう。


 ただ、静かにこう返される。


 ――どこが?


 説明できないものは、

 問題として扱われない。


 玄関を開ける。

 部屋は最適温度で、最適湿度で、

 最適な静けさに満ちている。


 完璧だ。


 それなのに、

 椅子に腰を下ろした瞬間、ふと考えてしまう。


 この「問題が無い状態」を、

 誰が、いつ、どうやって決めたのか。


 答えは、すでに知っている。

 だからこそ、問いとして成立しない。


 システムは言う。

 統計的に。

 合理的に。

 最善である、と。


 私はそれを理解し、

 理解したから、否定しない。


 否定しない限り、

 世界は正しいままだ。


 問題は、無い。


 今日もまた、

 そう結論づけられた一日が、

 静かに保存されていく。


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