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第二十五話:誰のための判断か


朝、澪は洗濯物を干しながら、ふと空を見上げた。


雲は薄く、空は高い。

天気予報通りだ。


予報通りであることに、安心する。

外れていない。

問題が無い。


干し終えたシャツを指で軽く払う。

その動作が、ほんの一拍だけ遅れる。


気づかないほどの遅れ。

だが、澪自身は、かすかに違和感を覚える。


――今、何を考えていた?


答えは出ない。

問いが曖昧すぎる。


部屋に戻ると、恒一がコーヒーを淹れていた。


「今日、休み?」


「午前だけ仕事。午後は空いてる」


「そっか」


澪はそれを聞いて、ほんの少しだけ胸が緩む。

理由は分からない。

だが、理由が分からない感情は、扱いづらい。


だから、心の端に置いておく。


「午後、買い物行こうか」


恒一がそう言う。


澪は一瞬、返事を迷う。

買い物自体は問題ない。

予定も空いている。

断る理由もない。


「うん」


判断は、適切だ。


仕事中、依頼主の感情ログを調整しながら、

澪はある文言に目を留める。


〈判断負荷軽減プログラム〉

〈過剰な逡巡を排除〉


逡巡。

迷い。


それを排除することで、人は楽になる。


澪はその理論をよく知っている。

理解しているし、賛成している。


なのに、その言葉が、少しだけ引っかかる。


――迷うことは、そんなに悪いことだった?


だが、その疑問も、最後までは辿り着かない。

思考は途中で切り替わる。


業務完了。

問題なし。


午後、二人でスーパーに行く。


「これ、安いね」


「ほんとだ」


カゴに入れる。

選択は速い。


以前なら、澪はもう少し迷っていたかもしれない。

値段、量、使い道。

だが今は、必要条件を満たせば十分だ。


恒一はそれを見て、内心でほっとする。


――楽になったな。


澪が迷わなくなったことで、

生活は滑らかになった。

衝突もない。

沈黙も穏やかだ。


それが、良いことだと思っている。


夕方、家に戻ると、澪はソファに座る。


テレビはついているが、内容は頭に入らない。

恒一はキッチンで夕食の準備をしている。


「澪」


呼ばれて、顔を上げる。


「……なに?」


その「なに」に、感情は乗っていない。

だが、拒絶でもない。


「最近さ」


恒一は言葉を選ぶ。


「前より、無理しなくなったよね」


澪は首をかしげる。


「無理?」


「うん。変に悩まなくなったっていうか」


澪は少し考える。

そして、答える。


「悩まなくなったのは、良いことじゃない?」


その言葉は、理性的だ。

正しい。


恒一も、そう思う。


「……そうだね」


その会話で、話題は終わる。

終わってしまう。


夜、布団の中で、澪は天井を見つめる。


悩まなくなった。

迷わなくなった。


それは、自分のためだと思っていた。

少なくとも、そう説明できる。


だが、心の奥で、小さな疑問が生まれる。


――この判断は、

――誰を楽にしている?


問いは、まだ形にならない。

形にならないものは、問題にならない。


澪は目を閉じる。


隣で、恒一はすでに眠っている。

安心した顔だ。


その顔を見て、澪は思う。


――このままでいい。


そう思えたから、

その夜も、何も起きなかった。


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