第二十四話:判断が早くなる
朝、澪は目覚ましよりも少し早く目を覚ました。
理由はない。
音も、夢も、衝撃もない。
ただ、目が開いた。
天井を見つめながら、澪は呼吸を整える。
浅くもなく、深くもない。
ちょうど「問題が無い」と判断される呼吸。
隣では恒一が眠っている。
規則的で、安定していて、安心できる。
澪は起き上がる。
その動作に迷いはない。
迷いが生じる前に、判断が終わっているからだ。
キッチンで湯を沸かしながら、ふと思う。
――今日は、何か違う?
だが、その問いは最後まで形成されない。
「違う」と言い切れる要素が見つからないから。
コーヒーの香り。
マグカップ二つ。
いつもの配置。
恒一が起きてくる。
「早いね」
「うん。目が覚めちゃって」
「そっか」
それだけで会話は成立する。
それ以上の情報は、必要とされない。
澪は恒一の顔を見る。
少しだけ、視線が長くなる。
「……何かあった?」
恒一は気づいて、そう聞く。
澪は一瞬考える。
ほんの一瞬だが、その間に複数の判断が走る。
・説明できる異変は無い
・不安と呼ぶほどの感情でもない
・言えば心配させる可能性がある
・言わなくても生活は成立する
「ううん。何も」
笑って答える。
その笑顔は、自然だ。
恒一は安心して頷く。
問題が解決された、と身体が理解する。
澪は在宅端末の前に座る。
今日の依頼は、感情の過剰反応の調整。
怒りを鈍らせ、悲しみを薄め、判断を滑らかにする。
依頼主が「普通に生活できる」ように。
作業は順調だった。
むしろ、最近は精度が上がっている。
感情がどこで問題になるか。
どこまで削れば支障が出ないか。
判断が早い。
「……」
澪は一瞬、画面に映る数値を見つめる。
削減率が、以前より少し高い。
だが、許容範囲内だ。
問題は無い。
そう結論づけた瞬間、
胸の奥で何かが沈む。
それは痛みではない。
違和感ですらない。
ただ、処理が完了した感覚だけが残る。
夕方、恒一が帰宅する。
「おかえり」
「ただいま。今日どうだった?」
「順調だったよ」
嘘ではない。
事実を、事実として報告しているだけだ。
食事の最中、恒一が言う。
「最近、仕事早いよね。判断も」
「そう?」
「うん。前より迷わなくなった気がする」
澪は箸を止めないまま答える。
「効率が良くなっただけだと思う」
それも、嘘ではない。
恒一は「すごいね」と笑う。
褒め言葉として受け取る。
澪の中で、何かがまた一つ、静かに整理される。
――迷わないのは、良いこと。
――迷わなければ、問題にならない。
夜、布団に入ってから、澪は考える。
以前は、もっと考えていた気がする。
些細なことを、長く。
だが、それが何だったのかは思い出せない。
思い出せないなら、
記録する価値はない。
恒一の寝息が聞こえる。
それは、今日も変わらず、穏やかだ。
澪は目を閉じる。
判断は、早い方がいい。
問題は、無い方がいい。
そうやって世界は回っている。
――だから、今日も何も起きなかった。




