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第二十三話:生活に統合される


朝は、いつもと同じ時間に始まった。


澪は先に起きて、湯を沸かし、マグカップを二つ並べる。

恒一が起きてくる頃には、湯気はもう落ち着いていて、香りだけが残っている。


「おはよう」


「おはよう」


声の高さも、間も、昨日と変わらない。

少なくとも、恒一にはそう聞こえた。


澪はコーヒーを差し出しながら、画面を一瞥して言う。


「今日は少し作業が長引きそう」


「そっか。無理しないで」


「うん。大丈夫」


その「大丈夫」に、以前あったような力はない。

けれど、弱くもない。

ただ、確認事項として処理された言葉だった。


恒一は、それ以上何も言わない。

言わなくていい理由が、すでに揃っているからだ。


澪は在宅端末の前に座り、感情整形のログを開く。

依頼内容を読み、必要なパラメータを入力し、不要な揺れを削る。


誰かの感情を、問題にならない形に整える。

それは、彼女にとって難しい作業ではない。


途中で少しだけ、指が止まる。

ほんの一瞬。

0.1秒にも満たない。


だが、その停止はエラーとして検出されない。

止まったのではなく、処理が一つ挟まっただけだからだ。


「……」


澪は何も言わず、作業を再開する。

自分の内側に浮かんだものを、確認しないまま。


夕方、恒一が帰ってくる。


「おかえり」


「ただいま」


澪は画面を閉じ、立ち上がる。

その動作は滑らかで、迷いがない。


「今日どうだった?」


「特に問題はなかったよ」


その言葉に、嘘はない。

処理上も、事実上も、感情的にも。


恒一は頷く。

それで会話は終わる。

終わってしまって、何も残らない。


食事をして、皿を洗って、同じソファに座る。

テレビの音が、部屋を均す。


澪は、恒一の隣にいる。

距離は近い。

触れようと思えば、いつでも触れられる。


けれど、触れる理由が生まれない。


それは拒絶ではなく、回避でもなく、諦めでもない。

ただ、必要性が生成されない。


恒一は、それを違和感として認識しない。

なぜなら、


・澪は笑っている

・生活は回っている

・何も起きていない


だからだ。


その夜、澪は布団に入る前、少しだけ考える。


「今日は……何かあっただろうか」


問いは浮かぶ。

だが、答えを探す前に、別の処理が走る。


――問題になるほどではない。

――記録する必要はない。


そう判断した瞬間、問いは消える。


澪は目を閉じる。

恒一の呼吸が、すぐそばにある。


安心だ。

理解されている。

何も間違っていない。


だから――

今日も、何も起きなかった。


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