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第十八話:選ばなかった、という選択


 最初にズレたのは、

 返事の速度じゃない。


 判断の位置だった。


 「今日さ」


 俺は靴を履きながら言った。


 「帰り、少し遅くなる」


 澪は、キッチンにいた。


 包丁を置く。


 水を止める。


 振り向く。


 そこまで、

 少し時間がかかる。


 「……何時くらい?」


 聞き返してくる。


 声はいつも通り。


 だが俺は、

 一瞬だけ考えた。


 あれ。


 前は、

 「わかった」だった気がする。


 「九時くらい」


 「……そっか」


 それだけ。


 否定も、了承もない。


 判断が、

 宙に浮く。


 だが俺は、

 それを拾わない。


 拾わなくても、

 生活は進む。


 会社。


 通知。


 《例の件、どうする?》


 同僚から。


 俺は返す。


 《任せる》


 任せることは、

 判断しないことじゃない。


 判断を

 他人に移すだけだ。


 夜。


 帰宅。


 「ただいま」


 澪は、

 リビングにいる。


 テレビを見ている。


 音量は低い。


 「おかえり」


 少し遅れて。


 俺はコートを脱ぐ。


 「夕飯どうする?」


 澪は、

 すぐに答えない。


 視線はテレビのまま。


 音だけが流れる。


 「……どっちでもいいよ」


 どっちでもいい。


 便利な言葉だ。


 相手に

 選ばせることができる。


 同時に、

 自分が選ばなくて済む。


 「じゃあ、外行く?」


 俺が決める。


 澪は、

 間を置く。


 「……うん」


 了承。


 だが、

 それは本当に

 選んだ結果だろうか。


 外食。


 店内は静か。


 注文。


 俺が先に言う。


 澪は、

 同じものを頼む。


 「それでいい?」


 「……うん」


 遅れて。


 いつからだろう。


 澪が、

 “選択”を

 俺の後ろに置くようになったのは。


 食後。


 俺が会計。


 澪は立つ。


 立つまでに、

 一拍。


 歩き出すまでに、

 さらに一拍。


 歩き出す。


 問題はない。


 歩いている。


 動いている。


 反応している。


 帰り道。


 信号待ち。


 俺が言う。


 「さっきの、どうだった?」


 何が、とは言わない。


 澪は理解する。


 ……少し遅れて。


 「……大丈夫」


 大丈夫。


 それは

 「良かった」ではない。


 「嫌じゃなかった」でもない。


 止める理由がない、という意味だ。


 俺は頷く。


 大丈夫なら、

 問題はない。


 家。


 風呂。


 先に入るか、後か。


 「どっち先にする?」


 澪は、

 考える。


 長くはない。


 だが確かに、

 考える時間がある。


 「……先どうぞ」


 譲る。


 俺は入る。


 湯船で思う。


 俺が聞かなければ、

 澪は選ばなかった。


 だが、

 聞いたから選んだ。


 それでいい。


 それが、

 会話だ。


 そう思える範囲。


 寝る前。


 「明日、実家行くけど」


 「……あ、うん」


 「一緒に来る?」


 質問。


 澪は、

 答えない。


 間。


 俺は待つ。


 待てる時間。


 「……今回は、いいかな」


 断り。


 俺は笑う。


 「了解」


 了解できる。


 理由を

 聞かなくても。


 布団。


 灯りを消す。


 暗闇。


 澪が言う。


 「……ごめんね」


 遅れて。


 何に対してかは、

 言わない。


 俺は言う。


 「大丈夫だよ」


 この言葉で、

 全てが収束する。


 澪は、

 それ以上言わない。


 言わなくていい。


 俺が大丈夫だと

 言ったから。


 眠りに落ちる前。


 澪の呼吸は、

 安定している。


 俺は安心する。


 選ばせなかったことも、

 選ばせたことも、

 どちらも問題にならなかった。


 だから今日も、

 記録は更新されない。


 判断は、

 なされなかった。


 だが――

 選ばなかった、という選択は

 確かに積み上がっている。


 それが安全になることを、

 まだ誰も知らない。


 問題は、無かった。


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