第十七話:返事は、遅れても返ってくる
最初に違和感を覚えたのは、
呼びかけたあとだった。
「澪」
洗面所で、
歯を磨きながら。
返事は、来た。
ただし――
少し遅れて。
「なに?」
声は普通だ。
機嫌も悪くない。
だから俺は、
気にしなかった。
「今日、ゴミ出し俺でいい?」
「……あ、うん。ありがとう」
間。
ほんの一拍。
考えてから答えた、
というほどではない。
迷った、
とも言えない。
ただ、
反応が遅れただけ。
人間なら、よくある。
朝食の席。
ニュースが流れている。
事故。
統計。
判断装置のアップデート。
「これさ」
俺が言う。
澪は、箸を止めた。
止めてから、
俺を見るまでに、
一瞬の空白。
「……なに?」
視線は合う。
焦点も合っている。
ただ、
合うまでに時間がかかった。
「いや、なんでもない」
本当に、なんでもなかった。
だから話題は終わる。
終われるということは、
問題ではないということだ。
昼、澪は在宅。
俺は外。
メッセージを送る。
《昼、何食べる?》
既読はすぐにつく。
返事は、
少し遅れる。
《まだ考えてない》
いつもの文面。
いつもの語尾。
だが、
入力開始の表示が、
一瞬だけ消えた。
誤作動だろう。
通信は安定している。
夕方、帰宅。
「ただいま」
リビングから、
足音。
姿が見えるまでに、
一拍。
「おかえり」
笑っている。
遅れは、
表情には出ない。
だから成立する。
成立する限り、
違和感は記録されない。
食事中。
俺が箸を置く。
澪も、
少し遅れて置く。
偶然だ。
偶然は、
毎日起きる。
夜。
ソファで並ぶ。
テレビを見ている。
俺が笑う。
澪が笑う。
……少し遅れて。
笑いの種類は同じ。
高さも同じ。
タイミングだけが、
わずかにずれる。
俺は思う。
疲れてるのかな。
それで終わる。
終われてしまう。
風呂上がり。
「先寝てていいよ」
「……うん」
間。
澪は立ち上がる。
立ち上がるまで、
一呼吸分。
それでも、
動いている。
動いている限り、
停止ではない。
布団。
灯りを消す。
暗闇。
「おやすみ」
「……おやすみ」
遅れ。
だが、返事はある。
返事があるなら、
孤立ではない。
俺は安心する。
この安心が、
判断を止める。
問題は、
起きていない。
反応が遅いだけだ。
人間らしい。
そう思える程度の、
遅れだった。
だから今日も、
記録は更新されない。
ズレは、
誰にも指摘されない。
問題は、無かった。




