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第十六話:ズレは、誤差として処理される


 最初に気づいたのは、

 時計を見たときだった。


 七時二分。


 いつもなら、澪はもう豆を挽いている。


 けれど今日は、

 音がしなかった。


 たったそれだけだ。


 俺はベッドから起き上がり、

 顔を洗い、

 リビングに出た。


 澪はいた。


 キッチンの前。

 マグカップを手にしている。


 豆はまだ、挽かれていない。


 「あれ、今日は遅い?」


 澪は一瞬だけ、考えるような顔をした。


 「……そうかな?」


 首を傾げる角度が、

 いつもよりわずかに深い。


 だが、それだけだ。


 「時計、合ってる?」


 「たぶん」


 澪は端末を確認しない。

 いつも通りだ。


 俺も確認しない。


 問題は無い。


 豆を挽く音が、

 少し遅れて始まる。


 音の間隔は同じ。

 テンポも狂っていない。


 開始時刻だけが、

 ほんの少し違う。


 0.1秒。


 それは、ズレと呼ぶには小さすぎた。


 朝食は同じ。

 マグカップも同じ。


 澪は縁の欠けた方を使う。


 ただ、

 持ち替えるまでに、

 一呼吸分の間があった。


 「今日、在宅?」


 「うん。午後に一本」


 昨日と同じ答え。


 声の高さも、

 抑揚も、

 変わらない。


 安心できる。


 安心できるから、

 判断は更新されない。


 昼前、俺は出かけた。


 帰宅は予定通り。


 ドアを開けると、

 澪はソファに座っていた。


 端末は膝の上。


 表示は進んでいる。


 進捗バーが、

 ほんのわずかに止まったままに見えた。


 目の錯覚だ。


 「おかえり」


 声が届くまで、

 一瞬の遅延。


 だが、返事は返ってきた。


 それで十分だ。


 夕方、食事の準備。


 香草を刻むタイミングが、

 いつもより遅れる。


 俺は待つ。


 待てば成立する。


 成立するなら、問題は無い。


 夜、風呂。


 澪が出てくるまで、

 普段より少し長い。


 湯冷めする前に、

 声をかけようかと思って、やめた。


 理由は無い。


 理由が無いなら、

 行動もしない。


 布団に入る。


 澪は壁側。


 距離は同じ。


 呼吸が聞こえる。


 ……少し遅れて。


 だが、整っている。


 整っている限り、

 異常ではない。


 俺は目を閉じる。


 今日一日を振り返る。


 豆を挽く音。

 返事の間。

 進捗バー。


 どれも、

 「言語化するほどではない」ことばかりだ。


 記録には残らない。


 判断にも影響しない。


 だから世界は進む。


 ズレを含んだまま。


 問題は、無かった。


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